隠された乙女の甘やかな最愛婚―虧月―

くろのあずさ

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「それはこちらの台詞だ」

 やや怒気を含んだ言い方だが、本気ではないことくらいわかる。絲は恥ずかしさのあまり顔は前を向いたまま口を閉じた。病院着は着物よりも薄く、回された腕の逞しさや体温が直接的に伝わってくる。身を縮めていると、わずかに腕の力が緩んだ。

「どうした? 本気で飛びたくなったのか」

「違います。窓の外を見ていたんです」

 打って変わって冗談めいた口調に、今度は絲もすかさず反論する。

 たしかに屋上についたときは、自分も飛び降りてみたらどうなるかと考えが浮かんだ。しかし実際に実行には移さなかった。それは――。

「なるほど。予想通り、なかなかいい眺めだな」

 鵺雲は絲と抱きしめたまま窓の外に視線を飛ばした。予想通りの意味はわからないが、この状況に絲は声をあげる。

「あの……とにかく離してください!」

「嫌だと言ったら?」

 しれっと返され、絲は眉をひそめる。この男がなにを考えているのか、まったく理解できない。自分を研究対象として軍に連れて帰るため、懐柔させようとしているのか。だとしても、ここまでする意味はないだろう。

 心臓が早鐘を打ち出す。そもそも男性に触れられるどころか、こんなふうに言葉を交わすことさえ経験ない。

 それなのに、鵺雲に対して嫌悪や恐怖を不思議と感じないのはどうしてなのか。

 不意にノック音が響き、回されていた腕が離れた。絲も思わず距離を取る。病室に現れたのは、今朝沢木と対峙していた泉下と呼ばれていた男だ。

「やはりここにいらっしゃいましたか。逢瀬をお楽しみのところ申し訳ありませんが、今はこちらを優先してください」

 上官に対してはあまりにも軽い口調だが、鵺雲は気にせず答える。

「わかっている。結果は出たのか?」

「ええ。犬伏殿からの報告です。概ね大佐の予想通りでした」

 持っている紙を見ながら泉下は答えた。

「そうか」

 鵺雲の声に鋭さが現れる。状況についていけずにいる絲の頭に、大きな手のひらの感触があった。

「なにが起こったとしても俺が守る。だから心配する必要はない」

 それだけ言い残し、鵺雲は去っていく。

 なにか……起こるの?

 ひとり残された絲の胸に言い知れない不安が広がる、しかしすぐに振り払う。

 信じるつもりもない。妻などと言っていたがなにかの間違いだ。彼の目的はほかになにかあるのだろう。

 そう言い聞かせながらも、鵺雲が触れていた箇所に残った温もりが、自然と心を落ち着かせていった。

 ちらりと窓越しにもう一度下を見る。飛び降りた女性たちは、なにを思って下へ落ちていったのか。

 映画の券だって用意していたのに――。
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