隠された乙女の甘やかな最愛婚―虧月―

くろのあずさ

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 次の瞬間、空気が裂ける音と共に伸ばされた手になにかが刺さった。川崎が声にならない悲鳴をあげる。

「触るな」

 凛とした声は聞き覚えがある。軍服を着た鵺雲がゆっくりと部屋に入ってきた。彼のそばには泉下と犬伏の姿もある。

「随分とこちらの世界に上手く溶け込んでいたようだが、欲を出し過ぎたな」

 皮肉めいた言い方に川崎は鵺雲に憎悪の視線を向ける。鵺雲は絲を自分の背後に庇い、川崎と対峙した。先に川崎が口を開く。

「なんのことかしら? 私はただ武藤さんの診察にやって来ただけよ」

 にこやかな面持ちの川崎を鵺雲は冷ややかな目で見た。

「白々しい真似はやめろ。今回の飛び降り事件……最初の被害者は定かではないが、すべてはお前の仕業だろう」

「なにを言っているのか理解できないわ。私は医師として完璧に務めあげているのに……」

 その言い方がすでに不自然だった。薄明かりの中、川崎は口元に笑みを湛えたまま目はまったく笑っていない。

「完璧、ね」

 鵺雲があきれたようにざわとらしく繰り返す。

「知能が高いのは認めてやるが、お前はまったく完璧でもなんでもない」

「なんですって?」

 そこで川崎の温和な仮面が剥げ、眉がつり上がる。彼女を慕う者には信じられない光景だ。

「今回の連続飛び降り事件にマレビトが関わっているのは明白だった。しかし対象者が多すぎて捜査は難航……するかと思ったが、お前はいくつもの間違いを犯していた」

「間違い?」

 川崎の声が低く怒気を孕んだものになっていく。感情を露わにするマレビトを前に、絲に緊張が走る。しかし鵺雲はどこか余裕だ。

「高野真知子を屋上から飛び降りたように見せかけたのは失敗だったな。まぁ、そうせざるを得なかったのは理解できるが」

「え?」

 声を漏らしたのは絲だった。高野真知子は屋上から飛び降りたのではないのか。

 絲の疑問に答えるように泉下が唇を動かす。

「高野真知子さんの遺体は綺麗すぎたんです。飛び降りた際にできた着物や髪の乱れはあるものの衣服や手に汚れはなかった」

「女心がわかっていないのね。死ぬときくらい綺麗でいたいでしょ?」

 川崎はふんっと鼻を鳴らす。そこで絲は妙な違和感を抱いた。高野真知子の遺体は見ていないが、彼女がこの真上にある屋上から飛び降りたのなら、なにかがおかしい。

「屋上から飛び降りたのなら、柵を越える必要がある。この真上にある柵はそれなりに高さがあり錆もついていた」

「あっ」

 鵺雲の言葉で絲は思い出す。手すりの塗装は剥げ、乗り越えたら手はもちろん着物にも錆がつきそうだった。屋上は風が強く、髪を押さえていたのを思い出す。

「なにより……傷跡を気にして人目に触れるのを嫌っていた高野真知子が、わざわざ病院の真正面の方に飛び降りるのも理解できない」

 違和感の正体が徐々に輪郭をなしていく。絲も同じだったからだ。

「なら、彼女はどこから落ちたのか……。答えはこの部屋だ」

 ハッと絲は窓を見つめた。そういえば、どうしてこの窓は今、開いているのか。

「おそらく後藤田医院になんらかの理由で呼び出し、この部屋にやってきた高野真知子に今みたいに術をかけたのだろう」

 診察時間外である夜に院内に入るには、誰かの手引きが必要になる。ましてや窓は飛び降り防止のための施錠があり、病院側が管理しているであろう鍵がないと開かないのだ。

 たしか、高野真知子さんが飛び降りたとき、当直でここにいたのは――。
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