6 / 58
第1章 手紙
3 白河の戦い
しおりを挟む
林の中間に大砲をすえつけ、左右に枠木を打ちこんで横に丸木を渡す。
それに畳を二枚ずつ重ねて胸壁とし、銃を構えた。
正面に合戦坂を見下ろし、右手に南湖、左手に城下を見渡すことができる。
この態勢をとって4日が過ぎようとしていた。
5月1日 早暁
筋雲の間から薄紫の光が射し、南湖の輪郭が徐々に浮かび上がってきた。
ろくに睡眠はとれていない。銃を構えつつ頭は朦朧としていた。
薩長の奴らが腰砕けで兵を引いてくれればいいのにと、祈りにも似た思いがよぎった時だった。
草をかきわけながら、走って来る伝令の姿が見えた。
「敵が、合戦坂に向かって来ておりやす!」
隊長の瀬上様が直ちに吠えた。
「位置につけい!」
瀬上様こそは世良暗殺の立役者だった。
そんな隊長の元で戦えることを、私はどんなに誇りに思ったかわからない。
木にもたれかかって休んでいた良輔が、飛び起きて持ち場についた。
「目にものみせてやる時が、きたようじゃな」
瀬上様は刃を抜いて顔前にかざし、刃先をなぞるように見た。
手が小刻みに震えている。
「弾込めい! よいか! 必ず、打ちのめしてくれる!」
瀬上様の上擦った声が響いて、銃を持つ私の腕もぶるぶると震えた。
敵がアリのように続々とやって来るのが見える。
「もっと腰を低うせんかっ」
瀬上様が兵士の背を峰打ちしながら、うろうろしている。
「まるで、サカリのついた熊だな」
声のしたほう見ると、銃を構え直す辰蔵と目が合った。
水鳥が一斉に羽ばたく音がした。
銃声と共に敵兵の雄叫びが近づいてくる。
良輔が太鼓の枠の部分を、カ、カ、カと細かく打ち始めた。構えの合図だ。
瀬上様の顔が夜叉の如くに変わった。
「撃て!」
高く掲げられていた白刃が振り下ろされると同時に、ドンドンドンと太鼓が鳴り響き、
一斉射撃が始まった。
私は心臓の激しい鼓動で的が定まらず、目を閉じたまま引き金をひいた。
からだ全体に衝撃が広がった。
すぐに胸壁に身を隠し、次の弾を装填する。
私達に配られたのはゲベール銃だった。
薬包を噛み切って銃口から装薬を入れ、弾丸を落とす。空になった薬包は銃口から詰め、槊杖で軽く突き固める。
さらに火門座に雷管をはめ、撃鉄を全部起こして発射可能となる。
最初ブーンという音に聞こえた敵の弾は、シゥッという音に変わっていった。
発射地点が近づいてきている。
もう躊躇する暇などない。
夢中で弾を込め、敵がいると思われるほうに向かって、がむしゃらに撃ちまくった。
半時を過ぎる頃には城下一帯に黒煙が上がり、生臭い風が斜面伝いに吹いてきた。
敵はさらに接近してきているらしい。弾は音もなく耳元をかすめていく。
竹藪に撃ち込まれた銃丸は、ガラガラと物凄い音をたてて竹から竹へ跳ねまわった。
地面に突き入った砲弾は爆裂音と共に石を粉砕していく。
畳の胸壁は、すぐにずたずたになった。
硝煙で、ろくに顔も上げられない。私は咳込みながら、わずかな窪地に身をかがめて弾込めをした。
目の前の兵士に銃弾があたった。
体が後ろへふっ飛び、口から血を噴いている。
横には、うつぶせに倒れてピクとも動かない者がいる。
この間も弾は雨霰と降り注いできた。あちこちで断末魔の呻き声が上がっている。
介抱する者など誰もいない。
瀬上様は士気を鼓舞する怒声を上げ続けている。
私は装填を終え、次の射撃体勢に入った。
その刹那、味方の兵士数人が銃を捨て、叫喚の声を上げながら敵に向かって突貫して行った。
かざした白刃に陽光が煌めき、袖が風にふくらむ。
次の瞬間、敵から集中射撃を浴び幾筋もの血しぶきが上がった。
続いて四、五人がまたも抜刀して敵陣に向かって斬り込んでいった。
「やめろ!」という瀬上様の叫び声が後を追ったが、結果は同じだった。
味方の無残な死を目の当たりにして、今度は持ち場を離れて逃げだす者が続出した。
瀬上様は刀を握りなおすと、逃げる者たちに猛然と斬りかかっていった。
無茶苦茶に振り降ろされたうちの一太刀は、背後から良輔の首を切り裂いた。
良輔は恐怖に耐え切れず、太鼓をさげたまま走り出していたのだ。
「逃げる奴は、儂がたたっ切る!」
かえり血を浴びて仁王立ちになった瀬上様は、地獄の使いそのものだった。
「申し上げます。立石山が陥落した模様です。参謀の坂本様がここは一時、城まで退却せよと」
稲荷山陣地からやって来た伝令の言葉も、今の瀬上様には何の意味もなさなかった。
「さに及ばず。我が隊はここで敵をくい止める!」
我先に退却しようとする兵に、瀬上様はなおも斬りかかろうとした。
その腕を、伝令が羽交い絞めして止めている。
あとずさりして良輔の元へ駆け寄った。
辰蔵が既に良輔の顔を覗き込んでいる。
首から肩にかけて夥しく出血しているにもかかわらず、良輔は右腕を震わせながら胸の上で
何かしようとしていた。
指に引っかかって出てきたのは、血に鈍く光る十字架だった。
口を動かして何か言おうとしているが、よく聞き取れない。左手はバチを握ったままだ。
「持ち場に戻れというのがわからんか!」
もはや叫びだった。
伝令の手を振りほどいた瀬上様は切っ先をこちらに向けた。
辰蔵が良輔の手からバチをもぎ取って走りだした。つられて私も走った。
それに畳を二枚ずつ重ねて胸壁とし、銃を構えた。
正面に合戦坂を見下ろし、右手に南湖、左手に城下を見渡すことができる。
この態勢をとって4日が過ぎようとしていた。
5月1日 早暁
筋雲の間から薄紫の光が射し、南湖の輪郭が徐々に浮かび上がってきた。
ろくに睡眠はとれていない。銃を構えつつ頭は朦朧としていた。
薩長の奴らが腰砕けで兵を引いてくれればいいのにと、祈りにも似た思いがよぎった時だった。
草をかきわけながら、走って来る伝令の姿が見えた。
「敵が、合戦坂に向かって来ておりやす!」
隊長の瀬上様が直ちに吠えた。
「位置につけい!」
瀬上様こそは世良暗殺の立役者だった。
そんな隊長の元で戦えることを、私はどんなに誇りに思ったかわからない。
木にもたれかかって休んでいた良輔が、飛び起きて持ち場についた。
「目にものみせてやる時が、きたようじゃな」
瀬上様は刃を抜いて顔前にかざし、刃先をなぞるように見た。
手が小刻みに震えている。
「弾込めい! よいか! 必ず、打ちのめしてくれる!」
瀬上様の上擦った声が響いて、銃を持つ私の腕もぶるぶると震えた。
敵がアリのように続々とやって来るのが見える。
「もっと腰を低うせんかっ」
瀬上様が兵士の背を峰打ちしながら、うろうろしている。
「まるで、サカリのついた熊だな」
声のしたほう見ると、銃を構え直す辰蔵と目が合った。
水鳥が一斉に羽ばたく音がした。
銃声と共に敵兵の雄叫びが近づいてくる。
良輔が太鼓の枠の部分を、カ、カ、カと細かく打ち始めた。構えの合図だ。
瀬上様の顔が夜叉の如くに変わった。
「撃て!」
高く掲げられていた白刃が振り下ろされると同時に、ドンドンドンと太鼓が鳴り響き、
一斉射撃が始まった。
私は心臓の激しい鼓動で的が定まらず、目を閉じたまま引き金をひいた。
からだ全体に衝撃が広がった。
すぐに胸壁に身を隠し、次の弾を装填する。
私達に配られたのはゲベール銃だった。
薬包を噛み切って銃口から装薬を入れ、弾丸を落とす。空になった薬包は銃口から詰め、槊杖で軽く突き固める。
さらに火門座に雷管をはめ、撃鉄を全部起こして発射可能となる。
最初ブーンという音に聞こえた敵の弾は、シゥッという音に変わっていった。
発射地点が近づいてきている。
もう躊躇する暇などない。
夢中で弾を込め、敵がいると思われるほうに向かって、がむしゃらに撃ちまくった。
半時を過ぎる頃には城下一帯に黒煙が上がり、生臭い風が斜面伝いに吹いてきた。
敵はさらに接近してきているらしい。弾は音もなく耳元をかすめていく。
竹藪に撃ち込まれた銃丸は、ガラガラと物凄い音をたてて竹から竹へ跳ねまわった。
地面に突き入った砲弾は爆裂音と共に石を粉砕していく。
畳の胸壁は、すぐにずたずたになった。
硝煙で、ろくに顔も上げられない。私は咳込みながら、わずかな窪地に身をかがめて弾込めをした。
目の前の兵士に銃弾があたった。
体が後ろへふっ飛び、口から血を噴いている。
横には、うつぶせに倒れてピクとも動かない者がいる。
この間も弾は雨霰と降り注いできた。あちこちで断末魔の呻き声が上がっている。
介抱する者など誰もいない。
瀬上様は士気を鼓舞する怒声を上げ続けている。
私は装填を終え、次の射撃体勢に入った。
その刹那、味方の兵士数人が銃を捨て、叫喚の声を上げながら敵に向かって突貫して行った。
かざした白刃に陽光が煌めき、袖が風にふくらむ。
次の瞬間、敵から集中射撃を浴び幾筋もの血しぶきが上がった。
続いて四、五人がまたも抜刀して敵陣に向かって斬り込んでいった。
「やめろ!」という瀬上様の叫び声が後を追ったが、結果は同じだった。
味方の無残な死を目の当たりにして、今度は持ち場を離れて逃げだす者が続出した。
瀬上様は刀を握りなおすと、逃げる者たちに猛然と斬りかかっていった。
無茶苦茶に振り降ろされたうちの一太刀は、背後から良輔の首を切り裂いた。
良輔は恐怖に耐え切れず、太鼓をさげたまま走り出していたのだ。
「逃げる奴は、儂がたたっ切る!」
かえり血を浴びて仁王立ちになった瀬上様は、地獄の使いそのものだった。
「申し上げます。立石山が陥落した模様です。参謀の坂本様がここは一時、城まで退却せよと」
稲荷山陣地からやって来た伝令の言葉も、今の瀬上様には何の意味もなさなかった。
「さに及ばず。我が隊はここで敵をくい止める!」
我先に退却しようとする兵に、瀬上様はなおも斬りかかろうとした。
その腕を、伝令が羽交い絞めして止めている。
あとずさりして良輔の元へ駆け寄った。
辰蔵が既に良輔の顔を覗き込んでいる。
首から肩にかけて夥しく出血しているにもかかわらず、良輔は右腕を震わせながら胸の上で
何かしようとしていた。
指に引っかかって出てきたのは、血に鈍く光る十字架だった。
口を動かして何か言おうとしているが、よく聞き取れない。左手はバチを握ったままだ。
「持ち場に戻れというのがわからんか!」
もはや叫びだった。
伝令の手を振りほどいた瀬上様は切っ先をこちらに向けた。
辰蔵が良輔の手からバチをもぎ取って走りだした。つられて私も走った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる