獅子たちの夏➖会津戦争で賊軍となり、社会的に葬られた若者の逆転人生

第１章 手紙

11 バラ牧師

　世の中は競って西欧の先進技術を取り入れようとする傾向にあるので、外国語の習得は
　まず必要だろう。

　そう考え、手元に残った三町四反二畝一〇歩の地券だけを頼りに、東京へ出てみることにした。

　一度行ったこともあるので幾分気楽だし、教会はさらに増えていると聞く。
　当時、聖職者はほとんどが外国人で教会は学校の機能も兼ねていたからだ。

　今では基督教の中で宗派の別があることを貴女は知っていると思う。
　しかし開国時はまだ禁教であったために、各宗派は結束して単に基督教として広めることを優先した。
　違いが鮮明化するようになったのは明治六年以降だ。

　習得できる言語も宗派によって違う。
　ロシア正教なら露語、カトリックであれば仏語、プロテスタントなら英語といった具合だ。

　二年ぶりに訪れた東京は陸蒸気が行き交い、ガス灯が夜道を照らして一段と西欧化が進んでいた。
　私はまず神田のロシア正教会に通った。
　だが世の中から求められているのは英語だと感じ、横浜まで出向いてプロテスタントの教会に
　通うようになった。

　そこでバラという名の米国人牧師に漢文を教えるのと引き換えに、英語と最新の西欧事情を
　教授してもらった。

　牧師達は他派の聖職者同様、日本社会に溶け込むべく努力を積み重ねており、
　教会内には最新技術や思想を伝える本の和訳版もかなり置いてあった。

　『致富新書』、『泰西国法論』、『仏国革命史』、『王国建国法』、『経済新説』……。
　私は片っ端から読み、疑問点があれば、何でも聞いた。

　その時のバラ牧師の台詞はいつも決まっていた。

「ヨクシツモンシテクダサイマシタ。オシエルコトハマナブコト。イッショニマナビマショウ」

　中でも私が興味を持ったのは『万国政体論』、『英国議員典礼』等、西欧各国の政治体制について
　記された本だった。

　これらの原本を和訳したのは主に、明治四年からの岩倉遣米欧使節団に同行した留学生たちだ。
　当然のごとく、官軍だった当人やその子弟が多く含まれている。

　維新さえ成し遂げられなければ、私は仙台藩士として今頃藩政の一端を担う立場になっていたはず……。
　どの本も半ば苛立ちつつ頁をめくり始める。

　だが読み進めていくといつも苛立ちは肝銘へと変わり、やがて諦めになった。

　何ヶ月にも渡る航海の苦労が並大抵でないことは知っている。
　留学生たちは命を懸けて渡航し、僅か二、三年で言語のみならず新しい概念まで習得して帰ってきた。
　そして各々専門性を活かす形で政府に仕え、原本を和訳して出版することで、知識の普及に努めている。

　一連の努力が功を奏してきているのは、東京から横浜にかけての発展を見れば明らかだ。
　果して、私がすべきことは残っているだろうか。

　ある程度研鑽を積みはしたものの、なかなか働き口を見つけることはできなかった。
　というより私はここに至って初めて、自分が思い違いをしていたことに気づいた。

　私は人に阿ったり根回しをするのが苦手で、躊躇なくできる輩を軽蔑さえしていた。
　だが、そういった才は商売のみならず生きていく上で重要だということがわかってきたのだ。
　私は自身の劣っている面を認めざるを得なくなった。

　そして上京して三年経った頃には、基督教に対する宗教心はだいぶ褪せてしまっていた。
　それは、ある質問を投げかけた時、バラ牧師が苦悩に満ちた表情で口にした応えから決定的になった。

「旧約聖書では、神が、異教徒と戦って女、子供に至るまで一人残らず殺せという命令を出し、
　実際に人殺しが行われました。
　愛の神がなぜそんな事を命じるのですか？」

「ゼンチゼンノウノカミハ、ジカンヲチョウエツシタソンザイデス。
　カミハオソラク、スベテノチョウワヲカンガエ、ソノタメニハ、オンナコドモモコロスベキ、
　ト、オカンガエ二ナッタノデショウ。
　コドモノウチ二シネバ、カナラズテンゴクデカミ二シュクフクサレマス。
　ケッシテワルイコトデハアリマセン。
　デスガワタシハ、コンナメイレイヲオダシ二ナッタ、カミノシンイヲ、ワカリカネテイマス」

　私は小学校教師の道を選ぶことにした。
　だが一つの学校に長らく留まったためしがない。
　地域の有力者や同僚との折り合いがすぐに悪くなる。

　頭ではわかっていても、すぐ行動には移せないものなのだ。
　政府の方針もあって各地に小学校が造られ始めていた時だったので、教師が不足していたのは
　不幸中の幸いだった。

　こうして私は思い出深い地、五日市へと向かうことになった。