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第3章 篝火(かがりび)
9 私、踊りたいんです
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秋留神社の秋祭りは、毎年、九月二十八日から三日にわたって行われる。
その間、檜原街道は色鮮やかな万灯と出店、それに見入る人達で一層賑わう。
初日はまず昼間に神事が行われ、夕方には拝殿前に運ばれた神輿を前に、露払いの
「藤掛り」が舞われる。
続いて御霊入れの儀式が行われ、宮出しとなる。
秋留神社の神輿は重さ百貫もある六角大神輿だ。
八十人を超える担ぎ手があっても、時折崩れそうになる。
その場合は「せーの!」という気合が入って傾きが修正された。
神社を出ると神輿は檜原街道を練り歩く。
私は境内に留まって、その後に行われる同心太鼓奉納を見届けた。
二日目は午後一時にお仮屋と呼ばれる仮御座所を神輿が出発する。
氏子宅を巡り、各地点への神輿到着に先立つ形で獅子舞が舞われる。
この日の演目には「女獅子隠し」があり、私は初の本番を迎えた。
滞りなく日程は終了したが、夜半から激しく雨が降った。
三日目の午前中に雨は上がり、神輿は予定通り午後六時にお仮屋を出発して町内を巡った。
午後九時ごろ神社へと戻る。私は八時から前庭で「太刀掛り」を舞う予定になっており、
から社務所内の集会所にいた。
いつも置かれている座卓はすべて片付けられ、あちこちに老荘入り混じった輪が出来上がっていた。
祭りも最終盤を迎え、部屋は陽気な笑い声と鼻を衝く汗と酒臭さで蒸れていた。
女たちは額に汗をにじませながら滝さんの指図のもと、襷がけに前掛けでせっせと立ち動いている。
ひと通り酒とつまみが行き渡ると、女たちも炊事場あたりで座り込み、世間話に興じていた。
私は紺地の袴を穿いて講談会の面々が集う輪の中にいた。
七時を過ぎ、皆、そろそろ呂律が怪しくなっていたが、舞いの出番を控えた私はそうもいかない。
太刀掛りは獅子三匹と太刀使い二人の計五人で舞う。
私を含めた舞手四人は既に集会所内にいたが、獅子役の権八の姿がなぜか見当たらなかった。
「こりゃあね、東京の沼間さんが、祭りの景気づけにって、送ってきて下さったもんだよ」
滝さんが徳利を何本も盆に載せてきた。
正面の檀上には、薦被りの酒樽が開けられていた。
東京横浜毎日新聞社の沼間社長は半年前、自らが主宰する結社、嚶鳴社を八王子に作ったことを
きっかけに、五日市を訪れていた。
「なんだい、もっと早めに出してくれりゃ良かったじゃないか、最後の日に出すなんて、しみったれてるぜ」
「早くから出してたら、あーっという間に呑みつくすだろ。みんな担ぐ前に、神輿に潰されちまうよ。
だからとっておいたのさ」
滝さんは酔っ払いの冷やかしをいなすと、使い終わった茶碗を集めて席を立った。
後ろから、理久がこちらに来るのが見えた。
握り飯の載った皿を抱え一方の手を頻りに振って、あちこちから立ち上っている煙草の煙を寄せ
付けないようにしている。
「沼間さんから、十一月に東京で全国大会をやるという連絡がきましたよ、国会期成同盟のですがねえ。
私は出席しますが、みなさんはどうしますかね? おお!」
土屋議員が目を見張った先に、深沢さんがあわてて部屋に入って来るのが見えた。幾分顔が青ざめている。
「待ってましたよ。どうしたんです? 権八君は?」
「それが……怪我しちまって……」
かなり走ったのか、苦しそうに肩で息をしている。
滝さんが水を入れた茶碗を差し出すと一気に飲み干した。
「昨日の雨が気になって、昼から二人して山へ修羅の様子を見に行ったんだ。そしたら崩れて
来やがって丸太が権八に……。医者に診てもらったが、あれじゃ到底、舞はできねえ。それで急遽、
誰かにやってもらわねえといけねえと思って」
一同は焦った。
皮をはいだ木を何本かまとめて溝のように組み立て、その中を滑らせる木材運搬方法を修羅という。
深沢さんの本業は材木商で、天候により造った溝が崩れることもあると聞いてはいた。
「おい、誰かできる奴はいねえのか? もう時間がねえぞ。去年、やったのは誰だ?」
「速水だよ。あいつ、姿消しちまったままだしなあ」
「太刀掛りをやらずに、千秋楽というわけにもいかんだろう」
あれこれと心配の声が上がったが、私はあえてきっぱりと言った。
「できるのは、理久さんだけじゃねえですか?」
一同は、私をまじまじと見た。一番驚いた顔をして振り返ったのは、皿を置いて戻ろうとして
いた理久だった。
「おう、そ、そうだな。理久ちゃん、権八の代わりに踊っちゃくれねえか?」
「だって、あの……」
しどろもどろの理久を見て、明け透けな男の意見が飛び交った。
「獅子舞は男がやるもんだ!」
「いくら面を被って傍からわからんでも、ばれたら村の衆からなんと言われるかわからん。
そん時ゃ誰が説明するんだ?」
「説明はもちろん、おいらがやるさ。元はと言えば、倅の怪我が発端だからなあ」
「今となっては実質、理久ちゃんしかいないでしょう。太刀掛りなしに神輿を迎えるという
のも前例がない」
話をまとめたのは、土屋議員だった。
「でも、大叔父が何というか……」
「そいつは、おいらが説得してみるよ」
「私も一緒に踊る者としてお願いしてみます。急ぎましょう」
菊池さんは紫色の袴に赤袍をまとって、祭りの世話人たちと拝殿の中で雑談していた。
深沢さんの手招きに応じて回廊に出て来た菊池さんは、酒のせいか頬にやや赤味がさしていたが、
老獪な面持ちに変わりは無かった。
「とんだ御迷惑をかけして申し訳ない。実は倅が……」で始まる深沢さんの説明を、目を伏せて聞いて
いた菊池さんは、目をあけると理久を見た。
「お前は、どうしたい?」
「深沢さんが、そうしてほしいって言うんだったら……」
「そうではない。お前の意志を聞いておる!」
「私の意志?」
理久は一瞬菊池さんを見上げると、少し俯き加減になって下唇を噛んだ。
再び菊池さんを見上げた時の理久の顔からは迷いが消えていた。
「やります。私、踊りたいんです」
その間、檜原街道は色鮮やかな万灯と出店、それに見入る人達で一層賑わう。
初日はまず昼間に神事が行われ、夕方には拝殿前に運ばれた神輿を前に、露払いの
「藤掛り」が舞われる。
続いて御霊入れの儀式が行われ、宮出しとなる。
秋留神社の神輿は重さ百貫もある六角大神輿だ。
八十人を超える担ぎ手があっても、時折崩れそうになる。
その場合は「せーの!」という気合が入って傾きが修正された。
神社を出ると神輿は檜原街道を練り歩く。
私は境内に留まって、その後に行われる同心太鼓奉納を見届けた。
二日目は午後一時にお仮屋と呼ばれる仮御座所を神輿が出発する。
氏子宅を巡り、各地点への神輿到着に先立つ形で獅子舞が舞われる。
この日の演目には「女獅子隠し」があり、私は初の本番を迎えた。
滞りなく日程は終了したが、夜半から激しく雨が降った。
三日目の午前中に雨は上がり、神輿は予定通り午後六時にお仮屋を出発して町内を巡った。
午後九時ごろ神社へと戻る。私は八時から前庭で「太刀掛り」を舞う予定になっており、
から社務所内の集会所にいた。
いつも置かれている座卓はすべて片付けられ、あちこちに老荘入り混じった輪が出来上がっていた。
祭りも最終盤を迎え、部屋は陽気な笑い声と鼻を衝く汗と酒臭さで蒸れていた。
女たちは額に汗をにじませながら滝さんの指図のもと、襷がけに前掛けでせっせと立ち動いている。
ひと通り酒とつまみが行き渡ると、女たちも炊事場あたりで座り込み、世間話に興じていた。
私は紺地の袴を穿いて講談会の面々が集う輪の中にいた。
七時を過ぎ、皆、そろそろ呂律が怪しくなっていたが、舞いの出番を控えた私はそうもいかない。
太刀掛りは獅子三匹と太刀使い二人の計五人で舞う。
私を含めた舞手四人は既に集会所内にいたが、獅子役の権八の姿がなぜか見当たらなかった。
「こりゃあね、東京の沼間さんが、祭りの景気づけにって、送ってきて下さったもんだよ」
滝さんが徳利を何本も盆に載せてきた。
正面の檀上には、薦被りの酒樽が開けられていた。
東京横浜毎日新聞社の沼間社長は半年前、自らが主宰する結社、嚶鳴社を八王子に作ったことを
きっかけに、五日市を訪れていた。
「なんだい、もっと早めに出してくれりゃ良かったじゃないか、最後の日に出すなんて、しみったれてるぜ」
「早くから出してたら、あーっという間に呑みつくすだろ。みんな担ぐ前に、神輿に潰されちまうよ。
だからとっておいたのさ」
滝さんは酔っ払いの冷やかしをいなすと、使い終わった茶碗を集めて席を立った。
後ろから、理久がこちらに来るのが見えた。
握り飯の載った皿を抱え一方の手を頻りに振って、あちこちから立ち上っている煙草の煙を寄せ
付けないようにしている。
「沼間さんから、十一月に東京で全国大会をやるという連絡がきましたよ、国会期成同盟のですがねえ。
私は出席しますが、みなさんはどうしますかね? おお!」
土屋議員が目を見張った先に、深沢さんがあわてて部屋に入って来るのが見えた。幾分顔が青ざめている。
「待ってましたよ。どうしたんです? 権八君は?」
「それが……怪我しちまって……」
かなり走ったのか、苦しそうに肩で息をしている。
滝さんが水を入れた茶碗を差し出すと一気に飲み干した。
「昨日の雨が気になって、昼から二人して山へ修羅の様子を見に行ったんだ。そしたら崩れて
来やがって丸太が権八に……。医者に診てもらったが、あれじゃ到底、舞はできねえ。それで急遽、
誰かにやってもらわねえといけねえと思って」
一同は焦った。
皮をはいだ木を何本かまとめて溝のように組み立て、その中を滑らせる木材運搬方法を修羅という。
深沢さんの本業は材木商で、天候により造った溝が崩れることもあると聞いてはいた。
「おい、誰かできる奴はいねえのか? もう時間がねえぞ。去年、やったのは誰だ?」
「速水だよ。あいつ、姿消しちまったままだしなあ」
「太刀掛りをやらずに、千秋楽というわけにもいかんだろう」
あれこれと心配の声が上がったが、私はあえてきっぱりと言った。
「できるのは、理久さんだけじゃねえですか?」
一同は、私をまじまじと見た。一番驚いた顔をして振り返ったのは、皿を置いて戻ろうとして
いた理久だった。
「おう、そ、そうだな。理久ちゃん、権八の代わりに踊っちゃくれねえか?」
「だって、あの……」
しどろもどろの理久を見て、明け透けな男の意見が飛び交った。
「獅子舞は男がやるもんだ!」
「いくら面を被って傍からわからんでも、ばれたら村の衆からなんと言われるかわからん。
そん時ゃ誰が説明するんだ?」
「説明はもちろん、おいらがやるさ。元はと言えば、倅の怪我が発端だからなあ」
「今となっては実質、理久ちゃんしかいないでしょう。太刀掛りなしに神輿を迎えるという
のも前例がない」
話をまとめたのは、土屋議員だった。
「でも、大叔父が何というか……」
「そいつは、おいらが説得してみるよ」
「私も一緒に踊る者としてお願いしてみます。急ぎましょう」
菊池さんは紫色の袴に赤袍をまとって、祭りの世話人たちと拝殿の中で雑談していた。
深沢さんの手招きに応じて回廊に出て来た菊池さんは、酒のせいか頬にやや赤味がさしていたが、
老獪な面持ちに変わりは無かった。
「とんだ御迷惑をかけして申し訳ない。実は倅が……」で始まる深沢さんの説明を、目を伏せて聞いて
いた菊池さんは、目をあけると理久を見た。
「お前は、どうしたい?」
「深沢さんが、そうしてほしいって言うんだったら……」
「そうではない。お前の意志を聞いておる!」
「私の意志?」
理久は一瞬菊池さんを見上げると、少し俯き加減になって下唇を噛んだ。
再び菊池さんを見上げた時の理久の顔からは迷いが消えていた。
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