稲荷詣で

斐川 帙

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五、深草別業

(十一)

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「ところで、あれは?」
 芳野のことを指しているようだった。芳野は、自分のことを「あれ」と呼ばれて、失礼だと怒るより前に、相当、えらい女性なのかと勘繰った。確かに「北の方」とは呼ばれていたので、この家の正妻の女性なのだろう。
 ふと、芳野は、自分は、この屋敷に登場する人物たちから、どのような身分の人間として見られているのだろうかと気になった。芳野には、彼らに通用する身分などないからだ。つまり、位階もなければ官職もない、無位無官の男であるということだ。普通なら、屋敷に上がることもできない身分であろうと思うが、とりあえず、この屋敷の庇の間には上がれる人間であることは、先程の右衛門督や伏見源中納言との対面の場での扱いでわかった。しかし、逆に、身分もないのに、どうして寝殿や北の対の庇の間に上がれたのだろうかという疑問も生じた。この時代のことは詳しくないから、もしかしたら、無位無官でも職種によっては屋敷に上がれる者もいたのかもしれないし、この屋敷の主は、そんなに高位の貴族ではないのかもしれない。だが、結局、本人たちに聞いてみないとわからないことなので、芳野は、この件については考えることをやめにした。流れるままに対処していくしかないだろうと覚悟した。
「稲荷に詣でる際に案内を頼んだ者です。」
「そうなの。」
 この北の方も芳野には興味がないようだった。
「これから、例の仏事があるので持仏堂に籠るの。あなたたちは西の対に移るといいわ。今夜は、そちらで宿を取りなさい。これから、洛中に戻るのも難儀でしょうから。」
「お心遣い、かたじけない事でございます。」
「西の対は、もともと、一の姫君の御料にお設けになられたのでございますが、今は、婿君が伯耆ほうきに御下りになっていて、深草にいらっしゃることもございませんので、人の無き対の屋になってございます。」と、御付きの女性が補足した。
 「心置きなく使って大丈夫よ。」と言って、北の方は立って行ったようだった。御付きの女性も去ったようだ。その後ろ姿に、あさつゆ等は、頭を下げて見送ると、二人で連れ立って、歩いて去って行くのが、簾の向こうに朧げに見えた。芳野も出ないといけないのか、と思ったが、タイミングがわからず、ずっと、その場に座っていた。しばらくして、先程の男が来て、「こちらへ。」と慌てて芳野を連れ出した。リュックを持って立ち上がった芳野は、南庇から、西の妻戸を開けて、西の対に通じる廊を通って、西の対に入った。
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