稲荷詣で

斐川 帙

文字の大きさ
75 / 155
六、猪隈殿

(十三)

しおりを挟む
 会話が一段落つく瞬間を狙っていたのか、簀子で控えていた男が、一瞬の間が空いたのを見逃さず、「近江守様からの御使者が申し上げたいことがあるとのことです。」と伝えた。
 駿河守は視線を男に向けると、「呼べ。」と一言、命じた。
 男は承知すると背後を向いて、こちらからは死角になって見えないところに控えていた男に、簀子の中央に移るよう促した。簀子の中央に移ってきて平伏した男は、先程、騎馬で供奉していた二人の郎等のうち、立烏帽子の方の男だった。弓箭や太刀は身に帯びていないので、どこかに置いてきてから来たのだろう。
 郎等は平伏しながら、
「お人払いを。」と抑えた声で一言だけ言った。
 開口一番、挨拶も自己紹介もなく言ったので、場の空気がぴりっとしたのを感じた。駿河守は気分を害したのか、郎等の言葉を意に介さず、
「構わん。ここで申せ。」と感情を抑えるように急かした。
 しかし、郎等は引き下がらず、再び、
「どうかお人払いを。」と繰り返したが、平伏したまま、喋っているため、くぐもりがちの声で、若干、聞き取りにくい声になっていた。
 だが、二度もしつこく言われたため、駿河守も、多少、不機嫌ながらも、さすがに、深刻な話なのかと思い始め、
「そんなに重大なことなのか?」と、平伏する郎等に尋ねた。
「天下を揺るがす一大事でございます。」
「まあ…」と、驚く声が簾や几帳の向こうから漏れ聞こえた。
 郎等を案内した後、簀子の定位置に戻っていた男も、驚いたのか、険しい目つきをして、郎等を睨むような感じで注視していた。
 一体、何を、この男は言い出したんだ?という空気が満座に満ちた。
  一方、駿河守は少し考える素振りを見せたが、「近くに参れ。」と、手に持っていた扇で手招いて、南庇の母屋との境の際まで来させて座らせた。芳野は郎等のために左に動いて座り直した。
「話してみよ。」
 郎等は、ここで始めて体を起こすと、簾や几帳の方に目を遣って、できれば御退室願いたいと思っているのを全身に醸し出しながら言い出すのを渋っていたが、誰も動きそうにない雰囲気を悟って、覚悟を決めたように話し出した。
「では、皆様方には、くれぐれもご内密にしていただきますよう。」と前置きをして、
「右衛門督様、左馬頭さまのかみ様を語らって、少納言入道様を御討ちになるとのこと。一両日中に事が起こるとのこと。」と、伝えるべきことだけを簡潔に述べた。
 駿河守は、一瞬、話の内容が理解できなかったのか、「えっ?」と聞き返したが、すぐに、理解が追いついて、確認した。
「右衛門督様が入道殿を御討ちになる?」
「そうでございます。」
「それは、無茶苦茶な話だ。あり得ん。」と言ったものの、駿河守には慥かに思い当たる節はあった。しかし、現実に行動に移すとは想像できないことであった。郎等も、それ以上のことは聞かされていないので、黙っていた。
 駿河守は、その「思い当たる節」を郎等にぶつけてみた。
「右衛門督様は、最近、伏見源中納言様のお屋敷で武芸の稽古をなさっているとの噂は耳にしていたが…。」
 郎等は駿河守の顔をまっすぐに見ていた。
「討つと言うのは本当なのか?」
「我があるじが、右衛門督様、伏見源中納言様より、直接、伺った話のようでございます。」
 駿河守は溜息をついて、「信じられん…。」と呟くように言った。
 重苦しい沈黙が流れた。
 この重苦しい沈黙に耐えられなかったのか、駿河守は空気を変えようと、郎等に質問をした。
「ところで、今の左馬頭とはどなたであったか?」
 庇にいる郎等に尋ねたが、適切な答え方が思いつかず、言い澱んでいる先を制して、簀子に控えていた男が代わりに答えた。
「下野守《しもつけのかみ》様が御兼任されております。」
 駿河守は、そう言われて、左馬頭が誰なのかわかったのか、急に血の気が失せたようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...