稲荷詣で

斐川 帙

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六、猪隈殿

(三十二)

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 その後、しばらく待っていたが、あきおぎからの音沙汰はなかった。しかし、本当に歌のやり取りが終わったのか、返しの歌を、思案、推敲している最中なのか、判断がつかなくて、芳野は気を休めることができず、中途半端な状態で、じっと待っている他なかった。しかし、待っているだけなので、いつまで、この状態が続くのか、いつになったら待たなくてよい状態になるのか、ボールは向こうにあるのだから、こちらから新たなボールを投げる訳にも行かず、どうしたらいいのだろうと段々いらいらしてきて、八重を呼んで、「いつまで待っていればいいのか?」と尋ねるも、八重からは突き放すように「もう姫君からは何もないかと。」と無責任な返答が返ってきて、梯子を突然外されたような怒りを少し覚えたものの、終わりの見えない「待ち」の状態から解放されて、ほっとして、全身から力が抜けたような感覚に襲われた。同時に疲労感を覚えて、部屋の格子の壁に体を預けるようにして寄り掛かった。とりとめもない思考に脳を遊ばせて、ぼおっとしていると、だんだん、睡魔に襲われて、いつの間にか転寝うたたねに落ちていた。

 正午を過ぎて明るさが柔らかくなってきた陽光が、半蔀が吊られて開放されたところから、うす暗い部屋の中を照らしていた。

 障子が少し開く音がして、「御膳おものが参りますのでしばらくお待ちを。」と聞こえた。
 突然、耳をついた、この言葉に芳野は目が覚めて、眠い目を擦りながら、声のした方を見ると障子が少し開いているのが見えた。重い体を、無理矢理、起こして、障子を開けると、傍らに八重が控えていて、また同じ言葉を繰り返した。
御膳おものをお持ちいたしますのでしばらくお待ちください。」
 そう言って、八重は部屋から少し離れたところに移って控えた。

 『おもの』と言われても、それが何なのか知らなかったので、何を持ってくるつもりなのか困惑したが、そう言えば近江守邸でも『おもの』と言う言葉を聞いたことがあるのを思い出した。ただ、結局、それが何を指しているかはわからず仕舞いだった。折角なので、八重を呼び戻して、「『おもの』って何ですか?」と聞いてみたが、八重は質問の真意を測りかねるかのように首をひねって、「今日のおものですか?どのようなものが並ぶかは台盤所の者の裁量に任されておりますので。」と言って、会話は噛み合わなかった。
 きっと八重にとっては『おもの』というのはあまりに当たり前すぎる言葉で、この言葉自体の意味を問われるとは想像もつかないことなのだろう。ただ、『台盤所』という単語が出てきたので、『台盤所』が何かがわかれば『おもの』の正体も推測できるだろうと思い至ったが、芳野は、その『台盤所』と言う言葉も知らなかったので、結局、『おもの』の正体は、八重が持ってくるまではわからないことになった。
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