稲荷詣で

斐川 帙

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七、三条烏丸の御所

(三十一)

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 暫く北に向かって走ったが、疲れてきたので立ち止まって後ろを見ると、騎馬武者たちは続々と西門から中に入っていた。それを見た芳野は、走るのをやめて、ゆっくりと築地塀に沿って室町小路を北上し、姉小路と交差するところで右側を見た。築地塀は角になって、東に折れて伸びているのが望めたが、その先は闇に埋もれて、よく見えなかった。微かに光が見えるようにも思えたが、明瞭ではなかった。ただ、軍兵の気配は感じなかった。
 どこかから中に入れる所はないかと、見つからないように慎重に築地塀に沿って東に向かって歩いた。月は出ていないので夜の闇は深かった。いよいよ足元は真っ暗で歩くことも難しくなってきた。ただ、塀の中では、火が回って来たのか、段々明るくなってきて、塀の向こうから漏れてくる明るさのおかげで、足元がうすぼんやりと見えてくるようになった。
 ゆっくり歩いて行くと、前方に、弱々しい光の中に浮かぶ棟門が見えてきた。もう一つの門を発見したようだ。芳野は、喜んだ。

 見つけたぞ、と思い、慎重に近づいて行った。門前には武者の姿は見えない。ここには、まだ、武者たちは戻ってきていないのだと思うと、芳野の気持ちは軽くなり、嬉しさが増してきた。
 あと数メートルで門前に着くと言うとき、冠直衣かんむりのうし浅沓あさぐつを履いた男が、突然、門から出て来て、どこかへ走り去っていった。驚いて芳野は男の姿を目で追ったが、男はすぐに夜の闇に埋もれて、姿を見失った。

 実は、この男は少納言入道の息子の一人である參議俊憲であった。彼は、この日、三条烏丸の御所に出仕していたが、左馬頭の軍勢の襲撃に遭い、北の対の縁の下に隠れた。しかし、火災が発生して、その火が迫ってきているのを見て、このままでは焼け死ぬと思い、逃げる隙を窺っていたが、火が予想外に回ってきているのに慌てたのか、武者どもが混乱し始めたのを見て、縁の下から飛び出し、辛くも御所から脱出することに成功したのだった。そして、少納言入道の子息としては、他に、権右中弁貞憲も御所にいたようだが、彼も脱出できたのか、無事に生きのびている。そして、他の子息等も悉く無事だった。

 ただ、この時は生き延びることができた信西の子息達だが、信頼が政治の実権を掌握した中、謀反人とされた信西の縁座で、翌日の十二月十日、全員解官げかんされ、十二月二十二日には、それぞれ流罪の決定が下った。

 主上と院が六波羅への脱出に成功し、これによって右衛門督信頼の敗勢が決して、十二月二十七日には、信頼は捕縛されて斬首されたが、その後も、信西の子息らの配流の決定は、取り消されず、翌年の正月に配流が執行されている。

 愚管抄で、慈円が「皆ほどほどによき者にて有りけるほどに」と書いているように、信西の子息らは皆、有能な官吏ではあったようだが、父信西の引き立てもあり、従三位參議俊憲を筆頭に、皆、昇進を続けていて、それが院政派、天皇親政派両者の中流貴族たちの反感を買ったようである。また、後白河院も、独善的に政治を主導し、自身の寵臣信頼を排除しようとする信西を疎ましく思っていた節もあり、その結果、信頼がいなくなっても、信西一族への罪科を取り消そうとする空気にはならなかったのではないかと思われる。

 芳野は闇に消えた謎の男の余韻に浸る間もなく、目の前の門に近づき、そっと中を覗き込んだ。まだ、ここまでは火は来ていないらしい。何棟かの建物の影が見えたが、近くに人の気配はなかった。深夜なので、あまりよくは見えないが、遠くで燃え盛る焔のおかげでうすぼんやりと中の様子は見えていた。
 しかし、芳野は、意を決して、そっと門から中に入ろうとした瞬間、甲冑に身を固めた武者が建物の影から姿を現した。びっくりした芳野は、急いで門の中に入ると近くの木立の影に身を潜めた。それから、しばらくすると、続々と武者たちが門の周りに集まってきた。いよいよ芳野は身動きできない状況に追い込まれた。どうしようと頭を抱えたが、幸いなことに、彼らは芳野の存在には気づいていないようだった。芳野は、音が出ないように腰に下げた太刀をつかみながら、築地塀沿いに東に向かって、這うように移動していった。入ってから気づいたのだが、芳野は御所内部の建物配置について全く無知だった。あさつゆやあきおぎが、どこにいるかも全く予想もつかなかった。それどころか、自分が屋敷内のどこにいるのかも把握していなかった。これでは、助けるどころか、彼女等の居場所を見つけることさえ難しいことに思い至って愕然とした。自分の底抜けなバカさ加減に絶望して項垂うなだれ、地面に座り込んだ。冷たい地面の湿り気がズボンのお尻の部分を通じて伝わって来た。
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