稲荷詣で

斐川 帙

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七、三条烏丸の御所

(四十一)

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 芳野はびっくりして振り返ると、例の、口取りの男だった。あきおぎもびっくりしたが、懐から慌てて出した蝙蝠扇で顔を隠した。あきおぎの代わりに芳野が返答した。
「あきおぎさんです。奥の方にいたのですか。いなかったから、焦りましたよ。」
「はあ、馬をつなぐ適当な物がなかったものですから、この奥まで引いて行って、木に結わいつけておりました。」
「ところで、あさつゆさんは救い出せたんですか?」
「えっ、一の姫君はお連れになっておられないのですか?」
「あ、はい、あさつゆさんは見なかったです。では、先に西門から入られた方々は、まだ、あさつゆさんを連れて、戻られておられないんですか?」
「いえ、まだ、一の姫君の方はお見えになっておりません。」
 芳野は不吉なことが脳裏をよぎったが、口には出さず、
「じゃあ、その馬、一頭、借りられますか?あきおぎさんを乗せて、屋敷に戻ろうと思うのですが。」
「承知いたしました。では、こちらの鹿毛かげの馬をどうぞ。」と言って、一頭の馬の手綱を渡してきた。
「ありがとうございます。」と男に礼を言うと、手綱を持って、あきおぎの元に向かおうとしたが、馬はその場に止まったまま動かなかった。少し強めに手綱を引っ張ったのだが、頑として動かなった。困った芳野は、男に聞いた。
「どうしたんですか?全く、動かないんですが。」
 男は笑って、
「知らない人だから、警戒して動かなくなったのかもしれませんね。」と言った。芳野は、困り果てて、
「じゃあ、あのお、屋敷まで馬の手綱を引いてもらえませんか?この分だと、私が手綱を持つと、どうにもならなさそうなので。」と頼むと、
「それはできません。一の姫君を乗せて帰らねばなりませんので。」と、男は芳野の申し出をきっぱりと断った。
 そもそも、もう一頭の馬はあさつゆの乗用に引いて来られた馬だった。屋敷を出る際に、そう言っていたことを思い出した。この口取りの男は、律義にも、あさつゆが戻ってくるまでは、この馬をここに係留して待っているという指示を馬鹿正直に守るつもりなのだ。しかし、屋敷内の状況を目の当たりにしていれば、未だに戻ってこないことの意味を理解できそうだが、ずっとここにいては、屋敷の中が、どういう状況になっているかわかっていないのかもしれない。少し、憐憫の情を覚えずにはいられなかった。
 恐らくは戻って来るはずもない一の姫君を待って、馬をつないで待っていても無駄なのだから、我等の願いを聞いて、屋敷まで馬を引いてくれてもいいじゃないかとは、やはり、言い出せなかった。まだ、はっきりと生死の状態が確定していない現状で、それは、図々しいし、不謹慎すぎるので、我慢した。
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