稲荷詣で

斐川 帙

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八、現実世界

(二)

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(伏見稲荷大社?)
 赤い鳥居が続く参道を見て、芳野の脳裏には、この八文字の神社名が浮かんだ。

 石の鳥居をくぐって、鳥居の前に回ってから扁額を確認した。耳にしたことのない神名が三柱、列記されていたが、この神名には見覚えがあった。

 伏見稲荷大社参拝の折に、ここは通った。そして、この社に参拝して、奥の道も入って、あの古ぼけた木製の祠も見た。記憶が完全に蘇った。
 何か、ほっとした。
 ほっとすると、昨日、一昨日の出来事は何だったのか、思考が混乱して恐怖を感じて来た。
 さっき草むらの中に寝転んでいたが、あの時に夢を見ていたのであろうか。それにしては現実感のある夢だった。しかし、いくら考えても、納得の行く結論は出る訳もなく、結局、答えが容易に出ないことは一旦考えるのをやめにして、早く、自宅に戻ることだけを考えようと、気持ちを切り替えた。

 まずは、現在位置の把握である。石の鳥居を潜って参道に出ると、右は急な石段の続く上り道で、左は緩やかな下りである。この参道は、稲荷山に登っている道なので、神社から出ようとするのなら、下り道を選択するのが理に適っている。ならば、まずは、参道を左に入って下ろう。今は正確な現在位置がわからない状態だが、とにかく下って行けば、多分、途中のどこかに案内表示があるはずだから、それを見れば、確実に境内から出られるに違いない。

 参道は、どこまでも朱色の鳥居の隧道ずいどうで、やっと途切れたなと思ったら、また、朱色の鳥居の隧道が現れた。

 分かれ道に当たったが、脇道に入らず、そのまま、まっすぐ進んだ。やがて、朱色の鳥居がなくなり、更に進んでいくと、左に『玉山大明神』と書かれた扁額を掲げる立派な社殿が現れた。前方には大きな赤い鳥居が立っていて、別の参道が鳥居の先に続いている。

 ここは通ったことがある。
 記憶に新しい場所をいくつも通って、更に嬉しい気持ちが込み上げてきた。まるで、生まれ故郷に帰ってきた気分だった。

 右に曲がって広い石段を下りて、大きな鳥居の下を潜ると、到頭、伏見稲荷大社本殿の脇に出た。

(やっと、ここまで来れた。)

 安心感が半端なかった。安堵の気持ちで自然と笑みがこぼれた。

 安心感と嬉しさからまた参拝したくなった。ポケットをまさぐると、小銭がいくつか残っているのがわかった。紙幣の感触もあった。普段、芳野は財布を持ち歩いていなくて、現金はむき出しのまま、ポケットに入れていた。
 内拝殿の前に立ち、賽銭さいせんを投げて、二礼、二拍手、再拝した。心から稲荷の神に感謝した。

 内拝殿の右隣には神楽かぐら殿があった。
 祭事があるときは、ここで神楽が奉納されることがあるらしいが、今日は、特に何もないのか、神楽殿の舞台は無人で静かだった。
 そう言えば、授与所にあった無料のパンフレットには、三月は、伏見稲荷大社では、祭事が一つもない月だと書かれていた。一時帰国で日本に着いたのは三月七日と記憶していたので、今は三月のはずである。念のため、腕時計を見て確認すると、三月十一日と表示されている。
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