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第04話「不器用なお礼」
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翌日、私はいつもより少しだけ緊張して出勤した。昨日の自分の行動が、吉と出るか凶と出るか。海道蓮が図書館に現れるのを、固唾をのんで待った。
昼過ぎ、彼はいつものようにやってきた。しかし、今日は定位置である窓際の席には向かわず、まっすぐに私のいるカウンターへと歩いてくる。私は心臓の音を悟られまいと、必死に平静を装った。
「水森さん」
彼は私の名札を見て、名前を呼んだ。その声は、やはりどこまでも透明だった。私の心配は杞憂だったらしい。安堵の息をそっと漏らす。
「昨日は、ありがとうございました。リストアップしていただいた本、どれも非常に参考になりました。とても助かりました」
ストレートな感謝の言葉だった。お世辞や社交辞令の薄っぺらい色はなく、ただ純粋な感謝だけが音となって響く。私は少し気恥ずかしさを感じながら、「お役に立てたのなら、よかったです」と小さな声で返した。
彼はそれで話を終えるかと思いきや、少しだけ躊躇うような間を置いて、続けた。
「もし、よろしければですが」
その前置きに、私の身体がこわばる。社交辞令なら、薄い黄色か緑がかった色が見えるはずだ。下心があるなら、もっと粘ついた、いやらしい色になるだろう。私は彼の唇から紡がれる次の言葉を、能力の全てを集中させて待ち構えた。
「お礼に、コーヒーでもいかがですか。もちろん、お仕事が終わった後で」
彼の声は、やはり無色透明だった。
驚いた。今まで、男性から誘われたことがないわけではない。しかし、その声には必ずと言っていいほど、期待や下心といった様々な色がまとわりついていた。だから、私はいつも当たり障りのない理由をつけて断ってきた。色のついた誘いを受ける気には、どうしてもなれなかったのだ。
しかし、彼の誘いは違った。純粋な好意。昨日助けてもらったことに対する、まっすぐな感謝のしるし。それ以外の何物でもないことが、彼の「色のない声」から痛いほど伝わってくる。
だから、断る理由が見つからなかった。
嘘や裏がないとわかっている誘いを、どうやって断ればいいのだろう。私が今まで築き上げてきた対人関係の防壁は、嘘を見抜くことを前提に作られている。真実だけを携えて真っ直ぐにやってくる相手の前では、あまりにも無力だった。
「……はい」
気づけば、私はうなずいていた。自分でも信じられない行動だった。生まれて初めて、誰かの誘いを受けた。嘘のない誘いにどう反応すればいいのか分からず、ただ戸惑いながらもうなずくことしかできなかったのだ。
彼は私の返事に少しだけ驚いたように目を見開いたが、やがて、その表情がわずかに和らぐのがわかった。
「では、閉館後に入り口でお待ちしています」
そう言って、彼はいつもの席へと向かっていった。
残された私は、しばらくその場で呆然としていた。カウンターの向こうで、いつも通り静かに本を読む彼の背中を見つめる。
彼の声には色がない。それは、私にとって絶対的な「真実」の証だ。その真実が、私の固く閉ざした心の扉を、いとも簡単にこじ開けてしまった。
閉館時間を知らせる音楽が流れる頃には、私の心臓は期待と恐怖で張り裂けそうになっていた。これから私は、色のない声を持つ男と、二人きりで図書館の外へ出るのだ。それは、私の平穏な日常の終わりを意味しているのかもしれない。それでも、不思議と後悔はなかった。ただ、未知の世界へ踏み出すような、めまいにも似た高揚感が全身を包んでいた。
昼過ぎ、彼はいつものようにやってきた。しかし、今日は定位置である窓際の席には向かわず、まっすぐに私のいるカウンターへと歩いてくる。私は心臓の音を悟られまいと、必死に平静を装った。
「水森さん」
彼は私の名札を見て、名前を呼んだ。その声は、やはりどこまでも透明だった。私の心配は杞憂だったらしい。安堵の息をそっと漏らす。
「昨日は、ありがとうございました。リストアップしていただいた本、どれも非常に参考になりました。とても助かりました」
ストレートな感謝の言葉だった。お世辞や社交辞令の薄っぺらい色はなく、ただ純粋な感謝だけが音となって響く。私は少し気恥ずかしさを感じながら、「お役に立てたのなら、よかったです」と小さな声で返した。
彼はそれで話を終えるかと思いきや、少しだけ躊躇うような間を置いて、続けた。
「もし、よろしければですが」
その前置きに、私の身体がこわばる。社交辞令なら、薄い黄色か緑がかった色が見えるはずだ。下心があるなら、もっと粘ついた、いやらしい色になるだろう。私は彼の唇から紡がれる次の言葉を、能力の全てを集中させて待ち構えた。
「お礼に、コーヒーでもいかがですか。もちろん、お仕事が終わった後で」
彼の声は、やはり無色透明だった。
驚いた。今まで、男性から誘われたことがないわけではない。しかし、その声には必ずと言っていいほど、期待や下心といった様々な色がまとわりついていた。だから、私はいつも当たり障りのない理由をつけて断ってきた。色のついた誘いを受ける気には、どうしてもなれなかったのだ。
しかし、彼の誘いは違った。純粋な好意。昨日助けてもらったことに対する、まっすぐな感謝のしるし。それ以外の何物でもないことが、彼の「色のない声」から痛いほど伝わってくる。
だから、断る理由が見つからなかった。
嘘や裏がないとわかっている誘いを、どうやって断ればいいのだろう。私が今まで築き上げてきた対人関係の防壁は、嘘を見抜くことを前提に作られている。真実だけを携えて真っ直ぐにやってくる相手の前では、あまりにも無力だった。
「……はい」
気づけば、私はうなずいていた。自分でも信じられない行動だった。生まれて初めて、誰かの誘いを受けた。嘘のない誘いにどう反応すればいいのか分からず、ただ戸惑いながらもうなずくことしかできなかったのだ。
彼は私の返事に少しだけ驚いたように目を見開いたが、やがて、その表情がわずかに和らぐのがわかった。
「では、閉館後に入り口でお待ちしています」
そう言って、彼はいつもの席へと向かっていった。
残された私は、しばらくその場で呆然としていた。カウンターの向こうで、いつも通り静かに本を読む彼の背中を見つめる。
彼の声には色がない。それは、私にとって絶対的な「真実」の証だ。その真実が、私の固く閉ざした心の扉を、いとも簡単にこじ開けてしまった。
閉館時間を知らせる音楽が流れる頃には、私の心臓は期待と恐怖で張り裂けそうになっていた。これから私は、色のない声を持つ男と、二人きりで図書館の外へ出るのだ。それは、私の平穏な日常の終わりを意味しているのかもしれない。それでも、不思議と後悔はなかった。ただ、未知の世界へ踏み出すような、めまいにも似た高揚感が全身を包んでいた。
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