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7 ふたたび、ケイエへ
第37話 激突 3
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「殿下!」
ハダルクの声が、まるで水のなかのように遠く聞こえる。目の前は赤く染まっていたが、心のなかはむしろ冷えていた。手のひらに残ったままの水滴がしたたり落ち、それは凍っているほど冷たい。だから、リアナは炎に向かって手をのばした。炎のなかに、おそろしいものがある。彼女にとって、炎はあの惨劇の背景だったから、襲撃の日からずっとおそろしいものだった。けれどこれは、もっと形のないものだ――子供のころに見た怖い夢や、うす暗い森の入り口のような。そこには苦悶の叫びや、得体のしれない獣の鳴き声もある。鼻先には、腐敗と死の匂い。夢のなかで何度も感じたものによく似ている。
何度も何度も繰りかえし見つづける炎。
それらのイメージは、最後には怒りへと姿を変えた。自分のものかどうかもわからない、言葉にもならない純粋な怒り。
そして、炎がいっせいにかき消えた。水の力ではない。空気が断たれたのがリアナにはわかった。
(なんだ、やっぱりできるんじゃない)
指先の凍るような冷たさを、うっとりと感じる。(黒竜のライダーだけじゃない。わたしにだっておなじことができる)
体のなかを、冷たいなにかがかけめぐっているようだった。冷たいが、力に満ちている。水の流れのように、外から支配するものではない。白竜の力のように彼女を通りぬける力でもない。もっと内側にあって、霜のように冷たいのに、白く輝く清冽な力だ。
(炎はゆるせない)
故郷を焼いた炎を許せない。なんとしても、すべての炎を消しつくさなければ。今はそのことしか考えられない。身体のなかにたっぷりと冷気を感じながら、リアナは駆けだした。火球が流星のようにぶつかってきて、衝撃で後ろに吹き飛ばされるが、冷気のおかげで痛みも熱も感じない。くるくると転がって衝撃を逃がしてから、すばやく起きあがってまた駆ける。今度は、火球を受けるまえに体内の冷気でそれを打ち消した。水柱を出すよりもずっと簡単だった。
十分に近づいてから、腕のさきに溜めた冷気を一気に相手にぶつけた。
炎がかき消え、ピシピシッと水が弾ける音が響く。
「おまえ!」腕で顔をかばいながら、デーグルモールが叫んだ。「そんなはずがない! その紋様――」
冷気は剣のような形にかたまり、男の腕を切りつけていた。リアナのほうが勢いがあったが、力でせり負けて後ろに吹きとばされる。
一瞬、気を失いかけたようだった。
「リアナ様! 殿下!」ハダルクが必死で呼びかけている。いつの間に追いついたのか、つかまれた腕を感じると、そこから現実の感覚に引き戻されていく。銀世界に吹く雪嵐のような視界がさっとかき消え、リアナは自分の腕に、なにかが黒く渦巻きながらからみついているのを見た。質量をもったものではない――紋様だ。刺青のような。そう、デーグルモールのような。
「いやっ!」
悲鳴をあげて後ずさる。ハダルクがしっかりと腕をつかんでくれるが、まるで世界が崩れかかっているかのように、震えが止まらない。さっきまでの恍惚とした感覚が、一気に恐怖に取ってかわっていた。
「リアナ様」
「ハダルク、わたし――」
リアナが立ちあがるのと、黒竜が飛びたとうとしているのはほとんど同時だった。そのまわりを囲むように、子どもたちを乗せた飛竜が浮かんでいる。はっと振りかえり、手をのばして追いかけようとするのを、ハダルクが止めた。
「やめてください!」
「だめ! 子どもたちが――」
「国境警備兵にまかせてください!」
「だめよ! 子どもたちを追って!!」
王太子らしからぬ態度なのはわかっていたが、自分でも激情を止められない。ハダルクに肩を押さえつけられ、リアナはほとんどしゃくりあげながら叫んだ。「だめ!」
「ご寛恕を」
「なんで!? わたしは王太子じゃないの!? 命令を聞いてよ!」
「消火が先です! 火は古竜でしか消せない。それに、あなたの警護が最優先です」
「――ここまで来たのに! あと少しで助け出せるのに!」
罠にかかった獣のように暴れたが、ハダルクにがっしりと取り押さえられ、すぐに身動きが取れなくなった。
「このためにここまで来たのよ! あの子たちを助けるために! 放して、ハダルク!」
「――相手は黒竜です。同じ数でも、勝てるとは限らない。あなたが無事で戻ることのほうが、われわれには大切なのです」
そして、リアナの肩口から仔竜を抱きおろした。「それに、この子ももう限界でしょう」
そこでようやく、力が抜けた。竜との一体感が遠のき、自分ひとりの感覚が戻ってきていることに気づいた。レーデルルは見たこともないほどぐったりしていた。無理をさせたのは間違いない……
それでも……
それでも、里の子どもたちを助けることを、もう一度かれらの顔を見ることだけを願ってここまでたどり着いたのに、救出に失敗してしまった。
彼らを助けられなかったのだ。
目の前が一気に暗くなっていく。
顔を手で覆って、リアナはなんとか無力感をやりすごそうとしたが、それは簡単なことではなかった。
ハダルクの声が、まるで水のなかのように遠く聞こえる。目の前は赤く染まっていたが、心のなかはむしろ冷えていた。手のひらに残ったままの水滴がしたたり落ち、それは凍っているほど冷たい。だから、リアナは炎に向かって手をのばした。炎のなかに、おそろしいものがある。彼女にとって、炎はあの惨劇の背景だったから、襲撃の日からずっとおそろしいものだった。けれどこれは、もっと形のないものだ――子供のころに見た怖い夢や、うす暗い森の入り口のような。そこには苦悶の叫びや、得体のしれない獣の鳴き声もある。鼻先には、腐敗と死の匂い。夢のなかで何度も感じたものによく似ている。
何度も何度も繰りかえし見つづける炎。
それらのイメージは、最後には怒りへと姿を変えた。自分のものかどうかもわからない、言葉にもならない純粋な怒り。
そして、炎がいっせいにかき消えた。水の力ではない。空気が断たれたのがリアナにはわかった。
(なんだ、やっぱりできるんじゃない)
指先の凍るような冷たさを、うっとりと感じる。(黒竜のライダーだけじゃない。わたしにだっておなじことができる)
体のなかを、冷たいなにかがかけめぐっているようだった。冷たいが、力に満ちている。水の流れのように、外から支配するものではない。白竜の力のように彼女を通りぬける力でもない。もっと内側にあって、霜のように冷たいのに、白く輝く清冽な力だ。
(炎はゆるせない)
故郷を焼いた炎を許せない。なんとしても、すべての炎を消しつくさなければ。今はそのことしか考えられない。身体のなかにたっぷりと冷気を感じながら、リアナは駆けだした。火球が流星のようにぶつかってきて、衝撃で後ろに吹き飛ばされるが、冷気のおかげで痛みも熱も感じない。くるくると転がって衝撃を逃がしてから、すばやく起きあがってまた駆ける。今度は、火球を受けるまえに体内の冷気でそれを打ち消した。水柱を出すよりもずっと簡単だった。
十分に近づいてから、腕のさきに溜めた冷気を一気に相手にぶつけた。
炎がかき消え、ピシピシッと水が弾ける音が響く。
「おまえ!」腕で顔をかばいながら、デーグルモールが叫んだ。「そんなはずがない! その紋様――」
冷気は剣のような形にかたまり、男の腕を切りつけていた。リアナのほうが勢いがあったが、力でせり負けて後ろに吹きとばされる。
一瞬、気を失いかけたようだった。
「リアナ様! 殿下!」ハダルクが必死で呼びかけている。いつの間に追いついたのか、つかまれた腕を感じると、そこから現実の感覚に引き戻されていく。銀世界に吹く雪嵐のような視界がさっとかき消え、リアナは自分の腕に、なにかが黒く渦巻きながらからみついているのを見た。質量をもったものではない――紋様だ。刺青のような。そう、デーグルモールのような。
「いやっ!」
悲鳴をあげて後ずさる。ハダルクがしっかりと腕をつかんでくれるが、まるで世界が崩れかかっているかのように、震えが止まらない。さっきまでの恍惚とした感覚が、一気に恐怖に取ってかわっていた。
「リアナ様」
「ハダルク、わたし――」
リアナが立ちあがるのと、黒竜が飛びたとうとしているのはほとんど同時だった。そのまわりを囲むように、子どもたちを乗せた飛竜が浮かんでいる。はっと振りかえり、手をのばして追いかけようとするのを、ハダルクが止めた。
「やめてください!」
「だめ! 子どもたちが――」
「国境警備兵にまかせてください!」
「だめよ! 子どもたちを追って!!」
王太子らしからぬ態度なのはわかっていたが、自分でも激情を止められない。ハダルクに肩を押さえつけられ、リアナはほとんどしゃくりあげながら叫んだ。「だめ!」
「ご寛恕を」
「なんで!? わたしは王太子じゃないの!? 命令を聞いてよ!」
「消火が先です! 火は古竜でしか消せない。それに、あなたの警護が最優先です」
「――ここまで来たのに! あと少しで助け出せるのに!」
罠にかかった獣のように暴れたが、ハダルクにがっしりと取り押さえられ、すぐに身動きが取れなくなった。
「このためにここまで来たのよ! あの子たちを助けるために! 放して、ハダルク!」
「――相手は黒竜です。同じ数でも、勝てるとは限らない。あなたが無事で戻ることのほうが、われわれには大切なのです」
そして、リアナの肩口から仔竜を抱きおろした。「それに、この子ももう限界でしょう」
そこでようやく、力が抜けた。竜との一体感が遠のき、自分ひとりの感覚が戻ってきていることに気づいた。レーデルルは見たこともないほどぐったりしていた。無理をさせたのは間違いない……
それでも……
それでも、里の子どもたちを助けることを、もう一度かれらの顔を見ることだけを願ってここまでたどり着いたのに、救出に失敗してしまった。
彼らを助けられなかったのだ。
目の前が一気に暗くなっていく。
顔を手で覆って、リアナはなんとか無力感をやりすごそうとしたが、それは簡単なことではなかった。
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