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第三章 疲れ果てた社畜OLは異世界でゆったりスローライフを送るようです

第26話:疲れ果てた社畜OLは異世界でゆったりスローライフを送るようです・6

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【4/1 17:11】

 アラレミゾレが生まれた神庭カンバ家は没落旧家である。
 木材を専門に物流の枢軸として栄華を誇ったのはもう百年近く前のこと。似た成り立ちの綾小路家が情報通信業に投資して生き残ったのとは異なり、神庭家は変わりゆく産業構造に付いていくことが出来なかった。もう今から追い上げる事業も資金も気力も人材もない。あとに残されたのは三代くらいは遊んで暮らせる資産、そして広い土地と家屋くらいのものだ。
 霰と霙には十歳少し年の離れた姉が一人いたらしい。つまり姉が生まれたのは二十年ちょっと前くらいということになる。
 両親は社会に出たことがない高等遊民で、当時初めて人並みに苦労して産んだ一人娘を大層可愛がり、有り余った金と時間で可能な限り良い教育と文化を与えようとした。ピアノや百科事典を片っ端から買い揃え、学校に行かせる代わりに評判の家庭教師を科目別に雇って日夜勉強させた。お菓子やお洒落は大人になってからと禁じ、健康のために一汁一菜を堅持した。
 それは純粋な愛情から来る待遇ではあったが、まともに働いたことがない親が思い描く理想の子育てなど歪んだ絵空事に過ぎない。同年代と接することも禁じられた軟禁状態の中、一人娘は静かに脱出の計画を立てていた。
 霰と霙が生まれた日、中学生の長女はいきなり家を出ていった。何の兆候もない青天の霹靂。愛情を注いできたはずの長女に拒絶され、両親はすっかりどうすればいいのかわからなくなってしまった。
 それで今度は双子を放任で育てる方針にしたのか、それとも単に投げ出してしまったのかはわからない。長女が去った家を両親も空けがちになり、代わりに来訪するのは家事や育児や教育の代行サービスばかりになった。余った金で機械的に提供されるサービスのおかげで、双子が腹を空かせたり寒さに凍えたりしたことは一度も無かった。
 更に姉と違って霰と霙が幸運だったのは、彼女たちは二人だったことだ。二人いればとりあえず遊び相手には不自由しない。だから二人はそれなりに楽しく生きてきた。自分たちがネグレクトを受けていると意識することもなく、世界とはそういうものだという認識の下で。
 二人は家の裏にある森で遊ぶことが大好きだった。春になれば芽吹く草木を見守り、夏になれば地面から出てくる虫を突き、秋になれば色とりどりの果実を摘まみ、冬になれば暖かい猫を捕まえて眠った。草も虫も花も猫も二人の味方だった。
 しかし十年も遊び続けるには森は少し狭すぎた。二人は何度も外に出たくなったが、この家からは絶対に出てはいけないと言いつけられていた。言いつけを破るという発想はまだ二人にはなかったが、時には解釈一つで言いつけの意味の方が変わってしまうことがある。
 ある日久しぶりに顔を合わせた両親が発した「この家から出たら死んでしまうぞ」という脅し文句を二人は「死ぬのならば出てもよい」と解釈した。そして塀の向こうから聞こえてきた噂を信じ、塀を抜けてトラックの前に身を投げた。
 女神には異世界で動物や植物と遊ぶことを願った。霰は『植物使役プランター』を、霙は『動物使役テイマー』を得た。それぞれ植物や動物と心を通わせ、自在に使役する能力だ。
 しかし、グラウンドを去ってから二人がチート能力を行使したことはまだない。

「そっち塗って塗って」
「どっち? あ、ローラーが……ぎゃー」

 霰と霙は二人並んでSwitchを手にゲームに興じていた。傍らのテーブルには飴やグミが積まれており、口寂しくなれば時折それを摘まむ。
 今の待遇はあの広い部屋に住んでいたときとそれほど変わらない。ゲームに触れるのは初めてだったが、これはこれでなかなか面白い。
 Switchとスプラトゥーンは灯が買ってきたものだ。灯はグラウンドから二人の手を引いて脱出してから、会社事務所の営業車と売上金を持ち出し、二十四時間営業のスーパーで食糧やゲームや資材を大量に買い込み、そのまま廃工場まで走ってチート能力『建築ビルド』で籠城を完了した。灯の行動は迅速で、全てを完了するまでは僅か二時間しかかからなかった。
 今も灯は『建築ビルド』で建物を弄ったり何かの機械を作ったりしている。隣からは部屋の構造を変える地響きや何かを実験する爆発音がずっと聞こえてきている。
 ゲームがひと段落したところで、霰はホーム画面に戻ってdiscordアプリを開いた。見れば匿名アカウントから個人チャットが送られてきている。

「そちらは大丈夫ですか? くれぐれも安全を第一に行動してくださいね」

 本来はSwitchにdiscordアプリを入れることはできないが、AAの『操作マニピュレート』によって勝手にインストールされていた。『操作マニピュレート』は機器や機構全般に対して任意の操作を実行するチート能力だ。ハードウェアハッキングどころか、技術上の限界を超えた介入操作もお手の物である。
 discord画面には同じアカウントから何通もメッセージが来ていた。差出人は全て同一だ。大きな雨粒のようなアイコンだけで名前は空白の匿名。
 メッセージはどれも霰と霙を心配するもので、たまにAAのメッセージの中から重要そうなものが選んで送られてきたりもする。例えばAAは呼べば来る旨、AAは戦闘には介入しない旨など。
 この個人チャットの存在は灯には伝えていなかった。他の誰にも言わないようにとメッセージに書かれていたからだ。言われたことは守った方がいい。灯はSwitchにdiscordアプリがインストールされていることにすら気付いていない。
 霰は謎の匿名アカウントに返信を打ち込む。

「大丈夫、ずっとスプラトゥーンしてる。一緒にやらない?」
「ゲームもいいですが、チート能力を使う練習もしておいてください。いつ必要になるかわかりませんから」

 そう言われても、ここは窓のない個室だ。動物も植物も呼べない。灯には外に出てはいけないと言われている。言われたことは守った方がいい。
 霰と霙だって、今の状況が全くわからないほど幼いわけではない。この匿名アカウントからも状況は説明されている。
 今は殺し合いが起こっていて、抜き差しならぬ状況であることはわかっている。転移は三人までしか出来なくて、灯が自分たちを守るために戦っていることもわかっている。この前、他の二人が訪ねてきたことも知っている。
 だが、他人事だった。そういう戦いはこの部屋の外で起きていることで、霰と霙にできることは特にない。チート能力を使う必要もない。灯も使わなくていいと言っていた。使いたくないと言えば嘘になるが、言われたことは守った方がいい。
 そのとき、慌てた表情の灯が扉を開けて駆けこんできた。

「ここから出ないようにしてね!」

 そう言い残し、また飛び出していった。きっとまた誰かが来ていて灯は今から戦うのだろう。灯はそうは言わないが、霰と霙だってそのくらいはわかっているのだ。
 しかし、何をすべきなのかはよくわからない。外から聞きなれない破壊音が響き、ふとちょっとした気まぐれで匿名アカウントに質問を送ってみた。

「灯さんが戦うみたい。どうすればいいと思う?」

 答えはすぐには返ってこない。discordアプリを落として二人は同時に軽く伸びをした。

「何しよう?」
「食って寝る」
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