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エピローグ トリップは徒労乙女

第42話:トリップは徒労乙女

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 走るオープンカーの助手席から腕を広げた。真っ赤なドアの上に肘を置く。手を少しだけ握るように丸める。
 秋の暖かい風が手中で滞留して転がる。ピンと角の立った小さな紅葉が一枚飛んできて、五本指で作った籠の中でくるくる踊る。不意に強く握り締めてみれば、砕けた繊維が指の隙間から散っていく。
 粉みじんが散る行方を振り向いて見送る。山の中に戻っていく紅葉の断片一つ一つ、その全ての行先がわかるような気がした。きっと小石の上に着地したり、鳥の口に飛び込んだり。そんな姿を視界の果てで幻視する。
 風を通じて世界と繋がっていくのは手放した葉っぱの末路ばかりではない。吸って吐いた息がどこに向かうのか、そしてそれはどこから来たのかでさえも。
 ぼんやりと空を見上げる麗華に隣から呆れた声がかかる。

「どうしたの? あんまり肩動かさない方がいいんじゃない、まだ本調子じゃないんだから」
「今ちょっと悪っぽいことを考えていたような気がするよ。この山は全て私の配下にある、みたいな?」
「何それ」

 ハンドルを握った芽愛が吐息を含んだ声を漏らして目を細める。麗華も意識して同じような顔をしてみた。
 もう芽愛が着ているのは学校の制服ではない。胸の開いたタンクトップの上にはダメージ入りのジージャンを羽織り、下は緩めのスラックスをベルトで留めている。いつものシルバーアクセサリは大きなネックレスとピアスだけ。
 先週の休みに麗華と一緒にショッピングデートで見繕った秋のコーディネート。働く大人の雰囲気にはスタイリッシュな衣装もよく似合うのだ。
 もう八月は終わった。八月が終われば九月が来る。夏の温度をまだ濃厚に残して、しかし確実に冬へ向かう乾いた空気を取り込んで。熱くも冷たくもない、つまみでちょうどよく調整されたような風が髪を靡かせる。
 頬杖を突いて芽愛の横顔を見つめていると、薄紅が塗られた口元が僅かに傾いた。いつも至近距離で見ていないと気付かない、口の端で呼吸するような具合で。

「また吸いたくなってるね? 煙草」
「まあそうだけど」
「ダメだよ、健康には気を付けないと、君だけ早死にされたら困るから、甘ったるい煙の匂いがする君も大人っぽくて素敵だけれど。煙草が吸いたくなったら私の指でも舐めているといいよ」
「外じゃできないでしょ。運転中だし」
「外かどうかは微妙なところじゃない? 私たちの声は外には聞こえないんだからさ」

 芽愛が応答する代わりに唇を緩める、今度は意識的に。流れる沈黙は全く気まずいものではなかった。
 ここから先はお互いに了解している。言わなくてもわかる関係に特有の生温い空間。秋の日差しに照らされた池面のような、心地よい硬さが狭い車内に満ち足りていた。
 そしてそんな空気に巻き込まれた部外者がようやく後部座席から声を上げる。

「いやすまんけど、そろそろ言ってええ?」
「ご自由にどうぞ?」
「気まずいわボケ!」

 綺羅が叫んだところでちょうどオープンカーはトンネルに入った。
 ボケ、ボケ、ボケ……という声がエコーするが、残響をものともしない大声の抗議が続く。

「御息なんかさっきから気ィ使ってずっと聞こえないフリしてるんやぞ。ジブンらから見えんのに頑張って首捻ったりしてんの、横で見てるだけで恥ずかしいわ」
「そっ……そんなことはないけど!」
「ホンマに聞こえてなかったら『何の話?』って言うとこやぞ、ここは」
「……」
「ジブンらが仲良う付き合っとるのは別に祝ってもええけどな、四人で来とるんやから邪魔者気分にはさせんでくれよな。ダブルデートでもあらへんのやし」
「そりゃごめんよ。それじゃあここからは友達四人って雰囲気でいこうじゃないか」

 スマホに指先を伸ばす。Youtubeの画面を弄ると、bluetoorh接続を通じて車のスピーカーから短いイントロが流れ出す。アップテンポなBGMが三秒ほど過ぎたところで御息の長い指先が割り込んだ。

「まだちょっとデートっぽいんじゃない? こっちの方がいいでしょう」

 すぐに電子ボーカルの明るい声に切り替わる。曲名まではわからなかったが、ショート動画か何かで何度か耳にしたような記憶がある、軽いファストフードのような音楽。これには綺羅も満足気に頷いた。

「おうこれでええやんけ、さすがは現役アイドル様やな」
「それはどうもありがとう」
「もっとムーディーな曲かけてエロい雰囲気出すのは二人の夜に取っとけや。うちが気ィ遣って部屋割りも別々にしたんやからな」
「助かるよ。付き合ってから初めての旅ではあるんだ、私たちにとっても、悪いけれども」
「もう同棲してるんじゃなかったかしら?」
「やっぱり旅は違うよ、非日常というかね。そっちは不満なかった? 昨晩は」
「あっちもそっちもあるかい。うちらはずっとぷよぷよやってたわ」
「ああ、あの露天風呂の前にあったゲームコーナーで」
「軽く配信もしてリスナーもまあまあ集まっとったな、なんだかんだ御息はめちゃめちゃ評判ええし。うちの見立てやとジブンも相当ウケると思うんやけど。なあ、芽愛お姉さん?」
「そうしたいのは山々だけど、仕事に差し支えると困るからNGで」
「はっは! 働く大人は大変やな、お疲れさん」

 綺羅の笑い声と共にトンネルを抜けた、途端に土と葉の香りを潮の香りが上書きする。
 午前の太陽を反射して光る水面。白にも青にも七色にも見える、海の出現を五感で受け止めて感嘆の声が上がった。

「本当に綺麗な海ね。他に誰もいないのが勿体ないくらい」
「ま、うちらとしては誰もいない方が助かるんやけどな」

 今日は三連休の中日だ。
 四人は星桜市を離れ、海沿いの山にある観光地へと旅行に来ていた。運転手兼保護者として大人の芽愛が高校生三人を引率しての二泊三日だ。
 昨日は古びた温泉宿に泊まり、今は山中の国道を走っている。ちなみにこの車は芽愛の所有であり、普段は麗華宅のガレージに停まっているものだ。
 秋分の連休で旅行に行きたいと最初に主張したのは綺羅だった。思えば旧友同士で再会したというのに夏休みの間はずっと戦ってばかり。思い出作りするぞとファミレスで叫ぶ綺羅には全員が頷いた。
 オープンカーは砂浜近くの駐車場で止まった。地元ナンバーの車が隅に二台並んでいるだけで、観光客と思しき人々は誰もいない。もう海遊びのシーズンはすっかり過ぎて海水浴場も閉じている。ここに来るまでの道のりも地元の車がまばらに走っていた程度だ。

「しかしま、星桜市を放ってこんな遠くまで来られるとはなあ」

 砂浜で綺羅が伸びをして、湿った海風を全身で受け止める。くるりと回ってよろけた身体を御息が肘で乱暴に支えた。

「『妖精の魔法フェアリーギフト』も意外と賞味期限が短かったのね?」

 八月三十一日、星桜市から魔法の国は消えた。
 ドラゴンたちは空高く点になるまで飛び去り、魔法の花々は散って塵となって消え、魔導ゴーレムは崩れて土くれに戻った。魔神機は小さなコアに、ステッキもただのオモチャに。
 全てがそれきりだ。エンドロールも特殊EDもなく、魔法の世界はただただ終わった、七年前と同じように。広がるのに一ヶ月以上かかった割には閉じるのは一瞬で、寝て起きればもう痕跡も残っていない。

「自然消滅って感じだね、持続についてはあまり考えていなかったから、とりあえず発動まで成功したはいいけれども。私に残っている魔力もせいぜい今月中には消えてしまうのではないかな」

 麗華も助手席から降りる。隣から肩を支える芽愛に甘えるようにもたれかかりながら。

「ま、麗華がそう言うならしゃーないな。いい夢見させてもらったわ」
「やけに諦めがいいね? あんなに執心だったのに」
「元からうちは便乗しとっただけやからな。プラットフォーマーが終わりって言うならそれで終わりや。自分の手柄やないのにゴチャゴチャ言っとるのもダサいやろ」

 気付けば綺羅の足元はビーチサンダル。砂浜を大きく蹴り飛ばし、大量の砂が煙幕のように舞った。

「でもうちは諦めたわけやないぞ。まだどこかにあるかもしれん、魔法の国への扉はな」
「まだあるにはあるしね、もう町一つを覆う規模ではないというだけで、食べ残しみたいな残骸だけれども。そもそも、それを確かめるためにわざわざここに来たのだし」

 言いながら芽愛の手を握った。少し大きな大人の手がぴったりタイミングを合わせて握り返してくる、どちらから握り始めたのかもわからないほどに。
 瞬間、海面が爆発した。塩水が雨のように降り注いで砂浜に濃い水玉をいくつも描いた。弾き飛ばされた海水、その奥に浮かぶ巨大な影。
 水面で巨体が跳ねる。海面を、いや、海底を打って飛び上がったその姿はクジラのように巨大な、カジキのように尖った魚。うっすらと青く光る全身、鼻の先が銛のように伸び、鱗が装甲のように日差しを反射した。

「はっは! こりゃええわ。七年前だって魚の魔獣は見なかったもんなあ。水中撮影も撮りがいあるわ」
「ちょっと、アップロードはしない約束でしょう」
「わかっとるって。でも記録は必要やろ? 大学ノートよりカメラのが正確やしな」

 勢いよくパーカーを脱ぎ捨て、いつもの自撮り棒を掲げてスクール水着で駆けていく綺羅。御息も溜息を吐いてその背中を追った。
 麗華の『妖精の魔法フェアリーギフト』を星桜市とは別の場所で試しておく。それがこの旅行のもう一つの目的だった。
 星桜市から魔法の国が消えても、またいつどこで何が起こるかわからない。黒壱のような異邦人がまた異世界から訪れるかもしれないし、もっと別の経緯で超能力者か何かが現れるかもしれない。
 そうなったとき魔法少女の力が役立つ可能性もなくはない。『妖精の魔法フェアリーギフト』が使えるうちに試せることは全て試しておいた方がいい。
 そう熱弁する綺羅には御息でさえも頷いた。無人の場所でやれば被害は出ない、将来の安全を買うためと言われれば反対する理由はない。
 何せ、非日常にはもう二回もの前例があるのだから。

「よっしゃ行くで、うちのゴーレム!」

 綺羅が走りながら砂浜に手を突っ込んだ。
 足元が大きく盛り上がり、せり出した砂が無骨な巨体を形作る。白い石で作られていたときに比べると輪郭は曖昧だ。ところどころ砂が流れて崩れつつ、しかし相変わらずの地響きを立てながら海に向かって力強く進んでいく。

「錆び付かないうちに使っておかないとね。魔神機、デモンアウェーク」

 御息はいつものように低く落ち着いた声色で呟く。
 宙から黒い水が垂れた。海水を弾いてボトボトと溜まっていくそれは流出した重油のようにも見える。黒い塊は波に揉まれて粘土のように変形し、次第に特徴的な聖母と腕の集合を形作っていく。

「魔獣だけじゃなくて、魔神機や魔法生物もきちんと動くみたいだね。正しく魔法の国を展開できてる、局所的に」
「そうね。御息と綺羅には騙して実験に付き合わせているようでちょっと申し訳ないけど」
「妙に都合が良すぎることくらい、二人だってうっすら勘付いていると思うぜ。星桜市では魔法の国が維持できなくなった割には狙った場所に魚の魔獣を出せるって何なんだよ、ってね。ゴチャゴチャ言ってもしょうがないから黙っておくってだけでさ」
「それはそれでなおさら悪いんじゃない? また内輪揉めするのはちょっと」

 車の影で芽愛に顔を寄せた。
 戦い始めた二人には聞こえないように耳元で囁く。髪が混ざり合い、よく知った芽愛の甘い香りが潮風よりも強く鼻孔をくすぐった。
 いま本当に起きていることは二人に説明したこととはだいぶ違う。麗華の『妖精の魔法フェアリーギフト』は何ら弱まっていないし、一人で制御できるようになったわけでもない。
 綺羅と御息には伝えていないが、発動者が麗華と芽愛の二人になったことが本質だ。当初の目論見通り、心を通わせた二人がいれば『妖精の魔法フェアリーギフト』はかなり自由に扱える。
 二人でキャンセルを同時に行うのが基本で、その強さやタイミングによって『妖精の魔法フェアリーギフト』の出力をコントロールする。お互い完全に打ち消し合えば魔法の国をすっかり閉じられるし、中途半端に消し合えば狙ったところにだけ展開することもできる。

「そのくらいでどうこうなるほど私たちは子供じゃないさ。たとえ友達でも利害が一致しないってことくらい、もう内心では皆わかってる。だからってすぐ喧嘩するわけでもないし、その辺りは折り合いをつけてやっていくしかないんだ」
「高校生でもそんなものなんだ? 大人になってからの友達しか知らないから、私」
「それどころか、小学生の頃からそうだったんだと思うぜ。七年前の夏だって、綺羅にとっては楽しいアドベンチャーで、御息にとっては緊迫したサスペンスで、私にとっては甘いガールミーツガールだった。そしてこの夏は君と私のラブストーリーになった、私がジャンルを選択する権利を勝ち取って。もし今年の夏にプロローグとエピローグがあるとすれば、それはきっと私たち二人の話なんだ。魔法少女の話ではなくね」
「最近思うんだけど。あなたの目的って魔法の国を私物化することだったでしょ? 魔法の国を続けるでも終わらせるでもなく、私たちの持ち物にすること。皆が活躍する舞台じゃなくて、私たちが愛し合う密室にすること」
「いい言い方だね。魔法の国は私たちが簒奪した、魔法少女も魔神機もまとめて。もう思い出でもない、いまや現在進行形で展開する愛と情熱の国だ」
「そのためなら私と戦うことだって厭わなかった。そういうところが……」
「そういうところが?」
「好き」
「私もだよ」

 金色のマスカレードマスクを指先でくるりと回す。
 七年前の思い出は風に乗ってどこか遠くへ飛び去っていった。

<完>
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