10 / 27
偽善か、信念か
しおりを挟む
二度目の視察の日は、前日までの晴天が嘘のように曇っていた。
チェチーリアは、今度は帝都南の貧民街近くにある診療所と、露天の市場を訪れることにしていた。
「きっとまた、何をしているのかと笑われるのでしょうね」
馬車の中、窓の外に目を向けながらチェチーリアが呟くと、隣に座っていたアメリアがため息混じりに応じた。
「それはもう確実ですわ」
「……否定してほしいところだけど」
「申し訳ありません、妃殿下。でも、きっと今日もおひとりは味方が増えますわ」
その言葉に、チェチーリアは目を細めて笑った。
「なら、それだけで十分ね」
***
南市場は、北と違って静かだった。
店舗が整然と並ぶ代わりに、ぼろぼろの布を敷いた路面販売。
靴も履かぬ子どもたちが走り回り、煙の立つ小鍋からは香辛料の匂いが漂っていた。
「……どうして、こんなにも違うのかしら。同じ帝都なのに」
ふと漏らした言葉に、案内役の侍従が戸惑いながら答える。
「南部は……古くから流民の多い地域でして。帝都の中でも、税の徴収も緩く、治安もあまり……」
「それは“放置している”ということですか?」
ピシャリとした言い方に、侍従は沈黙した。
チェチーリアはそれ以上問わず、歩みを進めた。
そんな中、彼女の目に、一人の少年が映った。
身なりは薄汚れ、片足を引きずるように歩いている。
その少年が、果物の露天にふらりと近づくと――不意にリンゴを一つ、袖に滑り込ませた。
「ちょっと!」
売り手の女が怒鳴るより早く、アメリアが飛び出そうとしたその瞬間。
チェチーリアが手を上げて止めた。
「私が行くわ」
そう言って、彼女はひとりで少年に近づいた。
「待って」
少年が逃げようとした腕を、彼女はそっと掴んだ。
その手は、冷たく細かった。
「リンゴ、好きなの?」
少年は、恐れと怒りをにじませた目で睨んできた。
「うるせぇよ……金なんて、ないから取っただけだ!」
「うん、そうだと思った。でも、これがどんな結果になるかは、分かってる?」
「……知らねぇよ」
「お店の人、これを売らなきゃ、家に帰れないの。あなたが取ったら、誰かが損をする。分かる?」
少年の目が、わずかに揺れた。
「今回は何かの縁だわ。このリンゴは私が買います。そしてあなたにあげるわ。」
そういうと店主にお金を差し出した。
「……妃殿下」
アメリアがそっと近づく。
「また、あの噂が広がりますよ。“正義のふり”とか、“偽善者”だとか」
「ええ、きっとそうでしょうね」
チェチーリアは空を見上げた。
雲の切れ間から、一筋の光が射していた。
***
その日、夕刻。
フリードリヒは、王宮の高い塔から帝都を見下ろしていた。
「お疲れさま、と言ってやるべきか……」
視線の先には、遠く宮殿へと戻ってくる馬車。
旗印は、第八妃のものだった。
「――正しいことを、正しくやっている者ほど、早く潰れる」
独り言のように呟き、彼は背を向けた。
まるで、それを見なかったかのように。
だがその指は、わずかに拳を握っていた。
チェチーリアは、今度は帝都南の貧民街近くにある診療所と、露天の市場を訪れることにしていた。
「きっとまた、何をしているのかと笑われるのでしょうね」
馬車の中、窓の外に目を向けながらチェチーリアが呟くと、隣に座っていたアメリアがため息混じりに応じた。
「それはもう確実ですわ」
「……否定してほしいところだけど」
「申し訳ありません、妃殿下。でも、きっと今日もおひとりは味方が増えますわ」
その言葉に、チェチーリアは目を細めて笑った。
「なら、それだけで十分ね」
***
南市場は、北と違って静かだった。
店舗が整然と並ぶ代わりに、ぼろぼろの布を敷いた路面販売。
靴も履かぬ子どもたちが走り回り、煙の立つ小鍋からは香辛料の匂いが漂っていた。
「……どうして、こんなにも違うのかしら。同じ帝都なのに」
ふと漏らした言葉に、案内役の侍従が戸惑いながら答える。
「南部は……古くから流民の多い地域でして。帝都の中でも、税の徴収も緩く、治安もあまり……」
「それは“放置している”ということですか?」
ピシャリとした言い方に、侍従は沈黙した。
チェチーリアはそれ以上問わず、歩みを進めた。
そんな中、彼女の目に、一人の少年が映った。
身なりは薄汚れ、片足を引きずるように歩いている。
その少年が、果物の露天にふらりと近づくと――不意にリンゴを一つ、袖に滑り込ませた。
「ちょっと!」
売り手の女が怒鳴るより早く、アメリアが飛び出そうとしたその瞬間。
チェチーリアが手を上げて止めた。
「私が行くわ」
そう言って、彼女はひとりで少年に近づいた。
「待って」
少年が逃げようとした腕を、彼女はそっと掴んだ。
その手は、冷たく細かった。
「リンゴ、好きなの?」
少年は、恐れと怒りをにじませた目で睨んできた。
「うるせぇよ……金なんて、ないから取っただけだ!」
「うん、そうだと思った。でも、これがどんな結果になるかは、分かってる?」
「……知らねぇよ」
「お店の人、これを売らなきゃ、家に帰れないの。あなたが取ったら、誰かが損をする。分かる?」
少年の目が、わずかに揺れた。
「今回は何かの縁だわ。このリンゴは私が買います。そしてあなたにあげるわ。」
そういうと店主にお金を差し出した。
「……妃殿下」
アメリアがそっと近づく。
「また、あの噂が広がりますよ。“正義のふり”とか、“偽善者”だとか」
「ええ、きっとそうでしょうね」
チェチーリアは空を見上げた。
雲の切れ間から、一筋の光が射していた。
***
その日、夕刻。
フリードリヒは、王宮の高い塔から帝都を見下ろしていた。
「お疲れさま、と言ってやるべきか……」
視線の先には、遠く宮殿へと戻ってくる馬車。
旗印は、第八妃のものだった。
「――正しいことを、正しくやっている者ほど、早く潰れる」
独り言のように呟き、彼は背を向けた。
まるで、それを見なかったかのように。
だがその指は、わずかに拳を握っていた。
4
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢、学校をつくる。 ―学院のない世界に学院を作りますわ!―
鷹 綾
恋愛
男が学び、女は飾るだけ——
そんな世界に、ひとりの公爵令嬢が問いを投げた。
レクチャラー・トレイルブレイザー。
名門公爵家に生まれた彼女は、幼い頃に父から“学院”という御伽話を聞く。徒弟でも修道院でもない、講師を集め、制度として人を育てる場所。
この世界には、まだその言葉すら存在しなかった。
「講師を一か所に集めますわ」
家庭ごとに高額な家庭教師を雇う非効率。
才能があっても機会を得られない現実。
身分と財力だけが教育を決める社会構造。
彼女は合理性を武器に、貴族子弟のための“学院”を創設する。
複数の生徒から月謝を集めることで、家庭教師より安価に。
講師にはより高額な報酬を。
制度として成立する形で、教育を再設計する。
やがて学院は成果を出し、“学院出身”は優秀の証となる。
その基盤の上で、彼女は次の一歩を踏み出す。
——貴族女子学院。
「美しさと知性と教養を兼ね備えた令嬢。婚約先は、よりどりみどりですわ」
表向きは婚約戦略。
だが本当の狙いは、女性の地位向上。
男尊女卑が当然の世界で、女が学ぶことは前例なき挑戦。
保守派の反発、王太子からの婚約打診。
それでも彼女は揺れない。
「婚約は家同士の契約です。決定権は父にあります」
父を盾にしながら、順序を守り、世界を壊さず、底から上げる。
恋より制度。
革命ではなく積み重ね。
学院のない世界に、学院を。
これは、静かに世界を変えようとする公爵令嬢の物語。
私の初恋の男性が、婚約者に今にも捨てられてしまいそうです
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【私の好きな人が婚約者に捨てられそうなので全力で阻止させて頂きます】
入学式で困っている私を助けてくれた学生に恋をしてしまった私。けれど彼には子供の頃から決められていた婚約者がいる人だった。彼は婚約者の事を一途に思っているのに、相手の女性は別の男性に恋している。好きな人が婚約者に捨てられそうなので、全力で阻止する事を心に決めたー。
※ 他サイトでも投稿中
離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない
柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。
バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。
カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。
そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。
愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。
うわさの行方
下沢翠花(しもざわすいか)
恋愛
まだ十歳で結婚したセシリア。
すぐに戦場へ行ってしまった夫のニールスは優しい人だった。
戦場から帰るまでは。
三年ぶりにあったニールスは、なぜかセシリアを遠ざける。
ニールスの素っ気ない態度に傷つき疲弊していくセシリアは謂れのない酷い噂に追い詰められて行く。
婚約破棄されたので、愛のない契約結婚を選んだはずでした
鍛高譚
恋愛
王太子の婚約者だった伯爵令嬢・カーテンリンゼ。
しかし、王太子エドワルドは突然の婚約破棄を言い渡し、彼女を冷たく突き放す。
――だが、それは彼女にとってむしろ好都合だった。
「婚約破棄? 結構なことですわ。むしろ自由を満喫できますわね!」
ところが、婚約破棄された途端、カーテンリンゼは別の求婚者たちに目をつけられてしまう。
身分を利用されるだけの結婚などごめんだと思っていた彼女の前に現れたのは、冷徹と噂される若き公爵・レオポルド。
「契約結婚だ。君の自由は保証しよう」
「まあ、それは理想的ですわね」
互いに“愛のない”結婚を選んだ二人だったが、次第に相手の本当の姿を知り、想いが変わっていく――。
一方、王太子エドワルドは、自分が捨てたはずのカーテンリンゼを取り戻そうと動き出し……!?
イリス、今度はあなたの味方
さくたろう
恋愛
20歳で死んでしまったとある彼女は、前世でどハマりした小説、「ローザリアの聖女」の登場人物に生まれ変わってしまっていた。それもなんと、偽の聖女として処刑される予定の不遇令嬢イリスとして。
今度こそ長生きしたいイリスは、ラスボス予定の血の繋がらない兄ディミトリオスと死ぬ運命の両親を守るため、偽の聖女となって処刑される未来を防ぐべく奮闘する。
※小説家になろう様にも掲載しています。
【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~
朝日みらい
恋愛
煌びやかな晩餐会。クラリッサは上品に振る舞おうと努めるが、周囲の貴族は彼女の地味な外見を笑う。
婚約者ルネがワインを掲げて笑う。「俺は華のある令嬢が好きなんだ。すまないが、君では退屈だ。」
静寂と嘲笑の中、クラリッサは微笑みを崩さずに頭を下げる。
夜、涙をこらえて母宛てに手紙を書く。
「恥をかいたけれど、泣かないことを誇りに思いたいです。」
彼女の最初の手紙が、物語の始まりになるように――。
4人の女
猫枕
恋愛
カトリーヌ・スタール侯爵令嬢、セリーヌ・ラルミナ伯爵令嬢、イネス・フーリエ伯爵令嬢、ミレーユ・リオンヌ子爵令息夫人。
うららかな春の日の午後、4人の見目麗しき女性達の優雅なティータイム。
このご婦人方には共通点がある。
かつて4人共が、ある一人の男性の妻であった。
『氷の貴公子』の異名を持つ男。
ジルベール・タレーラン公爵令息。
絶対的権力と富を有するタレーラン公爵家の唯一の後継者で絶世の美貌を持つ男。
しかしてその本性は冷酷無慈悲の女嫌い。
この国きっての選りすぐりの4人のご令嬢達は揃いも揃ってタレーラン家を叩き出された仲間なのだ。
こうやって集まるのはこれで2回目なのだが、やはり、話は自然と共通の話題、あの男のことになるわけで・・・。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる