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その後の二人
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夜の帳が降りた帝都。昼の喧騒が嘘のように、宮殿の中庭には静寂が広がっていた。
涼しい風が白い花弁をさらい、池の水面に揺れる月が、まるで夢のように輝いている。
その静かな庭園の奥、ひとり腰掛けて本を開いていたのはチェチーリアだった。
読みかけの書物を胸に抱き、ぼんやりと空を見上げていた彼女に、低く響く足音が近づいてくる。
「こんな時間に……冷えるぞ。」
その声にチェチーリアは振り向き、すぐに微笑んだ。
「陛下こそ、お休みではなかったのですか?」
「眠れなくてな。……貴女がいないと思ったら、やはりここにいた。」
そう言ってフリードリヒは彼女の隣に腰を下ろす。
肩が触れ合うほどの距離。以前の彼なら、きっとそれを気にしていたはずだが、今は自然に感じられた。
「何を考えていた?」と彼が問えば、
チェチーリアは小さく笑って答える。
「……ただ、こうして穏やかな時間があることが、少し不思議で……少し、こわいのです。」
「こわい?」
「いつか、終わってしまうのではないかと。私はまだ、幸せというものに慣れていませんので。」
その言葉に、フリードリヒは黙って彼女の手を取った。
細く冷えた指。けれど、確かに命を感じるそのぬくもり。
「慣れればいい。……俺が、何度でも教える。」
チェチーリアは驚いたようにフリードリヒを見つめた。
「陛下……」
「いい加減、“陛下”はやめてもらおうか、妃殿下。」
「……では、“あなた”と呼んでも?」
「それが一番、好ましい。」
二人は顔を見合わせて、同時にふっと笑った。
この笑い声を、どれだけ長く待ち望んでいたかを思い出しながら。
夜風がまたひとつ、花をさらっていった。
「この国はまだ混乱の最中にある。俺も、未熟なままだ。だが……」
「ええ、でも、“未熟”であることを認めて、歩いていける人こそ強いと思うのです。」
フリードリヒはその言葉に目を細める。
「……貴女は、時々恐ろしく強いことを言うな。」
「私は臆病者ですよ。ですから、せめて隣に立つ者を信じる努力をしています。」
「……その努力には、報いる覚悟がある。」
言葉を重ねるごとに、確かな信頼と温度が生まれていく。
そうして二人は、誰にも邪魔されない夜の中で、未来への静かな約束を交わしていた。
春が訪れ、宮殿の中庭には白桃の花がほころび始めていた。
その日、チェチーリアは医務室で静かに診察を受けていた。
脈に触れた医師が、何度か頷き、やがて柔らかい声で告げる。
「……ご懐妊です、妃殿下。」
その言葉が、現実として耳に届いた瞬間。
チェチーリアの胸には、静かな衝撃と、戸惑いと、そして――ふわりとあたたかい光のようなものが広がった。
「私が……?」
思わず呟いた声に、医師は深く頷いた。
「まだごく初期ですが、確かな命の徴候がございます。まずはご安静に」
小さく息を呑み、チェチーリアは手を腹に添える。
そこには、確かに“誰か”がいた。
小さな、けれど確かな存在が、彼女の中に芽吹いていた。
その夜。
報せを受け、執務を中断して駆けつけてきたフリードリヒは、チェチーリアの私室に入るなり、言葉を失った。
「……本当、なのか?」
チェチーリアは、そっと頷く。
「はい、陛下……いえ、“あなた”。私は……新しい命を授かりました」
フリードリヒの足が止まり、そしてゆっくりと近づく。
彼の手が、そっと彼女の手に重ねられた。
「怖いか?」
「……はい、少しだけ。でも、それ以上に嬉しいです」
「俺もだ」
低く落ち着いた声だったが、その瞳はかつてないほどやわらかだった。
「この国はまだ不安定で、未来も見えにくい。だが……その命のために、俺たちはさらに強くなれる」
チェチーリアは、ようやく微笑んだ。
「私は、私の山を越え続けます。この子が、“誇れる親”だと思ってくれるように」
フリードリヒはそっとチェチーリアを抱きしめた。
「……もうひとつ、背負うものが増えたな」
「ええ。でも今度は、ふたりで」
抱き合ったまま、窓の外に目を向ければ、満開の白桃の花が、夜の風に揺れていた。
そこには新たな季節の訪れと、未来の気配が、確かに芽吹いていた。
涼しい風が白い花弁をさらい、池の水面に揺れる月が、まるで夢のように輝いている。
その静かな庭園の奥、ひとり腰掛けて本を開いていたのはチェチーリアだった。
読みかけの書物を胸に抱き、ぼんやりと空を見上げていた彼女に、低く響く足音が近づいてくる。
「こんな時間に……冷えるぞ。」
その声にチェチーリアは振り向き、すぐに微笑んだ。
「陛下こそ、お休みではなかったのですか?」
「眠れなくてな。……貴女がいないと思ったら、やはりここにいた。」
そう言ってフリードリヒは彼女の隣に腰を下ろす。
肩が触れ合うほどの距離。以前の彼なら、きっとそれを気にしていたはずだが、今は自然に感じられた。
「何を考えていた?」と彼が問えば、
チェチーリアは小さく笑って答える。
「……ただ、こうして穏やかな時間があることが、少し不思議で……少し、こわいのです。」
「こわい?」
「いつか、終わってしまうのではないかと。私はまだ、幸せというものに慣れていませんので。」
その言葉に、フリードリヒは黙って彼女の手を取った。
細く冷えた指。けれど、確かに命を感じるそのぬくもり。
「慣れればいい。……俺が、何度でも教える。」
チェチーリアは驚いたようにフリードリヒを見つめた。
「陛下……」
「いい加減、“陛下”はやめてもらおうか、妃殿下。」
「……では、“あなた”と呼んでも?」
「それが一番、好ましい。」
二人は顔を見合わせて、同時にふっと笑った。
この笑い声を、どれだけ長く待ち望んでいたかを思い出しながら。
夜風がまたひとつ、花をさらっていった。
「この国はまだ混乱の最中にある。俺も、未熟なままだ。だが……」
「ええ、でも、“未熟”であることを認めて、歩いていける人こそ強いと思うのです。」
フリードリヒはその言葉に目を細める。
「……貴女は、時々恐ろしく強いことを言うな。」
「私は臆病者ですよ。ですから、せめて隣に立つ者を信じる努力をしています。」
「……その努力には、報いる覚悟がある。」
言葉を重ねるごとに、確かな信頼と温度が生まれていく。
そうして二人は、誰にも邪魔されない夜の中で、未来への静かな約束を交わしていた。
春が訪れ、宮殿の中庭には白桃の花がほころび始めていた。
その日、チェチーリアは医務室で静かに診察を受けていた。
脈に触れた医師が、何度か頷き、やがて柔らかい声で告げる。
「……ご懐妊です、妃殿下。」
その言葉が、現実として耳に届いた瞬間。
チェチーリアの胸には、静かな衝撃と、戸惑いと、そして――ふわりとあたたかい光のようなものが広がった。
「私が……?」
思わず呟いた声に、医師は深く頷いた。
「まだごく初期ですが、確かな命の徴候がございます。まずはご安静に」
小さく息を呑み、チェチーリアは手を腹に添える。
そこには、確かに“誰か”がいた。
小さな、けれど確かな存在が、彼女の中に芽吹いていた。
その夜。
報せを受け、執務を中断して駆けつけてきたフリードリヒは、チェチーリアの私室に入るなり、言葉を失った。
「……本当、なのか?」
チェチーリアは、そっと頷く。
「はい、陛下……いえ、“あなた”。私は……新しい命を授かりました」
フリードリヒの足が止まり、そしてゆっくりと近づく。
彼の手が、そっと彼女の手に重ねられた。
「怖いか?」
「……はい、少しだけ。でも、それ以上に嬉しいです」
「俺もだ」
低く落ち着いた声だったが、その瞳はかつてないほどやわらかだった。
「この国はまだ不安定で、未来も見えにくい。だが……その命のために、俺たちはさらに強くなれる」
チェチーリアは、ようやく微笑んだ。
「私は、私の山を越え続けます。この子が、“誇れる親”だと思ってくれるように」
フリードリヒはそっとチェチーリアを抱きしめた。
「……もうひとつ、背負うものが増えたな」
「ええ。でも今度は、ふたりで」
抱き合ったまま、窓の外に目を向ければ、満開の白桃の花が、夜の風に揺れていた。
そこには新たな季節の訪れと、未来の気配が、確かに芽吹いていた。
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