はじまりはファイアーボール

伊藤詩雪

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第8話 帰宅

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 気がつくと見慣れた風景がそこにあった。但しそれは僕の記憶の中ではしばらく見ていなかった景色だ。
 ここにはリリィも町長も追ってきた伯爵達もいない。日本に戻ってきたのだ。

 覗き込むように僕を見ているのは、母さんと工事業者の監督さん。

「大丈夫ですか? 怪我はありませんか」
「2時間も目を覚まさなかったのよ」
「ああ、平気だよ。少し痛むけど大したことはない」

 右手には火傷の跡があり、そばには壊れた金属のリングと焦げた樫の木の枝が落ちていた。明らかに魔法制御の指輪と魔法の杖の燃え滓だ。どうやらあの異世界は夢ではなかったらしい。
 解体している隣の家の左奥の部屋は綺麗に燃え落ちていた。僕の家に燃え移った火の粉は壁に広がり、相当ひどい見た目になってしまったが、構造にまでは達していないらしい。

「すいません。こちらは責任を持って修繕させていただきます」
「それはもちろん、やっていただかないとウチも困りますけど……」

 母は申し訳なさそうに言った。
 工事業者の監督は何度も頭を下げ、現場復帰のためにテキパキと指示を出していた。そこにまた不動産屋のあいつが出てきたのである。

「これはどうもすいません。こいつらにはきちんと直させますので……それでですね。申し訳ないんですけどここの工事が遅れてまして、そちらの修繕は工事の後にさせてもらいます」

 とんでもないことを言い出した。
 自分の使った業者が問題を起こしたのに、その修繕を後回しにすると言うのだ。しかも、今回の惨事はこの不動産屋が無理強いした結果であるのに。

「それは困りますよ。大体、物事の順番としておかしいんじゃないんですか」
「そうは言ってもこちらも商売なのでね。これ以上工程が遅れたんじゃ話にならんのです」
「僕は怪我までしたんです、家まで壊されて」
「だからそれはこの工事を請け負った連中に直させますよ。私は工事を命じただけだ。事故とは関係ない」

 呆れた物言いに腹が立つ。
 イライラした気持ちのまま視線を落とすと見覚えのあるヘアピンが落ちていた。

「あっ、これ百合香さんのものだ」
「ウッ………」
「何です? 丸川百合香さんについて何か知ってるんですか」
「し、知らん」

 食ってかかる僕を止めた人がいる。

「今は工事の優先順位を考えましょう。とにかく、こちらの家の修繕を先にします。それが物事の道理ってもんですからね」
「ならんならん! お前らはウチが出した仕事をしにきているはずだ。順番は私が決める。それができないならお前らはクビだ。今までの分を含めて一切金は出さんぞ!」
「いいえ、こちらの修繕が先です。金も当然いただきますよ。今回の無理強いはあなたが言い出したことだ」

 まさか言い返されると思わなかった不動産屋は口をパクパクとさせていた。
 どうもあのヘアピンを見た時から様子が変だ。
 そこで僕も一言言っておくことにした。

「僕もそう言ったのを聞いてました。確か養生すれば問題ないと強引に工事させてましたよね。当然、それで押し切られて工事をした業者の方の責任もあるとは思いますが、あなたはその時も無理に大きな重機を入れて工事を強行しないと金を払わないと言ってましたよね」
「どこにそんな証拠がある!」

 不動産屋は不敵に笑っていた。
 だが、最初の勢いはすっかりなくなっている。
 僕が証言したとしてもでっち上げだと言うんだろうが、とても余裕があるようには思えない。

 しかし、状況は不利。不動産屋がゴリ押しすれば、工事監督は引き下がるしかないはずだった。
 ところが。

「証拠はここにあります」

 工事業者の監督はデータレコーダーを手にしていた。再生ボタンをONにすると、前日に監督に命令していた内容が流れる。

「こ、こんなもの証拠になるか!」
「なりますよ。他にもここに住んでいたお嬢さんを脅していた写真もあります」

 今度は工事用のデジカメを取り出すと百合香さんがどこかに連れ去られる写真が何枚もあった。それをニヤニヤとみているの不動産屋が後ろにいるところもはっきりと写っている。

「あなたのドラ息子はここに住んでいた丸川百合香さんにご執心だった。そこで、あなたは手の者を使って大学や彼女のバイト先に嫌がらせをさせたのだ。彼女は最初は持ち上げられ金品を与えられたのち、別の者に襲わせた。それをあなたのドラ息子に助けられるという猿芝居を思いついた」
「ほんとですか。それ」

 これではリリィと本当に一緒じゃないか。
 あっちの世界ではリリィが百合香さんに似ている境遇だと思ったが、正直なところ百合香さんが脅されているとまでは思わなかったのだ。

「ああ、ところが百合香さんはあなたのドラ息子が背後にいたことに最初から気づいていたのさ。ただ、両親に危害を加えられる心配があったので言うことを聞くしかなかったらしい」
「どうして警察に行かなかったんでしょうか?」
「それはこの土地の借地権をあの不動産屋が手に入れていたからだ。元々この土地は丸川家に由来がある人のものだったのだが、事業に失敗した後、ほとんどただ同然に買い叩かれたものだったんだ。彼女の両親は長い間、多額の家賃を滞納していることになっていたのさ」
「でも彼女が酷い目に遭っていたことを警察に言えば………」
「ダメだ、証拠がない。仮に訴えていたとすれば彼女への嫌がらせはなくなるだろう。不動産屋にも多少のお咎めはあるかも知れない。だが、あいつは確実になかったはずの多額の滞納された家賃を盾にして、両親を追いつめていただろう」

 本当に卑劣な奴らだ。
 そう思った時に手に雫が落ちた。血だ。
 どうやら歯を食いしばり過ぎて口の端から落ちた血が手の上に落ちたらしい。

「ああ、安心していい。今はここに証拠がある。あの時の会話テープだけでなく、それをみていた証人がここにいるのだから間違いなくこれは証拠として裁判に使うことができる。実はあの不動産屋にこき使われて奴隷のような契約で働かされていた僕らのような工事業者はいくつもあるんだ」
「ふん。奴らを食わせてやったのは私だ。今さら何ができる」
「いや、ここに委任状を持ってきた」

 工事業者の監督は不当な下請け業務をやらされた業者の社長が連名で、不動産屋を告発する文書とその委任状があった。
 不動産屋はその書類めがけて走り込んでくる。奪い取ってないことにするつもりなのだろう。その時、この世界に戻ったことでなくなったはずの魔力がほんの少しだけ指先に残っていることを僕は感じていた。

「『ファイアーボール』」
「うがぁぁ、目が!」

 やはり魔力は少な過ぎたらしい。
 一瞬大きく輝いただけで、すぐに消えてしまった。まるで遠い日の線香花火のように。

 だが、目的は達した。

「今だ!」
「何をする。やめろ。どうなるかわかってるのか」
「それはあなたの方だ。今まで何をしてきたと思ってるんだ」

 工事の作業員たちは不動産屋を取り押さえた。彼らの怒りは大きかったが、監督は乱暴はしないようにと言い含め、書類を大事そうにしまい僕に頭を下げた。
 僕は警察に連絡し、一部始終を説明すると不動産屋は連れて行かれた。

「やっと終わりましたね」
「ああ、協力をありがとう。でも、私も責任者として警察の事情聴取に行かないといけなくなる。また、修繕が遅れてしまうのだが」
「いえ、あの不動産屋を捕まえるためなら全然OKですよ」

 こうしてこの一件は終わった。
 工事業者がウチの修繕を行う費用は不動産屋の資産から払われることになるらしい。こき使われていた他の業者も全額とはいかないまでも過去の酷い労働の対価を得られるそうだ。

 そして、丸川家のことだが……百合香さんの両親は亡くなっていた。
 百合香さんも行方しれず。大学には籍が残っていない。


「お前、本当に行くのかい」
「ああ、ぶらっとあちこちを見てこようと思う」
「百合香さんに会いに行くんだろ。どうするの。連れ戻すつもり?」

 そんな気はない。
 ただ、僕は旅をすることにしたのだ。異世界でも結局、リリィの家とあの町以外どこにも行かなかった。ただ、僕はいろんなことを知らなさすぎるような気がする。

「いや、会えるかどうかもわからないし。でも、百合香さんを探したいと思っているのは本当だよ。会ってどうするつもりもないけど、ただ話をしてみたいんだ」
「わかったわ。行ってきなさい。きっと私たちには何か足りなかったのかも知れない。話し合ってどうなるものでもなかったかもしれないが、お互いを知ることから始めるべきだったかも」

 そう言って僕を送り出してくれた。
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