【悲報】現代ダンジョン時代、俺の職業がLv.1チンピラ【詰み】

道雪ちゃん

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神楽坂の夜明けと希望の再来

 パッと目が覚めるような、驚くほどスッキリとした朝だった。

 カーテンの隙間から差し込む春の柔らかな光が、寝室を白く染めている。

 意識が覚醒すると同時に、昨日という一日が、濁流のような情報量で妃那の脳裏を駆け巡った。

 誰にも破られることのなかった神楽坂ダンジョンの踏破階層が、たった一日のうちに更新されたこと。

 そして、その中心にいた「三上ひより」という、あまりにも穏やかで、それでいて底知れない力を持った青年のこと。

「今日……本当に、来てくれるのかな……」

 独り言のように呟いた瞬間、さっきまでの爽快感は霧散し、代わりに重苦しい不安が胸を支配した。

 神楽坂は、良くも悪くも「緩い」ダンジョンだ。

 そこに集まる探索者も、そして運営する自分たちスタッフの意識も、すべてが温い。

 受付という立場から冷徹に現状を分析すれば、三上さんのような、世田谷の深層を拠点にするハイレベルな探索者が、わざわざこの神楽坂に腰を据えるメリットなど、何一つとして存在しないのだ。

 あるとすれば、ただの気まぐれか。

 あるいは、たまたま神楽坂のカフェに寄ったついでに潜ってみたという程度の、軽い気分転換。

 本拠地である世田谷の方が、効率も、刺激も、質も上なのは明白。

(嫌だよ……。あんなに凄いものを見せられて、また「昨日まで」に戻るなんて……。せっかく見えた、希望の光なんだから)

 一度抱いてしまったネガティブな思考を振り払うように、妃那はベッドから飛び起き、洗面所へと向かった。

 蛇口を全開にし、勢いよく顔を洗う。

 刺すような水の冷たさが肌を突き抜け、沈みかけていた思考を強制的に前へと向かわせる。

 いつもより少し早く起きた朝。

 妃那は鏡の前で、いつもなら適当に済ませる身だしなみを、驚くほど念入りに整え始めた。

 それは、自分でも無意識のうちに「彼に失礼のないように」という、一人の女性としての、そして期待に胸を膨らませるスタッフとしての、精一杯の背伸びだった。

 出勤した神楽坂ダンジョンセンター内は、昨日までの澱んだ空気とは打って変わり、朝から異常なほどの熱気に包まれていた。

「あ、西川さん! 遅いよ、みんな待ってたんだから! 昨日、実際に受付したんでしょ? 何があったの!?」

「更新者の子って、どんな感じだった!? 噂じゃ、世田谷の有名人だって話だけど……」

 ロビーに入った瞬間、同僚のスタッフたちが血眼になって妃那に詰め寄ってきた。

 普段は「今日も暇だね」と欠伸を噛み殺している彼らだって、元々はダンジョンの神秘に憧れ、この仕事に就いたはずなのだ。

 端末に記録された「踏破階層更新」という無機質なログではなく、その目撃者である妃那の「生の声」を聞きたくて仕方のない様子だった。

 それは、スタッフだけではない。集まってきた探索者たちも同じだった。

 いつも通り受付にやってきた初心者や、装備だけは立派だがやる気のない通称「ゆるキャラ」探索者たち。

 彼らの口からも、昨日の驚きと、今日という日への隠しきれない期待が溢れ出していた。

「なあ西川さん、昨日のはマジなんだよな? 掲示板が祭りになってたぜ」

「あの可愛い子、今日も来るのかな? 記念に写真撮りたいんだけど」

「……失礼ですよ。それに、彼は男性です」

 妃那は苦笑いしながら一人一人に答えていく。

 もし、昨日までの「死んだ魚の目」をしていた自分なら、これらの騒ぎを「うるさいな」と聞き流していただろう。

 だが今は、この喧騒さえもがどこか心地よく感じられた。

 心なしか、ロビーでダラダラと油を売らずに、そのまま真っ直ぐダンジョンへと向かう探索者の背中が多い。

 一人の「本物」が現れただけで、これほどまでに空気は変わるのか。

 この場所がいかに長い間、刺激のないぬるま湯に浸かり、腐敗しかけていたかを妃那は痛烈に実感していた。

(でも……本当に、本当に来てくれるの……?)

 忙しさに紛れさせても、朝から続く不安の棘が、チクチクと胸の奥を突き刺し続ける。

 口約束なんて、破ろうと思えばいくらでも破れる。

 彼にとって神楽坂は、その程度の軽い場所でしかないのだ。

 「また明日」という言葉が、ただの社交辞令だったとしたら。

 今日、彼がいつものように世田谷の深淵へと潜っていたとしたら。

 神楽坂のこの「熱」は、ただの一夜の夢として、昨日よりも冷酷な静寂へと変わってしまうだろう。

 午後3時。

 時計の針が進むたび、妃那の心拍数は跳ね上がり、呼吸が浅くなっていく。

 周囲のスタッフも、期待と諦めが入り混じった顔で入口の自動ドアをチラチラと見ていた。

 その時だった。

 滑らかな音を立てて、正面の自動ドアが開く。

 神楽坂の柔らかな陽光を背負って、一人の人物がロビーに足を踏み入れた。

 逆光の中に立つ、その見覚えのある細身のシルエット。

 周囲を威圧するのではなく、優しく包み込むような独特の空気感。

「あ……」

 妃那の喉が、歓喜のあまり震えた。

 そこにいたのは、昨日と全く変わらない穏やかな笑みを浮かべ、少し照れくさそうにこちらに手を振る、三上ひよりの姿だった。


.........


 晴れ渡った神楽坂。

 妃那さんと約束したこの日、ひよりは大学の講義が終わるやいなや、足早に神楽坂ダンジョンへと向かっていた。

 昨日の帰りに新調したマジックバッグを肩にかけ、今日はいつものスーツではなく私服姿だ。

 ひよりは「ダンジョンに行くなら形から」と、どこかズレた気合で装備を整える癖があるが、今日は大学帰りということもあり、神楽坂では初めての私服での「出勤」となる。

(妃那さん、気づいてくれるかな……?)

 そんな淡い期待を抱きながら入口をくぐると、すぐに受付にいる彼女の姿が目に入った。

 思わずぶんぶんと手を振ってしまったが、後から少し恥ずかしくなり、照れ隠し気味にカウンターへ向かう。

「いらっしゃい、三上さん。……来ないかと思いましたが、よかった」

「約束したじゃないですか! 今日は大学があったので、少し遅くなってごめんなさい」

 安堵の表情を浮かべる妃那に、ひよりは申し訳なさそうに笑う。

「あ、だから私服なんですね! そういえば三上さん、私たち同い年ですもんね」

「そうなんですか? なんだか、より親近感が湧くなぁ」

「ふふ、そうですね。私もです。……今日も、記録更新を目指す感じですか?」

「昨日はよくわからず進んじゃったので、今日は交流もしたいけど、しっかり意識して攻略してみようと思います。じゃあ、行ってきます!」

「気をつけて! 無事戻ってきてくださいね!」

 妃那の見送りの言葉には、昨日よりもずっと力がこもっている気がした。

 その温かさを背中に受けながら、ひよりはゲートへと足を踏み入れた。


………


 1層に到着したひよりは、迷いなく影を広げる。

「みんな、今日は探索じゃなくて『攻略』を意識して行こう」
「「「オウッ!!!」」」

 総勢20名を超えるひより組が整列する。

 今日は効率を重視し、分かれずに軍団として進むことにした。

 少し進んだ先で、一組のパーティーに呼び止められる。

「あの……昨日、記録を更新された方ですよね……?」

 警戒して前に出ようとする涼を制し、ひよりが笑顔で応じる。

「はい! 三上ひよりっていいます。昨日が初めてだったので、勝手がわからなくて……」

「そうなんですね! 自分たちはまだ初心者で……もしまたお会いできたら、色々質問させていただいてもいいですか? 林田康介といいます」

「林田さんですね。俺が答えられることなら何でも! あとは……」

 ひよりは、隣に立つ涼を指し示した。

「この涼が俺の副官で指揮官なので、俺がいない時は彼に聞いてみてください。いいよね、涼?」

「もちろんです。林田さん、よろしくお願いします」

 涼が深く一礼すると、林田たちは「あ、よろしくお願いします!」と恐縮しながら頭を下げた。

 それを皮切りに、他の探索者たちからも次々と声がかかる。

 3層にたどり着く頃には、昨日まで漂っていた「どんよりとした空気」は消え失せ、ダンジョン内には確かな活気と熱が灯っていた。


………


 順調に階層を進め、ついに昨日攻略した7層の主、アイアンハイド・オーガと対峙する。

 鉄の鎧に身を包み、大盾と剣を構えた巨躯。

「ここは、俺が一人でやってみるよ」

 ひよりが前に出ると、軍団がさっと左右に分かれて道を作る。

 オーガと視線がぶつかる。ひよりは一歩踏み出し、全身の「圧」を一点に集中させた。

「おらぁぁぁぁぁッ!!!」

 放たれたのは、極限まで高められた『威圧』。

 その瞬間、大気が軋んだ。

 オーガは攻撃に移るどころか、本能的な畏怖に縛り付けられ、ガタガタと震えながら後退りする。

「すぐに終わらせるよ」

 ひよりが低く構える。新スキル:無音一刀。

 場は完全な静寂に包まれた。抜刀の予備動作、服が擦れる音すら消える。

 刹那――。

 ひよりの姿が揺らいだ、と思った次の瞬間には、彼はすでにオーガの背後に立っていた。

 カチリ、と静かに鞘に収まる納刀の音。

 数拍置いて、構えていた大盾と鉄の鎧、そして上半身が斜めにズレ落ちた。

「なんだ……あれは……」

 後ろで見守っていた涼が、戦慄に目を見開く。

 風雷コンビもそれを黙ってみていた。

 自分も同じ抜刀術を使い、閃光の如き速さを誇っている自負はある。

 だが、ボスの技は別次元だった。

 音もなく、姿も捉えさせず、ただ「斬ったという事実」だけが結果として残る。

(もし自分が相手だったら……斬られたことすら気づかず、別れた自分の下半身を眺めることになるだろう)

 涼は深く感銘を受けた。これこそが、自分たちが守るべき王の力。
 
「お待たせ! じゃあ、次に行こうか」

 何事もなかったかのように笑顔で戻ってきたひよりに、軍団は一斉に深く頭を下げ、その背中に続いていった。
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