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#31 強くなりたい
しおりを挟むその馬車を発見したのは翌日の昼頃のことだった。見通しのいい街道の中途に黒く煙が伸びて、その周囲でチカチカと光がまたたいている。魔法戦だと思い至った瞬間、俺は一番に駆けだしていた。
水と、火とあとはたぶん風。複数属性を、それもほぼ同時に発動できるそんな奇跡みたいなことができるやつを、俺は一人しか知らない。そして攻防の相手は間違いなく“聖なる獣の化身”、あの人たちなのだろう。
なぜ、という疑問を、俺はひとまず置くことにした。だってあの人たちはもともとジアンナさんを殺そうとしていたのだから。
(俺にできることなんか、何もないかもしれないけど……)
少なくとも俺が遭遇した化身は、とんでもない魔法量をなんでもない顔で放出するおそろしい相手だった。第二聖人リルケの予言した本物の勇者がいて、聖人ヴェルニの聖騎士であるジャンくんがいて、コセムがいる。ただ勇者と予言された凡人でしかない俺が行ったところで、足手まとい以下かもしれない。
でも、この顔ぶれで治癒魔法を使えるのは俺だけだ。彼女が怪我をしていたら、治してあげられる。イドの町でしたように守ってあげられる。
そうだ、と俺はユグノくんの現した彼の身の丈ほどもある大刀を見て思った。ジャンくんの両手に現れた美しい二刀を見て思った。
戦いが終わったら、彼女にお礼を言おう。俺なんかを頼ってくれてありがとうって言って、それから、さよならを言おう。
だってもう「本物」がいる。コセムとユグノくんにはリルケさまとの接点があるし、まじわった二つの世界についての証言者としてきっと彼女を守ってくれるはずだ。
俺の役目はおしまい。
この先に俺は、必要ない。
「……ッ」
『勇者の剣』に指を半端にかけたまま足の止まってしまった俺を、鋭い声が呼んだ。アレク、とコセムが怒鳴るように言う。
「どうせおまえがいたところで何の役にも立たん! 連中は俺たちが食い止めるから、彼女を連れてさっさとここを離れろ!」
あちこちで爆発音が続いているから、そうしないと声が届かないのだ。相手の攻撃を魔法で相殺し、目くらましのように粉塵の幕を張ったところで、コセムが後方を指さす。
場にいる化身の数は三。第五番聖都でも戦った赤い髪のアウスはジャンくんが、初めて見る残り二人はコセムとユグノくんがそれぞれ応戦していた。第五番聖都やイドの町で見た“ルウイ”は、この場にはいないようだ。
それでも風と、水と雷。コセムの言うことはもっともだと思ったので、俺はコセムの示した方へ走る。
「アレクくん!」
ジアンナさんはコセムが魔法で作りだした風の壁で守られていた。内側から押すと解除される仕組みらしく、飛び出してきたジアンナさんが勢いのまま俺に抱きつくように衝突する。そのとき彼女の頬に擦り傷のようなものがあることに気づいたけれど、彼女の必死な声に押し流されてしまった。
「コセムくんを助けて!」
ジアンナさんがくり返す。たった一人であの化身三人を相手にし続けたコセムは、満身創痍だった。いくらあいつが天才とはいえ、それに、いつまでも無尽蔵に魔法を使い続けられるわけじゃない。それでもあいつに助けの手は必要なのかと俺は思ってしまう。
だってあいつは皆に期待されている天才で、俺はその影みたいな存在で。なんだって一人でできたし、助けてもらうのはいつも俺の方だった。だからそんな俺が嫌になって、あいつはあいつにふさわしい、ちゃんとした勇者のもとへ行ったのだと――。
ジアンナさんが悲鳴をあげる。化身の一人が一つ一つが大岩ほどもある氷のつぶてを生み出したかと思うと、コセムに向かって打ち放ったのだ。
突然の局地的な大雨のように降り落ちたそこへ、コセムの姿が一瞬のうちに埋もれる。俺にできたのは、駆けだそうとしたジアンナさんを引きとめることだけだった。
頭が、うまくまわらない。
そのうちにジアンナさんの目が俺を向いた。ジャンくんが、それからユグノくんが、それぞれに相対する化身たちから解放されないまま、俺に向かって何かを叫ぶのが見える。
「次だ」
単純な引き算だ。化身は三人いて、ジャンくんとユグノくんが一人ずつ相手にしているのだから、コセムが倒れた今、もう一人は。
あ、死んだ。
そう思った次の瞬間、けれど目の前に迫っていたはずの死は横から強烈な一打をくらわせるような炎によって乱暴に跳ねのけられた。俺じゃない。ジアンナさんでもない。ジャンくんでも、ユグノくんでもなかった。
じゃあ誰だ。
コセムだった。
全身を自らの血で濡らし、摩擦熱による煙をおなじように体のあちこちからたてながら、コセムが笑っていた。ざまーみろ、と口が動いて、今度こそその場に倒れる。
「コセム!」
弾かれたように駆け寄って、俺はコセムの体を抱き上げた。焼き切れてしまったような頭のまま夢中で治癒魔法を唱えると、ほとんど止まっていたコセムの呼吸が戻る。
どうして、と、そのまま気を失った彼に問うた。だって、天才だって言われてた。俺のこともういいって言った。そのままのたれ死んでしまえというように全部奪われて。
なのになんで俺なんかを。
「アレクくん」
いつのまにかジアンナさんがそばにいて、ジャンくんと、ユグノくんもいた。二人ともぼろぼろだった。
ジアンナさんが上着を脱ぐ。くるむようにコセムへかけると、立ってと俺に言った。
「ちゃんと話、しよ。コセムくんと。きいてみよう、アレクくんが思ってること全部」
「……でも、」
「わたしも知ってるよ。アレクくんが本当はすごいんだってこと」
きみはすごいんだよ。
ジアンナさんのアイスブルーのひとみがきらきらと、とびきりの宝物を映すような光をたたえて俺を見上げた。俺をあわれんで言っているわけではない、確信に満ちた声だった。まるで見てきたみたいに。そして現金な俺は彼女の言葉に簡単にうれしくなってしまうのだった。
きみが言うのなら、そうなのかもしれないね。
そう思えるのは、つないだ手から流れ込んでくるこのぬくもりが何度か俺に奇跡を与えてくれたことを知っているからだ。だけど今はもっと奥底にさらに力強い気配があるのを感じる。地熱のようにしずかに滾るそこへ、俺は手を伸ばしてみる。
俺も行けるだろうか、この先へ。きみが見てくれた「俺」に会いにいけるだろうか。
行こう、とジアンナさんが言う。自分からも彼女の手を握り返して、俺はうなずいた。
強くなりたい。
「きみの隣で、二度とうつむかないように」
俺だって。
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