悪役令嬢が最弱(モブ)勇者を育ててみたらレベル99の最強に育った

タチバナ

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#50 『さよなら』

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 空の色が塗り替えられていく。青から赤へ。野菜や果物、織物や宝飾品をならべた屋台が、それまで談笑のあちこちから聞こえていた通りが、それから、崩れて瓦礫に変わった。煤と砂埃を含んだ風がすすり泣きのような音をたてて去っていく。
 そこはとうに死に絶えた廃墟の街だった。俺たちはやはり夢を見ていたのだろうか。そんな、とつぶやいたのはコセムだったかもしれない。俺は文字通り目と鼻の先で笑む綺麗な顔にぞっとする。速い。

「アレクくん、コセムくん!」

 いったん距離をとってから見るとコセムが大刀を持った金髪の青年と戦っているところだった。遠目にも男前とわかる精悍な美男子は、初めて見るのになぜか初めて会った気がしない。
 というかあの大刀って。
(まさか)

 俺が思い至ったのとジャンくんが距離をつめてきたのは同時だった。ケーキにナイフをさしこむようにジャンくんの剣先が俺の胸元にとびこんできて、思わず「ヒエッ」って声がでた。たぶんプレートが割れたんだろう、胸元がスカスカする。
 俺が「ジャンくん」の剣技を見たのはわずか一回、第五番聖都で彼が化身アウスと戦ったときだけだ。「ラアルさん」の体術はさいわい何度か目にしたけど、どちらにしても彼がとことん近接攻撃に特化しているということだった。ジアンナさんの言葉を借りれば「スペシャリスト」と言っていい。

(む、無理無理無理いいいいいっ)

 速い。とにかく速い。
 剣二本持ってるのになんなのその速さ。なんでそんなたくさん動けるの? っていうくらい速い。そのくせ一つ一つの所作が綺麗で洗練されていて、見入っている間に相手は彼に仕留められてしまうのだろう。
 強い。
 相手の強さがわかるのも強さというけれど、俺たちの力量差、技術差は歴然たるものだった。まあそれはアウスとの戦いを見た時点でわかっていたことだ。
 加えて身長差がより俺を不利にする。唯一勝っているとすれば力だった。『二爪にそう』から『四爪よんそう』へ馬力をあげて跳ね返す。ぎりぎり防御だとしてもみっともなくても、ようは懐に入れさえしなければいいのだ。

「このっ……しっかりしろよ! ヴェルニさまのかたき討ちをするんじゃなかったのかよ!」
「!」

 あともう二、三度もうちあえば死ぬだろうなと思いながら怒鳴る。とくに狙ったつもりはなかったけれど、ぴく、と一瞬ジャンくんの動きが鈍った。もちろんその隙を俺は逃さない。以前に勇者たちにしたようにジャンくんを正気に戻すことに成功する。
「ジャンくん!?」
 パタッとジャンくんがその場に気をうしなって、俺はすぐさまコセムのことを思い出した。同じようにユグノくんを操っていた邪悪な力を浄化すると同じようにユグノくんも倒れてしまう。
 二人を無力化してやれやれと息をつく間はなかった。俺たちはいつのまにか魔物の群に囲まれていて、ジアンナさんがそのうちの体の大きな一体にとらわれていた。

「アレク!」

 コセムを信じて『ゴスペル』を唱える。鋭い刃のような風が魔物の腕ごとジアンナさんを回収し、直後魔物を棺のようにおさめた氷の柱が立った。そこを起点に大小の氷柱が野のように広がってあっという間に街をおおいつくしてしまう。ひび割れたそれがこなごなに砕けて、次には白い霧となって消えた。
 終了。

(怖っ……)
 味方でよかったって今ほど思ったことないよね。怖くない? 氷の柱が立ってから三秒も数えないうちに終了って怖くない? どう少なく見積もっても一〇〇以上はいた魔物を三秒で霧にかえちゃうって俺の幼なじみ怖すぎじゃない? あれだけ大規模な魔法使って涼しい顔してるしやっぱり俺がコセムと一緒に予言されたのって絶対何かの間違いだったと思うんですよね。
 ともかくもジャンくんとユグノくんを魔法で治癒しておく。ジアンナさんがぼうぜんとジャンくんのそばにすわりこんだ。

「ラアルさまって、剣も使えるんだ……」

 あれ? 俺さっきジャンくんのことちゃんと「ラアルさん」って呼んだかな?
(ジアンナさんは「ジャンくん」が戦ってるところも見てるし)
 正体わかっちゃったかも?
 わざとじゃない、わざとじゃないんだ。どうしようどうやって謝ろう。とか思ってたらジアンナさんがうっとりと言った。

「二刀の美少女推せる。かっこいい……」

 あ、大丈夫だったみたい。
 ジャンくんのために「よかったなあ」と思う一方、ジアンナさんに対して「それでいいの?」と俺は声を出して問いたいような気持になる。いや、ジアンナさんがいいなら俺はいいんだけど。
「ユグノくんて普通に美男子だね?」
 俺はひとり滅びた第二番聖都を眺めていたコセムに声をかける。たぶんだけどもし世界中の人々に『勇者』の特徴を聞くことができたら、おそらくユグノくんみたいになるんじゃなかろうか。
 それがいったいどういう経緯であんな残念な山男になってしまったのか。コセムの返答は「うるさい、俺が知るか」だった。

「……あ」

 ふわりと宝玉を思わせる光がジャンくんから現れた。もう一つ、続いてユグノくんから現れて、それらが溶けるようにジアンナさんに吸い込まれていく。あとひとつ、とジアンナさんがひとりごちるように言った。
「ジアンナさん」
 それって大丈夫なの?
 続けた言葉は、しかし空が割れるような地響きによってかききえてしまう。現れたのは真っ黒なドレスに身を包み、邪悪な魔力をまとった静暁の魔女だった。



          *



 やばい、とを一見して思う。「怖い」とか「強そう」じゃなくて「やばい」だった。まず何がやばいって、魔女の全身を包んで炎のようにたちのぼっている魔力だ。黒く逆巻く暴風のような隙間から時折、生き物のように赤い光が舌をのぞかせる。
(これは――)

 干上がった喉を俺は無理やり動かした。そうしないと呼吸を忘れてしまいそうだった。
 魔力というのは炎や氷といった魔法事象がどこから、何によって発生するのかという起源を俺たちが仮定した呼称であって、本来目に見えるものではないとされている。だからたとえば魔力のある人間を解剖したとしても、各種臓器のような器官を確認することはできない。それでも俺にはジアンナさんやコセムの魔力を感じることができるし、二人もおそらくそうだろう。

 実に不思議なことだけど、基本的には炎や氷といった魔法的変換を経て初めて視認できるもの、それが魔力だ。
 なのに俺は今、視えないはずのそれをはっきりと見ているのだった。コセムもジアンナさんも息を呑んで目の前の信じがたい光景を見つめている。

(まさか)

 俺はふと自分が震えていることに気づいた。恐怖? 畏怖? 違う。いや、たしかに怖いけど、そのために震えているのではなかった。
(まさかこの俺が静暁の魔女と戦うことになるなんて……)
 ささやかな感傷だ。
 治癒呪文だけが取り柄の最弱勇者。きっと別のちゃんとした『勇者』が役目を成すのだろうと思ってた。たとえば、ユグノくんとかジャンくんのような。

「大丈夫」

 俺の内心を読んだようにそっと、ジアンナさんのあたたかな手のひらが俺の手を包む。彼女のひとみはまっすぐで、このおそろしい光景を受け止め、かつたちむかう覚悟を決めているようだった。
「アレクくんなら、できるよ。絶対」
 ジアンナさんが言う。
「絶対大丈夫」
「……うん」

 強すぎる魔力が空に巨大な渦を作って、そこへとがれきをゆっくりと吸いあげていく。雪のように宙を泳ぐ石塊を見、それから俺は足もとのジャンくんとユグノくんへと目を移した。二人ともまだ目を覚ましてくれそうにない。
 俺も覚悟を決めた。具体的には『ゴスペル』が無効だったことで背中を押された感じだ。あれこれ考えるのは苦手だから、かえって気が楽になったくらいだ。
「『二爪』!」
 ジアンナさんの声が凛と響く。『四爪』から『八爪』へと一気に最大まで出力をあげて、俺は駆けだす。この魔法のすごいところは、数字が大きくなるごとに付与される力が累乗されていくことだ。八までくると魔女の魔法攻撃を自分で弾き返すことができたけど、俺はジャンくんのように器用ではないので、数が増えればそれだけ遅れてしまう。けれどついに一度も攻撃をくらうことはなかった。コセムが後方から援護してくれているのだ。

(『俺ならできる』)

 向かい風のように連続でやってくる魔女の魔法が赤や青、さまざまな色をまといながら俺の視界端に落ちていく。五感の絶えたようなひどく静かな世界の中で、俺はただ彼女の言葉をくりかえしていた。俺ならできる。
「行け、アレク!」
 いける。コセムの声に確信を重ねて吼えるように気合の声を吐く。中空の魔女にどうやって地上から攻撃を届かせるべきかと思案する必要はなかった。俺の足底はごく当たり前のように空へと続く不可視の階段をとらえていて、魔女の整った目鼻立ちやひとみの色までも見えるほどに近づいていた。

 できる。
 何度目かのくり返しに押されるようにそのとき、俺の中でひときわ大きな音が響く。拘束具から解き放たれるような、あるいは窮屈で邪魔な壁を突き破ったかのような解放感を体現するかのように剣が大きく丈を伸ばした。二刀を解いたそこに『八爪』の出力とコセムの魔力があわさって黄金色に輝く。それを、俺は魔女へと大上段から叩きつけた。

「『――』」

 魔女の動きが停止して、やがて光に焼かれるようにして消えていく。勝った。
 勝ったの、本当に?
 信じられない思いのまま、俺は呟く。

「倒した。……俺が、静暁の魔女を?」

 地面に着地しても信じられなくて頬をつねっていたら、コセムに後ろからどつかれた。
「馬鹿、夢じゃねえよ」
 やったな、と言われる。はは、コセム、口調が昔に戻ってる。
 って言いたかったけど、そのまま俺はコセムともども地面に倒れこんでしまう。魔力も気力も何もかも根こそぎもっていかれたように、指一本、もう動かすことができない。

「ジアンナさん――」
「やったね、アレクくん、コセムくん」

 肩で大きく呼吸をする俺たちを見、ジアンナさんが言う。それから、俺に。
「言ったでしょ? アレクくんは、すごいんだよ」
「うん――」
 答えながら俺は、息苦しさを感じる。どうしてだろう、静暁の魔女を倒したのに、おそろしくてならない。こんなに近くにいるのに、たしかにそばにいるのに、きみを遠く感じるのはどうしてなんだろう。
「……」

 音もなくジアンナさんの唇が俺のそこに重なって、離れた。キスをされたのだと俺は遅れて理解する。ジアンナさんは微笑んでいたけれど、どうしてか俺には彼女が泣いているように見えた。
 空の渦は消えない。魔力まじりの風が不穏な気配を残したまま過ぎていって、やがて彼女が立ち上がる。
「ジアンナさん……?」
 彼女は振り向かないままそちらへ進んでいく。それまでなかったはずの黒い長身の影のもとへ。

「『よくやった、聖暁の乙女』」

 貧相な程やせほそり背中にコウモリのような羽を生やした魔物は、おどろいたことに化身アウスのようだった。圧倒されるほど強かったジャンくんの仇。
 俺で最後だ、と今にも絶えそうな声が弱々しく笑う。そう、たしかに彼は笑ったのだった。? 俺は何かに急かされるように剣へと手を伸ばす。

 
 静かにほぐれて散っていく塵の流れが正体のわからないままに俺の不安を煽っていく。だめだ、と俺は衝動的に叫んだ。
 だめだ、を受けいれてはいけない。
 彼女にそれを与えてはいけない。

 白い宝玉の光がこの世の破滅よりもおそろしいものに見えた。なぜ大丈夫だと思っていたんだろう、なぜ疑問に思わなかったのだろう。聖人さまを殺して、化身たちは宝玉を集めていた。

「だめだ、だめだ――!」

 だめだ、だめだと馬鹿みたいにくりかえしながら俺は必死に地面を掻く。うそつき、と罵った。馬鹿野郎、間抜け、無能。今まで生きてきて誰にも言ったことのないようなあらゆる罵詈雑言を自分に投げつける。
 何が、きみの嘘はもう俺にはきかない、だ。

 深い水底を掻いているように体が重い。ちっともいうことを聞いてくれない。ついに一歩分も前に進むことのかなわないまま、どしゃっと俺は顔面から転んだ。顔をあげる。
「ジアンナさん!」
 ドン、と空が爆発した。



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