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chapter.001《邂逅》
#017_物質を再現した現象④
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準物質の構造は、物質とほぼ同じだ。
物質は、原子から規則正しく並ぶことで形を成している。
だから準物質は、点電荷を規則正しく並べることで、物質と同じ構造を実現している。
物質同士の接触とは、原子同士の接触=電子同士の反発力が限界となるところまで近づくことだ。
だから準物質の点電荷には、電子と同じだけの電気量を持たせることで、仮想的な電子として扱っている。
「やってるのはこういうことでしょ? かなり物質に忠実な構造になってると思うんだけど……」
そんな俺の言葉を、リースは前提から否定する。
「いや、そもそも点電荷を使ってる時点で忠実じゃない」
「? どういうこと?」
「準物質の生成には点電荷を使ってるけど、実際の物質は原子からできてる。そして原子は陽子と中性子から成る原子核と、そのまわりに浮かぶ電子雲でできている」
「電子雲?」初めて聞く言葉だ。
「そう。ミキヒトは原子核の周りを電子が回ってるって言ったよね? でも、それって実は正しくないんだよ、量子力学的には」
「えっ、そうなの?」
教科書にも載ってることなのに?
「荷電粒子には制動放射っていう特性があって、簡単に言うとこれは『荷電粒子が加速度を持って運動しているとき、その粒子は電磁波を放射する』っていう特性なの。これはまさに、原子中の電子に当てはまる」
電子は原子核の作る電磁場のよって動きが曲げられて、原子核の周りをぐるぐる回っている。円運動ってことは加速度運動ってことだ。たしかに当てはまる。
「ということは、原子中の電子は制動放射の特性によって、電磁波を放出していることになる。じゃあ、その電磁波になるエネルギーはどこから消費されると思う?」
「それは……電子自身の持つエネルギー?」
「そう。電子の持つ運動エネルギーや位置エネルギー……具体的には、遠心力のエネルギーが消費されていくことになる。つまり遠心力が弱くなる」
「うん、それで?」
「もし電子が原子核の周りをぐるぐる回り続けてるんだとすれば、それは原子核が電子を引っ張るクーロン力と遠心力が釣り合ってるからだよね? でも制動放射のせいで電子が遠心力を失えば、相対的にクーロン力が強くなって、いずれ電子は原子核に吸い込まれて、陽子と結合して中性子になる」
「あっ、なるほど」
「わかった? 制動放射という特性のせいで、すべての原子はいずれ必ず中性子になる……つまり崩壊することになる。けど、実際にはそうなってない」
「それが量子力学のおかげってこと?」
「おかげというか、性質の問題。量子力学の基礎で、光は粒子であり波でもある、っていうのは知ってる?」
「それは知ってる」
物理の授業でヤングの二重スリットの実験を見たことがある。
レーザーポインターの光をスリットに通すと、光が干渉し合って縞模様を作る実験だ。光は光子だけど波でもあるから、干渉縞ができるのである。
「じゃあその性質が電子にも当てはまるっていうのは?」
「それは……電子も粒子であり波でもある、ってこと?」
「そう。もし電子が粒子の場合、さっき言った古典力学の法則によって、原子は崩壊することになる。けど実際にはそうなってない。これはなんでかって言うと、原子中の電子が粒子ではなく波で存在していて、原子核の周りを波の形で漂っているから。その電子の波が原子を取り囲む雲のように見えるから、電子雲って呼ばれてる」
電子雲か。
そんなの物理の教科書には載ってなかった。まぁ、高校レベルの教科書に量子力学のことなんて書くわけないか。
「電子雲は言わば、電子の存在確率の分布。電子はその雲の中のどこからに必ず存在しているんだけど、具体的にどこに存在しているのかは確定していない。原子核のすぐそばにあるかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「ああ、なるほど。だから原子は崩壊しないのか」
原子核と電子の結合が起こるとすれば、それが起こる瞬間は電子の位置が確定してる必要があるだろう。どこに存在するかわからない電子相手に、結合という現象が起きるわけがない。
「いやでも、そしたらなんで電子雲は原子の回りを漂ってるんだ? 位置が確定してないなら、原子核の回りにあるとは限らなくない?」
「それは単純に、電子雲が電子としての性質を失うわけではないからだよ」
「……つまり?」
「電子雲も電子と同じく、電磁場を形成してる。負の電気量を持ってる。だから原子核に引きつけられる。結合はしないけどね」
電子雲は電子としての性質を持ったまま、位置が確定してないだけの存在ってこと?
いまいちピンとこない。量子力学はわけわからんな。
「いま説明した通り、電子雲は電磁場を形成する。……で、この電磁場を準物質で再現してるわけじゃない」
リースがそう言ってくれたおかげで、俺はいま準物質の話をしてる最中だったと思い出す。
たしか「準物質は物質の構造の忠実に作られてる」と俺が言ったら、リースがそれは違うと否定して……。
「電子雲の作る電磁場を術式で再現するとなれば、原子の構造のついての詳しい知識が必要になるし、仮に知識があったとしても、かなり複雑の術式を作らなきゃいけなくなる」
電子の存在確率の波が作る電磁場を計算する……なんて、よく理解してない俺にも面倒なことがわかる。
「複雑な術式っていうのは魔術師にとっても面倒だし、それに術者にとっても都合が悪い」
「術者にとっても?」
「複雑な術式っていうのは、たいてい術式単位が多い。それは起動しなきゃいけない工程が増えるってことだから、そうなると要求される魔術能力が高くなって、術式を起動できる人が限られることになる」
準物質の売りは、物質生成より要求される魔術能力が低いことにある。
物質の構造を忠実に再現しようとすれば、複雑な電子雲を作ることになり、そのメリットを潰すことになるわけだ。
「だから準物質生成術式には、点電荷を使ってるの。電子雲なんて再現しなくても、物質と似たような振る舞いをさせるだけなら、点電荷で事足りるから」
「簡略化できるところはそうしたほうが楽ってことね」
「そういうこと。無駄な工程を省いたり、必要な部分だけ残してうまく近似できれば、術式的にも現象的にも整理できて、術式の起動時間やエネルギー量も減らせられる。もちろん省くべきでない工程も、逆に追加する必要がある工程もあるにはあるんだけど、トータルで見ると、もとの現象より省略・近似されてるのが一般的」
すこしくらい知識が荒くても、現象の要点さえ押さえていれば再現可能ってことだ。その分、記述すべき術式の量も減らせるし、魔術師にとっては嬉しい点ばかり。
術式の量が減ったなら実行すべき工程が減って、術者にとってもメリットになる。
まさにwin-winだ。
「だからまぁ、魔術では、そこまで対象を忠実に再現しなくても、現象を起こすことは可能だってこと。現象のアウトラインさえ崩さなければ、ディテールは近似して簡略化してもいい。むしろそうしたほうが術式の内容もシンプルになるし、起動時の時間もエネルギーも、短縮……できる……」
言いながら、リースの言葉尻が弱くなっていった。
「どうしたの?」
「……そうか、簡略化。現象のアウトラインさえそのままなら、ディテールは簡略化していいんだ」
「? うん、それが?」
「電子雲を点電荷に近似したように、点電荷自体もなにか別の形に近似できれば、エネルギー効率があがるかもしれない」
「! なるほど!」
近似して無駄な工程を省く。それを行ったうえでの点電荷だったが、その点電荷をさらに近似してしまおうってことか。
「ってことは、どこを省けるのかを考えればいいってことだよね?」
「うん。だけどその前に、前提に戻る必要がある」
とリースはすこし落ち着いた口調に戻った。
「前提条件、つまり要件定義。今回作るのは『メンテナンス不要な剣』。つまり忠実に再現する必要があるのは物質ではなく剣という形状」
「剣としてのアウトラインさえ保っていれば、別に物質に忠実じゃなくてもいいってことね。じゃあ考えるべきは、原子構造みたいに並んだ点電荷を、いかに簡略化して剣の形に近似するか?」
「そうしよう。アイデアある?」
「まずは極端なパターンから」と俺はリースに提案する。「剣という形状そのものを、一個の電子として考える」
いままでは原子一個を点電荷に近似してたけど、今度は剣そのものを一個の仮想電荷に近似するのだ。具体的にどういう仮想電荷になるのかなんて考えちゃいないけど、ひとまず思考の方向性だけはこれでいいと思う。
「ずいぶん大胆で極端な近似ね」
ずっと口を出さなかったティーが、俺の意見に微笑んだ。
「極端なパターンは大事でしょ」と俺は軽口を叩く。「大丈夫、これが答えの、極端な選択肢になるなんて思ってないよ」
「それならいいわ」
満足なのか安堵なのかよくわからないが、とにかく上機嫌そうな表情のまま、ティーは紅茶タイムへと戻っていった。
「で、剣の形の電荷を考える場合、まずどうする?」
改めてリースに問うと、彼女は即答した。
「近似する」
「近似って、どんな?」
「剣っていう複雑な形を、計算可能な形に近似する。今回作るべき刀身の形は覚えてる?」
「えっと……菱形の直方体に、同じ菱形の四角錐を載せたような形。じゃあ、直方体の電荷と四角錐の仮想電荷を作るってこと?」
「より厳密に、数学的観点から言えば、面の部分を仮想電荷としたほうがいいと思う。直方体と四角錐の各面を、それぞれを面状の仮想電荷……いわば面電荷に近似するってこと。多面体を一気に計算するより、面っていう単純な形状のほうが、計算が楽」
面電荷とは聞き覚えのない言葉だ。リースの作った造語だろうか。
だが、言いたいことは理解できる。要するにアレだろう。
電荷が一様に分布した無限に広がる平面。
物理の教科書なんかでよく見る設定だ。設問では電荷の面密度や距離が与えられ、そこから電荷を求めることを問われたりする。ガウスの法則を用いれば簡単に解ける問題だ。
そしてそれは逆に、作りたい電場から逆算すれば、面電荷に与えるべき電荷量などがわかるということだ。
いまから作る面電荷は無限に広いわけじゃないから、なにかしらの応用を効かせる必要はあるだろうけど、それでも法則さえわかっているのなら術式に組み込むことが可能だ。
「……ああ、わかってきた。もとの術式の悪いところ」
リースが呟いた。俺に聞かせるというよりは、独り言のような感じだ。
「点電荷はロスなんだ。隣り合う点電荷同士が干渉して、そのぶんエネルギーを無駄に消費してしまってる」
「……どういうこと?」
「同じ電荷同士は近づけると反発する。これは点電荷でも同じってこと」
「ああ! わかったそういうことね」
同じ電荷同士、つまり負の電荷同士は近づけると反発する。
物質で例えると、電子同士は近づけると反発する、と言える。そして反発する電子同士を近づけたままにするためには、それ相応のエネルギーが必要となる。
では、これを準物質で忠実に再現するとどうなるだろう?
「準物質で生成する点電荷には、マイナスの電気量を印加する。つまり点電荷同士は負の電荷同士であり、近づけると反発する。点電荷は実体を持たない電荷だけど、外からの力を受けると位置ずれを起こすし、定義位置からずれると魔術的な復元力が働いて、もとの位置に戻ろうとする。この復元力にはエネルギーが使われている」
「自分で作った点電荷同士が互いに押し合って、それを留め置くために無駄なエネルギーを使ってるってことか。でも面電荷を使えば、この無駄な反発は考慮しなくていい」
「そう。そして魔術にとって、考慮しなくていいものは存在しないのと一緒」
物理の問題でも、一様に電荷分布した無限に広がる平面という例題を考える際、分布した電荷同士の反発は考慮しなくてもよい。
なぜなら、考慮せずとも正しい電場を求めることができるからだ。
そして、考慮しなくてもよいというのは、魔術にとって存在しないことに等しい。
「最初に説明したけど、そもそも点電荷っていうのも球状の体積を持つ電荷を近似したもの。実際には体積が存在してるけど、計算の上では考慮しなくていいから、点電荷っていう仮想の電荷に近似することができる。そしてこれを魔術に転用すれば、体積が存在しない電荷という仮想電荷を作り出せる。魔術においては『体積を考慮しない=体積が存在しない』という非現実的な電荷がまかり通るってこと」
『考慮しない=存在しない』。わかりやすくていい法則だ。
これを面電荷に適用すれば、次のように考えることができる。
「『電荷同士の反発を考慮しない=電荷同士の反発は存在しない』ことにできる。つまり、電荷同士の反発で無駄になってたエネルギーは消費されない……ってことね」
「その通り。まぁ、菱形と四角錐、各面同士での反発はあるかもしれないけど、それでもずっとマシになるはず。いったんこの路線で、具体的な術式を考えてみよう」
物質は、原子から規則正しく並ぶことで形を成している。
だから準物質は、点電荷を規則正しく並べることで、物質と同じ構造を実現している。
物質同士の接触とは、原子同士の接触=電子同士の反発力が限界となるところまで近づくことだ。
だから準物質の点電荷には、電子と同じだけの電気量を持たせることで、仮想的な電子として扱っている。
「やってるのはこういうことでしょ? かなり物質に忠実な構造になってると思うんだけど……」
そんな俺の言葉を、リースは前提から否定する。
「いや、そもそも点電荷を使ってる時点で忠実じゃない」
「? どういうこと?」
「準物質の生成には点電荷を使ってるけど、実際の物質は原子からできてる。そして原子は陽子と中性子から成る原子核と、そのまわりに浮かぶ電子雲でできている」
「電子雲?」初めて聞く言葉だ。
「そう。ミキヒトは原子核の周りを電子が回ってるって言ったよね? でも、それって実は正しくないんだよ、量子力学的には」
「えっ、そうなの?」
教科書にも載ってることなのに?
「荷電粒子には制動放射っていう特性があって、簡単に言うとこれは『荷電粒子が加速度を持って運動しているとき、その粒子は電磁波を放射する』っていう特性なの。これはまさに、原子中の電子に当てはまる」
電子は原子核の作る電磁場のよって動きが曲げられて、原子核の周りをぐるぐる回っている。円運動ってことは加速度運動ってことだ。たしかに当てはまる。
「ということは、原子中の電子は制動放射の特性によって、電磁波を放出していることになる。じゃあ、その電磁波になるエネルギーはどこから消費されると思う?」
「それは……電子自身の持つエネルギー?」
「そう。電子の持つ運動エネルギーや位置エネルギー……具体的には、遠心力のエネルギーが消費されていくことになる。つまり遠心力が弱くなる」
「うん、それで?」
「もし電子が原子核の周りをぐるぐる回り続けてるんだとすれば、それは原子核が電子を引っ張るクーロン力と遠心力が釣り合ってるからだよね? でも制動放射のせいで電子が遠心力を失えば、相対的にクーロン力が強くなって、いずれ電子は原子核に吸い込まれて、陽子と結合して中性子になる」
「あっ、なるほど」
「わかった? 制動放射という特性のせいで、すべての原子はいずれ必ず中性子になる……つまり崩壊することになる。けど、実際にはそうなってない」
「それが量子力学のおかげってこと?」
「おかげというか、性質の問題。量子力学の基礎で、光は粒子であり波でもある、っていうのは知ってる?」
「それは知ってる」
物理の授業でヤングの二重スリットの実験を見たことがある。
レーザーポインターの光をスリットに通すと、光が干渉し合って縞模様を作る実験だ。光は光子だけど波でもあるから、干渉縞ができるのである。
「じゃあその性質が電子にも当てはまるっていうのは?」
「それは……電子も粒子であり波でもある、ってこと?」
「そう。もし電子が粒子の場合、さっき言った古典力学の法則によって、原子は崩壊することになる。けど実際にはそうなってない。これはなんでかって言うと、原子中の電子が粒子ではなく波で存在していて、原子核の周りを波の形で漂っているから。その電子の波が原子を取り囲む雲のように見えるから、電子雲って呼ばれてる」
電子雲か。
そんなの物理の教科書には載ってなかった。まぁ、高校レベルの教科書に量子力学のことなんて書くわけないか。
「電子雲は言わば、電子の存在確率の分布。電子はその雲の中のどこからに必ず存在しているんだけど、具体的にどこに存在しているのかは確定していない。原子核のすぐそばにあるかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「ああ、なるほど。だから原子は崩壊しないのか」
原子核と電子の結合が起こるとすれば、それが起こる瞬間は電子の位置が確定してる必要があるだろう。どこに存在するかわからない電子相手に、結合という現象が起きるわけがない。
「いやでも、そしたらなんで電子雲は原子の回りを漂ってるんだ? 位置が確定してないなら、原子核の回りにあるとは限らなくない?」
「それは単純に、電子雲が電子としての性質を失うわけではないからだよ」
「……つまり?」
「電子雲も電子と同じく、電磁場を形成してる。負の電気量を持ってる。だから原子核に引きつけられる。結合はしないけどね」
電子雲は電子としての性質を持ったまま、位置が確定してないだけの存在ってこと?
いまいちピンとこない。量子力学はわけわからんな。
「いま説明した通り、電子雲は電磁場を形成する。……で、この電磁場を準物質で再現してるわけじゃない」
リースがそう言ってくれたおかげで、俺はいま準物質の話をしてる最中だったと思い出す。
たしか「準物質は物質の構造の忠実に作られてる」と俺が言ったら、リースがそれは違うと否定して……。
「電子雲の作る電磁場を術式で再現するとなれば、原子の構造のついての詳しい知識が必要になるし、仮に知識があったとしても、かなり複雑の術式を作らなきゃいけなくなる」
電子の存在確率の波が作る電磁場を計算する……なんて、よく理解してない俺にも面倒なことがわかる。
「複雑な術式っていうのは魔術師にとっても面倒だし、それに術者にとっても都合が悪い」
「術者にとっても?」
「複雑な術式っていうのは、たいてい術式単位が多い。それは起動しなきゃいけない工程が増えるってことだから、そうなると要求される魔術能力が高くなって、術式を起動できる人が限られることになる」
準物質の売りは、物質生成より要求される魔術能力が低いことにある。
物質の構造を忠実に再現しようとすれば、複雑な電子雲を作ることになり、そのメリットを潰すことになるわけだ。
「だから準物質生成術式には、点電荷を使ってるの。電子雲なんて再現しなくても、物質と似たような振る舞いをさせるだけなら、点電荷で事足りるから」
「簡略化できるところはそうしたほうが楽ってことね」
「そういうこと。無駄な工程を省いたり、必要な部分だけ残してうまく近似できれば、術式的にも現象的にも整理できて、術式の起動時間やエネルギー量も減らせられる。もちろん省くべきでない工程も、逆に追加する必要がある工程もあるにはあるんだけど、トータルで見ると、もとの現象より省略・近似されてるのが一般的」
すこしくらい知識が荒くても、現象の要点さえ押さえていれば再現可能ってことだ。その分、記述すべき術式の量も減らせるし、魔術師にとっては嬉しい点ばかり。
術式の量が減ったなら実行すべき工程が減って、術者にとってもメリットになる。
まさにwin-winだ。
「だからまぁ、魔術では、そこまで対象を忠実に再現しなくても、現象を起こすことは可能だってこと。現象のアウトラインさえ崩さなければ、ディテールは近似して簡略化してもいい。むしろそうしたほうが術式の内容もシンプルになるし、起動時の時間もエネルギーも、短縮……できる……」
言いながら、リースの言葉尻が弱くなっていった。
「どうしたの?」
「……そうか、簡略化。現象のアウトラインさえそのままなら、ディテールは簡略化していいんだ」
「? うん、それが?」
「電子雲を点電荷に近似したように、点電荷自体もなにか別の形に近似できれば、エネルギー効率があがるかもしれない」
「! なるほど!」
近似して無駄な工程を省く。それを行ったうえでの点電荷だったが、その点電荷をさらに近似してしまおうってことか。
「ってことは、どこを省けるのかを考えればいいってことだよね?」
「うん。だけどその前に、前提に戻る必要がある」
とリースはすこし落ち着いた口調に戻った。
「前提条件、つまり要件定義。今回作るのは『メンテナンス不要な剣』。つまり忠実に再現する必要があるのは物質ではなく剣という形状」
「剣としてのアウトラインさえ保っていれば、別に物質に忠実じゃなくてもいいってことね。じゃあ考えるべきは、原子構造みたいに並んだ点電荷を、いかに簡略化して剣の形に近似するか?」
「そうしよう。アイデアある?」
「まずは極端なパターンから」と俺はリースに提案する。「剣という形状そのものを、一個の電子として考える」
いままでは原子一個を点電荷に近似してたけど、今度は剣そのものを一個の仮想電荷に近似するのだ。具体的にどういう仮想電荷になるのかなんて考えちゃいないけど、ひとまず思考の方向性だけはこれでいいと思う。
「ずいぶん大胆で極端な近似ね」
ずっと口を出さなかったティーが、俺の意見に微笑んだ。
「極端なパターンは大事でしょ」と俺は軽口を叩く。「大丈夫、これが答えの、極端な選択肢になるなんて思ってないよ」
「それならいいわ」
満足なのか安堵なのかよくわからないが、とにかく上機嫌そうな表情のまま、ティーは紅茶タイムへと戻っていった。
「で、剣の形の電荷を考える場合、まずどうする?」
改めてリースに問うと、彼女は即答した。
「近似する」
「近似って、どんな?」
「剣っていう複雑な形を、計算可能な形に近似する。今回作るべき刀身の形は覚えてる?」
「えっと……菱形の直方体に、同じ菱形の四角錐を載せたような形。じゃあ、直方体の電荷と四角錐の仮想電荷を作るってこと?」
「より厳密に、数学的観点から言えば、面の部分を仮想電荷としたほうがいいと思う。直方体と四角錐の各面を、それぞれを面状の仮想電荷……いわば面電荷に近似するってこと。多面体を一気に計算するより、面っていう単純な形状のほうが、計算が楽」
面電荷とは聞き覚えのない言葉だ。リースの作った造語だろうか。
だが、言いたいことは理解できる。要するにアレだろう。
電荷が一様に分布した無限に広がる平面。
物理の教科書なんかでよく見る設定だ。設問では電荷の面密度や距離が与えられ、そこから電荷を求めることを問われたりする。ガウスの法則を用いれば簡単に解ける問題だ。
そしてそれは逆に、作りたい電場から逆算すれば、面電荷に与えるべき電荷量などがわかるということだ。
いまから作る面電荷は無限に広いわけじゃないから、なにかしらの応用を効かせる必要はあるだろうけど、それでも法則さえわかっているのなら術式に組み込むことが可能だ。
「……ああ、わかってきた。もとの術式の悪いところ」
リースが呟いた。俺に聞かせるというよりは、独り言のような感じだ。
「点電荷はロスなんだ。隣り合う点電荷同士が干渉して、そのぶんエネルギーを無駄に消費してしまってる」
「……どういうこと?」
「同じ電荷同士は近づけると反発する。これは点電荷でも同じってこと」
「ああ! わかったそういうことね」
同じ電荷同士、つまり負の電荷同士は近づけると反発する。
物質で例えると、電子同士は近づけると反発する、と言える。そして反発する電子同士を近づけたままにするためには、それ相応のエネルギーが必要となる。
では、これを準物質で忠実に再現するとどうなるだろう?
「準物質で生成する点電荷には、マイナスの電気量を印加する。つまり点電荷同士は負の電荷同士であり、近づけると反発する。点電荷は実体を持たない電荷だけど、外からの力を受けると位置ずれを起こすし、定義位置からずれると魔術的な復元力が働いて、もとの位置に戻ろうとする。この復元力にはエネルギーが使われている」
「自分で作った点電荷同士が互いに押し合って、それを留め置くために無駄なエネルギーを使ってるってことか。でも面電荷を使えば、この無駄な反発は考慮しなくていい」
「そう。そして魔術にとって、考慮しなくていいものは存在しないのと一緒」
物理の問題でも、一様に電荷分布した無限に広がる平面という例題を考える際、分布した電荷同士の反発は考慮しなくてもよい。
なぜなら、考慮せずとも正しい電場を求めることができるからだ。
そして、考慮しなくてもよいというのは、魔術にとって存在しないことに等しい。
「最初に説明したけど、そもそも点電荷っていうのも球状の体積を持つ電荷を近似したもの。実際には体積が存在してるけど、計算の上では考慮しなくていいから、点電荷っていう仮想の電荷に近似することができる。そしてこれを魔術に転用すれば、体積が存在しない電荷という仮想電荷を作り出せる。魔術においては『体積を考慮しない=体積が存在しない』という非現実的な電荷がまかり通るってこと」
『考慮しない=存在しない』。わかりやすくていい法則だ。
これを面電荷に適用すれば、次のように考えることができる。
「『電荷同士の反発を考慮しない=電荷同士の反発は存在しない』ことにできる。つまり、電荷同士の反発で無駄になってたエネルギーは消費されない……ってことね」
「その通り。まぁ、菱形と四角錐、各面同士での反発はあるかもしれないけど、それでもずっとマシになるはず。いったんこの路線で、具体的な術式を考えてみよう」
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