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chapter.001《邂逅》
#018_物質を再現した現象⑤
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「……よし、いくよ」
リースが自分に対してそう言った。
彼女の手には一本の剣が握られている。
鋼鉄の刀身を持った直剣だ。ただし、その刃には鋭さがない。その理由は、それがただの衝撃分散用のクッションだからである。
「《基本術式:抜刀》」
そう唱えると、金属刀身は黄色い発光体を帯びた。
準物質。それをコーティング剤として使用した新たな刀剣。
彼女はそれを俺に渡してくる。
「術式は私が起動しておくから、ミキヒトは起動しないで。基本術式を使わなくても、待機状態にするのもだめ」
待機状態というのは、術式に意識を集中させることだ。
術式とは、そこに意識を定めただけで発動してしまうもの。
この剣の場合、《基本術式》の音声入力をするまでは起動していないように見えるが、実はそうではない。最初にリースの言う待機状態にしなければ、いくら音声入力をしても刀身は生成されない。
言い換えると、音声入力があるまでは、この魔術具は待機状態という現象を持続している、と言える。
この状態の意味は、いわゆる安全装置だ。
もしこの機構がなければ、この魔術具は術者が意識を集中させただけで刀身を作り出してしまう。もしカバンの中に入れっぱなしにしていて、うっかりカバンに意識を集中させてしまい、意図せず刀身を生成してしまう……なんてことが起こり得る。
こういった術式の誤起動を防ぐための安全機構。それが《基本術式》の役割である。
……と、俺は考えている。
正直、よくは理解できてない。そもそもなんで意識を集中させるだけで現象が起こるのか。現象のイメージをしなくても、頭をからっぽにしてても、なんなら術式の効果を知らなくても、集中さえできれば術式は所定の現象を起こしてくれる。どういう原理なんだろ。
そんな関係のないことをぼんやり考えることで、術式そのものに意識がいかないように注意する。手に持ってるものを意識的に意識しないようにするって難しいな。
「それじゃ、またあれを斬ってみて」
リースが示したのは、庭に不自然に立っているオブジェクト、鋼鉄製の柱だ。
最初に出したのは《拡張術式:振動》で斬り倒してしまったが、いつの間にやらもとの形に戻っている。ティーの仕業だろう。わざわざ直してくれているということは、彼女も改善した術式にすこしは期待してくれているということだろうか。
俺は剣を構える。右手で持ち、腰の左側に剣をやる。
身体強化魔法を使い、右腕に力を込める。筋肉が膨れ上がるような内側からの圧力を腕に感じながら、俺は斬る相手を見据えた。
いま術式を起動してるのはリースだ。だから準物質の強度は、彼女の魔術能力に依存している。
その剣で、鋼の柱が斬れるかどうか。
フッと息を吐き、腕の圧力に弾かれるようにして、俺は剣を振るった。
ギィン! と刃が鋼鉄の柱に衝突する。
術式の修正以前、リースの生成した準物質は、俺の腹をすり抜けた。
そしていま、術式の修正後、彼女の生成した準物質は、鋼鉄の柱にわずかながら喰い込んでいる。
「おおお……!」
「《基本術式:納刀》」
剣を柱から引っこ抜くと、リースがすかさず術式を閉じる。
準物質コーティングを失った鋼鉄の刃をまじまじと観察し、指でなぞったり、さまざまな角度から凝視して……、
「……うん、こっちに傷はないみたい」
「じゃあ成功? 成功でいいんだよね?」
「うん、成功」
「おああよかったぁ……」
リースと散々言い合って作った術式だ。 成功して嬉しい、というよりは安堵のほうが大きい。
……いや、『散々言い合った』なんて見栄を張るのはよそう。この術式の九割以上はリースが構築したものだ。
というか改めて思ったのだが、この少女はすごい。
この小さな頭のどこに入ってるのかと問いたくなるような知識量。そしてそれを活かし切れるだけの柔軟な思考力。
術式の基本的な方針を決めてしまってからは、彼女は数式を解く数学者のように術式素を並び立て、淀みなく術式を構築してしまった。
ティーがリースに言っていた『術式構築の才能がある』という言葉。その意味をしかと理解できた。
「よし、じゃあ次。どれだけ拡張術式を組み込めるか」
才能があるうえ、好きすぎるのはすこし難点かもしれないが……、
「まだやるんですか……?」と俺が言う前に、
「今日はそろそろお開きにしましょう。日が暮れるわ」とティーが切り出しだ。
実験をやり出したときにはまだ高かった太陽が、もう傾きかけている。木々の隙間を抜けてくる光は橙色だ。
「食事にしましょう。リース、貴方、食べられないものはある?」
「ないけど……もしかしてティーが作るの?」
すこし驚いたように言ったリースに、ティーは首を横に振る。
「いえ、私は料理はできないわ。代わりに持ってくることはできる」
そう言ってティーはまた姿を消し、そして現れた。
今回、彼女が持って帰ってきたのは、ルーズリーフに書かれた魔術式ではない。
「これは……」
どこの貴族だと言いたくなるような、豪勢なオードブル。
肉ばかりのメインディッシュがみずみずしい野菜や果実に彩られ、さらには年代物らしきワインボトルまで添えられている。食器はすべて銀製で、ワイングラスには精緻な細工。明らかに庶民の食事じゃない。テーブルや椅子も無駄に装飾の凝った逸品に変わっている。
「どこの貴族から盗んできた……」
「盗んではいないわ。複製しただけ」
「どっちみち貴族の料理ってことね」
「さ、いただきましょう」
俺は相変わらず戸惑ってしまったが、リースは困惑する様子もなく着席して銀のカラトリーを手にしている。もう精霊の非常識さに慣れたのか? 適応力すごい……。
みんなで食事を始めると、俺たち二人に向かってティーが問いかける。
「今回の術式、その反省点はどこにあると思う?」
彼女の視線が、まず俺を向いた。
「あー……準物質の、物質を再現するっていう特性にこだわりすぎたこと? リースも言ってた通り、現象のアウトラインさえ崩さなければーーってやつを、もっときちんとやっておくべきだった」
「それはそうね。けれど、もっと踏み込んでみましょう」
次に視線を受けたのはリースだ。
リースは食事の手を休め、口元を拭いてから答える。
「応用力が足りてなかった。たぶん、私の視点が基礎研究に寄りすぎてたんだと思う」
「……どういうこと?」
俺が訊くと、リースのブレスレットから青白い光が吹き出した。
それは線状に伸び、さまざまな文字、数式、グラフ、術式を虚空に描いていく。
数式の一部には、アルファベットなどのあっちの世界の記号なんかが見受けられる。もしかして、ジェイク・メイヴィスが残した研究書か?
「そもそも準物質っていうのは、ご先祖様が考え出した概念。物質に準じた現象を起こす術式。私はただ、それを応用したに過ぎない」
光文字の一部が赤色に変わる。魔術式だ。
「ご先祖様が残した術式は、種類はいろいろあったんだけど、どれも物質再現性の高い術式だった。エネルギー効率とか術者への配慮は度外視で、ひとまず準物質という現象を起こせるかってことだけのフォーカスした、実験的な術式」
「どういう術式?」
「電子雲の説明はしたよね? ご先祖様は、その電子雲の作る電磁場から再現した『電子雲モデル』の術式を作ってた」
「物質に準じた現象を起こすという観点から考えるなら、彼の構築した『電子雲モデル』は非常に完成度の高い術式だったと言えそうね」
ティーの言葉にリースは頷く。
「実際、ご先祖様は電子雲モデルを使っていろんな実験をしてた。準原子同士の干渉とか、準物質特性の創発とか、魔術法則の解析とか、いろんなことをやってた……んだけど、一つ問題があった」
「え、なに?」
「この電子雲モデル、術式としての使い勝手がかなり悪かったらしい。すこしの応用を効かせるだけでも、かなり複雑な改変が必要になってたみたい」
なんかそれは想像できるな。
だって電子雲って、量子レベルの電子が存在確率として分布してるとかいうわけわからん状態のことでしょ? そんな術式をいちいち実験毎に改変するなんて、面倒に決まってる。
「で、これを嫌ったご先祖様が次に開発したのが『点電荷モデル』。これは私たちが剣を作るのに使ったのとは違う、原子配列まできちんと再現されたモデルのことを指す」
剣を作った点電荷は、刀身の中身は中空で表面の魔術的復元力にエネルギー全振りのモデルだった。
ジェイク・メイヴィスの『点電荷モデル』はそうじゃなくて、きちんと中身までぎっしり、それも実在の原子配列を(面心立方格子とか体心立方格子とか、もっと複雑な原子配列まで)忠実に再現されていたらしい。
「この点電荷モデルからは、さすがに電子雲モデルほど精度は高くなかったけど、それでも充分な実験結果は得られてたみたい。たとえば、魔術的復元力って話したよね?」
「点電荷の起点となる点が外力によってずれたとき、ずれた点がもとの位置に戻ろうとする力……だったっけ?」
「そう。それを解析したのが、これ」
リースが指差した先が赤い光に変わる。
数式とグラフだった。
左辺がF=で始まる数式、その右辺にはさまざまなアルファベットが組み合わされている。
その一つ一つの文字がなにを示すのか、俺には知る由もない。
だが一方で、示されたグラフはとても単純な形状だった。
縦軸F・横軸rの直交座標。そして直線のグラフだ。
rが増加すればするほど、Fも増加する比例グラフ。
「……アルファベットのrは、もしかして、距離?」
「そのあーるっていうのはわからないけど、横軸は距離……点電荷の定義位置からのずれを表してる」
「うん。で、縦軸は力……魔術的復元力の大きさを表してて、それ以外のアルファベットは定数」
「そう。まったくの定数か、変動はするけど基本的には定数扱いできる変数」
「……じゃあ、つまり、魔術的復元力っていうのは、距離によってしか変動しないのか」
「そうなるね。まるでバネみたいに」
バネの復元力の公式は単純だ。
F=-kx。力は距離に比例する。
そしてバネの弾性エネルギーの公式も、また単純。
E=(1/2)kx^2。エネルギーは距離の二乗に比例する。
力とエネルギーは微積の関係にある。力の式を微分すればエネルギー式が得られ、エネルギー式を積分すれば力を示す式を求められる。
つまり、そんなバネと同じ構成で示させる魔術的復元力もまた同じであると言えるだろう。
定義位置からずれればずれるほど復元する力は大きくなり、それ以上に消費するエネルギーは増加する。
そしてそれだけそちらに割かれるエネルギー配分が大きくなると、点電荷の電磁場を維持するために割けるエネルギーが減少し、すり抜ける準物質になってしまう。
俺が漠然としか理解できてなかった準物質の仕組みが、数式には自明として証明されている。
「……すごいな、これ。こういう研究を、ジェイク・メイヴィスはやってたのか」
「うん、すごいよね。ご先祖様がやって準物質研究は、こういった特性の解明や魔術法則を解析する基礎理論の研究だった。私とは違う」
リースは宙に描いた数式やグラフを消し、また新たに描いた。
これは見覚えがある。さっきまで話して作った術式だ。
「私たちがやろうとしていたのは、準物質を実用化するための応用研究。同じ準物質に関する研究でも、その方向性はまるで違う」
「……ジェイク・メイヴィスがやってたのが理学だとすれば、俺たちがやってるのは工学ってことか」
理学でやるのは、根本原理とか法則を解き明かす研究。
工学でやるのは、理学で解き明かされた法則をもとに、モノづくりをやる研究。
「というか魔術においては、前者を魔術理学、後者を魔術工学って呼んでる」
「そのまんまね。わかりやすいけど」
「うん。わかりやすい」
そう答えたあと、リースの表情がすこし陰る。
「……わかりやすいのに、私は混同してた。私がやろうとしてたのは魔術工学、効率的な準物質生成術式の構築と、魔術具の作成。けど、私の頭は魔術理学をやろうとしてたんだと思う」
「それは、準物質というのがジェイク・メイヴィスの残した研究だったからでしょうね」
そう指摘したのはティーだ。
「貴方、最初に『ご先祖様の残した術式を整理しつつ、ミキヒトの魔術装置としての力量を確かめたい』って言ってたの、覚えているかしら?」
「ああ……うん、覚えてる」
「貴方は『先人の術式の整理とミキヒトの力量』が目的で、今回の研究を始めたはず。けれどいつの間にか、『メンテナンス不要な剣を作ること』に目的がすり替わっていた。貴方の意識しないうちにね」
「うん。……思い返してみれば、ティーはヒントを与えてくれてたんだね」
「えっ、嘘」と俺は驚いてしまった。「ヒント? いつ?」
「『最初に行うべきは、要件定義の見直しよ』って言ってくれてたとき。それで私は『メンテナンス不要な剣を作ること』が今回の要件だと答えた。要件っていうのは、つまり達成すべき目的のこと。この時点でもう、私は無意識のうちに目的を変えてしまってた。……自分で当初とは違う目的を語っていたことに、気づくべきだった」
「そうね。目的が変わったのなら当然、それを達成するための手法も変えなければならない。そこで気がつけていれば、簡略化手法という発想はもっと早くに出ていたでしょう」
「だろうね。魔術能力の要求水準を下げるために、簡略化という手法を取るのはごく一般的なことだから」
簡略化手法っていうのはあれか。現象のアウトラインをそのままに、ディテールを簡略化する手法のことか。
いやでも、その会話だけで目的が変わってたことに気づけっていうのは、すこし無理あるんじゃない……?
と俺は思ったのだが、ティーもリースもそうは思ってないみたいなので口には出さないでおく。
「今回は偶然、議論の末に簡略化手法にたどり着いたけれど、本当は議論なしにたどり着くべきだった。それが今回の、貴方たちの反省。わかったかしら?」
「うん、よくわかった」
そうリースは答えるが、俺は正直、ピンときていない。
「うーん……要するに、目的意識をしっかり持てってことで、合ってますか……?」
恐る恐る訊くと、ティーは頷いてくれた。
「ええ、それがわかっていればいいわ。というわけで、リース」
ティーがリースに向き直る。
「改めて訊くわ。貴方の、今後の目的はなに?」
リースが自分に対してそう言った。
彼女の手には一本の剣が握られている。
鋼鉄の刀身を持った直剣だ。ただし、その刃には鋭さがない。その理由は、それがただの衝撃分散用のクッションだからである。
「《基本術式:抜刀》」
そう唱えると、金属刀身は黄色い発光体を帯びた。
準物質。それをコーティング剤として使用した新たな刀剣。
彼女はそれを俺に渡してくる。
「術式は私が起動しておくから、ミキヒトは起動しないで。基本術式を使わなくても、待機状態にするのもだめ」
待機状態というのは、術式に意識を集中させることだ。
術式とは、そこに意識を定めただけで発動してしまうもの。
この剣の場合、《基本術式》の音声入力をするまでは起動していないように見えるが、実はそうではない。最初にリースの言う待機状態にしなければ、いくら音声入力をしても刀身は生成されない。
言い換えると、音声入力があるまでは、この魔術具は待機状態という現象を持続している、と言える。
この状態の意味は、いわゆる安全装置だ。
もしこの機構がなければ、この魔術具は術者が意識を集中させただけで刀身を作り出してしまう。もしカバンの中に入れっぱなしにしていて、うっかりカバンに意識を集中させてしまい、意図せず刀身を生成してしまう……なんてことが起こり得る。
こういった術式の誤起動を防ぐための安全機構。それが《基本術式》の役割である。
……と、俺は考えている。
正直、よくは理解できてない。そもそもなんで意識を集中させるだけで現象が起こるのか。現象のイメージをしなくても、頭をからっぽにしてても、なんなら術式の効果を知らなくても、集中さえできれば術式は所定の現象を起こしてくれる。どういう原理なんだろ。
そんな関係のないことをぼんやり考えることで、術式そのものに意識がいかないように注意する。手に持ってるものを意識的に意識しないようにするって難しいな。
「それじゃ、またあれを斬ってみて」
リースが示したのは、庭に不自然に立っているオブジェクト、鋼鉄製の柱だ。
最初に出したのは《拡張術式:振動》で斬り倒してしまったが、いつの間にやらもとの形に戻っている。ティーの仕業だろう。わざわざ直してくれているということは、彼女も改善した術式にすこしは期待してくれているということだろうか。
俺は剣を構える。右手で持ち、腰の左側に剣をやる。
身体強化魔法を使い、右腕に力を込める。筋肉が膨れ上がるような内側からの圧力を腕に感じながら、俺は斬る相手を見据えた。
いま術式を起動してるのはリースだ。だから準物質の強度は、彼女の魔術能力に依存している。
その剣で、鋼の柱が斬れるかどうか。
フッと息を吐き、腕の圧力に弾かれるようにして、俺は剣を振るった。
ギィン! と刃が鋼鉄の柱に衝突する。
術式の修正以前、リースの生成した準物質は、俺の腹をすり抜けた。
そしていま、術式の修正後、彼女の生成した準物質は、鋼鉄の柱にわずかながら喰い込んでいる。
「おおお……!」
「《基本術式:納刀》」
剣を柱から引っこ抜くと、リースがすかさず術式を閉じる。
準物質コーティングを失った鋼鉄の刃をまじまじと観察し、指でなぞったり、さまざまな角度から凝視して……、
「……うん、こっちに傷はないみたい」
「じゃあ成功? 成功でいいんだよね?」
「うん、成功」
「おああよかったぁ……」
リースと散々言い合って作った術式だ。 成功して嬉しい、というよりは安堵のほうが大きい。
……いや、『散々言い合った』なんて見栄を張るのはよそう。この術式の九割以上はリースが構築したものだ。
というか改めて思ったのだが、この少女はすごい。
この小さな頭のどこに入ってるのかと問いたくなるような知識量。そしてそれを活かし切れるだけの柔軟な思考力。
術式の基本的な方針を決めてしまってからは、彼女は数式を解く数学者のように術式素を並び立て、淀みなく術式を構築してしまった。
ティーがリースに言っていた『術式構築の才能がある』という言葉。その意味をしかと理解できた。
「よし、じゃあ次。どれだけ拡張術式を組み込めるか」
才能があるうえ、好きすぎるのはすこし難点かもしれないが……、
「まだやるんですか……?」と俺が言う前に、
「今日はそろそろお開きにしましょう。日が暮れるわ」とティーが切り出しだ。
実験をやり出したときにはまだ高かった太陽が、もう傾きかけている。木々の隙間を抜けてくる光は橙色だ。
「食事にしましょう。リース、貴方、食べられないものはある?」
「ないけど……もしかしてティーが作るの?」
すこし驚いたように言ったリースに、ティーは首を横に振る。
「いえ、私は料理はできないわ。代わりに持ってくることはできる」
そう言ってティーはまた姿を消し、そして現れた。
今回、彼女が持って帰ってきたのは、ルーズリーフに書かれた魔術式ではない。
「これは……」
どこの貴族だと言いたくなるような、豪勢なオードブル。
肉ばかりのメインディッシュがみずみずしい野菜や果実に彩られ、さらには年代物らしきワインボトルまで添えられている。食器はすべて銀製で、ワイングラスには精緻な細工。明らかに庶民の食事じゃない。テーブルや椅子も無駄に装飾の凝った逸品に変わっている。
「どこの貴族から盗んできた……」
「盗んではいないわ。複製しただけ」
「どっちみち貴族の料理ってことね」
「さ、いただきましょう」
俺は相変わらず戸惑ってしまったが、リースは困惑する様子もなく着席して銀のカラトリーを手にしている。もう精霊の非常識さに慣れたのか? 適応力すごい……。
みんなで食事を始めると、俺たち二人に向かってティーが問いかける。
「今回の術式、その反省点はどこにあると思う?」
彼女の視線が、まず俺を向いた。
「あー……準物質の、物質を再現するっていう特性にこだわりすぎたこと? リースも言ってた通り、現象のアウトラインさえ崩さなければーーってやつを、もっときちんとやっておくべきだった」
「それはそうね。けれど、もっと踏み込んでみましょう」
次に視線を受けたのはリースだ。
リースは食事の手を休め、口元を拭いてから答える。
「応用力が足りてなかった。たぶん、私の視点が基礎研究に寄りすぎてたんだと思う」
「……どういうこと?」
俺が訊くと、リースのブレスレットから青白い光が吹き出した。
それは線状に伸び、さまざまな文字、数式、グラフ、術式を虚空に描いていく。
数式の一部には、アルファベットなどのあっちの世界の記号なんかが見受けられる。もしかして、ジェイク・メイヴィスが残した研究書か?
「そもそも準物質っていうのは、ご先祖様が考え出した概念。物質に準じた現象を起こす術式。私はただ、それを応用したに過ぎない」
光文字の一部が赤色に変わる。魔術式だ。
「ご先祖様が残した術式は、種類はいろいろあったんだけど、どれも物質再現性の高い術式だった。エネルギー効率とか術者への配慮は度外視で、ひとまず準物質という現象を起こせるかってことだけのフォーカスした、実験的な術式」
「どういう術式?」
「電子雲の説明はしたよね? ご先祖様は、その電子雲の作る電磁場から再現した『電子雲モデル』の術式を作ってた」
「物質に準じた現象を起こすという観点から考えるなら、彼の構築した『電子雲モデル』は非常に完成度の高い術式だったと言えそうね」
ティーの言葉にリースは頷く。
「実際、ご先祖様は電子雲モデルを使っていろんな実験をしてた。準原子同士の干渉とか、準物質特性の創発とか、魔術法則の解析とか、いろんなことをやってた……んだけど、一つ問題があった」
「え、なに?」
「この電子雲モデル、術式としての使い勝手がかなり悪かったらしい。すこしの応用を効かせるだけでも、かなり複雑な改変が必要になってたみたい」
なんかそれは想像できるな。
だって電子雲って、量子レベルの電子が存在確率として分布してるとかいうわけわからん状態のことでしょ? そんな術式をいちいち実験毎に改変するなんて、面倒に決まってる。
「で、これを嫌ったご先祖様が次に開発したのが『点電荷モデル』。これは私たちが剣を作るのに使ったのとは違う、原子配列まできちんと再現されたモデルのことを指す」
剣を作った点電荷は、刀身の中身は中空で表面の魔術的復元力にエネルギー全振りのモデルだった。
ジェイク・メイヴィスの『点電荷モデル』はそうじゃなくて、きちんと中身までぎっしり、それも実在の原子配列を(面心立方格子とか体心立方格子とか、もっと複雑な原子配列まで)忠実に再現されていたらしい。
「この点電荷モデルからは、さすがに電子雲モデルほど精度は高くなかったけど、それでも充分な実験結果は得られてたみたい。たとえば、魔術的復元力って話したよね?」
「点電荷の起点となる点が外力によってずれたとき、ずれた点がもとの位置に戻ろうとする力……だったっけ?」
「そう。それを解析したのが、これ」
リースが指差した先が赤い光に変わる。
数式とグラフだった。
左辺がF=で始まる数式、その右辺にはさまざまなアルファベットが組み合わされている。
その一つ一つの文字がなにを示すのか、俺には知る由もない。
だが一方で、示されたグラフはとても単純な形状だった。
縦軸F・横軸rの直交座標。そして直線のグラフだ。
rが増加すればするほど、Fも増加する比例グラフ。
「……アルファベットのrは、もしかして、距離?」
「そのあーるっていうのはわからないけど、横軸は距離……点電荷の定義位置からのずれを表してる」
「うん。で、縦軸は力……魔術的復元力の大きさを表してて、それ以外のアルファベットは定数」
「そう。まったくの定数か、変動はするけど基本的には定数扱いできる変数」
「……じゃあ、つまり、魔術的復元力っていうのは、距離によってしか変動しないのか」
「そうなるね。まるでバネみたいに」
バネの復元力の公式は単純だ。
F=-kx。力は距離に比例する。
そしてバネの弾性エネルギーの公式も、また単純。
E=(1/2)kx^2。エネルギーは距離の二乗に比例する。
力とエネルギーは微積の関係にある。力の式を微分すればエネルギー式が得られ、エネルギー式を積分すれば力を示す式を求められる。
つまり、そんなバネと同じ構成で示させる魔術的復元力もまた同じであると言えるだろう。
定義位置からずれればずれるほど復元する力は大きくなり、それ以上に消費するエネルギーは増加する。
そしてそれだけそちらに割かれるエネルギー配分が大きくなると、点電荷の電磁場を維持するために割けるエネルギーが減少し、すり抜ける準物質になってしまう。
俺が漠然としか理解できてなかった準物質の仕組みが、数式には自明として証明されている。
「……すごいな、これ。こういう研究を、ジェイク・メイヴィスはやってたのか」
「うん、すごいよね。ご先祖様がやって準物質研究は、こういった特性の解明や魔術法則を解析する基礎理論の研究だった。私とは違う」
リースは宙に描いた数式やグラフを消し、また新たに描いた。
これは見覚えがある。さっきまで話して作った術式だ。
「私たちがやろうとしていたのは、準物質を実用化するための応用研究。同じ準物質に関する研究でも、その方向性はまるで違う」
「……ジェイク・メイヴィスがやってたのが理学だとすれば、俺たちがやってるのは工学ってことか」
理学でやるのは、根本原理とか法則を解き明かす研究。
工学でやるのは、理学で解き明かされた法則をもとに、モノづくりをやる研究。
「というか魔術においては、前者を魔術理学、後者を魔術工学って呼んでる」
「そのまんまね。わかりやすいけど」
「うん。わかりやすい」
そう答えたあと、リースの表情がすこし陰る。
「……わかりやすいのに、私は混同してた。私がやろうとしてたのは魔術工学、効率的な準物質生成術式の構築と、魔術具の作成。けど、私の頭は魔術理学をやろうとしてたんだと思う」
「それは、準物質というのがジェイク・メイヴィスの残した研究だったからでしょうね」
そう指摘したのはティーだ。
「貴方、最初に『ご先祖様の残した術式を整理しつつ、ミキヒトの魔術装置としての力量を確かめたい』って言ってたの、覚えているかしら?」
「ああ……うん、覚えてる」
「貴方は『先人の術式の整理とミキヒトの力量』が目的で、今回の研究を始めたはず。けれどいつの間にか、『メンテナンス不要な剣を作ること』に目的がすり替わっていた。貴方の意識しないうちにね」
「うん。……思い返してみれば、ティーはヒントを与えてくれてたんだね」
「えっ、嘘」と俺は驚いてしまった。「ヒント? いつ?」
「『最初に行うべきは、要件定義の見直しよ』って言ってくれてたとき。それで私は『メンテナンス不要な剣を作ること』が今回の要件だと答えた。要件っていうのは、つまり達成すべき目的のこと。この時点でもう、私は無意識のうちに目的を変えてしまってた。……自分で当初とは違う目的を語っていたことに、気づくべきだった」
「そうね。目的が変わったのなら当然、それを達成するための手法も変えなければならない。そこで気がつけていれば、簡略化手法という発想はもっと早くに出ていたでしょう」
「だろうね。魔術能力の要求水準を下げるために、簡略化という手法を取るのはごく一般的なことだから」
簡略化手法っていうのはあれか。現象のアウトラインをそのままに、ディテールを簡略化する手法のことか。
いやでも、その会話だけで目的が変わってたことに気づけっていうのは、すこし無理あるんじゃない……?
と俺は思ったのだが、ティーもリースもそうは思ってないみたいなので口には出さないでおく。
「今回は偶然、議論の末に簡略化手法にたどり着いたけれど、本当は議論なしにたどり着くべきだった。それが今回の、貴方たちの反省。わかったかしら?」
「うん、よくわかった」
そうリースは答えるが、俺は正直、ピンときていない。
「うーん……要するに、目的意識をしっかり持てってことで、合ってますか……?」
恐る恐る訊くと、ティーは頷いてくれた。
「ええ、それがわかっていればいいわ。というわけで、リース」
ティーがリースに向き直る。
「改めて訊くわ。貴方の、今後の目的はなに?」
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理想を追いすぎて仲間を失った情熱ドワーフ
などなど、“迷える者たち”がどんどん集まってくる異種族スローライフ村が爆誕!
ところが世界では、バニッシュの支援を失った勇者たちがボロボロに……
魔王軍の侵攻は止まらず、世界滅亡のカウントダウンが始まっていた。
「もう面倒ごとはごめんだ。でも、目の前の誰かを見捨てるのも――もっとごめんだ」
これは、追放された“地味なおっさん”が、
異種族たちとスローライフしながら、
世界を救ってしまう(予定)のお話である。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
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断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
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異世界配信中。幼馴染みに捨てられた俺に、神々(視聴者)がコメントしてくるんだが。
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コルネ村で、幼なじみであり恋人でもあったユリアナと、ささやかな幸福を分かち合って生きていたロイド。
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主人公【相田理人(そうた りひと)】は帰宅後、自宅の扉を開いた瞬間視界が白く染まるほど眩い光に包まれた。
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