サムライ・フライヤー

星野谷千里

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5.再会

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 時宗が消えたとき、知世は一日中を泣いて過ごした。

 その数日前から、時宗の様子はおかしかった。

 聞くと、透明な本が目の前に現れたという。その本は、振り払うと消えるが、また目の前に出てくるらしい。そうして振り払った回数だけ、さらに遠い未来へと飛んでしまうそうだ。



「今の時間は大切にしたいが、知世殿には遠い未来ではなく、またすぐに会いたいでござるよ」



 知世はそう言ったときの時宗の悲しそうな笑顔を思い出す。



「私も会いたいよ……」





 あれから10年後(西暦2024年)。





 26歳の知世は、若くして研究医になっていた。普通の医者ではなくアメリカに留学して早々に博士号を取り、研究者となった。その後、また剣道場のある実家に戻ってきていた。



 知世には思うところがあり、時宗がいなくなった次の日から、人が変わったように勉強をし始めた。時間がない、というのが彼女の口癖になっていた。



「もう少しで最終段階の実験に入れるわ。 もう少し、あともう少しよ、時宗」



 実家の縁側に一人座って、うららかな春の西日を浴びながら、知世は時宗のことを想う。10年前の彼の笑顔は、昨日のことのように思い出すことができる。



 二人で和服を買った日の帰り道、街角で撮られた写真は、今でも例のホームページで見ることができる。



「時宗……会いたいよ」



 知世は少し涙のにじんできた目を閉じる。



 5月のやわらかい風が頬を撫で、庭の木々がさわさわと音を立てる。

 10年前と変わらない自宅の庭だ。



 ふと、人の気配がした。

 目を開けると、知世の目の前には依然と変わらない姿の時宗が立っていた。



「お久しぶりでござる、知世殿」

「こ、これは夢なの?」

「まだ寝るには早い時間でござるよ?」



 微笑む時宗に知世はサンダルも履かずに飛びついた。

 時宗はすこし重くなった知世をがっしりと抱きとめる。



「会いたかったよ、時宗」

「拙者もでござるよ、知世殿」

「ところで、わたしおばちゃんになっちゃった?」

「女っぽくなられた、でござるよ?」



 いたずらっぽく微笑む時宗の左頬に自分の右頬を合わせ、自分の身体を時宗にぎゅっと押しつけて、知世が囁く。



「じゃあ、あなたの女にしてくださるのかしら?」

「と、知世殿?」



 あたふたと知世を縁側に降ろす時宗に、知世は艶っぽく微笑みかける。

「私、年上になっちゃったのね」

「拙者は、ついさっきまで、知世殿と花火大会の話をしていたゆえ……」



「そうよね。 10年間も想い続けてた私との温度差が当然あるよね」

「10年も経っていたでござるか」



 時宗は、知世の横に腰を掛ける。

 すると、後ろではっと息を飲む声が聞こえた。

 時宗が振り返ると、少し老けた知世の両親が驚いた顔で立っていた。



「お久しぶりでござる」

 時宗が立ち上がって頭を下げると、知世の父親があんぐりと開けた口を一旦閉じ、おもむろに口を開いた。



「事情は聞いてはいたが、本当に変わらんな、君は……」

 時宗が知世の方を見ると、知世はこくりとうなずいて答えた。両親に一応事情を話しているようだ。



「しかし、信じられんことだ」

「まあまあ、驚きましたけど、お部屋はまだそのままよ、時宗さん」

 知世の母はショックからすぐに立ち直って、時宗に笑顔を向ける。



「少しの間ですが、またご厄介になりまする」



 時宗は頭を下げ、三人は和やかな雰囲気から、いきなり冷や水を浴びせられたように、時宗の言葉を噛みしめる。



「しばらくしたら、またあなたは……」

「拙者がいられる時間は、数ヶ月がいいところでござるので」



 時宗は悔しそうに答え、皆は口をつぐんだ。



「はいはい、おいしいものでも食べて元気付けましょうね」

 知世の母親は、沈んだ空気を晴らすようにそう言うと、知世を引っ張って台所に戻っていった。

 残された父親の方は、まだ半信半疑で時宗に質問する。



「君は、その……若作りとかじゃないだろうな?」

「化粧などしておらぬでござるよ?」

「しかし、もともと老けない顔とか」

「拙者も400年前に比べれば、随分老けたでござる」



 時宗が笑って答えると、父親はしかめていた顔をやっと元に戻した。



「たぶん、次に会えればわかるのだろうな。 いずれにしても、どうか娘を頼む」

「ええ、一緒には居られませんが、最後までお見届けするでござる」

「いや、知世は……っと、これは口止めされているんだったな」



 父親は言葉を濁す。

 その後は、食卓を囲んで、剣道場の話や、知世の話などで盛り上がり、その日の夜は瞬く間に過ぎていった。





 次の日、知世は時宗を自分の所属する研究室へ連れて行き、時宗の体中をミクロン単位で調べ始めた。

 時間を跳躍するための特殊な器官が彼の身体に存在しないことはすぐにわかった。しかし、どこまで調べても彼がどうやって時間を飛び越えることができるのかは、さっぱりわからなかった。



「でも、透明な本が見えるんだよね?」

「2、3ヶ月ほど経つと見え始めるでござるなぁ」

「それを手で払いのけると消えるんだよね?」

「手に感触はないが、ふわっと消えるでござる」



「うーん、それは明らかにジェスチャ操作系のシースルー・ユーザインタフェースだよねえ」

「な、なんでござるか?」



「いえ、こっちの話。 払いのけないで中の絵を触ったりもできるんだよね?」

「できるでござるが、一度右下の四角を触ったら、いきなり飛んでしまったでござる」

「ふーん、OKボタンかなぁ」

「桶でござるか?」



 そんなこんなで時宗に詳しく説明させたり、絵を描かせたりして、知世は時宗が透明な本と呼ぶ操作用ウィンドウの概要を知ろうとした。

 しかし、時間跳躍をキャンセルできそうなボタンは、さっぱり分からなかった。



 時間は刻々と過ぎていく。

 知世は、時宗の遺伝子を詳細に解析したところ、通常ではあり得ない異常な構成をいくつか見つけた。しかしそれは病気とは言えない程度の些細な異常にすぎず、その異常が時間跳躍の鍵を握っているとはとても思えないものだった。



 そしてさらに時間が過ぎ、とうとうまた、透明な本と呼んでいたウィンドウが時宗の前に現れ始めた。

 それでも知世はやっきになって、解決策を考え続け、8月も終わりに近づいてきた。



「知世殿、これ以上払いのけ続けると、次に会えるのは随分先になるでござるよ」

「押せそうなボタンは、いくつかあるみたいだけど、キャンセルボタンはわからないわ」

「きやんせるでござるか」

「恐らく手の動かし方で止められるのよ」

「ふむ、ただ払いのけないと飛んでしまうので、試す回数も限られるでござるよ」



「ああ……もうどうしたらいいの」

 頭を抱える知世の肩を時宗はそっと抱く。



「これも定めでござる」

「そんなことは受け入れられないわ!」

「しかたがないでござる。 ところで、来週は例の花火大会ではござらぬか?」



 時宗はいらいらしている知世に優しく声を掛ける。



「……そうね。 ここは10年前のデートの約束を果たしてもらおうかな」



 知世もこのままいらいらとした気持ちで時宗と過ごすことに、ためらいを覚えて始めていた。

 彼との残された時間は少ない。知世は、時宗と花火大会に出かけることにした。





 そしてやって来た花火大会の夕方。知世は久しぶりに10年前の浴衣を着て現れた。



「おお、相変わらず美しいでござる。 かんざしもよく似合ってござる」

「ついこの前の時のようでしょ?」

「ああ、本当に、ついこの前のことでござった」



 時宗が遠い目をしていると、知世が時宗の腕にからまってきた。知世の豊満な胸が時宗の腕に当たる。



「さあ、いきましょう」

「拙者の方が乙女のようでござるな」



 積極的な知世に苦笑いしながら、時宗は知世に連れられて電車やバスを乗り継ぎ、和歌山港近くの埠頭で行われる花火大会へと繰り出した。街の様子は10年前とそれほど変わらないが、音もなく静かに走る車が多い。



 「あっ、あの時のコスプレカップルじゃん!」



 いきなり声を掛けられて振り返ると、それぞれに子供を連れた女性の二人組が驚いた顔でこちらを指さしている。



「あ、どうも」

「これはご無沙汰でござるなぁ」

 二人が挨拶すると、女性達は時宗を指さしたまま固まっていたが、やがて気を取り直して尋ねる。



「また、写真撮ってもいい?」

「構わぬでござるよ」

 そうして、10年前と同じポーズと同じ男性で、女性だけが年を取った不思議な写真が撮られたのだった。





 花火大会が行われる港の近くに着くと、そこは人でごった返していた。知世と時宗は見物客の喧噪から少し離れた防波堤に腰を掛ける。

 しばらく前から時宗は浮かぬ顔だ。



「どうしたの?」

「さきほど、また透明な本を払いのけたでござる。 もうこれ以上、払いのけたくはござらぬ」

「そう…… もうすぐ行ってしまうのね」

「何年経とうとも、必ず会いに来るでござる」

「きっとよ」



 花火大会が始まった。歓声が上がる。知世はずっと時宗の腕に絡まったままだ。



「ねえ、このままひっついてたら、私も未来へ飛べないかな?」

「拙者も気になって、以前に色々と試してみたでござる。 が、生き物は一緒に飛べぬのでござる」

「私、あなたの刀ならよかったのに」

「だったら、拙者の唇が切れてしまうでござるよ」



 そう言って時宗は知世にキスをした。



 知世はうっとり目を閉じていたが、腕の中の感覚が突然に消え、はっとして目を開けた。



 クライマックスの花火が連続して打ち上がりはじめ、あたりは黄色い歓声に包まれる。

 その喧噪の中に、時宗の名を絶叫する知世の泣き声がかき消えていった。



 2024年8月31日の夜、彼は再び未来へと消えた。
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