異類婚姻カレンダー

三枝七星

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派生SS

買われた人魚(GL)

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(※「5月 天にも昇るこいのぼり」のその後のお話です)

 売りに出される家の池を潰そうとしたところ、作業員が人魚に襲われて怪我をした。この人魚を引き取ってもらえないだろうか。

 表向きは知られていない、けれどこの業界ではそこそこ名の通った好事家の元に、そんな話が舞い込んできた。彼は一も二もなく了承して、人魚を引き取ることにした。現地に自ら赴き、池の中から威嚇してくる小さなそれを、鯉の輸送用ケースに放り込む。凶暴だとは聞いていたが、人間たちにつつき回されて弱り始めていた。

 連れて帰り、大きな水槽に入れてやると、彼女は暴れた。

「あの子に会いたい!」
「あの子って誰だい?」
「あの家の子よ。まだ可愛い女の子。私、あの子がもっと小さい頃に一目見て好きになった。人間の成長は早いけど、成長してもやっぱり可愛らしかった。私とお話しして欲しかった。私に笑いかけて欲しかった。でも、あの子私のこと嫌がった。ひどいひどい。私、あの池から出られないんだから、会いに来てくれたって良いのに」

 さめざめと泣く。人魚の涙は真珠になるという。淡水パールかな、と期待したが、涙は涙だった。

 ひとしきり泣くと、彼女は怒りに燃えた目で好事家を見る。

「私をこんな所に連れてきたんだから、あの子に会わせて頂戴。さもないとここをめちゃくちゃにしてやるわ」

 同じ水槽には、貴重な水棲生物もいた。人魚ほどの珍しさではないから、背に腹は代えられぬとばかりに人魚をここに入れたのである。

「わかったわかった。では手を考えよう」
「絶対よ。絶対に会わせて」

 まずはその少女の素性を調べるところからだ。幸いにも、とっかかりはある。売りに出された家の持ち主、その親族だ。そう言うわけで、少女の素性はあっという間に割り出せた。写真を手に入れ、

「この子かい?」

 人魚に見せると、ぱっと顔が輝いた。

「そう! この子!」

 うっとりとした顔で、写真を見つめる。その表情はまさに、恋する乙女。

「見つかったのね?」
「見つかったが、連れてくるのは簡単じゃない」
「どうして」
「人間社会は君が思っているより面倒なんだよ。上手い手は考えるから少し待ってくれ」
「そう言って」

 また人魚の表情に怒気が宿った。

「そう言ってはぐらかすつもり? だったら承知しないわ。私はあなたたちよりずっと長生きなんだから。ずっと催促し続けるわよ」
「わかってるよ」

 好事家は女子高生を雇った。少女と仲良くなって、この家に招待してほしいと。その間に、特注の水槽を用意した。少女の肩くらいの高さまでのもの。

 身を乗り出した人魚が、彼女の首を抱けるように。

◆◆◆

 仲良くなって連れてくると言っても、そんなに簡単なことではないことを、好事家はよく知っていた。池の中で、物言わぬ鯉としか過ごしていない人魚にはわからないかもしれないが。現代では特に、他人の家に上がり込むことのハードルは上がっている。

 そんなことをしている内に、年を越え、春が過ぎ、鯉のぼりはしまわれ、梅雨に入った。狭い池から広い水槽に移されて、鯉より一回り大きいくらいだった人魚はすっかり大きくなっていた。

 その頃に、雇っていた女子高生から連絡が入った。目当ての少女を呼ぶ算段が立ったと。

 好事家はそれを、直前まで人魚に言わないことにした。万が一、当日になってどちらかが熱を出してしまって作戦中止にでもなれば、不履行の誹りを受けかねない。「これから帰る」と言う女子高生からのメッセージを受け取ってから、人魚へ報せに行く。

「君の探していた彼女だが、今日これからここへ来るぞ」
「まあ!」

 人魚は頬を手に当てた。

「嬉しい……やっと会える! 嬉しい! いつ来るの?」
「もう少しだ。君は我々よりずっと長生きなのだろう? 待てるね?」
「もちろんよ」

 人魚は何度も首を縦に振った。水が飛ぶ。
 
 数十分後、女子高生は「帰宅」した。目当ての少女を連れて。好事家はそれを、家の中に設置したカメラで見ている。

「比留間さんの家って大きいね」
「そうみたいだね。住んでるとよくわからないんだけど。ああ、ここだよ」

 女子高生は、少女を水槽の部屋に案内している。なかなか板に付いた演技だ。好事家以外にも彼女を雇う人間はいるらしい。つまり場数を踏んでいる。

「わっ、すごい」

 少女は水槽を見て歓声を上げた。人魚は水槽の中に入れてある、レイアウトの流木に隠れている。水槽の中には、色とりどりの魚たちが泳いでいた。少女が躊躇せぬように、鯉は入れていない。

 人魚が少女に愛を伝えた時に、少女はひどく怯えた様子だったと言う。人魚がそう言ったわけではない。その時の状況を思えばそうだろう、と言う推測でしかない。だが怯えて当然だろうとも思う。

 雇われた女子高生と少女が水槽に近付く。少女が水槽を覗き込んだその時に、人魚は流木の影から飛び出した。

「──あ」

 少女は絶句した。女子高生はそれを見て、静かに部屋を去り、扉を閉める。

「また会えたわ」
「ああ」

 やはり、少女はあの時も怯えていたのだろう、と好事家はカメラ越しの顔を見て納得した。

「酷いわ、あなたったら、あんな風に私のことを置いてけぼりにして」
「いや、どうして――」
「好きだと言ったじゃない」

 人魚はそう言って艶然と笑う。好意があれば昂ぶる笑みではあろうが、怯えた少女にとっては捕食者の含み笑いでしかない。凍り付いて立ち尽くした少女を、人魚は水槽から身を乗り出して抱きしめた。

「嬉しい」

 心からの恋慕。美しい純粋な気持ち。王子様ならきっとほだされてしまうような。けれど、それはおとぎ話のでの話だ。ここにいるのは、幼い頃から得体の知れない存在に怯え続けていた女の子。

 うっとりとした顔で少女を抱きしめていた人魚だが、やがてその顔が歪むのを好事家は目にした。

「熱い……」

 腕を解いて、水槽の中に逆戻りする。

「人間ってこんなに体温が高いのね。びっくりしちゃった……」

 少女はそれを聞いて、呪いが解けたように動き出した。踵を返して走り出し、部屋を飛び出したのだ。人魚は水槽から出られない。

「待って! どこに行くの! 私を置いていかないで!」

 人魚は再び、水槽から身を乗り出して叫んだが、相手は当然聞かない。女子高生は施錠まで指示されていなかったので、そのまま部屋を飛び出した。

 クラスメイトが、理由はわからないが自分と人魚を引き合わせようとしたことには気付いていただろう。だから、少女は自分をここに連れてきた女子高生を探すことはせず、そのままこの家を飛び出した。

◆◆◆

 好事家が水槽の部屋に入ると、人魚は水の中で泣いていた。

「また置いて行かれちゃった……」

 人間の体温の高さを知らなかった。この独りぼっちの怪物は、人間に触ることすら初めてだったのだ。始めて触れるところまで進んだ恋だっただろう。

「可哀想に」

 好事家は言葉だけねぎらいながら水槽の底を目視で探す。

 けれど、やっぱり人魚の涙は真珠になっていなくて、敷いた砂利の隙間に光るものは何もなかったのだった。
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