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第1話 事の起こり

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 東京郊外のとある町には、数日前に閉店した商業施設があった。閉店したばかりであったから、まだ店の中には什器類が残っている。
 そこに、Wエレクトロニクスという工学メーカーから打診があった。当社の警備用ロボットの夜間警備実験に、7営業日ほどそちらの建物を使わせてもらえないでしょうか、と。廃ビルであれば、万が一夜間にトラブルが起こったとしても、翌日の影響に差し支えることはない、と言うことである。商業施設の経営会社はそれにOKを出した。

 この経営会社は、N田セキュリティという警備会社と契約を結んでいた。工学メーカーはN田セキュリティに打診し、このビルの警備の経験がある人物にも協力して欲しい旨を申し込んだ。警備会社は了承し、浅見あさみという男性社員を始めとした数人を派遣することになった。

 浅見は身長182センチの31歳。大学時代にラグビーをやっていた偉丈夫で、酒をよく飲む豪快な男だった。この施設では、施設警備員として派遣されていたが、日中の見回りもたまに請け負っていた。彼のような体格の良い男がいると、抑止力になるのだ。なおかつ、彼は怖い物知らずでもあったので、多少クレーマーにすごまれても平気な顔をしていた。相手の怯えたり、不快に思っている顔を見るのが目的のクレーマーは、彼が平然としていると、悪態を吐いて去って行くのだ。

「あの辛気臭いところにまた行くんですか。しかも、警備ロボットって、商売敵しょうばいがたきみたいなものでしょう」
 上司から話をされると、彼はうんざりとした顔で返した。気心の知れた上司なので、思ったことはすぐに言ってしまう。相手は相手で苦笑しながら、
「まあ、そう言うな。人が足りないって場所にロボット行かせられるんだったら、俺たちはそれ以外の仕事ができるわけだし、一概に商売敵とも言えないよ」
 元々反対したいわけではない。単に言いたいことを言っているだけの浅見も、最終的には了解した。
「お前とは、Wエレクトロニクスの、森澤もりさわさんと言うメカニックも一緒に泊まり込むよ」
「女ですか?」
「馬鹿言え、男だよ」
 お互いににやにやしながら軽口を叩く。上司は小声で、
「結構金払いが良いんだよ。このロボットに社運でも懸けてるのかね。まあ、そう言うことだからひとつよろしく。あんまり失礼のないようにな。1日おきに交替だから、お前は奇数日目に行ってくれ」
「ウッス」
 浅見は頷いた。

 そして当日、見慣れた建物の警備室で上司と待っていると、時間の5分前にWエレクトロニクスの面々がやって来た。向こうの責任者と、担当の森澤、そして坊主頭のロボットが揃って並び、丁寧にお辞儀をする。驚いたことに、ロボットも頭を下げた。笑いそうになると同時に驚き、
「そんなこともできるんですか?」
 浅見がそう尋ねると、担当の森澤……背は浅見より少し低い、眼鏡にもじゃもじゃの縮毛の、作業着を着た男だった……が真面目な顔で頷いた。
「今回は夜間警備でお世話になりますが、日中の警備も視野に入れています。その際に、お客様から話しかけられたら、最低限の受け答えができるようには、と」
「こんにちは」
 浅見がロボットに声を掛けると、
『こんにちは。本日は閉店いたしました。お帰り口がわからない方は、タッチパネルにタッチしてください』
 やたらとハキハキした声で返事をした。胸のタッチパネルには、「テスト」とだけ大きく表示されている。
「これは夜間用にセッティングしてきました。実用化する際は、このパネルに出口への案内が表示されます。もちろん、日中用に『何かお困りでしょうか?』と言うセンテンスもあります」
「へぇ……すごいもんですね」
「倒されたり、押しのけられたりした場合は警報を鳴らして警備員室や警備員さんの無線に連絡を入れることも可能です。警備会社さんの通報先などに連絡を入れられる型もあります。今回はこちらの警備室に連絡を入れる形でセッティングさせて頂きますね」
 ロボットは、つるりとした頭部に、黒い丸で描いたような目と鼻、口が付いていた。胸にパネルが搭載されており、ここに様々なメニューが出るらしい。森澤は画面の2箇所を指で同時に押さえて管理者用メニューを呼び出していた。こちらの無線と周波数を合わせている。そのもじゃもじゃの頭を眺めながら、
「押しのけられたりしたら警報を鳴らすだけですか?」
 浅見が尋ねると、その頭が横に振られた。
「いえ、カメラとマイクが内蔵されているので、音声付きで記録も残せます。記録媒体に最大72時間分残りますので、朝になってから回収して、媒体を交換してデータを他のハードに移すこともできます」
「ふーん」
 面倒臭いな、と思ったが、音声付きの映像が残せるのは良い。言質を取れる。
「それって、暗くても残るんですか?」
「残ります。暗視カメラなので」
 それは便利だ。商売敵みたいなものだと思っていたが、案外手足として使うには良いかもしれない。少なくとも、店員や警備員が無駄な怪我をすることはない。ロボットに手こずっている間に、こちらも数を集めて対応すれば良いのだ。何なら、同行させてやりとりを録音するのにも使えるだろう。ロボット本体が壊されても、記録媒体は残るだろう。とは言え、ロボットを壊すほどアグレッシヴな迷惑行為なら、証拠品はかなり残りそうな気もするが。
 浅見は、なんだか自分がこのロボットの使用権を得たかのように気分が良かった。そんなことはないことはもちろんわかっている。管理者メニューを開いているのは森澤だし、浅見は操作方法なんてさっぱりわからないのだから。
「セットできました。ひとまず4階から」
「ちょっと待ってください」
 森澤の言葉に引っ掛かりを覚えた浅見は遮った。
「フロアの移動ってできるんですか?」
 とても、階段を登れるようには見えない。
「いいえ。なので、常に見回りたいフロアに置くことになります。今回は4階に置いて欲しいとご依頼があったのでそのように」
「はーん……」
 4階に置いて欲しい。その理由に、浅見は心当たりがあった。彼のその反応を怪訝に思ったのか、森澤は眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を戻し、
「配置してきます」
 と言って警備室を出て行った。

 しばらくすると、森澤は手ぶらになって戻って来た。ロボットの配置完了を伝える。双方の上司は目を見交わして頷くと、
「では後はよろしく。年寄りは退散しますので、若いもん同士で仲良くね」
 見合いみたいなことを言う。部下2人も顔を見合わせたが特に抗議などはせず、
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 挨拶を交わして、実験の第1夜が始まった。
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