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シーツを捨てた日【新塩】
新川修治と塩原渚が一緒に暮らすことが決まった時、二人は家の内装をどうするか話し合った。新川は一年ほど前に妻と離婚しており、暮らしているマンションの一室には、彼女が買った物も多い。
「渚くんはそういうの気にする?」
新川は水で喉を潤しながら尋ねた。
「あんまりしないかな……写真はちょっと気になるかもしれませんけど、修治さんは飾っておきたい?」
「ああ、写真はね……片付け損ねてただけだから。しまっておこう」
「はい」
イタリアンレストランのランチタイム。たまたま日曜の休みが重なったため、食事を取りながら話そうと落ち合った。新川が務める商社は、近頃休日出勤はなくなっているが、看護師でシフト勤務の塩原は日曜日に出勤することも少なくない。
「食器棚とか、照明とかも割と彼女の趣味なんだけど……」
「そんな物まで捨てろなんて言わないよ」
塩原はおかしそうに笑った。新川は目を逸らす。前の妻は、人間に対する感覚(彼女の方が上等だったと新川は思う)こそ合わなかったが、家具調度品については良い趣味を持っていた。見た目と実用性の釣り合いが取れたものが揃っている。離婚して去る際にも、特にそれらに執着も見せずに出て行った。優しくて軽やかな人だったと思う。
そんな追憶に、束の間の意識を奪われていると、塩原がこちらの目を覗き込んできた。表情こそ笑っているが、目が笑っていない。
「何考えてるの?」
「ん? ああ、いやね、他に何かあったかなと思って。いや、先に注文しようか」
取り繕うようにメニューを開く。塩原は顎を引いて姿勢を正し、同じように料理を選び始めた。注文を終えると、話題はまた家具に戻る。とりあえず、買い換えの必要はあまりなさそうだった。
(でも、何か納得していないな……)
いまひとつ、言い出せていないことがあるように、新川の目には見えていた。
「何か気になってる? 言って御覧?」
極力優しく尋ねる。塩原の心にわだかまりがあることを、彼は恐れた。心に刺さる硝子片のようなものがあるならば、そっと抜いてあげたい。柔らかい布で包むような声音を意識した。
「うーん……今更かもしれないんだけど……」
ちら、と上目遣いにこちらを見る。彼が口を開こうとしたその時、頼んでいた料理が運ばれてきた。よろしいですか? と尋ねられた──いつもは訊かれない──あたり、自分たちはただならぬ雰囲気を醸し出していたのだろう。塩原が慌てて膝に手を置くので、新川は肯いて配膳を頼んだ。店員は「ごゆっくりどうぞ」と言って伝票を伏せると、そそくさと去って行く。塩原はフォークを取った。
「言いにくい?」
「ちょっと……今更だし……」
今更。さっきも言った言葉だ。彼が既に使った家具が、何かあっただろうか? 精々、食事をしたテーブル、映画を一緒に観たソファ、あとは……泊まりに来た時に使った風呂、そして……。
「あのシーツ……あれも修治さんの趣味? 違うよね?」
ベッドだ。
二人は既に結ばれている。普通の付き合いなら知らない筈の、大昔の傷跡は全て塩原に知られた。この傷何? ベッドでそう問われて、一つずつ説明したのだから。
元妻が選んだ、青い小花模様のシーツ。
(確かに、僕の趣味じゃないな)
彼はよくわかっている。それを言い当てられたことがなんだか嬉しくて。
「よくわかったね」
「うん……」
前の女が選んだシーツの上で抱き合うなど、確かに複雑な気分になるだろう。新川はそれを理解した。当然のことと思い、すぐに肯く。
「じゃあ買い換えるか」
「……良いの?」
「もちろん」
愛着はないでもない。けれど、新しいシーツにまた愛着が湧くだろう。もう新しい恋をしているのだから。シーツを変えたって良いに決まっている。
食事を終えてから、インテリアショップの通販サイトを二人で覗く。
「修治さんはどれが良いの? 今回は修治さんが選びなよ」
「君が納得した方が良いんじゃないのかい?」
なんて言い合いながら、二人は夜のような紺色のシーツをメインに、洗い替え用も含めて数枚を選んで購入した。配送には数日掛かる。塩原は少しほっとしたような顔をしていた。新川はその表情を見ると、悪戯心が芽生える。
「届いたら知らせるから」
耳元に口を寄せて、甘い声で囁くと、塩原の顔が赤色にさっと染まった。
数日後、シーツは無事に届いた。写真付きでメッセージを送ると、すぐに日取りの打ち合わせになる。やり取りを終えると、新川はベッドに横たわった。いない塩原の手を探して、シーツの上をまさぐる。手を洗うことが多くて乾燥しがちな手の触り心地を思い出した。
約束の日。新川が帰宅して少しすると、すぐにチャイムが鳴った。モニターには、鞄を持った塩原が映っている。知らず、笑みが浮かび、彼は恋人を迎え入れた。今日はどんなことをしてやろうか。
互いに風呂を済ませてベッドに入る。先に上がっていた塩原が、物珍しそうにシーツの表面を撫でていた。
「お待たせ。どうだい、触り心地は」
「思ったよりごわごわしてない?」
「これから慣れるよ」
隣に上がって、頬を撫でた。それに合わせるように塩原も顔をこちらに向ける。
「前のシーツは?」
「処分した」
「そう……」
申し訳ないようにも、安心したようにも見える表情。
(思ったよりも嫉妬深い子だな……)
内心で苦笑しつつ、その一方では胸が高鳴ってもいる。年甲斐もなくときめいている。真面目で、優しくて、大人しい塩原が、新川を留めておきたくて心を揺らしているのが。これほどまでに求められることに、胸が熱くなる。もっとも、一度結婚まで漕ぎ着けた女に対して、嫉妬するなと言うのもまた難しいのかもしれない。新川も、塩原に結婚歴があったら、その相手にどう思うか。
「渚くん」
「はい?」
「僕のこと好き?」
「好き」
何のためらいもなく即座に答える。
「どれくらい好き?」
「これくらい」
我ながら子供じみたことを訊く、と思ったが、塩原の答えもまた子供っぽかった。両手を目一杯広げて誇らしげな顔をする。その空いた胸を抱えるように抱きしめた。体重を掛けると、塩原がそれに従って後ろに倒れる。完全に下にしてしまうと、相手は少し苦しげに息を吐いた。
「重たい?」
身長差も体重差もある。新川の方が、身体が大きい。この前も同じ事を訊いた。重たい?
「うん」
塩原もあの時と同じ返事をする。
「ぺっちゃんこにして」
強い力で抱き返された。
「渚くんはそういうの気にする?」
新川は水で喉を潤しながら尋ねた。
「あんまりしないかな……写真はちょっと気になるかもしれませんけど、修治さんは飾っておきたい?」
「ああ、写真はね……片付け損ねてただけだから。しまっておこう」
「はい」
イタリアンレストランのランチタイム。たまたま日曜の休みが重なったため、食事を取りながら話そうと落ち合った。新川が務める商社は、近頃休日出勤はなくなっているが、看護師でシフト勤務の塩原は日曜日に出勤することも少なくない。
「食器棚とか、照明とかも割と彼女の趣味なんだけど……」
「そんな物まで捨てろなんて言わないよ」
塩原はおかしそうに笑った。新川は目を逸らす。前の妻は、人間に対する感覚(彼女の方が上等だったと新川は思う)こそ合わなかったが、家具調度品については良い趣味を持っていた。見た目と実用性の釣り合いが取れたものが揃っている。離婚して去る際にも、特にそれらに執着も見せずに出て行った。優しくて軽やかな人だったと思う。
そんな追憶に、束の間の意識を奪われていると、塩原がこちらの目を覗き込んできた。表情こそ笑っているが、目が笑っていない。
「何考えてるの?」
「ん? ああ、いやね、他に何かあったかなと思って。いや、先に注文しようか」
取り繕うようにメニューを開く。塩原は顎を引いて姿勢を正し、同じように料理を選び始めた。注文を終えると、話題はまた家具に戻る。とりあえず、買い換えの必要はあまりなさそうだった。
(でも、何か納得していないな……)
いまひとつ、言い出せていないことがあるように、新川の目には見えていた。
「何か気になってる? 言って御覧?」
極力優しく尋ねる。塩原の心にわだかまりがあることを、彼は恐れた。心に刺さる硝子片のようなものがあるならば、そっと抜いてあげたい。柔らかい布で包むような声音を意識した。
「うーん……今更かもしれないんだけど……」
ちら、と上目遣いにこちらを見る。彼が口を開こうとしたその時、頼んでいた料理が運ばれてきた。よろしいですか? と尋ねられた──いつもは訊かれない──あたり、自分たちはただならぬ雰囲気を醸し出していたのだろう。塩原が慌てて膝に手を置くので、新川は肯いて配膳を頼んだ。店員は「ごゆっくりどうぞ」と言って伝票を伏せると、そそくさと去って行く。塩原はフォークを取った。
「言いにくい?」
「ちょっと……今更だし……」
今更。さっきも言った言葉だ。彼が既に使った家具が、何かあっただろうか? 精々、食事をしたテーブル、映画を一緒に観たソファ、あとは……泊まりに来た時に使った風呂、そして……。
「あのシーツ……あれも修治さんの趣味? 違うよね?」
ベッドだ。
二人は既に結ばれている。普通の付き合いなら知らない筈の、大昔の傷跡は全て塩原に知られた。この傷何? ベッドでそう問われて、一つずつ説明したのだから。
元妻が選んだ、青い小花模様のシーツ。
(確かに、僕の趣味じゃないな)
彼はよくわかっている。それを言い当てられたことがなんだか嬉しくて。
「よくわかったね」
「うん……」
前の女が選んだシーツの上で抱き合うなど、確かに複雑な気分になるだろう。新川はそれを理解した。当然のことと思い、すぐに肯く。
「じゃあ買い換えるか」
「……良いの?」
「もちろん」
愛着はないでもない。けれど、新しいシーツにまた愛着が湧くだろう。もう新しい恋をしているのだから。シーツを変えたって良いに決まっている。
食事を終えてから、インテリアショップの通販サイトを二人で覗く。
「修治さんはどれが良いの? 今回は修治さんが選びなよ」
「君が納得した方が良いんじゃないのかい?」
なんて言い合いながら、二人は夜のような紺色のシーツをメインに、洗い替え用も含めて数枚を選んで購入した。配送には数日掛かる。塩原は少しほっとしたような顔をしていた。新川はその表情を見ると、悪戯心が芽生える。
「届いたら知らせるから」
耳元に口を寄せて、甘い声で囁くと、塩原の顔が赤色にさっと染まった。
数日後、シーツは無事に届いた。写真付きでメッセージを送ると、すぐに日取りの打ち合わせになる。やり取りを終えると、新川はベッドに横たわった。いない塩原の手を探して、シーツの上をまさぐる。手を洗うことが多くて乾燥しがちな手の触り心地を思い出した。
約束の日。新川が帰宅して少しすると、すぐにチャイムが鳴った。モニターには、鞄を持った塩原が映っている。知らず、笑みが浮かび、彼は恋人を迎え入れた。今日はどんなことをしてやろうか。
互いに風呂を済ませてベッドに入る。先に上がっていた塩原が、物珍しそうにシーツの表面を撫でていた。
「お待たせ。どうだい、触り心地は」
「思ったよりごわごわしてない?」
「これから慣れるよ」
隣に上がって、頬を撫でた。それに合わせるように塩原も顔をこちらに向ける。
「前のシーツは?」
「処分した」
「そう……」
申し訳ないようにも、安心したようにも見える表情。
(思ったよりも嫉妬深い子だな……)
内心で苦笑しつつ、その一方では胸が高鳴ってもいる。年甲斐もなくときめいている。真面目で、優しくて、大人しい塩原が、新川を留めておきたくて心を揺らしているのが。これほどまでに求められることに、胸が熱くなる。もっとも、一度結婚まで漕ぎ着けた女に対して、嫉妬するなと言うのもまた難しいのかもしれない。新川も、塩原に結婚歴があったら、その相手にどう思うか。
「渚くん」
「はい?」
「僕のこと好き?」
「好き」
何のためらいもなく即座に答える。
「どれくらい好き?」
「これくらい」
我ながら子供じみたことを訊く、と思ったが、塩原の答えもまた子供っぽかった。両手を目一杯広げて誇らしげな顔をする。その空いた胸を抱えるように抱きしめた。体重を掛けると、塩原がそれに従って後ろに倒れる。完全に下にしてしまうと、相手は少し苦しげに息を吐いた。
「重たい?」
身長差も体重差もある。新川の方が、身体が大きい。この前も同じ事を訊いた。重たい?
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