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最悪の初夜【狐嫁】
頭痛がしていた。空気はひんやりと冷たく、外で雨が降っているらしいことが湿度でなんとなく感じ取れる。
慣れない香を焚いた部屋に敷かれた布団の中で、僕は目を覚ました。瞼が重い。散々ないたせいで腫れぼったく、頭も痛かった。
僕を泣かせた張本人は、まるで僕が大事であるかのように両腕で抱いていた。そんな風には思ってもいないくせに。目は半分開いていて、それはそう言う寝方なのではなく、彼が起きていることの証だった。
「起きたのか」
その声はどこかぼんやりとしている。
「……うん」
父親がしたいい加減な約束。そのせいで、僕はこの男……人に化ける狐の「妻」として娶られることになってしまった。それを知ったのは、父が亡くなった葬儀の日。火葬場で彼に出会った時のこと。
当時既に高校三年生で、十八歳ではあった僕だが、大学生活が落ち着くまで待って欲しいと時間稼ぎをして、どうにかこの狐との結婚を反故にできないかとあれこれ調べて回った。けれど、そんな方法はどこにもなく、二十歳の誕生日を迎えたこの晩、僕と彼は祝言を挙げた。
母親には「友達が祝ってくれる。泊まりになる」と言って家を出てきた。僕によく似た顔の母は、息子に優しい友達がいると思って笑顔で見送ってくれた。
それが、最悪の初夜だと言うことを僕は当然母に話していない。
昨晩のことは思い出す気にもなれない。本人は優しいつもりだったのかもしれないが、僕の意思としては「嫌」しかない。どこをどう触られても「嫌」しか出てこない。政略結婚で好きでもない男の所に嫁いだ女性の気持ちはこう言うものか、と、変なところで納得してしまう僕だった。
不快の元凶を睨んでいると、腫れた瞼からの視線はわかりにくかったらしく、彼は何を勘違いしたのか僕の頭を撫でてきた。
「これで俺とお前は契を結んだ。お前は俺のもので、俺もお前のものになった」
お前なんか要らない。よっぽどそう言い返してやりたかったが、言い返す元気もないことにその時気付いた。最悪だと思っているのは心だけではなかったようだ。
すり、と彼が僕に頬ずりした。なんだか犬が飼い主に甘えるような仕草で、そう言えば狐は犬科だったと思い出す。夜通しずっと香に混ざっていた体臭が鼻腔に届いた。
彼が好きなのは父だった。僕は母に似ている。あの女に似ている、と言って、本当は僕のことはそんなに好きじゃない。それでも「約束だから」と僕を娶った。そんな約束、破ってくれた方がお互いのためだったのに。
全然好きじゃない筈の僕と肌を重ねて、まるで大事な番のように抱き寄せている彼には「不快」と「不可解」しかない。
「寒い……」
やがて、彼がそんなことを言いながらもぞもぞと起き上がった。それはそうだ。彼は本来狐であり、体毛の薄い人間の姿で長いこといたら寒いに決まっているのだ。脱ぎ散らかした服をたぐり寄せて着込む。僕ものっそりと起き上がり、だるい身体で脱がされた服を探した。
「次はいつ会える」
別れ際に、彼はそんなことを僕に聞いた。
「わからないよ」
スケジュールを確認していないし、確認したくもなかった僕はぶっきらぼうにそれだけ返した。
「そうか」
約束しろとは言わなかった。
「では俺から会いに行く。どこにいる?」
「その時によって違うよ」
「そうか」
教えろとは言わなかった。こいつ、実は案外抜けてるんじゃないか……と思ってしまう。
「では探しに行く。お前も会いに来られるときに会いに来い」
嫌だ。冗談じゃない。そう返そうとしたけど、化け狐の機嫌を損ねるのも、少し怖かった。
「来られるときだったら」
だからそれだけ返した。相手はそれで納得したようだった。
「気を付けて帰れ。山にも、町にも、何かしらいるからな」
その「何かしら」が何なのか、彼は言わなかった。
「でも、今日のお前には俺の匂いが付いているから多分大丈夫だ」
僕は思わず手の甲に鼻を近づけた。確かに、ちょっとだけ部屋で焚かれていた香の匂いはするかもしれないが……? 他人の体臭がするかと言うと、僕にはわからない。
「その内わかる」
彼がそう言うと、僕はそのまま山を下りた。
色んな意味での初めてを妖怪みたいな奴に奪われてしまった。一線を越えてしまった。
この先どうなるんだろう。暗澹たる気持ちになる。
髪から少しだけ、あの香の匂いが漂った。
慣れない香を焚いた部屋に敷かれた布団の中で、僕は目を覚ました。瞼が重い。散々ないたせいで腫れぼったく、頭も痛かった。
僕を泣かせた張本人は、まるで僕が大事であるかのように両腕で抱いていた。そんな風には思ってもいないくせに。目は半分開いていて、それはそう言う寝方なのではなく、彼が起きていることの証だった。
「起きたのか」
その声はどこかぼんやりとしている。
「……うん」
父親がしたいい加減な約束。そのせいで、僕はこの男……人に化ける狐の「妻」として娶られることになってしまった。それを知ったのは、父が亡くなった葬儀の日。火葬場で彼に出会った時のこと。
当時既に高校三年生で、十八歳ではあった僕だが、大学生活が落ち着くまで待って欲しいと時間稼ぎをして、どうにかこの狐との結婚を反故にできないかとあれこれ調べて回った。けれど、そんな方法はどこにもなく、二十歳の誕生日を迎えたこの晩、僕と彼は祝言を挙げた。
母親には「友達が祝ってくれる。泊まりになる」と言って家を出てきた。僕によく似た顔の母は、息子に優しい友達がいると思って笑顔で見送ってくれた。
それが、最悪の初夜だと言うことを僕は当然母に話していない。
昨晩のことは思い出す気にもなれない。本人は優しいつもりだったのかもしれないが、僕の意思としては「嫌」しかない。どこをどう触られても「嫌」しか出てこない。政略結婚で好きでもない男の所に嫁いだ女性の気持ちはこう言うものか、と、変なところで納得してしまう僕だった。
不快の元凶を睨んでいると、腫れた瞼からの視線はわかりにくかったらしく、彼は何を勘違いしたのか僕の頭を撫でてきた。
「これで俺とお前は契を結んだ。お前は俺のもので、俺もお前のものになった」
お前なんか要らない。よっぽどそう言い返してやりたかったが、言い返す元気もないことにその時気付いた。最悪だと思っているのは心だけではなかったようだ。
すり、と彼が僕に頬ずりした。なんだか犬が飼い主に甘えるような仕草で、そう言えば狐は犬科だったと思い出す。夜通しずっと香に混ざっていた体臭が鼻腔に届いた。
彼が好きなのは父だった。僕は母に似ている。あの女に似ている、と言って、本当は僕のことはそんなに好きじゃない。それでも「約束だから」と僕を娶った。そんな約束、破ってくれた方がお互いのためだったのに。
全然好きじゃない筈の僕と肌を重ねて、まるで大事な番のように抱き寄せている彼には「不快」と「不可解」しかない。
「寒い……」
やがて、彼がそんなことを言いながらもぞもぞと起き上がった。それはそうだ。彼は本来狐であり、体毛の薄い人間の姿で長いこといたら寒いに決まっているのだ。脱ぎ散らかした服をたぐり寄せて着込む。僕ものっそりと起き上がり、だるい身体で脱がされた服を探した。
「次はいつ会える」
別れ際に、彼はそんなことを僕に聞いた。
「わからないよ」
スケジュールを確認していないし、確認したくもなかった僕はぶっきらぼうにそれだけ返した。
「そうか」
約束しろとは言わなかった。
「では俺から会いに行く。どこにいる?」
「その時によって違うよ」
「そうか」
教えろとは言わなかった。こいつ、実は案外抜けてるんじゃないか……と思ってしまう。
「では探しに行く。お前も会いに来られるときに会いに来い」
嫌だ。冗談じゃない。そう返そうとしたけど、化け狐の機嫌を損ねるのも、少し怖かった。
「来られるときだったら」
だからそれだけ返した。相手はそれで納得したようだった。
「気を付けて帰れ。山にも、町にも、何かしらいるからな」
その「何かしら」が何なのか、彼は言わなかった。
「でも、今日のお前には俺の匂いが付いているから多分大丈夫だ」
僕は思わず手の甲に鼻を近づけた。確かに、ちょっとだけ部屋で焚かれていた香の匂いはするかもしれないが……? 他人の体臭がするかと言うと、僕にはわからない。
「その内わかる」
彼がそう言うと、僕はそのまま山を下りた。
色んな意味での初めてを妖怪みたいな奴に奪われてしまった。一線を越えてしまった。
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髪から少しだけ、あの香の匂いが漂った。
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