13 / 16
最悪の初夜【狐嫁】
しおりを挟む
頭痛がしていた。空気はひんやりと冷たく、外で雨が降っているらしいことが湿度でなんとなく感じ取れる。
慣れない香を焚いた部屋に敷かれた布団の中で、僕は目を覚ました。瞼が重い。散々ないたせいで腫れぼったく、頭も痛かった。
僕を泣かせた張本人は、まるで僕が大事であるかのように両腕で抱いていた。そんな風には思ってもいないくせに。目は半分開いていて、それはそう言う寝方なのではなく、彼が起きていることの証だった。
「起きたのか」
その声はどこかぼんやりとしている。
「……うん」
父親がしたいい加減な約束。そのせいで、僕はこの男……人に化ける狐の「妻」として娶られることになってしまった。それを知ったのは、父が亡くなった葬儀の日。火葬場で彼に出会った時のこと。
当時既に高校三年生で、十八歳ではあった僕だが、大学生活が落ち着くまで待って欲しいと時間稼ぎをして、どうにかこの狐との結婚を反故にできないかとあれこれ調べて回った。けれど、そんな方法はどこにもなく、二十歳の誕生日を迎えたこの晩、僕と彼は祝言を挙げた。
母親には「友達が祝ってくれる。泊まりになる」と言って家を出てきた。僕によく似た顔の母は、息子に優しい友達がいると思って笑顔で見送ってくれた。
それが、最悪の初夜だと言うことを僕は当然母に話していない。
昨晩のことは思い出す気にもなれない。本人は優しいつもりだったのかもしれないが、僕の意思としては「嫌」しかない。どこをどう触られても「嫌」しか出てこない。政略結婚で好きでもない男の所に嫁いだ女性の気持ちはこう言うものか、と、変なところで納得してしまう僕だった。
不快の元凶を睨んでいると、腫れた瞼からの視線はわかりにくかったらしく、彼は何を勘違いしたのか僕の頭を撫でてきた。
「これで俺とお前は契を結んだ。お前は俺のもので、俺もお前のものになった」
お前なんか要らない。よっぽどそう言い返してやりたかったが、言い返す元気もないことにその時気付いた。最悪だと思っているのは心だけではなかったようだ。
すり、と彼が僕に頬ずりした。なんだか犬が飼い主に甘えるような仕草で、そう言えば狐は犬科だったと思い出す。夜通しずっと香に混ざっていた体臭が鼻腔に届いた。
彼が好きなのは父だった。僕は母に似ている。あの女に似ている、と言って、本当は僕のことはそんなに好きじゃない。それでも「約束だから」と僕を娶った。そんな約束、破ってくれた方がお互いのためだったのに。
全然好きじゃない筈の僕と肌を重ねて、まるで大事な番のように抱き寄せている彼には「不快」と「不可解」しかない。
「寒い……」
やがて、彼がそんなことを言いながらもぞもぞと起き上がった。それはそうだ。彼は本来狐であり、体毛の薄い人間の姿で長いこといたら寒いに決まっているのだ。脱ぎ散らかした服をたぐり寄せて着込む。僕ものっそりと起き上がり、だるい身体で脱がされた服を探した。
「次はいつ会える」
別れ際に、彼はそんなことを僕に聞いた。
「わからないよ」
スケジュールを確認していないし、確認したくもなかった僕はぶっきらぼうにそれだけ返した。
「そうか」
約束しろとは言わなかった。
「では俺から会いに行く。どこにいる?」
「その時によって違うよ」
「そうか」
教えろとは言わなかった。こいつ、実は案外抜けてるんじゃないか……と思ってしまう。
「では探しに行く。お前も会いに来られるときに会いに来い」
嫌だ。冗談じゃない。そう返そうとしたけど、化け狐の機嫌を損ねるのも、少し怖かった。
「来られるときだったら」
だからそれだけ返した。相手はそれで納得したようだった。
「気を付けて帰れ。山にも、町にも、何かしらいるからな」
その「何かしら」が何なのか、彼は言わなかった。
「でも、今日のお前には俺の匂いが付いているから多分大丈夫だ」
僕は思わず手の甲に鼻を近づけた。確かに、ちょっとだけ部屋で焚かれていた香の匂いはするかもしれないが……? 他人の体臭がするかと言うと、僕にはわからない。
「その内わかる」
彼がそう言うと、僕はそのまま山を下りた。
色んな意味での初めてを妖怪みたいな奴に奪われてしまった。一線を越えてしまった。
この先どうなるんだろう。暗澹たる気持ちになる。
髪から少しだけ、あの香の匂いが漂った。
慣れない香を焚いた部屋に敷かれた布団の中で、僕は目を覚ました。瞼が重い。散々ないたせいで腫れぼったく、頭も痛かった。
僕を泣かせた張本人は、まるで僕が大事であるかのように両腕で抱いていた。そんな風には思ってもいないくせに。目は半分開いていて、それはそう言う寝方なのではなく、彼が起きていることの証だった。
「起きたのか」
その声はどこかぼんやりとしている。
「……うん」
父親がしたいい加減な約束。そのせいで、僕はこの男……人に化ける狐の「妻」として娶られることになってしまった。それを知ったのは、父が亡くなった葬儀の日。火葬場で彼に出会った時のこと。
当時既に高校三年生で、十八歳ではあった僕だが、大学生活が落ち着くまで待って欲しいと時間稼ぎをして、どうにかこの狐との結婚を反故にできないかとあれこれ調べて回った。けれど、そんな方法はどこにもなく、二十歳の誕生日を迎えたこの晩、僕と彼は祝言を挙げた。
母親には「友達が祝ってくれる。泊まりになる」と言って家を出てきた。僕によく似た顔の母は、息子に優しい友達がいると思って笑顔で見送ってくれた。
それが、最悪の初夜だと言うことを僕は当然母に話していない。
昨晩のことは思い出す気にもなれない。本人は優しいつもりだったのかもしれないが、僕の意思としては「嫌」しかない。どこをどう触られても「嫌」しか出てこない。政略結婚で好きでもない男の所に嫁いだ女性の気持ちはこう言うものか、と、変なところで納得してしまう僕だった。
不快の元凶を睨んでいると、腫れた瞼からの視線はわかりにくかったらしく、彼は何を勘違いしたのか僕の頭を撫でてきた。
「これで俺とお前は契を結んだ。お前は俺のもので、俺もお前のものになった」
お前なんか要らない。よっぽどそう言い返してやりたかったが、言い返す元気もないことにその時気付いた。最悪だと思っているのは心だけではなかったようだ。
すり、と彼が僕に頬ずりした。なんだか犬が飼い主に甘えるような仕草で、そう言えば狐は犬科だったと思い出す。夜通しずっと香に混ざっていた体臭が鼻腔に届いた。
彼が好きなのは父だった。僕は母に似ている。あの女に似ている、と言って、本当は僕のことはそんなに好きじゃない。それでも「約束だから」と僕を娶った。そんな約束、破ってくれた方がお互いのためだったのに。
全然好きじゃない筈の僕と肌を重ねて、まるで大事な番のように抱き寄せている彼には「不快」と「不可解」しかない。
「寒い……」
やがて、彼がそんなことを言いながらもぞもぞと起き上がった。それはそうだ。彼は本来狐であり、体毛の薄い人間の姿で長いこといたら寒いに決まっているのだ。脱ぎ散らかした服をたぐり寄せて着込む。僕ものっそりと起き上がり、だるい身体で脱がされた服を探した。
「次はいつ会える」
別れ際に、彼はそんなことを僕に聞いた。
「わからないよ」
スケジュールを確認していないし、確認したくもなかった僕はぶっきらぼうにそれだけ返した。
「そうか」
約束しろとは言わなかった。
「では俺から会いに行く。どこにいる?」
「その時によって違うよ」
「そうか」
教えろとは言わなかった。こいつ、実は案外抜けてるんじゃないか……と思ってしまう。
「では探しに行く。お前も会いに来られるときに会いに来い」
嫌だ。冗談じゃない。そう返そうとしたけど、化け狐の機嫌を損ねるのも、少し怖かった。
「来られるときだったら」
だからそれだけ返した。相手はそれで納得したようだった。
「気を付けて帰れ。山にも、町にも、何かしらいるからな」
その「何かしら」が何なのか、彼は言わなかった。
「でも、今日のお前には俺の匂いが付いているから多分大丈夫だ」
僕は思わず手の甲に鼻を近づけた。確かに、ちょっとだけ部屋で焚かれていた香の匂いはするかもしれないが……? 他人の体臭がするかと言うと、僕にはわからない。
「その内わかる」
彼がそう言うと、僕はそのまま山を下りた。
色んな意味での初めてを妖怪みたいな奴に奪われてしまった。一線を越えてしまった。
この先どうなるんだろう。暗澹たる気持ちになる。
髪から少しだけ、あの香の匂いが漂った。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
『定時後の偶然が多すぎる』
こさ
BL
定時後に残業をするたび、
なぜか必ず同じ上司が、同じフロアに残っている。
仕事ができて、無口で、社内でも一目置かれている存在。
必要以上に踏み込まず、距離を保つ人――
それが、彼の上司だった。
ただの偶然。
そう思っていたはずなのに、
声をかけられる回数が増え、
視線が重なる時間が長くなっていく。
「無理はするな」
それだけの言葉に、胸がざわつく理由を、
彼自身はまだ知らない。
これは、
気づかないふりをする上司と、
勘違いだと思い込もうとする部下が、
少しずつ“偶然”を積み重ねていく話。
静かで、逃げ場のない溺愛が、
定時後から始まる。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
青龍将軍の新婚生活
蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。
武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。
そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。
「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」
幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。
中華風政略結婚ラブコメ。
※他のサイトにも投稿しています。
寡黙な剣道部の幼馴染
Gemini
BL
【完結】恩師の訃報に八年ぶりに帰郷した智(さとし)は幼馴染の有馬(ありま)と再会する。相変わらず寡黙て静かな有馬が智の勤める大学の学生だと知り、だんだんとその距離は縮まっていき……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる