野良ドールのモーニング

森園ことり

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「何が言いたいの? 朝食も作らなかった母親を責めてるわけ?」
「違います。柳子さんはファミレスのモーニングがとても大好きなんです。でもそれは、お母さんと行った思い出があるからこそなんだと、僕は思うんです」

 彼女は僕から目をそらすと、腕時計を見た。小さくため息をつく。

「私も暇じゃないのよ。もう行かないと。それ、あの子が食べなかったらあなたが食べて。あなたも食べたくなかったら捨てればいいわ」
「捨てません。もったいない」

 ふん、と彼女は鼻で笑った。

「好きにすればいいわ。さよなら。あの子をよろしくね」

 ぎしぎしいう古い階段に文句を言いながら、苗子さんは帰っていった。





 二月に入り、梅がちらほら咲きはじめてきた頃、元店長の笠松さんから連絡があった。
 ファミレスの閉店から早四ヶ月。

「久しぶりにみんなで集まってご飯でも食べない?」

 みんなどうしてるのかな、とたまに考えていたので、その誘いはとても嬉しかった。
 次の土曜日のお昼、指定された神保町のとある場所に僕と柳子は向かった。
 ついた場所はこじんまりとしたお店だったが、看板もなにも表に出ていない。

「青い屋根の店」とだけ言われていたが、青い屋根の店は他になかったのですぐにわかった。
 ドアが少し開いたままになっており、中から人の話し声が聞こえてくる。

「こんにちは」

 声をかけてドアの隙間から中を覗き込むと、笠松さんや小鹿さん、美帆さんや大さんが既にそろっていて、大きなテーブルを囲んでいた。

「来た来た。いらっしゃい」

 笑顔の笠松さんが手招きをする。
 ひさしぶりーとみんなで軽く挨拶を交わした。みんな変わりなく元気そうだ。
 少ししてから、トキコさんも現れた。桜色のスカーフをふわりと首に巻いている。

「もう、迷っちゃったわよ」

 そう言いながらも、みんなと会えて嬉しそうで上機嫌。耳元にはカワセさんにもらった真珠のイヤリングが輝いている。
 店内には洋食屋風のテーブルが並んでいた。大きなテーブルが一つと、小ぶりのテーブルが隅に四つ。それとカウンター席。

「貸し切りなんですか?」

 他に客の姿がないので、不思議そうに柳子が訊ねる。

「まあ、話は食べながら」

 笠松さんはそう言って笑うと、小鹿さんに声をかけて二人でお店の奥に消えた。
 しばらくすると、彼らがお皿を運んできた。キノコのホワイトソースがたっぷりかかったオムライスだ。

「さぁ、食べて」

 笠松さんに促されて、僕らは顔を見合わせながら食べ始める。キノコの肉厚な食感とクリーミーなソースで、オムライスが数倍美味しく感じられた。

「実はここ、僕の店なんだ」

 笠松さんがそう言うと、僕らはいっせいに「えー」と声をあげた。

「退職して、自分の店を持つことにしたんだ。前からずっと計画してたんだけどね」
「じゃあ会社、辞めちゃったんですか?」

 美帆さんが唖然としたような顔で訊ねる。

「うん。ファミレスの閉店が決まった時にはもう辞めることは決めてたんだ。で、新しいこと始めてみてみようって思ってね」

 貸店舗をいろいろ見てまわり、この店にたどり着いたのだという。店は小さいが、その手狭な感じも気に入っているらしい。
 本が好きな笠松さんは、学生時代からよく神保町には通っていた。だから、街の雰囲気や、どういう飲食店が人気があるのかもだいたいわかっている。いつかこの街でお店を出したいな、と若い時分からずっと考えていたとのことだった。

「僕は料理が作れない。それで小鹿さんに声をかけたんだ」
「一緒に店やらないかって言われた時は驚いたね。そんな度胸、店長あるんだって」

 小鹿さんがげらげら笑うと、みんなもくすくす笑った。店長は少し恥ずかしそうにしている。

「僕もいい年だし、そろそろ自分が作りたい料理をやっていきたいと思ってたんだ。いいタイミングだったよ」

 小鹿さんの言葉にみんな小さく頷いている。

「洋食のお店をやるんですか?」

 皿に残ったホワイトソースを舐めるようにスプーンですくいとっていた大さんが、二人に訊ねる。

「ううん。実はモーニング専門店をやるんだ」

 笠松さんの言葉に、またまた、えーっと僕らは驚いた。

「ファミレスのモーニング、工夫次第であんなにお客さん集まったでしょ。専門店でやったら面白いんじゃないかなって思いついたんだ」

 彼は柳子を見た。

「南川さんのおかげだよ。君がいなかったら、このお店は存在しなかったんだから」
「そんな、大袈裟です」

 柳子は笑いながら否定する。

「大袈裟じゃないよ。で、よかったら、南川さんをはじめ、みんなにもお店を手伝ってもらえないかと思って……」

 ええっと、また僕らはどよめいた。

「もちろん、都合がつく曜日や時間でいいです。アルバイトを雇おうかと思ったんだけど、みんなの顔がどうしても浮かんでしまって。それなら、声をかけるべきだよって小鹿さんに言われたんだ」
「単純にまた一緒に働きたかったし」

 小鹿さんの言葉に僕らみんなは顔を見合わせる。

「私、ここで働きます」

 真っ先に柳子が手をあげた。

「みんなで作ったモーニング、大好きだったので。おいしい朝食、また作りたいです」

 僕も手をあげた。

「僕も、働きます。カレー屋の制服、やっぱりまだしっくりこないんですよね」

 どっとみんなが笑った。え、本当のことなんだけど。

「私も、こんなおばあちゃんでいいなら働かせてもらいたいな。週に一度ぐらいからでもいい?」

 トキコさんが訊ねると、笠松さんはもちろんですと笑顔で請け合った。

「私は家族と相談させてもらってもいい? みんなと働きたい気持ちはすごくあるんだけど、家からちょっと遠いし」

 美帆さんが迷ったようにそう言うと、笠松さんは頷いた。

「ゆっくり考えください。働けるときだけ来ていただいてもいいですから」
「ほんと? そんなに融通がきくのなら……たぶん大丈夫」

 美帆さんがほっとしたように笑うと、僕たちも笑った。

「僕も家族に相談してみます。でも、僕としてはここで働きたいな。カレー屋の仕事、正直あんまり楽しくなくて」

 大さんはそう言って苦笑いを浮かべる。僕をちらっと見たので、僕は同意するようにこくこく頷いた。

「オープンは春を予定してるんで、これからモーニングのメニュー作りをしていこうと思ってます。みんなも手伝ってくれますか?」

 笠松さんの言葉に、みんな、「もちろん!」と声をそろえた。

「お店の名前はそのまま〈モーニング〉にしようかと思ってるんですけど、どうですかね? ひねりがなさすぎかな……」

 ちょっと不安げに笠松さんが訊ねると、みんなは(どう?)というように顔を見合わせた。

「わかりやすくていいと思うわよ。変にこじゃれた名前つけるよきゃよっぽどいいわ」

 トキコさんがそう言うと、僕らは「確かに」と笑った。

「じゃあ、〈モーニング〉に決定します」

 ほっとしたように笠松さんは言って、小鹿さんと頷きあう。
 コーヒーと小鹿さん特製チョコマフィンを楽しみながら、僕らは新しい店について語り合った。

 僕は時折、嬉しそうにみんなと話している柳子の横顔を見つめた。
 柳子がもし僕の目の前に現れなかったら、いまごろ、僕はどこでどうしてたんだろう。
 そう不幸せではないかもしれないけど、なにか物足りなく日々をやり過ごしていたんじゃないだろうか。

 柳子がなんとなく振り向いて、僕と目が合った。にこっと小さく笑いかけてくれる。
 僕も笑い返した。
 ただそれだけのことが、とても特別なことであるような気がした。





 梅が散り、桜の蕾がふくらみはじめると、小さないい知らせが舞い込んだ。
 応募していたエッセイ漫画の賞に、僕の作品が入賞したのだ。四番手ぐらいの小さな賞だが、それでも電子マネー三千円分の賞金がもらえた。

 柳子にはそのことをまだ内緒にしている。
 今夜、賞金で買ったケーキをあげて報告するつもりだ。

 トラ吉用には高価な猫缶を用意した。
 正子さんに断ってトラ吉を部屋に連れてきた。何度もうちで泊まっている彼は、すっかり慣れたようにベッドの上でくつろいでいる。
 オムライスはお皿にセット済みで、あとは温めた手作りカレーをかけるだけ。

「そろそろ、りゅーが帰ってくるよ」

 トラ吉を振り返って声をかけると、彼はにゅっと首を伸ばすようにして体を起こした。
 春休みに入ってから、柳子は毎日のように神保町の我らが〈モーニング〉に顔を出して、開店準備に勤しんでいる。僕も今朝、少しだけ顔を出して小鹿さんに野菜の剥き方を教わった。僕はフロアではなく厨房を手伝うことになったのだ。

 オープンはいよいよ来週。忙しい春になりそうだ。
 六時には帰ると柳子から連絡があったものの、半を過ぎてもまだ帰ってこない。
 でももうそろそろだろう。

「迎えに行こうか、トラ」

 僕は足元に駆け寄ってきたトラ吉を抱き上げて、部屋を出た。
 もう夜でも暖かい。

 二階の廊下からトラ吉と道路を見下ろしていると、遠くから鼻歌のようなものが聞こえてきた。
 やがて街灯の明かりの下に現れたのは、伸ばしはじめたふんわりとカールした髪。それから、水玉柄のワンピースに緑色のカーディガン。僕とトラ吉に気づいてきらきらと輝く、星よりも美しい瞳。

「りゅー、おかえりー」

 腕の中の猫が震えるほどの大声で、僕は彼女に呼びかけた。



(了)
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