平民の私は静かに生きたいだけなのに、王子が離してくれない

八坂

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第十三話 居場所の選択

王宮を後にしてからも、フィオナの胸の内は静まらなかった。

豪奢な廊下、磨かれた床、整然と並ぶ兵士たち。
それらは確かに秩序立っていて、嫌悪を覚えるものではない。だが――落ち着かなかった。

(やっぱり、あそこは私の場所じゃない)

思い浮かぶのは、アル=ノエル古文書文庫館だ。朝の光が差し込む書架、紙と埃の混じった匂い、訪れる人も少なく、静けさが支配する空間。フィオナにとって、あれは「職場」ではなく「居場所」だった。


数日後。
フィオナは意を決して、館長室の扉を叩いた。

「入っていいですよ」

いつもと変わらぬ、穏やかな声。
古文書文庫館の館長は、分厚い帳簿から顔を上げ、フィオナを見て微笑んだ。

「どうしました?」

「……ご相談が、あります」

フィオナは、マルタに解雇されそうなこと、王宮に呼ばれたこと、第一王子から王宮の司書としての打診を受けたことを、包み隠さず話した。
話し終えた後、無意識に拳を握りしめていたことに気づく。

「わたしは、この文庫館が好きです。できることなら、ここで働き続けたい。でも……」

言葉が、詰まる。
館長はすぐには答えず、静かに椅子にもたれた。

「フィオナさん」

柔らかく、しかし迷いのない声だった。

「あなたがここを好きでいてくれることは、館長として嬉しいです。本当はずっとここで働いていて欲しい。ですがマルタがオーナーに解雇願を出してしまいました」

館長は眉を八の字にし、一度、言葉を切る。

「ですが――あなたの才能をどこにも使わないのは、惜しすぎる」

フィオナは、はっとして顔を上げた。

「蔵書の管理能力、魔導書の扱い、知識の整理と応用。これはこの国でもトップクラス──いえ、あなた以上の人間はいません」

館長は、まっすぐに彼女を見る。館長はフィオナの背中を押す言葉を彼女に伝える。

「王宮に行けば、扱える書は増えるでしょう。失われかけた古文書も、危険だからと封じられた知識も」

館長は静かに笑う。

「あなたが王宮司書ならば、この国の書は安心ですね」

胸の奥が、じんと痛んだ。

「……ここを出て行っても、また来てもいいのでしょうか」

「何を言っているんですか。当たり前ですよ。できることなら毎日顔を出して欲しい」

即答だった。

「文庫館は国民の場所です。あなたが入れなくなることは、私が許しません」

フィオナは、しばらく黙っていた。
自分が好きだった場所。ここを追い出されるということは、もう来れないことを意味していると思っていたが、館長は快く迎えてくれるという。
フィオナの解雇は、もう決定している。解雇されてから、本と触れ合えない仕事をするくらいなら──

「……分かりました」

小さく、しかしはっきりとした声だった。

「王宮の話、受けます」

館長は、満足そうに頷いた。

「それでいい」


数日後。
フィオナは改めて王宮を訪れていた。

前に立つのは、あの扉。
そして、その向こうで待つ人。

「お答えを、聞かせてもらえますか」

アレクシスの問いに、フィオナは一礼する。

「王宮付き司書の件、お引き受けします」

部屋の張りつめていた空気が、一瞬のうちに和らいだ。

「ありがとうございます」

アレクシスは、安堵を隠そうともせず微笑んだ。

「では、一週間後から、貴女は正式に王宮務めになります。それまでに準備を済ませておいてください」

「準備、ですか?」

フィオナが首を傾げると、セディルが吹き出した。

「あははっ!アレクシス、お前、王宮務めは王宮に住むことになることやっぱり言ってなかったんだな」

「えっ?」

「……すみません」

何に対しての謝りなのかは分からなかったが、フィオナにはあの文庫館以外に大切な場所もなく、引っ越しもすんなりと受け入れた。

「承知しました」

そのやり取りを、壁際で聞いていたセディルがアレクシスを見て小さく肩をすくめた。

「俺、お前が怖いよ」

フィオナは、まだ少しだけ名残を胸に残しながらも、前を向いた。

文庫館で過ごした時間は、失われない。
それは、ここで働いていくための礎になる。

そうしてフィオナは――王宮という新たな場所で、司書としての一歩を踏み出した。
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