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18.太陽のため息
しおりを挟む屋敷の真裏に造られた庭園。
ソルフィオーラは、セレネイド家の屋敷の中でこの場所が一番のお気に入りだった。
というのも、この庭園が夫と出会った実家の中庭にどことなく似ているからである。
可愛らしい色合いの花が咲く花壇。
丸く整えられたトピアリーに囲まれるように植えられたブロッサムの木。
実はブルームが業者に依頼して造り変えたのらしい。
そのためにブロッサムの木もわざわざ移植してきたのだと言う。
というのも、運命の相手と出会った中庭に彼もまた特別な思いを抱いていたようで、家でも思い出の場所を感じられたらと思ってのことだとか。
執事のノクスがそれを教えてくれたのは三日前。
蜜な時間が明けた日の昼下がりだった。
「……はぁ……」
あんなに幸福感に包まれていたのに、ソルフィオーラの口からは溜め息ばかりが漏れる。
あれから三日。
もう三日が経った。
愛しい夫と、三日も顔を合わせていない。
今現在──春の陽射しは麗らかで空も雲ひとつなく澄んでいるが、先日グレンツェン領は酷い大雨に見舞われたばかり。
その大雨の影響で、王都とグレンツェンを繋ぐ街道が土砂崩れで塞がってしまったのだ。
幸い土砂崩れに巻き込まれた領民はいない。
だが、その街道は大事な流通ルートだった。
塞がったままではグレンツェンの名産を世界各地に届けることが出来なくなる。
グレンツェン領内の経済に関わる重大な事件、となれば当然領主であるブルームが復興に向けての指揮を取る。
三日前の朝、ブルームの部下が被害状況を伝えにやって来た。
被害程度は想像よりも酷く、復興まで少々時間が掛かりそうだと言うことで、ブルームは現場近くで部下や復興協力を名乗り出た領民たちと寝起きしている。
無事復興するまで現場に立ち会いたいのだそうだ。
そんなブルームを立派だと思うし、そんな相手が我が夫であるなんてとても誇らしい。
────だけど。
(……でも、やっぱり寂しいわね……)
仕方ないこととはいえ、正直寂しいのだ。
出会いから二年間一切交流も無かったのに、たった三日会わないくらいでこんなにも寂しく思うだなんて。
恋というのはやはりすごい。結ばれた後だからこそ強く感じるのかもしれない。
ソルフィオーラはそんなことを考えつつ、またひとつ息を吐いた。
晴れ晴れとした空がいっそ憎い。
「おじょ……奥様。あまり陽に当たってますと、せっかくの綺麗なお肌が焼けてしまいますよ」
テーブルに肘を置いて悩ましく息を零していると、背後からよく知る声が掛けられた。
凛とした声。
振り向けばその先には予想通り────見目麗しい男性がいた。
しかし、それは見た目だけのこと。
美しい漆黒の髪は短く切り込まれ特別に誂えた騎士服に身を包み帯剣しているが、エルは立派な女性である。
言い直していたが、彼女のミスにはちゃんと気づいていた。ついつい口元が緩んでしまう。
「フフッ、まだ慣れない?」
「……すみません、奥様。以後気を付けます」
「ううん、いいのよ。わたくしだって……まだ実感が湧かなくて、未だ夢の中にいるような気分だもの」
「ご結婚からまだ一週間と少ししか経っていませんしね」
「そう、なのよね……。まだ、一週間と少し……」
自分が至らなかったせいで、そのうちの半分を無駄にしてしまった。
そのことを思い出してソルフィオーラの口からはまた溜め息が零れる。
自分がちゃんとしていたなら、もしかしたらもっと充実した日々になっていたかもしれない。
そうしたらきっとこんなにも切ない思いに駆られることもなく、今頃は素直にブルームの身体を心配したり領主の妻としてこれからの振る舞いを考えたりする余裕だってあったはずなのに。
「ねぇ、エル……」
「はい、奥様」
「わたくしって……本当にダメダメよね……」
「一体どうなさったのですか?」
きょとんと首を傾げたエルに胸の内を明かす。
暫しの時間を掛けて話し終えるや否や、エルはクスクスと笑い出した。
「奥様は本当に旦那様を好いていらっしゃるのですね」
エルの言葉にカッと頬に熱が集中する。
「そ、それは……当り前じゃない。ブルーム様を心からお慕いしてますわ」
「ええ、存じております」
「もう……。でも、こうしてエルにはわたくしの想いを明かすことが出来るのに、ブルーム様にはまだ……言えてないの」
あれから二人の時間を過ごして、最初の時よりも少しずつ自分らしく振る舞えるようになってきた。
情事もまだまだ緊張しがちではあるが、慣れて来た。幸福を感じる余裕も出来た。
若干ぎこちなさを残しつつもブルームが優しく導いてくれるから。
そんな中で想いを告げられそうな瞬間は何度もあったのに、どうしても喉まで込み上げた想いは言葉に出来なかった。
だからダメダメなのだ。ブルームはもう何度も自分に愛を告げてくれているのに。
「こんなわたくしが、ブルーム様のためにできることなんてあるのかしら……」
「……奥様」
背後にエルの気配。
そして、ふわりと温かな体温に包まれた。
「……大丈夫ですよ、ソルフィオーラ様。旦那様はとてもお優しいのでしょう? きっと、ちゃんと、奥様のことを理解されているはずです」
「エル……」
「だから大丈夫です。これから末永く共にするんです。ゆっくりじっくり絆を深めていきましょう。焦る必要はないのですから」
エルの体温と優しい言葉がじんと身体中に広がっていく。
落ち込んでいたり悲しんでいたりすると、エルはいつもこんな風にソルフィオーラを抱き締め優しい言葉を掛けてくれる。
エルはソルフィオーラにとって実の姉のような存在。彼女を連れて来て良かったと心から思った。
「ありがとう、エル。……おかげで元気が出てきましたわ」
抱き締めるエルの細くも逞しい手に自分のを重ね、ソルフィオーラは礼を告げた。
「ふふ、良かったです。これからのこと、一緒に考えましょう。何なら、執事様にも相談────」
「────僕が何か?」
不意に言葉は途切れ、優しい温もりがパッと離れた。
ソルフィオーラも後ろを振り返ると、そこにはセレネイド家の執事であるノクスが立っていた。
茶色の髪が春の陽射しに照らされ淡く煌いている。
ノクスの存在に気づいたエルがぺこりと会釈してソルフィオーラから一歩下がった。
「申し訳ございません。お邪魔してしまいましたね。実は少し前からお声かけしようと思っていたのですが、あまりに微笑ましい光景だったのでつい見惚れてしまいました」
「フフッ。いいのよ、ノクス。エルとは幼い頃からの付き合いなの」
「はい、存じ上げております。旦那様とご婚約が決まったあと、エルさんについてフランベルグ侯爵様からお手紙を戴きまして」
「まぁ、お父様から?」
「はい。ですので、エルさんが騎士を兼ねている事情はセレネイド家の者ども皆理解しております」
「良かった。本当はわたくしからちゃんとお話するべきでしたのに……至らないところばかりで申し訳ないわ……」
本日何度目かの溜め息。
自分はこんなにも落ち込みやすい性格をしていただろうか。
昔の自分が思い出せない。
「そういえば、ノクスはどうしたの?」
これ以上自分の至らなさに落ち込む前に、ソルフィオーラは話題を変えた。
ノクスは少し前から中庭に来ていたと言っていた。
ということは自分かもしくはエルに用があるのだろう。
「わたくしに用だったかしら?」
「はい。実はこれから旦那様の元へ着替えなどを届けに行くのですが、奥様から旦那様に何か伝言などあれば……と思いまして」
「まぁ、そうだったの! 伝言……そうね、伝言……」
思いがけない用件だった。
ソルフィオーラは考え込む。
ブルームに自分の想いをチャンスだ。
(ブルーム様に……お慕いしています……って……! ────いえ、それはだめよ)
大事な言葉をノクスを介して伝えるなど。
そういうのはちゃんと自分の口から伝えるものだ。
(……あっ、手紙。手紙はどうかしら? 口では伝えづらくても、文章でならわたくしも素直に……!)
「ハハハ。奥様、そんなに焦って考えなくても大丈夫ですよ。旦那様の所へはお昼頃お伺いする予定ですので。お手紙でも────何でも旦那様へお届けしますから」
うんうんと考え込んでいたらノクスに笑われてしまった。
ぽっと熱くなった頬を手で押さえて、ソルフィオーラは冷静になろうと努める。
ソルフィオーラの心境を思って言ってくれたのだろう。ノクスは有能だ。
お昼まで約二時間ほど。
その間にブルームへの想いをしたためなければ。ノクスの気遣いを無駄にしないよう、考えるのだ。
「……あの、執事様」
そこへエルがノクスへ声を掛ける。
エルにしては少々控えめな声掛けだ。
「はい、何でしょう?」
「……旦那様の所へ奥様もお連れできないでしょうか? 執事様にも相談しようと思っていたところだったのですが、実は奥様が自身も領主の妻として何か出来ないかと悩んでおられまして」
エルの方に目を向ければ優しい眼差しが返ってきた。
ほんの一瞬交わされた視線。エルは続きを口にする。
「復興作業には有志で領民の方も参加されていらっしゃるのですよね? 旦那様も領民の方からとても慕われていると聞いておりますし、そこへ奥様から直接労いの言葉をお掛けできれば皆さまの志気も上がるのではないかと思いまして。……それにきっと、旦那様も奥様にお会いしたいかと」
差し出がましい意見をすみません、と締めくくってエルはぺこりと頭を下げた。
やはりエルは頼りになる。
自分では考えつかなかったこと。
素直にノクスの言葉だけを受け取って、それ以上のことを考えようともしなかった。
やっぱり自分は駄目だと、ソルフィオーラは思う。
会いたいなら、会いに行けばいい。
伝えたいことがあるなら、直接伝えに行けばいい。
大図書館での時のように、自分から一歩踏み出さなければ何も変わらないというのに。
(────わたくしの、ばか……っ!)
めげそうになっていた心を叱咤して、さっと切り替える。
思考は前向きに、視線はノクスに向けて。
「エルの言う通り領民の皆様が……夫、と共に復興に向けて頑張っているのならわたくしからも直接お礼と労いの言葉を是非伝えたいわ。だからわたくしもご一緒してもいいかしら?」
少々早口めに言葉が出ていった。しかもほぼ言葉を切りもしなかったので、言い終わったときには少し息切れしていた。
僅かな間が空く。
「ええ。素晴らしいお考えです、奥様。是非一緒に参りましょう、もちろんエルさんも護衛として」
にっこりと微笑むノクスにソルフィオーラは安堵した。
「旦那様もお喜びになりますよ。今頃きっと、奥様への想いを募らせてまた眉間に皺を寄せているでしょうから」
「フフフッ、そんな。でも、ブルーム様だけじゃないわ。だってわ、わ、わたくしも……その、ブルーム様に、あ、会いたい……もの……」
口にしたら恥ずかしくて、尻すぼみになってしまった。
頭の中にパッとブルームの姿が浮かんだのだ。眼鏡を外して自分に向けられるブルームの熱い眼差しを。
傍らに控えるエルがクスリと笑った。ノクスは変わらずにこやかに微笑んでいる。
「……ねぇ、ノクス。労いの言葉を掛ける以外に、わたくしが出来る事ってあるかしら?」
「と、言いますと?」
「この一週間で、わたくしがどれだけ幼かったかを思い知ったわ。自分のことばかりで、相手のことを思い遣る余裕もなかったもの……。それに比べてブルーム様はお優しいし、領民の皆様からも慕われている、とても立派な方だわ。だからわたくしもブルーム様に見合う人になりたいの」
これからもずっと一緒にいるために。
少しでもブルームの役に立ちたいのだと、ソルフィオーラがそう言い終えると、ノクスは微笑みを消し真面目な表情で考え込み始めた。
「…………相手を思い遣る余裕がなかったのはブルームも一緒なんだけどな」
「ノクス?」
「いえ、何でも。ちょっとした独り言です」
ノクスの呟きは耳に入らなかったが、きっと自分のために思いついた考えを口にしたのだろう。
ソルフィオーラがそう思った通り、次にノクスから告げられた言葉はそれだった。
「奥様。軽食の差し入れをするというのは如何でしょうか?」
ソルフィオーラにとって、未知なる挑戦が始まった瞬間であった。
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