プリエ・セイレーン

詠月あさひ

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第一章

美しき女神と彼女の想い

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ふと、意識が浮かび上がった。
重い瞼をなんとか持ち上げれば、シャンテルの目に飛び込んできたのは水。しんと澄みきって、底すら見渡せるほどの透明度。

不思議なのは、水中をたゆたっているというのに、体が軽く呼吸も出来るということだ。水に沈む苦しさを忘れてしまうほどに。

「此処は…」

「気がつきましたか」

「!」

唐突に、声が脳内に響くように聞こえてきた。誰かいるのだろうかと辺りをきょろきょろと見渡すものの、誰も居ない。シャンテルは首をかしげる。

女性の声だった。高くもなく低くもなく、耳に心地いい。凛とした、女性らしい強さを感じさせる声。

右を向いていたシャンテルの脳内にに、再び声が響いてくる。

「こちらを向いて」

「……!」

声に導かれるままに正面を向いたシャンテルの目の前に、突如として女性が現れた。

柔らかそうな金糸の長い髪が、ゆらゆらと水にたゆたい、サファイアを嵌め込んだような青く輝きを持つ瞳。絹らしき生地を使った、シンプルでありながらも女性の美しさを際立たせる白い衣装は、肌の露出を許さない。ちらりと見える指先から判断するに、肌は抜けるように白い。

シャンテルが女性に虜になったように見つめていたのは、 その美しさゆえだ。

まるで彫刻のような、シンメトリーに整った美貌は、垂れた目尻のためにおっとりとして優しそうな印象を受ける。なんて綺麗な人なんだ。神に祝福されたかのような完全な美しさ。シャンテルは思わず見惚れる。

「シャンテル」

「…どうして、私の名前を」

美貌の女性は、優しく微笑む。慈しみに満ちた聖母の微笑みだ。しかし、何故自分の名を知っているのかとシャンテルには腑に落ちない。悪く言えば疑っている。こんな美しい人がと思いたくはないが、悪い人なのかもしれないと。

「貴女はいつも私の傍に居ました。シャンテルもエレナも」

「母様を知っているの?」

「ええ、勿論」

「……貴女は誰?天使?」

彼女自身、なんてふざけたことを訊いているのだろうかという自覚はあった。しかし、そのほうが説得力があるように思えたのだ。自分はもう死んでいて、この綺麗な人は神様の御使いで、自分を迎えに来たのだと。そう考えた方がシャンテルは納得することが出来る。しかし、女性は首をゆるく左右に振った。

しかし、どこかで見たことがある気がするのだ。この女性に対して、ひどく既視感を覚える。例えるなら、幼い頃に会った親戚のような。確かに会ったことはあるのに、何処で会ったかを思い出せない。

記憶の糸を手繰り寄せる。もう少しのところまで来ているのに、寄せては返す波のように手が届きそうになると、引いていってしまう。

「あ……!」

漸く思い出した。この女性、神殿にあるアンドロメダの女神像とそっくりなのだ。シャンテルがその答えに辿り着くと、女性は花が綻ぶように麗しく微笑み、頷いた。

「そう。私はアンドロメダです」

「で、でも、どうして…」

動揺するシャンテル。それに相対するアンドロメダは、悲しそうに目を細めた。

「私の授けたオーブを守るために、貴女が海で溺れてしまったのを見ました」

「私、やっぱり死んだんだ…」

胸が空っぽになったような気がした。自分の人生が、あまりにもあっさりと終わってしまったことがショックだった。呆気なさ過ぎて、行き場のないもやもやとした感情が、シャンテルの胸を占める。事実を受け入れきれない様子のシャンテルに、アンドロメダは申し訳なさそうに俯く。アンドロメダもまた、悲しみに支配されていた。自分が授けた物を守るために、年若い少女が犠牲になってしまったことが、重くのし掛かる。そして、アンドロメダはひとつの決断をした。だからこそ、天へ召されるシャンテルを引き留め、こうして話をしているのだ。

「貴女に命を返します」

「……え?」

静かなアンドロメダの言葉に、シャンテルは思わず驚きの声をあげる。命を返すとは、どういうことだろうか。

「貴女を甦らせます。貴女が愛したあの世界に、貴女を返します」

「…そんなことが、出来るのですか?」

いくら女神だからといって、そのようなことが出来るのだろうか。アンドロメダの言葉に、シャンテルは首をかしげた。まさか、そんな魔法のようなことが出来るわけがない。

そのようなことがあってはならないと、シャンテルは思ったのだ。自分だって、納得する幕切れではなかった。だが、それは他の人だって言えることだ。自分の終わりに納得して、死を迎えた人はきっと少ないだろう。事故に遭った人、病に侵された人、他者の手によって命を奪われた人。自分もその中の一人だが、自分一人がそんなチャンスを与えられるのは、許されるのだろうか。でも、叶うのならばエレナに会いたい。もう一度会って言葉を交わして、抱き締めあいたい。そして、全てが悪い夢だった。その悪夢から目が覚めただけ。そんなふうに、もとの暮らしに戻りたいというのもまた、事実だった。

そんなシャンテルの胸の内を、アンドロメダは見通していた。苦悩するシャンテルに、続けて話をするアンドロメダ。

「その代わり、貴女にしか出来ないことを頼みたいのです」

「私にしか、出来ないこと…?」

「そう。貴女にしか、頼めないことです」

暫しシャンテルは悩んでいたものの、一度頷けばアンドロメダの顔をじっと見つめる。

「私が両親のために授けたオーブを、悪人の手から取り戻してほしいのです。あれは、私の生まれた国の民の平穏な未来のために、母と父に授けた物。悪しき者の手に渡してはいけない。闇に満ちた未来に導かれてしまう…」

悲痛な表情を浮かべながら、アンドロメダは訴えかけるように言った。平和のために使わした物を悪用されるのは、誰だって苦しいだろう。

シャンテルは悩む。そんな大層なことが、自分に出来るだろうか。それが問題だった。しかし、やってみないと分からないというのも事実。どうせなら、誰かのために二度目の命を使おう。それならばきっと、浮かばれない魂も二度目の人生を手にいれる自分を許してくれるだろう。シャンテルは、アンドロメダの言葉に頷いた。

「…わかりました。貴女のために、オーブを取り戻します!」

意を決したシャンテルの言葉に、アンドロメダは優しく微笑んだ。そしてゆるりと頷く。

「貴女に一つ言っておかなければいけないことがあります」

「なんでしょうか…?」

「いくら人でない私と言えど、一度失われた人の命を完全な形で世に戻すことはできないのです。貴女の体は、なんらかの影響を受けてしまいます」

「それは、一体…」

「分かりません。ですが、その代わりに私の守り石を授けます。きっと貴女を助けてくれるはずです」

そういって水を掬うような形に手を合わせ、シャンテルの目の前にその手を差し出す。つられるようにじっとそれを見るシャンテル。すると何処からかその手の内にきらきらと光る粒子が現れた。それら金色に光り、円を形どる。そして、弾けるように光が消えると、そこには青い石があった。宝石のような輝きに満ち、海のような青色をしている。その大きさは片方の手のひらに容易く収まる程度のものだ。

一度アンドロメダの様子を窺いみれば、彼女は頷いて見せた。シャンテルはそれを了承と受け取り、その石に手を伸ばす。

「その石を通して、貴女のことを見守っています。だから」

何があっても、諦めないで。

アンドロメダのその言葉を最後に、途切れるようにシャンテルの意識はぷつりと切れた。
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