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1.身分違いの友
わたしがまだ幼く、露に潤んだ庭を裸足で駆けまわっていたころ。
この土地はいつも穏やかで、そよぐ風が母の子守唄のように
優しく耳をくすぐった。
あの日々のやわらかな光を想いだすたび、
胸の奥がほろ苦く疼くのはなぜなのか。
もう戻れぬ時間に対する惜別の想いか、それとも、
今という現実をかき乱す運命のいたずらか。
わたしの名はメアリー・ティスデル。
小さな領地に仕える召使の娘として生を受けた。
幼い頃は、どこまでも広がる丘の稜線がこの世界のすべてだと思っていた。
貧しくはあったけれど、母のおおらかな笑顔とやさしい日差しが注ぐ台所。
すすけた暖炉の前で編み物の端切れをいじくりながら、わたしは幸せを噛みしめていた。
そんな小さな日常を潤してくれたのがエレノア・シェフィールド様だった。
彼女は貴族であるシェフィールド家の娘。
生まれながらにして纏う尊厳と、
細く白い指に宿る品位はわたしとは遠い世界の人のように思えた。
初めてわたしを絹のように滑らかな手で導いてくれたとき、
わたしの心に深くしみこんだのは彼女に満ちていた優しい光だった。
「メアリー、こっちへいらして」
城内のお屋敷に呼ばれたあの日、いまだに鮮明に覚えている。
膝には泥がこびりつき靴下はほつれていたけれど、
エレノア様は嫌な顔ひとつせずに細い指先を差し出してくれた。
澄んだ瞳を覗きこむと、彼女の中にはどこか寂しげなものが混ざっているようだった。
わたしはすぐにそれが孤独であると悟った。
漆黒の髪に包まれた美しい額。
その陰には高貴であるがゆえの重圧や、
幼心にははかり知れない期待がのしかかっていたのだろう。
彼女に丘の上へ案内されると、
そこに広がっていたのは一面のタンポポ畑だった。
黄金色の絨毯を敷き詰めたかのように、無数のタンポポが陽の光を浴びて輝いている。
わたしたちはその美しい光景の中で時を忘れた。
綿毛を吹き飛ばしては願い事をし、
柔らかな草の上に寝転がって青空を見上げた。
白い雲が緩やかに形を変えていく様子を眺めながら、他愛のない会話を楽しんだ。
エレノア様は器用な指先でタンポポの茎を編み、
花冠を作り上げると、微笑みながら私の頭に優しく載せてくれた。
「よく似合ってる」
「エレノア様」
かしこまって呼ぶわたしの言葉を彼女はくすりと笑ってはねのけ、
「そんな響きはよして。あなたはわたくしの大切なお友達なのだから」
そう言ってわたしの名を呼んだ。
そのとき、この世界のすべてが輝いたように思った。
光と影、威厳と素朴、限りあるわたしの未来と彼女の背負う輝かしい道筋。
小さな手と手が重なり合った瞬間に、わたしの心には “誓い” が生まれたのだ。
──どんなときも彼女を支えたいと。彼女の笑顔を守りたいと。
わたしの小さな胸が初めて誰かのために強く鼓動を打った瞬間だった。
それは生まれや立場を超えた特別な絆だった。
エレノア様は貴族の子女として馬車で
遠くの町へ出かけることもあれば、領内の大きな催しに顔を出すこともあった。
そんなとき、わたしは召使の手伝いをしつつも、
隙間を見つけては彼女をお目付役のように見守った。
「メアリー、自分のやりたいことを見つけてみたらどう?」
そう優しく諭されることもあったけれど、わたしはただ笑みを返すのみ。
この屋敷で彼女を見つめる時間こそがわたしの唯一の幸せだった。
時は流れ、わたしたちが少女から一歩大人へ足を踏み出した頃、
領地は政略結婚の話でざわつき始めた。
その渦に巻きこまれたのはほかでもないエレノア様。
彼女がうつむいて、けれど毅然とした表情で告げた日をわたしは決して忘れられない。
「わたくし、ロイド=グレイモンド卿と結婚することになったの」
屋敷の廊下に風が寂しげに吹き抜けたように感じた。
ロイド卿は領主様に対して強い騎士としての忠誠を示し、
その家柄と武功によって名を馳せていた。
それはそれは堂々たる人物であり、軍馬を操り、多くの敵を退け、
領主様の信頼を一身に受けるほどの男。
誰もが羨むであろう高貴な相手であるはずが、なぜかエレノア様の表情は曇っていた。
この土地はいつも穏やかで、そよぐ風が母の子守唄のように
優しく耳をくすぐった。
あの日々のやわらかな光を想いだすたび、
胸の奥がほろ苦く疼くのはなぜなのか。
もう戻れぬ時間に対する惜別の想いか、それとも、
今という現実をかき乱す運命のいたずらか。
わたしの名はメアリー・ティスデル。
小さな領地に仕える召使の娘として生を受けた。
幼い頃は、どこまでも広がる丘の稜線がこの世界のすべてだと思っていた。
貧しくはあったけれど、母のおおらかな笑顔とやさしい日差しが注ぐ台所。
すすけた暖炉の前で編み物の端切れをいじくりながら、わたしは幸せを噛みしめていた。
そんな小さな日常を潤してくれたのがエレノア・シェフィールド様だった。
彼女は貴族であるシェフィールド家の娘。
生まれながらにして纏う尊厳と、
細く白い指に宿る品位はわたしとは遠い世界の人のように思えた。
初めてわたしを絹のように滑らかな手で導いてくれたとき、
わたしの心に深くしみこんだのは彼女に満ちていた優しい光だった。
「メアリー、こっちへいらして」
城内のお屋敷に呼ばれたあの日、いまだに鮮明に覚えている。
膝には泥がこびりつき靴下はほつれていたけれど、
エレノア様は嫌な顔ひとつせずに細い指先を差し出してくれた。
澄んだ瞳を覗きこむと、彼女の中にはどこか寂しげなものが混ざっているようだった。
わたしはすぐにそれが孤独であると悟った。
漆黒の髪に包まれた美しい額。
その陰には高貴であるがゆえの重圧や、
幼心にははかり知れない期待がのしかかっていたのだろう。
彼女に丘の上へ案内されると、
そこに広がっていたのは一面のタンポポ畑だった。
黄金色の絨毯を敷き詰めたかのように、無数のタンポポが陽の光を浴びて輝いている。
わたしたちはその美しい光景の中で時を忘れた。
綿毛を吹き飛ばしては願い事をし、
柔らかな草の上に寝転がって青空を見上げた。
白い雲が緩やかに形を変えていく様子を眺めながら、他愛のない会話を楽しんだ。
エレノア様は器用な指先でタンポポの茎を編み、
花冠を作り上げると、微笑みながら私の頭に優しく載せてくれた。
「よく似合ってる」
「エレノア様」
かしこまって呼ぶわたしの言葉を彼女はくすりと笑ってはねのけ、
「そんな響きはよして。あなたはわたくしの大切なお友達なのだから」
そう言ってわたしの名を呼んだ。
そのとき、この世界のすべてが輝いたように思った。
光と影、威厳と素朴、限りあるわたしの未来と彼女の背負う輝かしい道筋。
小さな手と手が重なり合った瞬間に、わたしの心には “誓い” が生まれたのだ。
──どんなときも彼女を支えたいと。彼女の笑顔を守りたいと。
わたしの小さな胸が初めて誰かのために強く鼓動を打った瞬間だった。
それは生まれや立場を超えた特別な絆だった。
エレノア様は貴族の子女として馬車で
遠くの町へ出かけることもあれば、領内の大きな催しに顔を出すこともあった。
そんなとき、わたしは召使の手伝いをしつつも、
隙間を見つけては彼女をお目付役のように見守った。
「メアリー、自分のやりたいことを見つけてみたらどう?」
そう優しく諭されることもあったけれど、わたしはただ笑みを返すのみ。
この屋敷で彼女を見つめる時間こそがわたしの唯一の幸せだった。
時は流れ、わたしたちが少女から一歩大人へ足を踏み出した頃、
領地は政略結婚の話でざわつき始めた。
その渦に巻きこまれたのはほかでもないエレノア様。
彼女がうつむいて、けれど毅然とした表情で告げた日をわたしは決して忘れられない。
「わたくし、ロイド=グレイモンド卿と結婚することになったの」
屋敷の廊下に風が寂しげに吹き抜けたように感じた。
ロイド卿は領主様に対して強い騎士としての忠誠を示し、
その家柄と武功によって名を馳せていた。
それはそれは堂々たる人物であり、軍馬を操り、多くの敵を退け、
領主様の信頼を一身に受けるほどの男。
誰もが羨むであろう高貴な相手であるはずが、なぜかエレノア様の表情は曇っていた。
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