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10.狩猟の朝
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それからしばらくして、屋敷にこんな話が伝わった。
「ロイド卿の狩りの手並みが素晴らしいので、
領主さまはこの秋にも大きな狩猟を催すらしい」
「古くから伝わる森の奥地へ入るらしく、危険も多いとか…」
わたしは台所で料理の支度を手伝いながら、その噂を小耳に挟んだ。
一方、エレノア様は天候が安定しないこともあり、
体がおもわしくない日が続いていた。
狩りに同行するなど考えもせず、
むしろ屋敷の一室で休養を取ることさえ苦痛に感じるほど衰弱しているようだった。
ある日、エレノア様がぽつりと言った。
「わたくし…このまま、ロイド様との距離が埋まらないままでいいのかしら。
あの方が見ている先にわたしはいないみたい…」
今にも消え入りそうな声。
何と答えるべきか分からなかった。
彼女を励まそうとしても、なかなか心に届く言葉が見つからない。
一方、ロイド卿はそんなエレノア様の心中をどれほど理解しているのだろうか。
使用人たちが口にする「狩りの成果」や「軍務の功績」は確かに華やかだ。
でも、夫婦として向き合う時間は限りなく少ない。
同じ庭に咲きながらも互いに茎でつながっていない別の花のよう。
──
そしてある朝、使いの者が大慌てで屋敷にやってきた。
「領主様が急ぎ狩猟の準備を整えよと仰せです!
ロイド卿にも声をかけるようにとのこと」
その知らせを受けて、屋敷中が一斉に動き出す。
今回の狩猟は領主様本人が出向くということで、大がかりなものとなりそうだという。
季節は移ろい、初夏から晩夏へ差しかかる時期。
天候が荒れやすく、森の中は不測の事態も起こりやすい。
それでも領主様の意向に逆らうことはできない。
ロイド卿もまた装備を整え、従者たちを引き連れて赴くことが決まった。
わたしは侍女の一人として、その狩猟の下準備を手伝うことになった。
といっても主従関係の厳しさゆえ、わたしが同行できるのかどうかはわからない。
ごく少数の侍女も馬車に乗せて行く予定があるという噂を聞き、落ち着かない気持ちになる。
──
数日後、狩猟の日はあっという間にやってきた。
あいにく、朝から雲行きが怪しく、しとしとと冷たい雨の気配が漂う。
領主様やロイド卿をはじめ、騎士たちの出立は早朝になり、
各々が馬にまたがり、槍や弓矢を携えて森の入り口へと進んでいく。
わたしも運よく、あるいは不運にも狩猟の一行に加わることになった。
「メアリー、あなたはいったいなぜ?」
エレノア様は不思議そうな顔をしたが、その顔には少しだけ安堵の色も見えた。
わたしが同行すれば、ロイド卿や周囲のことを密に伝えられる。
彼女がまだ体調を崩していることもあり、直接森に入るのは難しい。
侍女が数名ついていくのは、狩りの合間に騎士たちの世話をするためという名目だった。
馬車に乗り、森のそばに設置される簡易のテント周辺で待機するというのが主な役目。
わたしは不安で胸がいっぱいだった。
狩猟の経験もなければ、森の地形も知らない。
ましてや、このところ頻繁に雨が降り、森の地面はぬかるんでいるだろう。
足を踏み入れただけで、迷子になってしまいそうだ。
それでもわたしは行かなくてはならないと心が告げた。
漠然とした予感が心中を騒がせる。
──あの人がわたしを呼んでいるような。
どこかで、ロイド卿の存在がわたしの中へ滲みはじめている気がしていた。
それを認めることは同時に自分の裏切りを認めることでもある。
エレノア様を置いて、わたしは出発の朝、笑顔で別れを告げた。
「しばらく留守にしますが、必ずご無事で。エレノア様もご自愛ください」
「ええ、ありがとう。どうかあなたも気をつけてね」
エレノア様の瞳に宿るわずかな安堵と消えない不安の影。
わたしの心もその影と共鳴するようにざわめいていた。
「ロイド卿の狩りの手並みが素晴らしいので、
領主さまはこの秋にも大きな狩猟を催すらしい」
「古くから伝わる森の奥地へ入るらしく、危険も多いとか…」
わたしは台所で料理の支度を手伝いながら、その噂を小耳に挟んだ。
一方、エレノア様は天候が安定しないこともあり、
体がおもわしくない日が続いていた。
狩りに同行するなど考えもせず、
むしろ屋敷の一室で休養を取ることさえ苦痛に感じるほど衰弱しているようだった。
ある日、エレノア様がぽつりと言った。
「わたくし…このまま、ロイド様との距離が埋まらないままでいいのかしら。
あの方が見ている先にわたしはいないみたい…」
今にも消え入りそうな声。
何と答えるべきか分からなかった。
彼女を励まそうとしても、なかなか心に届く言葉が見つからない。
一方、ロイド卿はそんなエレノア様の心中をどれほど理解しているのだろうか。
使用人たちが口にする「狩りの成果」や「軍務の功績」は確かに華やかだ。
でも、夫婦として向き合う時間は限りなく少ない。
同じ庭に咲きながらも互いに茎でつながっていない別の花のよう。
──
そしてある朝、使いの者が大慌てで屋敷にやってきた。
「領主様が急ぎ狩猟の準備を整えよと仰せです!
ロイド卿にも声をかけるようにとのこと」
その知らせを受けて、屋敷中が一斉に動き出す。
今回の狩猟は領主様本人が出向くということで、大がかりなものとなりそうだという。
季節は移ろい、初夏から晩夏へ差しかかる時期。
天候が荒れやすく、森の中は不測の事態も起こりやすい。
それでも領主様の意向に逆らうことはできない。
ロイド卿もまた装備を整え、従者たちを引き連れて赴くことが決まった。
わたしは侍女の一人として、その狩猟の下準備を手伝うことになった。
といっても主従関係の厳しさゆえ、わたしが同行できるのかどうかはわからない。
ごく少数の侍女も馬車に乗せて行く予定があるという噂を聞き、落ち着かない気持ちになる。
──
数日後、狩猟の日はあっという間にやってきた。
あいにく、朝から雲行きが怪しく、しとしとと冷たい雨の気配が漂う。
領主様やロイド卿をはじめ、騎士たちの出立は早朝になり、
各々が馬にまたがり、槍や弓矢を携えて森の入り口へと進んでいく。
わたしも運よく、あるいは不運にも狩猟の一行に加わることになった。
「メアリー、あなたはいったいなぜ?」
エレノア様は不思議そうな顔をしたが、その顔には少しだけ安堵の色も見えた。
わたしが同行すれば、ロイド卿や周囲のことを密に伝えられる。
彼女がまだ体調を崩していることもあり、直接森に入るのは難しい。
侍女が数名ついていくのは、狩りの合間に騎士たちの世話をするためという名目だった。
馬車に乗り、森のそばに設置される簡易のテント周辺で待機するというのが主な役目。
わたしは不安で胸がいっぱいだった。
狩猟の経験もなければ、森の地形も知らない。
ましてや、このところ頻繁に雨が降り、森の地面はぬかるんでいるだろう。
足を踏み入れただけで、迷子になってしまいそうだ。
それでもわたしは行かなくてはならないと心が告げた。
漠然とした予感が心中を騒がせる。
──あの人がわたしを呼んでいるような。
どこかで、ロイド卿の存在がわたしの中へ滲みはじめている気がしていた。
それを認めることは同時に自分の裏切りを認めることでもある。
エレノア様を置いて、わたしは出発の朝、笑顔で別れを告げた。
「しばらく留守にしますが、必ずご無事で。エレノア様もご自愛ください」
「ええ、ありがとう。どうかあなたも気をつけてね」
エレノア様の瞳に宿るわずかな安堵と消えない不安の影。
わたしの心もその影と共鳴するようにざわめいていた。
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