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50.幸せなひととき
次の日の朝――。
おぼろげな窓の外が白々と明るみはじめ、
鶏の鳴き声らしき音が遠くから聞こえる。
わたしは疲労から深い眠りに落ち、ようやく目が覚める。
隣のアレックの寝顔を見つめ、考え込む。
(これではいけない。次の行動を決めなければ。
――そうだ、町外れに古くからの知り合いはいないか。
あるいは少し離れた村で働き口を探すか…)
そんな思案に沈んでいると、アレックがうっすら目を開けた。
まだ眠そうにして「おはよ……」とかわいい声を出す。
「おはよう、アレック坊ちゃま。いつもと違うベッドだけど眠れた?」
問いかけると、アレックはコクリとする。
「ちょっとドキドキしたけど、夢いっぱい見たよ!」
子どもらしくぱあっと笑みを浮かべる、愛しい姿。
しかし、その笑みは少し陰りを帯びるように萎んで、アレックは小さな声で言う。
「でも…、ママとお父様に会えないのは、少し寂しいかも…」
その言葉がわたしの心を削る。
(そうよ、わたし以上にエレノア様の献身を受けたのはアレックなのだから。
あの子はエレノア様を本当の母親だと思って愛しているに決まっている)
どう答えていいか分からない。
「…そうね、でも、ちょっとだけだから。もう少し我慢できる?」
としか口にできなかった。
アレックは「大丈夫だよ」とけなげに返す。
(エレノア様と同じようにこの子に愛されたいと願いながら、
心の中にいる“母”を奪い去さろうとしている…)
ベッドを降りたアレックは「外に行こうよ、メアリー!」と催促する。
わたしは朝食を済ませ、外気にあたりながら、
これからの身の振り方を考えようと思った。
どこか人里離れた場所で母としてこの子を守り、
育てられる場所などあるのだろうか。
館と違い、わたしは名もなき元侍女にすぎない。お金もそんなに持ってはいない。
たどり着く先がどれほど過酷か、想像するだけで足がすくんでしまう。
それでも、もはや誰も頼りにはできない。
ロイド卿に見つかったら最後、アレックは連れ戻されるだろう。
エレノア様のもとへ返される。
……それがこの子にとっては本当は一番の幸せかもしれないのに、
わたしはわたしのエゴで彼を連れ出している。
相反する思いを抱えながら、わたしはアレックを支度させ、
ひとときでも爽やかな空気を吸おうと宿の扉を開けた。
陽射しが通りに伸び、商人風の男や行商らしき若者、
荷馬車を操る御者らの姿がちらほら見える。
人通りが多いというほどでもないが、
旅の交差点らしく、いろんな風貌の人が混じっている。
わたしはアレックの手をぎゅっと握る。
小さな露店でパンケーキを売る香ばしい匂いに誘われる。
わずかな小銭しか持たないけれど、
子どもの喜ぶ顔を見たくて、その屋台へ近づく。
「すいません、その……パンケーキを二つください」
店主の厚い手が手際よく生地を焼き、メープルシロップをかけて渡してくれた。
アレックは歓喜の声を上げ、かじりついて頬を膨らませる。
「甘い! これ、すごくおいしい!」
わたしもひと口かじってみると、ほどよい甘さが広がる。
(思ったよりずっと…おいしい。
こんなふうにアレックと並んで食べるのは初めてかもしれない…)
周りの喧騒も忘れ、息子と幸せな時間を分かち合う。
心が軽くなるのを感じた。
どこか遠くへ行けば、こんなふうにずっと母子らしく過ごせるのだろうか。
その可能性だけが救いかもしれない。
パンケーキを食べ終わったアレックが、
次は通りに並んだ雑貨屋の前で足を止める。
木彫りの人形や小さな笛が並べられていて、好奇心がそそられるのだろう。
店先を一緒に眺め、指をさして笑うアレックの姿に顔がほころぶ。
「メアリー、これなあに? ピーピー鳴るの?」
笛を手に取ろうとするアレックを焦って止める。
「その素敵な笛に興味があるのね。
まずは一緒にお店の人に声をかけてみようね」
そのとき、店を見張っている親父さんが目を向けてきた。
「お客さん、お子さんの目がキラキラしてるぜ。
どうだい、ひとつ買って行くか?」
値段を聞くと、思いのほか高い買い物になりそうだった。
でも、彼はわたしの手を引き、天真爛漫に「これ欲しい!」とせがむ。
苦笑しつつ懐からお金を取り出し、その笛を買った。
アレックは満面の笑みで「やった!」と小躍りする。
屈託のない笑顔を見られたなら、それでいいと思った。
「ありがとう、メアリー。吹いてみていい?」
「もちろん、でも大きな音を出しすぎないようにね」
そう言い含めると、アレックは早速ぷうっと吹き鳴らした。
甲高い音が通りの空気を切り裂き、
わたしは慌てて「しっ、もう少し小さく!」とアレックの口を押さえる。
彼はきゃっきゃと笑っている。店の親父さんも楽しそうに笑っていた。
我が子と過ごすかけがえのないひと時。
そんな温かい空気に包まれた一瞬、わたしは気づかなかった。
人混みの向こう側で、漆黒のマントを羽織った誰かがじっとこちらを見ていたことを――。
おぼろげな窓の外が白々と明るみはじめ、
鶏の鳴き声らしき音が遠くから聞こえる。
わたしは疲労から深い眠りに落ち、ようやく目が覚める。
隣のアレックの寝顔を見つめ、考え込む。
(これではいけない。次の行動を決めなければ。
――そうだ、町外れに古くからの知り合いはいないか。
あるいは少し離れた村で働き口を探すか…)
そんな思案に沈んでいると、アレックがうっすら目を開けた。
まだ眠そうにして「おはよ……」とかわいい声を出す。
「おはよう、アレック坊ちゃま。いつもと違うベッドだけど眠れた?」
問いかけると、アレックはコクリとする。
「ちょっとドキドキしたけど、夢いっぱい見たよ!」
子どもらしくぱあっと笑みを浮かべる、愛しい姿。
しかし、その笑みは少し陰りを帯びるように萎んで、アレックは小さな声で言う。
「でも…、ママとお父様に会えないのは、少し寂しいかも…」
その言葉がわたしの心を削る。
(そうよ、わたし以上にエレノア様の献身を受けたのはアレックなのだから。
あの子はエレノア様を本当の母親だと思って愛しているに決まっている)
どう答えていいか分からない。
「…そうね、でも、ちょっとだけだから。もう少し我慢できる?」
としか口にできなかった。
アレックは「大丈夫だよ」とけなげに返す。
(エレノア様と同じようにこの子に愛されたいと願いながら、
心の中にいる“母”を奪い去さろうとしている…)
ベッドを降りたアレックは「外に行こうよ、メアリー!」と催促する。
わたしは朝食を済ませ、外気にあたりながら、
これからの身の振り方を考えようと思った。
どこか人里離れた場所で母としてこの子を守り、
育てられる場所などあるのだろうか。
館と違い、わたしは名もなき元侍女にすぎない。お金もそんなに持ってはいない。
たどり着く先がどれほど過酷か、想像するだけで足がすくんでしまう。
それでも、もはや誰も頼りにはできない。
ロイド卿に見つかったら最後、アレックは連れ戻されるだろう。
エレノア様のもとへ返される。
……それがこの子にとっては本当は一番の幸せかもしれないのに、
わたしはわたしのエゴで彼を連れ出している。
相反する思いを抱えながら、わたしはアレックを支度させ、
ひとときでも爽やかな空気を吸おうと宿の扉を開けた。
陽射しが通りに伸び、商人風の男や行商らしき若者、
荷馬車を操る御者らの姿がちらほら見える。
人通りが多いというほどでもないが、
旅の交差点らしく、いろんな風貌の人が混じっている。
わたしはアレックの手をぎゅっと握る。
小さな露店でパンケーキを売る香ばしい匂いに誘われる。
わずかな小銭しか持たないけれど、
子どもの喜ぶ顔を見たくて、その屋台へ近づく。
「すいません、その……パンケーキを二つください」
店主の厚い手が手際よく生地を焼き、メープルシロップをかけて渡してくれた。
アレックは歓喜の声を上げ、かじりついて頬を膨らませる。
「甘い! これ、すごくおいしい!」
わたしもひと口かじってみると、ほどよい甘さが広がる。
(思ったよりずっと…おいしい。
こんなふうにアレックと並んで食べるのは初めてかもしれない…)
周りの喧騒も忘れ、息子と幸せな時間を分かち合う。
心が軽くなるのを感じた。
どこか遠くへ行けば、こんなふうにずっと母子らしく過ごせるのだろうか。
その可能性だけが救いかもしれない。
パンケーキを食べ終わったアレックが、
次は通りに並んだ雑貨屋の前で足を止める。
木彫りの人形や小さな笛が並べられていて、好奇心がそそられるのだろう。
店先を一緒に眺め、指をさして笑うアレックの姿に顔がほころぶ。
「メアリー、これなあに? ピーピー鳴るの?」
笛を手に取ろうとするアレックを焦って止める。
「その素敵な笛に興味があるのね。
まずは一緒にお店の人に声をかけてみようね」
そのとき、店を見張っている親父さんが目を向けてきた。
「お客さん、お子さんの目がキラキラしてるぜ。
どうだい、ひとつ買って行くか?」
値段を聞くと、思いのほか高い買い物になりそうだった。
でも、彼はわたしの手を引き、天真爛漫に「これ欲しい!」とせがむ。
苦笑しつつ懐からお金を取り出し、その笛を買った。
アレックは満面の笑みで「やった!」と小躍りする。
屈託のない笑顔を見られたなら、それでいいと思った。
「ありがとう、メアリー。吹いてみていい?」
「もちろん、でも大きな音を出しすぎないようにね」
そう言い含めると、アレックは早速ぷうっと吹き鳴らした。
甲高い音が通りの空気を切り裂き、
わたしは慌てて「しっ、もう少し小さく!」とアレックの口を押さえる。
彼はきゃっきゃと笑っている。店の親父さんも楽しそうに笑っていた。
我が子と過ごすかけがえのないひと時。
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