【完結】婚約破棄したのに「愛してる」なんて囁かないで

遠野エン

文字の大きさ
6 / 33
思い出の秘密基地で

2

しおりを挟む
アランとの婚約破棄の噂は風に乗った種子のように瞬く間に社交界の隅々へと広がり、わたしは人々の軽薄な同情の言葉に晒される日々を送っている。ただでさえ婚約破棄という大きな痛手を負ったのに、貴族たちは新しいおもちゃを見つけた子どものように、勝手気ままに飾り立て、無責任な憶測の種にするのだ。

「リリーナ様、あのアラン様に振られたらしいわよ」
「ついこの間まで寄り添う姿は絵画のようだったのに、急にどうしたのかしらね?」
「子爵家が伯爵家との縁組を自ら破るなんて何か裏があるに決まってる」

目の前でそういう声をひそひそとささやく人たちもいる。わたしと目が合うと、気まずそうに笑ってそそくさと距離を取っていく。見て見ぬふりをしているが、毎日のように同じような光景ばかり。胸の奥のじくじくと疼(うず)く痛みを見ないようにするため、今日も伯爵令嬢としての仮面を貼り付ける。

「お可哀想に」「大丈夫ですか?」という上辺だけの同情もたくさん受け取った。何が大丈夫なのか、これだけ神経をすり減らしているというのに。

けれど弱さを見せれば、それを待ち構えているかのように食らいついてくる輩がきっといる。わたしは「ええ、ご心配なく。平気ですわよ」と微笑み返すだけだった。そうしなければ社交界では生きていけない。


---


アランは別の女性を連れ添ってわたしの前にたびたび姿を現す。その女性の名はルネア・フォード。謎めいた女。漆黒の長い髪。わたしとそう変わらない年頃に見えるのに、その身のこなしには熟れた果実のような妖艶さが漂う。何度も彼女との出会いの記憶を辿ったが、やはり思い当たる節がない。

そんなルネアとアランがわたしのいる夜会や観劇の場に狙いすましたように顔を出してくるようになった。彼女はいつもアランの腕にしっかりと絡みつき、わたしを煽るかのように笑みを浮かべる。そしてアラン自身もわたしの目の前で彼女との親密さをこれ見よがしに見せつける。

「リリーナ、まだいたのか。伯爵家の令嬢ともあろう者が、いつまで浮ついた社交界に現(うつつ)を抜かしているつもりだ?」

「……あなたにそんな風に言われる筋合いはないはずよ。わたしは伯爵令嬢としての義務を果たしているだけ」

「はっ、義務ね。まあ君はいつだって優等生だよな。体面を守るためだけに必死になっているその姿……実に見苦しい」


軽く笑いを含んだアランの口調はかつての優しさなど一欠片も感じられないほど刺々しい。聞いているだけで悲しくなるが、必死に平静を装う。

「そう、見苦しいなら見なければいいのに。あなたのほうこそ、そんなにわたしが気になって仕方がないのかしら?」

「まさか。哀れな女が視界の端でうろちょろしているのが目障りなだけだ。ほら、ルネア、行こう。こんなところに長居しても時間の無駄だ」

「ええ、そうね。アラン様、お望みのままご一緒するわ」


楽しそうに微笑みあうふたり。踊るような足取りで会場を去っていく。残されたわたしの胸には怒りなのか、悲しみなのか、それとも屈辱なのか、判別のつかない激しい感情が渦を巻いていた。

……だが、彼が去り際に低い声でわたしにだけ囁いていく一言がすべてをめちゃくちゃに乱してくる。

「……愛してる」

そのたった一言が。

嘲笑し、罵倒し、足蹴にしたその唇から紡がれた「愛してる」という言葉だけがわたしの心に灼(や)きつく。アランの背中が曲がり角の向こうに消えて、靴音すら聞こえなくなったあとも、その囁きの余韻が耳の奥から離れない。信じたいと願う愚かな心と、すべてを拒絶したい激しい怒りの狭間で、わたし自身の輪郭が今にもばらばらに砕け散ってしまいそうだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん
恋愛
社交界の華と謳われた伯爵令嬢セレスティアは、王太子から「完璧すぎて息が詰まる」と婚約破棄を告げられる。傷心のまま逃げるように向かったのは、亡き祖母が遺した田舎の小さな屋敷だった。 荒れ果てた屋敷、慣れない一人暮らし、そして庭に住みついた五匹の野良猫たち。途方に暮れるセレスティアの隣には、無愛想で人嫌いな青年医師・ノアが暮らしていた。 「この猫に構うな。人間嫌いだから」 冷たく突き放すノアだが、捨て猫を保護し、傷ついた動物を治療する彼の本当の姿を知るうちに、セレスティアの心は少しずつ惹かれていく。 猫の世話を通じて近づく二人。やがて明かされるノアの過去と、王都から届く縁談の催促。「完璧な令嬢」を脱ぎ捨てた先に待つ、本当の自分と本当の恋——。

【完結】恋を失くした伯爵令息に、赤い糸を結んで

白雨 音
恋愛
伯爵令嬢のシュゼットは、舞踏会で初恋の人リアムと再会する。 ずっと会いたかった人…心躍らせるも、抱える秘密により、名乗り出る事は出来無かった。 程なくして、彼に美しい婚約者がいる事を知り、諦めようとするが… 思わぬ事に、彼の婚約者の座が転がり込んで来た。 喜ぶシュゼットとは反対に、彼の心は元婚約者にあった___  ※視点:シュゼットのみ一人称(表記の無いものはシュゼット視点です)   異世界、架空の国(※魔法要素はありません)《完結しました》

婚約者の幼馴染に殺されそうになりました。私は彼女の秘密を知ってしまったようです【完結】

小平ニコ
恋愛
選ばれた貴族の令嬢・令息のみが通うことを許される王立高等貴族院で、私は婚約者のチェスタスと共に楽しい学園生活を謳歌していた。 しかし、ある日突然転入してきたチェスタスの幼馴染――エミリーナによって、私の生活は一変してしまう。それまで、どんな時も私を第一に考えてくれていたチェスタスが、目に見えてエミリーナを優先するようになったのだ。 チェスタスが言うには、『まだ王立高等貴族院の生活に慣れてないエミリーナを気遣ってやりたい』とのことだったが、彼のエミリーナに対する特別扱いは、一週間経っても、二週間経っても続き、私はどこか釈然としない気持ちで日々を過ごすしかなかった。 そんなある日、エミリーナの転入が、不正な方法を使った裏口入学であることを私は知ってしまう。私は間違いを正すため、王立高等貴族院で最も信頼できる若い教師――メイナード先生に、不正の報告をしようとした。 しかし、その行動に気がついたエミリーナは、私を屋上に連れて行き、口封じのために、地面に向かって突き落としたのだった……

婚約者を奪われた私は、他国で新しい生活を送ります

天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルクルは、エドガー王子から婚約破棄を言い渡されてしまう。 聖女を好きにったようで、婚約破棄の理由を全て私のせいにしてきた。 聖女と王子が考えた嘘の言い分を家族は信じ、私に勘当を言い渡す。 平民になった私だけど、問題なく他国で新しい生活を送ることができていた。

お飾りの側妃となりまして

秋津冴
恋愛
 舞台は帝国と公国、王国が三竦みをしている西の大陸のど真ん中。  歴史はあるが軍事力がないアート王国。  軍事力はあるが、歴史がない新興のフィラー帝国。  歴史も軍事力も国力もあり、大陸制覇を目論むボッソ公国。  そんな情勢もあって、帝国と王国は手を組むことにした。  テレンスは帝国の第二皇女。  アート王ヴィルスの第二王妃となるために輿入れしてきたものの、互いに愛を感じ始めた矢先。  王は病で死んでしまう。  新しく王弟が新国王となるが、テレンスは家臣に下賜されてしまう。  その相手は、元夫の義理の息子。  現王太子ラベルだった。  しかし、ラベルには心に思う相手がいて‥‥‥。  他の投稿サイトにも、掲載しております。

婚約破棄された令嬢、教皇を拾う

朝露ココア
恋愛
「シャンフレック、お前との婚約を破棄する!」 婚約者の王子は唐突に告げた。 王太子妃になるために我慢し続けた日々。 しかし理不尽な理由で婚約破棄され、今までの努力は水の泡に。 シャンフレックは婚約者を忘れることにした。 自分が好きなように仕事をし、趣味に没頭し、日々を生きることを決めた。 だが、彼女は一人の青年と出会う。 記憶喪失の青年アルージエは誠実で、まっすぐな性格をしていて。 そんな彼の正体は──世界最大勢力の教皇だった。 アルージエはシャンフレックにいきなり婚約を申し込む。 これは婚約破棄された令嬢が、本当の愛を見つける物語。

【完結】悪女を押し付けられていた第一王女は、愛する公爵に処刑されて幸せを得る

甘海そら
恋愛
第一王女、メアリ・ブラントは悪女だった。 家族から、あらゆる悪事の責任を押し付けられればそうなった。 国王の政務の怠慢。 母と妹の浪費。 兄の女癖の悪さによる乱行。 王家の汚点の全てを押し付けられてきた。 そんな彼女はついに望むのだった。 「どうか死なせて」 応える者は確かにあった。 「メアリ・ブラント。貴様の罪、もはや死をもって以外あがなうことは出来んぞ」 幼年からの想い人であるキシオン・シュラネス。 公爵にして法務卿である彼に死を請われればメアリは笑みを浮かべる。 そして、3日後。 彼女は処刑された。

あなたが遺した花の名は

きまま
恋愛
——どうか、お幸せに。 ※拙い文章です。読みにくい箇所があるかもしれません。 ※作者都合の解釈や設定などがあります。ご容赦ください。

処理中です...