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四
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(さすがに早く着きすぎた……!)
時刻は十二時二十分。約束の十三時までは、まだ四十分もあった。
とりあえず待ち合わせ場所の駅前まで来たものの、待ち人の姿は当然ない。透がコートのポケットに手を突っ込んだまま周囲を見回すと、駅前を一望できそうなカフェの看板が目に入った。
あそこなら、芽生が来た時にもすぐに気がつけるだろう。そう考えた透は、冷たい風から逃れるようにカフェの自動扉を跨いだ。
昼下がりのコーヒーチェーン店は、ちょうど混み始めた時間帯らしく賑わっていた。先に席を確保しようと奥に進み視線を巡らせると、窓際に見覚えのある人物の姿があった。
「えっ……!?」
思わず声を上げると、その人物も顔を上げ、透を視界に入れた瞬間に驚いたように固まった。
「……汐見さん?」
「おはようございます……!」
「お、はようございま――」
そこまで言いかけたところで、芽生が勢いよく立ち上がった。椅子がガタリと音を立てて、周囲の注目が集まる。透が自信を持って仕上げた彼のルックスが、ことさら視線を集めているようだった。
芽生は慌てて机に伏せていたスマートフォンを掴み、時間を確認すると、ほっと息をついた。
「ああ、大丈夫ですよ……! 俺、張り切りすぎて早く着いちゃって……」
「……俺もです」
安心させるようになだめると、芽生は心なしか頬を染めて視線を俯けた。そんな芽生に、透はいたずらっぽい笑顔を向けた。
「はは、ご一緒してもいいですか? 作戦会議しましょう」
湯気の立つクロックムッシュとカフェオレをのせたトレーを、二人がけの小さなテーブルに置く。腰を下ろしながら、目の前の芽生へ目配せする。
「すみません、俺だけ」
半分ほど減ったコーヒーカップをソーサーに戻しながら、芽生が首を横に振った。
注文に向かう前、透が「昼は食べたか」と尋ねると、芽生が「食べてきた」と答えたので、遠慮なく軽食をつまむことにしたのだ。
何も食べていない相手の前で食事をとるのはやや気が引けたが、腹が減っては戦はできない。
「いただきます」
温かいクロックムッシュにかぶりつく。コクのあるチーズと塩気の効いたハムの組み合わせに、思わず表情が緩む。
「あ、そうだ。高良さんが嫌でなければ、俺のことは〝透〟って呼んでください。歳も近いと思うし、今日は気安くいければと。ちなみに俺は二十九です」
「……俺のことも、好きに呼んでください」
「芽生って呼ぶな。タメでいいって」
「……じゃあ、」
芽生が遠慮がちに頷いたのを見届けて、もう一口かぶりつく。
ちなみに芽生は透の四つ年下の、二十五歳だ。最初にカウンセリングシートに書いてもらったので知っている。年を開示したのは、こちらだけが一方的に知っているのはフェアじゃないと思ったからだ。
味わいながらパンを咀嚼していると、芽生がじっとこちらを見つめていることに気がついた。
「食べる?」
そう言って、手をつけていないもう一切れを皿ごと寄せると、芽生は慌てて首を振った。
「……うまそうに食べるなと思っただけだ」
「そうか? 芽生は何食べてきたんだ?」
「出がけに、プロテインを」
どうやら芽生は食事にも無頓着なようだ。自分ならそれだけでは腹が空いて、ここまで辿り着けないだろうと、透は内心で苦笑した。
透はこう見えて大食漢だ。背は平均より高いものの、細身の体つきからは想像がつかないほどよく食べると評される。今日だって、実は家で昨日の夕飯の残りのドライカレーをしっかり食べてきているのだ。
「芽生って体鍛えてる?」
「……まあ、習慣みたいなものだが」
「やっぱり。そういう体つきしてる。食事制限でもしてるのか?」
「……いや、家で食事するのが面倒なだけだ」
「ならよかった。夕飯、食べたいもの考えといて」
透が「ご馳走するから」とにっと歯を見せて笑った。その無邪気な笑顔に、芽生は一瞬だけ目を伏せた。人がひしめき合う喫茶店の狭い二人席で直視するには、あまりにも眩しかった。
作戦会議と称して、前日に透が立てた計画を共有したあと、二人は大型ショッピングモールを訪れた。
明るく人で賑わう館内を、芽生は物珍しげに見回した。こういう場所に来たのは何年ぶりだろう。商業高校の同級生たちと来たのが最後の記憶なので、下手をすれば十年は来ていないことになる。
家族連れや若者たちが溢れかえるこの場所に、自分はひどく場違いに思えたが、隣に透がいることが心強かった。
透に連れられて訪れたのは、若者向けのファストファッションブランドだった。値段もお手頃で、店員もあまり話しかけてこないタイプの店だ。
「芽生は線が綺麗だから、こういうシンプルなハイゲージニットがよく似合う。着回しやすいし……カジュアルなデニム合わせても――うん、いいな」
姿見の前に立たされ、体の上から服をあてられる。プロとしてのスイッチが入ったようで、独り言めいた調子でぶつぶつと呟きながら、鏡越しに全身を舐めるように見られた。その真剣な眼差しに、芽生は美容室で髪を切られているときの既視感を覚えた。
斜め後ろに立つ透が、時おり体温を感じられるほど体を寄せてくる。そのたびに、芽生は緊張で身を固くした。
「で、こういうちょっとモードなパンツに合わせると韓国っぽくなって――うわー……すげえいい……」
透の口から、ほうと感嘆のため息が漏れた。うっとりとした眼差しを向けられ、芽生は内心で狼狽える。そんな目で見られては、都合よく勘違いしそうになる。
ふいに、姿見を見ていた透が振り返った。視線が直接交差する。
「芽生、どう思う?」
透ばかりを見ていた芽生は、虚を突かれて目を泳がせた。どう思うと聞かれても――コーディネートについて意見を求められているのだろうが、彼の選んだものはどれもよく見える。
彼が両手で掲げたハンガーに吊るされた服を交互に見て黙り込んでいると、透がくすりと笑った。
「ふふ、遠慮してる? 思うことがあるなら言わないと、俺好みの男にされちゃうよ」
おどけたように笑いかけられ、芽生は無意識のうちに生唾を飲み込んだ。
――俺好みの男に。
透にとっては軽口のつもりなのかもしれない。そうとわかっていても、頭の中で何度もリフレインする。服装程度で彼に相応しくなれるなら、どんなに良いことか。
「……ごめんごめん、冗談。けど、意見は遠慮なく言えよってこと」
「――どんな男が好きなんだ?」
気づけばそう言葉を漏らしていた。血が重力に逆らうように体の中で暴れていて、止められない。
「えっ?」
「透さん好みの男にしてくれ」
珍しく畳みかけるような口調の芽生に、透の目が大きく見開かれる。店内の明るい照明が、戸惑いに揺れる瞳に反射していた。
やがて、ばさり、と抱えていた服の一つが床に落ちた。その音にはっと我に返ったのか、透が視線を落とした。透が屈むより先に、芽生がそれを拾い上げる。
「……試着してくる」
そう言って、まだ呆けている透の腕の中から服の束をそっと取り上げる。その手元の動きを目で追っていた透が、控えめに芽生を見上げた。
「あ……うん……」
勢いのまま口説くような真似をしてしまったことを悔いていたが、幸いこちらを窺い見る瞳に嫌悪の色は読み取れなかった。むしろ――。
(いや、駄目だろ……弁えろ)
狭い試着室で、鏡越しに自分の姿を改めて見る。見た目だけ取り繕っても、所詮中身は変わらない。
息を吸って、吐く。今だけでいい。形だけでも、彼の望む姿になりたかった。
時刻は十二時二十分。約束の十三時までは、まだ四十分もあった。
とりあえず待ち合わせ場所の駅前まで来たものの、待ち人の姿は当然ない。透がコートのポケットに手を突っ込んだまま周囲を見回すと、駅前を一望できそうなカフェの看板が目に入った。
あそこなら、芽生が来た時にもすぐに気がつけるだろう。そう考えた透は、冷たい風から逃れるようにカフェの自動扉を跨いだ。
昼下がりのコーヒーチェーン店は、ちょうど混み始めた時間帯らしく賑わっていた。先に席を確保しようと奥に進み視線を巡らせると、窓際に見覚えのある人物の姿があった。
「えっ……!?」
思わず声を上げると、その人物も顔を上げ、透を視界に入れた瞬間に驚いたように固まった。
「……汐見さん?」
「おはようございます……!」
「お、はようございま――」
そこまで言いかけたところで、芽生が勢いよく立ち上がった。椅子がガタリと音を立てて、周囲の注目が集まる。透が自信を持って仕上げた彼のルックスが、ことさら視線を集めているようだった。
芽生は慌てて机に伏せていたスマートフォンを掴み、時間を確認すると、ほっと息をついた。
「ああ、大丈夫ですよ……! 俺、張り切りすぎて早く着いちゃって……」
「……俺もです」
安心させるようになだめると、芽生は心なしか頬を染めて視線を俯けた。そんな芽生に、透はいたずらっぽい笑顔を向けた。
「はは、ご一緒してもいいですか? 作戦会議しましょう」
湯気の立つクロックムッシュとカフェオレをのせたトレーを、二人がけの小さなテーブルに置く。腰を下ろしながら、目の前の芽生へ目配せする。
「すみません、俺だけ」
半分ほど減ったコーヒーカップをソーサーに戻しながら、芽生が首を横に振った。
注文に向かう前、透が「昼は食べたか」と尋ねると、芽生が「食べてきた」と答えたので、遠慮なく軽食をつまむことにしたのだ。
何も食べていない相手の前で食事をとるのはやや気が引けたが、腹が減っては戦はできない。
「いただきます」
温かいクロックムッシュにかぶりつく。コクのあるチーズと塩気の効いたハムの組み合わせに、思わず表情が緩む。
「あ、そうだ。高良さんが嫌でなければ、俺のことは〝透〟って呼んでください。歳も近いと思うし、今日は気安くいければと。ちなみに俺は二十九です」
「……俺のことも、好きに呼んでください」
「芽生って呼ぶな。タメでいいって」
「……じゃあ、」
芽生が遠慮がちに頷いたのを見届けて、もう一口かぶりつく。
ちなみに芽生は透の四つ年下の、二十五歳だ。最初にカウンセリングシートに書いてもらったので知っている。年を開示したのは、こちらだけが一方的に知っているのはフェアじゃないと思ったからだ。
味わいながらパンを咀嚼していると、芽生がじっとこちらを見つめていることに気がついた。
「食べる?」
そう言って、手をつけていないもう一切れを皿ごと寄せると、芽生は慌てて首を振った。
「……うまそうに食べるなと思っただけだ」
「そうか? 芽生は何食べてきたんだ?」
「出がけに、プロテインを」
どうやら芽生は食事にも無頓着なようだ。自分ならそれだけでは腹が空いて、ここまで辿り着けないだろうと、透は内心で苦笑した。
透はこう見えて大食漢だ。背は平均より高いものの、細身の体つきからは想像がつかないほどよく食べると評される。今日だって、実は家で昨日の夕飯の残りのドライカレーをしっかり食べてきているのだ。
「芽生って体鍛えてる?」
「……まあ、習慣みたいなものだが」
「やっぱり。そういう体つきしてる。食事制限でもしてるのか?」
「……いや、家で食事するのが面倒なだけだ」
「ならよかった。夕飯、食べたいもの考えといて」
透が「ご馳走するから」とにっと歯を見せて笑った。その無邪気な笑顔に、芽生は一瞬だけ目を伏せた。人がひしめき合う喫茶店の狭い二人席で直視するには、あまりにも眩しかった。
作戦会議と称して、前日に透が立てた計画を共有したあと、二人は大型ショッピングモールを訪れた。
明るく人で賑わう館内を、芽生は物珍しげに見回した。こういう場所に来たのは何年ぶりだろう。商業高校の同級生たちと来たのが最後の記憶なので、下手をすれば十年は来ていないことになる。
家族連れや若者たちが溢れかえるこの場所に、自分はひどく場違いに思えたが、隣に透がいることが心強かった。
透に連れられて訪れたのは、若者向けのファストファッションブランドだった。値段もお手頃で、店員もあまり話しかけてこないタイプの店だ。
「芽生は線が綺麗だから、こういうシンプルなハイゲージニットがよく似合う。着回しやすいし……カジュアルなデニム合わせても――うん、いいな」
姿見の前に立たされ、体の上から服をあてられる。プロとしてのスイッチが入ったようで、独り言めいた調子でぶつぶつと呟きながら、鏡越しに全身を舐めるように見られた。その真剣な眼差しに、芽生は美容室で髪を切られているときの既視感を覚えた。
斜め後ろに立つ透が、時おり体温を感じられるほど体を寄せてくる。そのたびに、芽生は緊張で身を固くした。
「で、こういうちょっとモードなパンツに合わせると韓国っぽくなって――うわー……すげえいい……」
透の口から、ほうと感嘆のため息が漏れた。うっとりとした眼差しを向けられ、芽生は内心で狼狽える。そんな目で見られては、都合よく勘違いしそうになる。
ふいに、姿見を見ていた透が振り返った。視線が直接交差する。
「芽生、どう思う?」
透ばかりを見ていた芽生は、虚を突かれて目を泳がせた。どう思うと聞かれても――コーディネートについて意見を求められているのだろうが、彼の選んだものはどれもよく見える。
彼が両手で掲げたハンガーに吊るされた服を交互に見て黙り込んでいると、透がくすりと笑った。
「ふふ、遠慮してる? 思うことがあるなら言わないと、俺好みの男にされちゃうよ」
おどけたように笑いかけられ、芽生は無意識のうちに生唾を飲み込んだ。
――俺好みの男に。
透にとっては軽口のつもりなのかもしれない。そうとわかっていても、頭の中で何度もリフレインする。服装程度で彼に相応しくなれるなら、どんなに良いことか。
「……ごめんごめん、冗談。けど、意見は遠慮なく言えよってこと」
「――どんな男が好きなんだ?」
気づけばそう言葉を漏らしていた。血が重力に逆らうように体の中で暴れていて、止められない。
「えっ?」
「透さん好みの男にしてくれ」
珍しく畳みかけるような口調の芽生に、透の目が大きく見開かれる。店内の明るい照明が、戸惑いに揺れる瞳に反射していた。
やがて、ばさり、と抱えていた服の一つが床に落ちた。その音にはっと我に返ったのか、透が視線を落とした。透が屈むより先に、芽生がそれを拾い上げる。
「……試着してくる」
そう言って、まだ呆けている透の腕の中から服の束をそっと取り上げる。その手元の動きを目で追っていた透が、控えめに芽生を見上げた。
「あ……うん……」
勢いのまま口説くような真似をしてしまったことを悔いていたが、幸いこちらを窺い見る瞳に嫌悪の色は読み取れなかった。むしろ――。
(いや、駄目だろ……弁えろ)
狭い試着室で、鏡越しに自分の姿を改めて見る。見た目だけ取り繕っても、所詮中身は変わらない。
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