操り人形の外の世界

冠つらら

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7.賭けの景品

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 夕暮れ。じきに夕食の時間。私はゾイアと両親とともにホールへと向かう。
 昼間、あんなに賑わっていた会場は、今はすっかりレストランと化した。丸いテーブルがいくつも置かれ、人々が料理を囲って座っている。

「お姉ちゃんの席は、あっちなのよね」
「ええ。また後で」
「はーい」

 ゾイアと両親は別のテーブルにつき、私は前の方へと向かう。少し高くなった舞台の前に用意されているテーブルに行くと、そこにはエレノアがもう座っていた。

「エレノア、こんばんは」
「ロミィ! 待っていたのよ!」

 エレノアは私の手を取って軽く揺さぶる。二人とも今度は少しおめかしをしたカジュアルなドレスを着ていた。今日の夕食会は、バンドが来るということで、避暑地に来ている皆が集まって食べる。いわばパーティーみたいなものだ。

「ここに座って!」
「うん」

 エレノアに急かされ、私は隣の椅子に座る。バンドの楽器がすぐ近くに見えて、私はその艶めきに心を躍らせた。同じテーブルには、エレノアと、明日で帰ってしまうというロイズマン夫妻。そして、ゲーム大会の総合優勝者とその連れがいる。
 普段は聞けないお話を聞きながら、私はエレノアと一緒に夕食を楽しんだ。
 デザートの頃になるとバンドの演奏が本格的に始まる。ボーカルの歌声を聞き、皆はしばしの間会話を休めた。ジャズバンドと聞いていたが、今歌っているジャズバラードは、とても美しい音色で私たちを魅了していく。
 演奏が終わると歓声と拍手が沸き上がり、私も感激した心の感謝を示す。

「さぁ、ここからは皆さんも身体を動かしたいですよね?」

 ボーカルの言葉に、私とエレノアはぴょんっと立ち上がる。他の人たちも次々と立ち上がっていく。そう。このダンスタイムも楽しいのだ。
 私は軽快な音楽に合わせて身体を動かす。リズムに乗っていると、自然と隣のエレノアと手を取り合い、軽快にステップを踏んでいった。
 エレノアもとても楽しそうに踊っている。アップテンポな曲調に合わせて陽気に跳ねる周りの皆も一緒になってホールの中央の空間へと集まる。テーブルに囲まれて、私たちはダンスの相手をリズミカルに変えていく。

「お姉ちゃん!」

 気づけば、私のダンス相手はゾイアになっていた。ゾイアに手を取られ、私はくるりとターンをさせられる。

「特等席は楽しかった? あのピアノの人、かっこいいと思わない?」

 ゾイアはニコニコしながらそんなことを言ってくる。

「ゾイア、そんなところを見ていたの?」
「当たり前じゃない! ロミィはそう思わない?」
「思うに決まっているでしょう。近くで見ると、手も大きくて素敵よ」
「あははは! ずるい!」

 ゾイアの笑い声が通り過ぎる。ゾイアが他の人と踊り始めるのを見届けると、私はひねっていた上半身を戻す。すると目の前に壁があった。
 とんっと空気が潰れる音がして、私はその硬い壁にぶつかってしまい、おでこを上げて顔を見上げる。これは壁じゃない。鍛錬された筋肉だ。そう気づいたのだ。

「……あっ! ごめんなさい! オルメア」

 私が壁だと思ったのはオルメアだった。ちょうどオルメアの胸筋にぶつかったようだ。逞しすぎず、ちょうど頼もしいくらいの筋肉。私はよそ見していたことが恥ずかしくなって唇を噛む。

「ははっ、ロミィ、よそ見してたら危ないだろ?」

 そう言って私の手を取る。手をつなぎ合って、私はまた踊り出した。確かに、周りは皆こうやって踊っている。その流れの中で止まったら、ぶつかるのは当然だ。皆、縦横無尽に動いているし。
 でも、そのおかげでオルメアにぶつかったのなら、まぁ、いいかな。
 そんなことを思ってしまい、口元が綻んだ。

「勝者の席は、どうだった?」
「最高。今日のディナーはこの夏で一番の味だったわ」
「それは妬んでしまいそうだ」

 オルメアはゾイアのように私を回転させた。正面に戻ると、オルメアが腰を抑えて、しっかり止めてくれる。ピアニストに負けないくらい大きくて骨ばった手に支えられ、私の心臓がざわめく。これはダンスなのに。冷静でいなきゃ。
 私は感情を落ち着かせるために微笑む。オルメアが私を見て鏡のように目元を緩ませると、長い睫がふわりと閉じる。

「今日の試合は本当に楽しかった。また対戦しよう」
「ええ。喜んで」

 オルメアは私の手を離し、別の人のところへと行ってしまう。私は両手を胸の前で組み、その余韻を忘れないように抱きしめた。それでもダンスは続いている。ちょうど、曲調が変わった。

「ロミィ」

 ふと差し出された手を取ると、それはニアだった。

「ニア、特等席をありがとう」

 私はニアの手をぎゅっと握り感謝の気持ちを伝えた。

「悔しいけど、君たちには敵わなかったな」

 今度の曲は、ゆったりとしたバラードだった。ニアはこういった場での振る舞いが上手い。ニアにリードしてもらいながら、私はその完璧なダンスに身を任せる。

「エレノアのおかげもある。でも、私も、頑張ったよね?」

 ゾイアがするように、私はニアを上目で見る。ニアのリードが完璧だから、少し甘えたくなったのかもしれない。ニアはそれすらも受け止める余裕があるけれど。

「二人とも、だね」

 ニアの顔が近い。だけど、前にこけそうになった時とは違って、今は大丈夫だった。目の前のニアは、学校で見るときと同じ、人懐っこい社交モードだから。この時のニアは、いつも自分を演じているように見える。だから、大丈夫なのかもしれない。それとも、やっぱりあの時は転びそうになったから、どきどきしていたのだろうか。
 そんなことを考えていると、ふと視界にエレノアが入る。ダンスの相手はオルメアだ。

 そうよね。

 親しそうに踊る二人を見て、私は少し元気がなくなる。いや、この曲だから、そう見えるだけなのかもしれないけれど。二人は、やっぱりヒーローとヒロイン。私の記憶でも、この方がしっくりくる。
 心がチクチクと痛んだ。
 シナリオのない世界。私は、そんな夢に期待しすぎていたのかもしれない。
 私があからさまに元気がなくなると、流石にニアも気づいたようで……。

「ロミィ、大丈夫? 具合でも悪い?」
「ううん。平気……」

 私は笑顔をつくってニアを見る。きょとんとしていたニアは、私の瞳を見て柔らかにその目を垂らす。

「ロミィは嘘が下手。俺と同じだね」
「え?」

 ニアは私の疑問をはぐらかすように、ぐっと私のことを引き寄せる。

「に、ニア? ちょ、待って……!」

 ニアは一度引き寄せた私を大胆に離し、また片手で引き寄せて、私は反動でくるくると回転しながらニアの腕の中に戻る。その動きを見たのか、バンドはまた曲を変える。ノリのいいジャズのリズムに、人々はまた身体を弾むように揺らし始める。

「こういう時のダンスだけは、得意なんだ」

 ニアはニコッと笑うと、ついていくのがやっとの私をアシストするように身体を音楽に合わせて動かす。私だってダンスは苦手ではないけれど……むしろ、得意な方だけれど……。

「わっ! ニア!」

 ダンスの流れでニアに持ち上げられて、私はきゅっとニアの肩を掴む。ニアと私の踊りに、周囲は歓声を上げた。

「ニアのダンスには敵わないよ」
「ロミィだからついてこられるんだよ」

 床に足をつけ、私は注目されて照れた頬のままニアを見上げる。気がついたら、私たちは会場の一番中央まで出てきていたし、スポットライトを浴びている気分になった。ニアは、してやったり、とでも言いたいような顔で笑っている。

 これは、お返しなの? 卓球の勝負の?

「ニアは意地悪ね」
「君にはそう見える?」
「もう、ふざけないの!」

 ニアの胸元をポンッと叩き、くすくすと笑う。
 その時私の思考の中に、オルメアとエレノアはもういなかった。「ごめんごめん」と笑って謝るニアを見ていると、二人のことは大した問題ではないように思えたのだ。
 そう、そうよ。弱気になってどうするの。

「ニア……、ありがとう」
「……ん? 何が?」

 私はもう一度ニアのことを小突いた。

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