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20.絶品を求めて
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廊下を急いで駆け抜け、私は校舎を出た。校門をくぐり、止まることなく走り続ける。学校は街から近い。過ぎ去っていく通りはすぐに賑やかな様相を見せてきた。
いつもは車で登下校をしているから、この時間の街の様子が新鮮に映る。もう少しちゃんと見てみたいけれど、今はそれどころではない。私は目的の場所を視界に入れる。
そう、電車だ。私が今用事があるのは、この地下鉄なのだ。階段を駆け下り、私は覚えたばかりの切符の買い方の記憶をなぞる。つい最近、予習出来ていたことは幸運だった。タイミングよくホームに姿を現した電車に乗り込み、私は閉まった扉に寄りかかった。
走り続けてきたからか、随分と息が乱れてしまっている。車内はこの前よりも混んでいて、席は空いていない。汗をかいてぜえぜえ言っている私を、数人がちらりと目にする。
私は少し恥ずかしくなり、顔を隠すように隅の方へ向かう。人目を気にしながらそっと汗を拭き、私は呼吸を整えた。降りる駅はあと三駅先。ドキドキドキドキと、緊張は胸を打ったままだ。
断られたらどうしよう。次の手段も考えておかないと。
私は額を軽く押さえて、思考の邪魔をする電車の走行音から逃れようと試みた。
電車を降りると、私は前に聞いていた話を頼りに駅のすぐ近くにある店へと入る。この料理店は噂通り繁盛しているようで、店の外まで並んでいる人がいた。
本当は私も最後尾につくべきなのだけど、食べに来たわけではないからと自分に言い聞かせ、列を成す人の視線を痛いくらい浴びながら扉を開ける。
中に入ると、賑やかな音楽に乗せて、空腹を誘う香りが躍っている。その影響だろうか、緊張していた心が少し解けた。お客さんたちは、皆、会話をしながら食事を楽しんでいて、私が入ってきたことなど気づくはずもない。
唯一、カウンターの前にいた人が私に気づき、きょとんとした顔をしている。
「あの……ベラはいらっしゃいますか?」
私は前に進み出て、その人に声をかけてみた。すると彼は何かにピンときたようで、すぐに笑顔を見せてくれた。
「ベラさんのお友達ですか? その制服だと、学校の方ですよね?」
弾むような声で私のことを迎え入れてくれる。ベラの家族ではなくて、ウェイターさんだろうか。
「はい、ロミィといいます。ベラに相談があって……」
「承知しました。ベラさんは今、裏にいるので呼んできますね! こちらでお待ちください」
彼は陽気にそう言うと、そのまま隣にあった扉の向こうへと消えていった。
残された私は、扉の近くに寄ってベラを待つ。ここはベラの家族が経営するお店だ。初めてきたけれど、思っていたよりも活気があって賑やかだ。厨房が見えているから、そこから漂う香ばしい匂いに、私の食欲は思いがけず刺激される。
高級店とは違って、どちらかというと親しみやすいこのお店は、色んな年齢層の人が訪れる。そこに客層という概念すらないのかもしれない。
皆、ひたすらに美味しい料理を求めてここに来るのだ。
「ロミィ、お待たせ! どうしたの?」
店内を眺めていると、扉が開いてベラが飛び込むように出てきた。
「ベラ……あの、急にごめんなさい……」
「いいよ、大丈夫。一体、何があったの?」
ベラはお店の手伝いをしていたようで、エプロンをつけている。ところどころ、エプロンに粉の汚れが見えると、仕事の邪魔をしてしまったようで申し訳なくなる。
私は肩をすくめて小さくなった。
「あのね……明日のパーティーでゲストに配るお菓子が用意できなくなってしまったの……」
「え!? あのカップケーキ!?」
ベラはエレノアから話を聞いている。と、いうか私も話していたけれど。そのおかげか、すぐに事態を把握してくれたようだ。
「あれは大事なものなんじゃなかったの? どうしてそんなことに……?」
「私が悪いの。ちゃんと確認をしなかったから……!」
シェフが明日のパーティーで料理を振舞えなくなったことを伝えると、ベラは口をパクパクとさせる。
「そ、そんなことって……ある!?」
どちらかというと、怒っているように見えた。
ベラは同業の類だ。だからこそ分かることもあるのかもしれない。そう思い、私は少し気まずくなる。
「だって、パーティーって、料理も楽しみの一つだよ!? そんな土壇場でキャンセルなんて、信じられない!」
「そうね……ええ、そう思う。けれど、私も確認が不足していたから……」
「ロミィ!」
ベラの声が大きくなり、店のスタッフの数人がこちらを見た。それに気づいたベラは私を扉の向こうへと押し込む。
「そんなの許せない! ご飯は、人を笑顔にするものだよ!?」
扉を閉め、バックヤードに入ったベラは、不快そうに眉を上げる。そうか、ベラはそっちが許せなかったのね。ベラの真剣な表情に、私は唇をぎゅっと結ぶ。
「ベラ、こんな勝手なお願い、無茶だって分かってる。だけど、お願い……! ベラの力を貸して欲しいの……!」
私は頭を下げ、勇気を振り絞って依頼する。
「前にベラに貰ったパン、すごく美味しかった……! カップケーキに勝るほどに! あのパンを、皆に振舞うことって、出来ないかな……? あれは商品じゃないって言っていたけれど、頭に浮かんできたのはあのパンだったの……! あれなら、皆を笑顔にすることができるって……!」
頭を下げたまま、私は想いをぶつける。こんなの自己中心的過ぎると思っている。けれど、私にはこれ以上の最高の回答はなかった。あのパンであれば、ドメイシアさんもきっと喜ぶ。本当は最初からお願いしたかったけれど、商品ではないからと諦めていた。
でもこうなったら、もう意地だ。当たって砕けるまで猛進すればいい。
「……ロミィ」
ベラの静かな声が狭い廊下に響く。びくっと、私は肩を震わせる。
「うん……分かった。やってみる……!」
「……え!?」
都合の良すぎるベラの答えが理解できなくて、私は顔を上げた。するとベラのきりっとした笑顔が私の瞳に映った。
「お兄ちゃんに聞いてみる……というか、お願いするよ! 私も手伝うし!」
「え、でも……本当にいいの? 明日、だけど……」
「うん! 挑戦は大事! お兄ちゃんのパン、早く商品化したいし、その試験ってことで!」
「本当……? ベラ……ありがとう……!」
思わず瞳が揺れる。なんて頼もしいのだろう。ベラがいつも以上に輝いて見える。まるで勇者のように、ベラは得意げに笑う。
「いいの。友達なんだから、そんなに遠慮しないで」
「……ベラ」
何よりも嬉しい言葉だった。
私は口元を抑え、緩み切った頬を誤魔化す。下手すれば涙が出てきそうだ。でも、ベラを困らせたくはないから、ここは堪えないと。
「お兄ちゃんも、商売っ気に溢れてるから快諾すると思うよ」
ベラの予想通り、お兄さんは快く引き受けてくれた。ベラのお兄さんは社交性の塊と言わんばかりに陽気な人で、それは災難だったな、と、豪快な笑い声で私のお願いを聞いてくれた。
しかもパンのアイディアまですぐに出してくれて、頭の回転も速く、私はお兄さんの勢いに流されそうになりながらも一緒に案を練った。
そのおかげか、方向性はすぐに決まり、私はベラとお兄さんにもう一度深く頭を下げてから、急いで学校に電話をした。けれど、ニアは外出していたので、ドメイシアさんのオフィスに繋いで、どうにかこのことを報告した。
ドメイシアさんの秘書によると、今は三人で軽食を用意してくれるお店を探してくれていたようだった。私は行き先を聞いて、その場所へと向かう。
早歩きで隣のブロックまで行くと、立派な車が見えてきた。あれはドメイシアさんの車だ。私は向こうの道路に止まっていた車のそばまで走り、ちょうど近くのお店から出てきた三人に声をかけた。
「ロミィ。え、どうして?」
驚くニアの後ろからエレノアが顔を覗かせた。
最後に出てきたドメイシアさんは帽子を被り直し、私を見て目を緩ませる。
私はドメイシアさんたちにパンの件を伝えた。ニアとエレノアは顔を見合わせて喜び、ドメイシアさんもにっこりと微笑んでくれた。どうやら三人も、今出てきた店に軽食を頼めたようだ。
ドメイシアさんも前に食べたことのあるお店で、ニアの父親とも店主が所縁のあるお店だったようだ。
私はそれを聞き、全身から力が抜けそうになった。どうにか切り抜けた。いや、本番は明日だけれど、とりあえず準備は間に合いそう。
「ありがとうございます……!」
ドメイシアさんに向かってお辞儀をすると、ほんの少し涙が出てきた。顔を上げるときにそれをさり気なく拭いて、私は嬉しくって笑ってしまう。
ああ、パーティーはまだこれからなのに。分かってはいる。ここで気を緩めてはいけないことくらい。
だけど、どうしても表情筋が言うことを聞かないからしょうがない。
いつもは車で登下校をしているから、この時間の街の様子が新鮮に映る。もう少しちゃんと見てみたいけれど、今はそれどころではない。私は目的の場所を視界に入れる。
そう、電車だ。私が今用事があるのは、この地下鉄なのだ。階段を駆け下り、私は覚えたばかりの切符の買い方の記憶をなぞる。つい最近、予習出来ていたことは幸運だった。タイミングよくホームに姿を現した電車に乗り込み、私は閉まった扉に寄りかかった。
走り続けてきたからか、随分と息が乱れてしまっている。車内はこの前よりも混んでいて、席は空いていない。汗をかいてぜえぜえ言っている私を、数人がちらりと目にする。
私は少し恥ずかしくなり、顔を隠すように隅の方へ向かう。人目を気にしながらそっと汗を拭き、私は呼吸を整えた。降りる駅はあと三駅先。ドキドキドキドキと、緊張は胸を打ったままだ。
断られたらどうしよう。次の手段も考えておかないと。
私は額を軽く押さえて、思考の邪魔をする電車の走行音から逃れようと試みた。
電車を降りると、私は前に聞いていた話を頼りに駅のすぐ近くにある店へと入る。この料理店は噂通り繁盛しているようで、店の外まで並んでいる人がいた。
本当は私も最後尾につくべきなのだけど、食べに来たわけではないからと自分に言い聞かせ、列を成す人の視線を痛いくらい浴びながら扉を開ける。
中に入ると、賑やかな音楽に乗せて、空腹を誘う香りが躍っている。その影響だろうか、緊張していた心が少し解けた。お客さんたちは、皆、会話をしながら食事を楽しんでいて、私が入ってきたことなど気づくはずもない。
唯一、カウンターの前にいた人が私に気づき、きょとんとした顔をしている。
「あの……ベラはいらっしゃいますか?」
私は前に進み出て、その人に声をかけてみた。すると彼は何かにピンときたようで、すぐに笑顔を見せてくれた。
「ベラさんのお友達ですか? その制服だと、学校の方ですよね?」
弾むような声で私のことを迎え入れてくれる。ベラの家族ではなくて、ウェイターさんだろうか。
「はい、ロミィといいます。ベラに相談があって……」
「承知しました。ベラさんは今、裏にいるので呼んできますね! こちらでお待ちください」
彼は陽気にそう言うと、そのまま隣にあった扉の向こうへと消えていった。
残された私は、扉の近くに寄ってベラを待つ。ここはベラの家族が経営するお店だ。初めてきたけれど、思っていたよりも活気があって賑やかだ。厨房が見えているから、そこから漂う香ばしい匂いに、私の食欲は思いがけず刺激される。
高級店とは違って、どちらかというと親しみやすいこのお店は、色んな年齢層の人が訪れる。そこに客層という概念すらないのかもしれない。
皆、ひたすらに美味しい料理を求めてここに来るのだ。
「ロミィ、お待たせ! どうしたの?」
店内を眺めていると、扉が開いてベラが飛び込むように出てきた。
「ベラ……あの、急にごめんなさい……」
「いいよ、大丈夫。一体、何があったの?」
ベラはお店の手伝いをしていたようで、エプロンをつけている。ところどころ、エプロンに粉の汚れが見えると、仕事の邪魔をしてしまったようで申し訳なくなる。
私は肩をすくめて小さくなった。
「あのね……明日のパーティーでゲストに配るお菓子が用意できなくなってしまったの……」
「え!? あのカップケーキ!?」
ベラはエレノアから話を聞いている。と、いうか私も話していたけれど。そのおかげか、すぐに事態を把握してくれたようだ。
「あれは大事なものなんじゃなかったの? どうしてそんなことに……?」
「私が悪いの。ちゃんと確認をしなかったから……!」
シェフが明日のパーティーで料理を振舞えなくなったことを伝えると、ベラは口をパクパクとさせる。
「そ、そんなことって……ある!?」
どちらかというと、怒っているように見えた。
ベラは同業の類だ。だからこそ分かることもあるのかもしれない。そう思い、私は少し気まずくなる。
「だって、パーティーって、料理も楽しみの一つだよ!? そんな土壇場でキャンセルなんて、信じられない!」
「そうね……ええ、そう思う。けれど、私も確認が不足していたから……」
「ロミィ!」
ベラの声が大きくなり、店のスタッフの数人がこちらを見た。それに気づいたベラは私を扉の向こうへと押し込む。
「そんなの許せない! ご飯は、人を笑顔にするものだよ!?」
扉を閉め、バックヤードに入ったベラは、不快そうに眉を上げる。そうか、ベラはそっちが許せなかったのね。ベラの真剣な表情に、私は唇をぎゅっと結ぶ。
「ベラ、こんな勝手なお願い、無茶だって分かってる。だけど、お願い……! ベラの力を貸して欲しいの……!」
私は頭を下げ、勇気を振り絞って依頼する。
「前にベラに貰ったパン、すごく美味しかった……! カップケーキに勝るほどに! あのパンを、皆に振舞うことって、出来ないかな……? あれは商品じゃないって言っていたけれど、頭に浮かんできたのはあのパンだったの……! あれなら、皆を笑顔にすることができるって……!」
頭を下げたまま、私は想いをぶつける。こんなの自己中心的過ぎると思っている。けれど、私にはこれ以上の最高の回答はなかった。あのパンであれば、ドメイシアさんもきっと喜ぶ。本当は最初からお願いしたかったけれど、商品ではないからと諦めていた。
でもこうなったら、もう意地だ。当たって砕けるまで猛進すればいい。
「……ロミィ」
ベラの静かな声が狭い廊下に響く。びくっと、私は肩を震わせる。
「うん……分かった。やってみる……!」
「……え!?」
都合の良すぎるベラの答えが理解できなくて、私は顔を上げた。するとベラのきりっとした笑顔が私の瞳に映った。
「お兄ちゃんに聞いてみる……というか、お願いするよ! 私も手伝うし!」
「え、でも……本当にいいの? 明日、だけど……」
「うん! 挑戦は大事! お兄ちゃんのパン、早く商品化したいし、その試験ってことで!」
「本当……? ベラ……ありがとう……!」
思わず瞳が揺れる。なんて頼もしいのだろう。ベラがいつも以上に輝いて見える。まるで勇者のように、ベラは得意げに笑う。
「いいの。友達なんだから、そんなに遠慮しないで」
「……ベラ」
何よりも嬉しい言葉だった。
私は口元を抑え、緩み切った頬を誤魔化す。下手すれば涙が出てきそうだ。でも、ベラを困らせたくはないから、ここは堪えないと。
「お兄ちゃんも、商売っ気に溢れてるから快諾すると思うよ」
ベラの予想通り、お兄さんは快く引き受けてくれた。ベラのお兄さんは社交性の塊と言わんばかりに陽気な人で、それは災難だったな、と、豪快な笑い声で私のお願いを聞いてくれた。
しかもパンのアイディアまですぐに出してくれて、頭の回転も速く、私はお兄さんの勢いに流されそうになりながらも一緒に案を練った。
そのおかげか、方向性はすぐに決まり、私はベラとお兄さんにもう一度深く頭を下げてから、急いで学校に電話をした。けれど、ニアは外出していたので、ドメイシアさんのオフィスに繋いで、どうにかこのことを報告した。
ドメイシアさんの秘書によると、今は三人で軽食を用意してくれるお店を探してくれていたようだった。私は行き先を聞いて、その場所へと向かう。
早歩きで隣のブロックまで行くと、立派な車が見えてきた。あれはドメイシアさんの車だ。私は向こうの道路に止まっていた車のそばまで走り、ちょうど近くのお店から出てきた三人に声をかけた。
「ロミィ。え、どうして?」
驚くニアの後ろからエレノアが顔を覗かせた。
最後に出てきたドメイシアさんは帽子を被り直し、私を見て目を緩ませる。
私はドメイシアさんたちにパンの件を伝えた。ニアとエレノアは顔を見合わせて喜び、ドメイシアさんもにっこりと微笑んでくれた。どうやら三人も、今出てきた店に軽食を頼めたようだ。
ドメイシアさんも前に食べたことのあるお店で、ニアの父親とも店主が所縁のあるお店だったようだ。
私はそれを聞き、全身から力が抜けそうになった。どうにか切り抜けた。いや、本番は明日だけれど、とりあえず準備は間に合いそう。
「ありがとうございます……!」
ドメイシアさんに向かってお辞儀をすると、ほんの少し涙が出てきた。顔を上げるときにそれをさり気なく拭いて、私は嬉しくって笑ってしまう。
ああ、パーティーはまだこれからなのに。分かってはいる。ここで気を緩めてはいけないことくらい。
だけど、どうしても表情筋が言うことを聞かないからしょうがない。
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