操り人形の外の世界

冠つらら

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33.雪だるまの魔法

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 オールドカフェは、前に来た時と同じく青い佇まいで出迎えてくれた。少し違っていたのは、ドアに派手なリースが飾られていて、店内もカラフルな装飾で溢れているということだ。
 お客さんもたくさん集まっているみたいで、机や椅子が片付けられているおかげで前よりは広く感じたけれど、やっぱり歩くのには苦労した。

 エレノアはまだ来ていなかったけれど、私はベラと一緒に緑色のチョコレートで着飾ったドーナツを口にしながら、フロアの中心で曲に合わせてダンスをする人たちに拍手を送った。
 プロダンサーのような身のこなしの彼らは、フロア中の拍手を浴びて深く礼をした。

「あー、いいなぁ。私もああいう風に踊ってみたい」

 ロックバンドの曲に合わせて踊っていた彼らを見て、ベラは羨ましそうに目をうっとりとさせる。
 そんなベラを横目に、私は店内をぐるりと見回す。確かに、同じ学院の生徒も何人か来ているようだ。知らない学校の生徒が多いけれど、たまに見知った顔が視界に入ってきた。
 サンタの帽子を被ったり、付け髭をつけたり、みんな思い思い楽しんでいるようだ。

「ロミィも何かつける?」

 それに気づいたベラが空になったコップを名残惜しそうに見て呟く。

「ジュース取ってくるついでに何かないか見てくるね」
「えっ? ベラ、私は別に……」
「せっかくだから、クリスマスコーデってことで」

 ベラは私の言葉を跳ね除けるようにゆったりと笑い、そのまま人だかりの中へと消えていった。
 一人になった私は、まだ残っているジュースを一口飲んだ。炭酸が口の中を叩いてくる。
 もし今、エレノアがルージーを連れてあの扉から現れたら、この口に含んだ甘い水を吹いてしまうかもしれない。それくらい、まだ私は二人の関係を飲み込めていなかった。

 ニアのことも気になるけれど、ここにきてエレノアにまで聞きたいことが増えるなんて。
 多分、エレノアに聞けば教えてくれるのだろうけど。
 ……聞いてもいいのかな? ちょっとまだ勇気が出ない。
 自分だったらどうだろう。エレノアとベラに、オルメアのことを聞かれたら、誤魔化すこともなく打ち明けるだろうか。

「…………」

 もう一度ジュースを飲む。
 きっと、私だったら…………。

「ロミィ!」

 新しいコップを手にしたベラが手を挙げてブンブンと振っている。そんなに手を振らなくても、見えているよ。そう伝えたくて、眉を下げて微笑んだ。すると、ベラの後ろに冬の透き通る夜空のような濃い藍色のコートが見えてきた。

 ベラに腕を引かれ、人にぶつからないように気をつけながら、それでも彼女の足取りに合わせて軽やかに、彼はこちらに近づいてくる。
 エルフの帽子を被ったベラは、私にトナカイのカチューシャを「どうぞ」と渡す。

 いや、その前に……! その手に連れたスノーマンは何ですか!

 雪だるまが被っているような黒いシルクハットに似た帽子が頭から落ちそうなのを右手で直したオルメアが、少し照れたような表情で柔く笑う。

「ベラ、待ってって」

 自分の腕をぐいぐい引っ張ってきたベラに優しい苦言を零した後で、彼は私を見て挨拶をする。

「サンタの帽子も髭ももうなかった。やっぱりサンタは人気だねー」

 それなのにベラは、何事もなかったかのように残念そうに肩をすくめた。

「あ! そうそう、オルメア見つけたよ!」

 ようやく、彼女はトナカイのカチューシャを受け取って固まっている私にオルメアの存在を示してくれた。

「ロミィ、メリークリスマス」
「……め、メリークリスマス」

 放心状態のまま、なんとか返事だけはした。
 こういうパーティーに、オルメアはいないと思っていたのに。
 そう思い込んでいたせいか、彼の登場に思いのほか心がじんわりと緩んでいく。

「トナカイ、つけないの?」
「え? ……あ……そうか」

 ベラがきょとんとするので、私は手に持ったままのカチューシャに目を移す。茶色の角に、イルミネーションを模した飾りがついているカチューシャだ。周りのシンプルなものに比べたら、少しばかり派手に見える。
 ちらりとオルメアを見ると、またずり落ちてきている帽子をベラに直してもらっていた。帽子のサイズが少し大きいらしい。

 このカチューシャをオルメアの前でつけるの?

 なんだか恥ずかしくなってきて、カチューシャをぎゅっと握りしめたまま私はそれを頭に持っていくことができなくなってしまう。
 ベラのかぶっているエルフの帽子の方がシンプルで良かったのに。
 ほんの少しの恨めしさでベラを見るけれど、帽子がよく似合っている彼女が首を傾げるのでそんな苦情はどうでもよくなってしまった。

「髪が、崩れないかな……?」

 どうにか理由を探してみたけれど、それもまた自意識過剰に聞こえてしまい、心の中でその恥ずかしさにのたうち回った。

「大丈夫だよロミィ、ちゃんと直してあげるから!」
 優しいベラはそう言ってトンッと自分の胸を叩く。オルメアは目を緩めたまま、それに同意するように軽く頷いた。

「……うん。ありがとう」

 恥ずかしいことに変わりはない。でも、そんなことを言っていてはだめだ。このカチューシャだって、着こなしてみせる。そんな意気込みを持たないと。ハロル家の人間として失格よ。
 二人の顔を交互に見て、私は意を決してカチューシャを頭に運ぶ。

「へへへへ。似合ってるよ、ロミィ。可愛いトナカイさん!」

 カチューシャをつけた私に、ベラは満足そうににっこりと笑う。

「絶対似合うと思ったの。だからロミィにつけて欲しくて」

 確信犯のベラは、得意げにそう言うとオルメアを見上げる。彼女の無邪気な声が嬉しかった。ベラに感想を促されるオルメアも口を開く。

「うん。可愛い」
「へ……っ」

 素っ頓狂な声が出た。どうかオルメアには聞こえていませんように。
 黒い帽子に強調された彼の美貌が微笑みで華やかにゆらめく。オルメアの口から聞こえた言葉に、私の心は緊張で強張った直後に氷のように溶けていく。

 一言でこんなに人の心を乱すことができるなんて、彼は魔法使いか何かだろうか。
 スノーマンの帽子がマジシャンのようにも見えて、私はきらめく心をぎゅっと抑えた。
 その間もベラとオルメアはクリスマスの話題で盛り上がっていて、私だけが時間に取り残されたような空間で、私はもう一度ジュースを飲む。口の中で跳ねる泡が、心音に呼応した。

「みんな、ここにいたのね」

 そこに、エレノアがひょこっと現れる。多分、着いたばかりなのだろう。エレノアは何も帽子とかはつけていなくて、このフロアの中ではそちらの方が異質に見えた。

「エレノア! 来たのね!」
「ええ。間に合ってよかったわ」

 ベラの歓迎に答えるエレノアの後ろには、パーティーの雰囲気に押されていつもより控えめな威圧オーラが出ているルージーが立っていた。
 エレノア、ルージーを引っ張ってこられたんだ。
 そう感心している隙にルージーと目が合い、私はどうにか笑顔で会釈をした。

「マオ、久しぶりだな」
「ああ。君も来ていたんだな」

 オルメアとルージーはニアと同じく親の関係で顔見知りなのだろう。オルメアの気さくな声に対し、癖なのか、ルージーは少し硬い声で挨拶をする。
 愛想はなくて、いつもこんな調子のルージーだけれど、彼の表情にほんの僅かな強張りが見えたのは気のせいだろうか。表情を観察しているうちにルージーに睨まれ、私は咄嗟に目を逸らした。
 エレノアがルージーに飲み物を持ってくると声をかけると、彼は私から視線を離し、一つの単語をエレノアに伝えた。

 ベラはオルメアと会話の続きに戻る。どこまで話を聞いていたのか思い出そうとしていると、ルージーがそっと私の方に寄ってきた。トナカイの角をつけていることを忘れていたけれど、ルージーが若干眉をひそめるのを見て、私はそのことを思い出した。
 ルージーはトナカイの角から目を離し、私の方へ顔を向ける。

「ドンナが喜んでいた」
「……え?」

 ぼそっと、周りにはあまり聞こえない声で私にそう呟いた。

「それって……パーティーの洋服のこと?」

 心当たりがあるのはそれくらいだ。私が正解を言うと、ルージーはこくりと頷く。表情は変わらず、その気持ちが読めないのが残念だけれど。

「ゾイアにコーディネートしてもらったのだと、慣れない服装に戸惑いはあったみたいだが、それでも気持ちは正直だ。ドンナのあんな笑顔は見たことがなかった」
「そう……。それは、良かったわ。ふふ、私も見てみたかったな」
「ゾイアに写真を見せてもらえ」
「ええ。そうね。……ねぇルージー、ドンナのこと、本当に気にかけているのね?」

 妹に当たりの強いルージーからは想像もできない彼のドンナへの感想に、そう聞かずにはいられなかった。

「ドンナは妹みたいなものだ。もうずっと弟の子守でお世話になっているからな」

 ルージーは遠い目をして息を纏った声で答える。

「だからゾイアと一緒にいるようになってから、ゾイアが無理させないかと気がかりだったが、意外とそうでもなかったようだな。ドンナはゾイアといると本当に楽しそうだ。思ったより相性がいいみたいだ」
「ふふふ。私の妹を見くびらないでよね?」

 ゾイアが褒められているように聞こえて、私は勝手に誇らしくなってしまう。

「……これからもドンナのことよろしくな」
「まぁ、直接伝えればいいのに」

 私の指摘に少しむっとしたルージーは、恨めしそうに私を見た後で、照れを隠すようにフイっと顔をそむけた。
 エレノアが戻ってくると、コップを受け取ったルージーはベラの話に耳を傾ける。
 今日のベラは絶好調のようで、いつも以上に回る舌で次々に面白い話を仕掛けてくる。私たちはその笑いの波に逆らうことはできず、しばしの間、余計なことを忘れてベラの語りに夢中になった。

 悪夢の中でのベラの印象とは全く異なる本来の彼女に、これまでも私はどんどん引き込まれていった。今なら、これこそが彼女の姿なのだと理解できる。ちらりとオルメアに目線を向ければ、また帽子がずれているのが見えた。
 それが少し不格好だった。けれど同時に愛おしくて、私は誰にも気づかれないようにそっと頬を綻ばせた。

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