操り人形の外の世界

冠つらら

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39.途切れぬ歌声

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「私、男兄弟しかいなくて、親も鉱山暮らしだったから、全然周りの子たちとは違ったの。それで十分に満足はしているけれど、やっぱり、心のどこかでは教えを請いたかった。私らしくって、何だろうって。皆が着ているあの服は、一体何なんだろうって。どうしてあんなに輝いて見えるの? って」

 昔を懐かしむように、イディナさんはゆっくりと過去を噛みしめながら話し始めた。

「そんな時、街に出た私の目に入ってきたのが、まだ出来たばかりのミヨンレ・プロストの看板だった。小さなお店で、同年代の女性が始めたブランドだって知って、すごく興味を持ったわ。でも、田舎娘の私なんかが着ていいのかしらって悩んでいたら、彼女が……あなたのおばあ様が、私に声をかけてくれたの」
「……おばあ様が?」
「ええ。化粧もろくに知らないくらい地味な私を店に呼び入れて、お人形のように華やかな彼女は私に似合う服を見繕ってくれたの。その時鏡に映った私は、別人のようだった。心も弾んで、ドキドキしていたことを今でも覚えている。でも、お金がないから買えなくて、ごめんなさいって謝ったら、景気づけにあげるわって、そのまま着て帰ってって、言ってくれたのよ。まだオープンしたばかりだから、彼女にしてみたら宣伝代わりだったのかもしれないけれど……。でも、私はそれがとても嬉しかった。彼女の輝くような笑顔が、ずっと忘れられなかったわ」

 私の知らない祖母の過去。
 祖母はその女性のことを覚えているのか分からないけれど、きっとイディナさんは笑っていたのだろう。
 祖母の望みを知る私は、思わず口元が綻ぶ。

「それから、私の人生は大きく変わった。彼女がくれた服が私に元気をくれて、何でもできる気がしたの。だから、服に恥をかかせないためにも頑張って化粧も覚えて、憧れていたショーガールにも採用された。だからミヨンレ・プロストは、街に来て一番の大親友。私のことを励ましてくれて、すべてを教えてもらったから」

 イディナさんは優しく微笑み、私の髪をそっと撫でた。

「あなたたちは、勇気のない私みたいな弱虫のことだって、支えてくれるのよ」

 言葉が出なかった。
 むずむずとした感情が胸の底から湧いてきて、居ても立っても居られない。でも、同時に金縛りにあったみたいに動けなかった。

 嬉しくて。嬉しくて……。

 気づけば私は、喜びのあまり崩壊しそうな顔面を必死で堪えようと唇を震わせていた。
 イディナさんの眼差しは温かい。けれどまだどこか寂しそうだ。
 私はイディナさんの腕を勢いのままに両手でぎゅっと掴んだ。

「今日は……! プレゼントがあるんです……!」
「……え?」
「遅くなりましたが、クリスマスプレゼントです!」

 声が震えるのを、少し大きな声を出すことで誤魔化した。オルメアは私の感情の琴線が振れていることに気がついたのか、そっと立ち上がってイディナさんに手を伸ばす。

「大親友からのプレゼントです。どうか受け取ってください」
「……オルメア」

 彼を見上げるイディナさんは、写真を片手に持ったままその手を取った。

「……ええ、そうね。……ふふ、いいのかしら、私が貰ってしまっても」
「はい!」

 私も急いで立ち上がり、オルメアの手を取って立ち上がったイディナさんの隣に並んだ。

「貴方にだからこそ、貰って欲しいんです」

 オルメアからイディナさんのエスコートを譲ってもらい、私はリビングに残るオルメアに目配せをして彼女と共にその場を後にした。
 イディナさんを隣の書斎まで案内した私は、持ってきていたプレゼントを開ける。

「……まぁ!」

 その中身を見るなり、イディナさんは感嘆の声を出す。

「祖母にお願いして、探してみました。そうしたら、工房の人が張り切っちゃって、新たに作ってくれたんです」

 イディナさんに渡したのは、ライトベージュを基調にした淡く模様が揺らめくドレスだった。その上には、ドレスに合わせた同色系のマントのような羽織がついている。この柔らかなワントーンコーディネイトは、彼女に渡した写真を撮った同日にイディナさんが着ていたものを、少しアレンジした形になっていた。
 彼女は両手で口を覆い、驚いていたけれど、その口角は次第に上がってくる。

「イディナさん、お洒落に年齢制限はありません。資格だって要りません。したいと思った時には、自分を表現してください。きっとそれが、貴方自身だから。貴方を見守る彼も、きっと誇らしいです。胸を張ってください。私は、貴方たちのためなら、いつだって飛んで行って喜んでお手伝いしますから」

 いくつ歳を重ねても、自分の姿が理想のものじゃなかったとしても、お洒落を止める権利など誰にもない。自分を表現することは、何よりも心を焦がしてくれるものなのだから。その姿は美しいものだと、私も知っている。

 祖母の言っていた願い。もし、私も力になれるのであればそれを繋いでいきたい。
 私は、幸運にも彼女たちのお手伝いをすることができる環境にいるのだ。
 遠いあの日、祖母が見たイディナさんの笑顔を目の前にした私の密かな情熱が、ちりちりと火花を立てる。

 ドレスに着替えたイディナさんがリビングに戻ると、オルメアはその姿に表情を輝かせた。あまりにも無邪気な反応だったから、私はそれが嬉しくなる。
 彼は待ってましたとばかりに持ってきていたレコードをプレーヤーに乗せ、音楽を奏で始めた。それは私がオルメアにお願いしたものだ。

 流れてきた女性の歌声のゆったりとした音楽に、イディナさんはまた感極まった表情をする。
 私はオルメアと目を合わせて、「やった!」と小さくガッツポーズをした。
 この曲は、前にお邪魔した時にラジオから流れてきたものだ。オルメアに探りを入れてもらったところ、どうやらこの曲はロイドさんとイディナさんの記念日に必ず聞いていた曲で、よく一緒に踊っていたとのこと。

 イディナさんは一歩一歩しっかり足を踏みしめ、プレーヤーの近くに寄る。そして、瞼を閉じて、その愛おしいメロディーに浸るように天を仰ぐ。

「ロミィ、イディナさん、とても綺麗だね」
「……ふふふ、そうでしょう?」
「あんなイディナさん、いつぶりに見ただろう……」

 視線の先のイディナさんは、次第にメロディーに合わせてゆっくりと身を揺らしていく。パートナーはもうこの場にはいないけれど、まるでそこに彼がいるかのように、イディナさんは一人でステップを踏んでいく。
 その姿を見て、オルメアは嬉しそうに笑い、ちらりと私の方を見ると、たまらずイディナさんの方へと駆けて行った。
 空いていたイディナさんの手を取り、オルメアは彼女に身を任せるようにして共にダンスをする。
 イディナさんはくすくすと笑いながらオルメアをリードして、ささやかなダンスタイムを楽しんでいるように見える。

 初めて会った時とは別人のような軽やかな表情のイディナさんとオルメアのダンスに見惚れながら、私は静かに輪郭を現し始めた理想を想い、胸のあたりに右手を添えた。


 
 別れ際、イディナさんは私の頬にキスをして、感謝を伝えてくれた。
 その言葉は確かに嬉しかったけれど、私だけじゃなくて、祖母やオルメアがいてくれたからこそ出来たことだ。
 はにかんだままオルメアの車に乗ると、少し遅れて乗り込んできたオルメアが扉を閉めながら私の家の住所を告げた。このまま家まで送ってくれるのだ。

「ロミィ、本当にありがとう。君のおかげで、イディナさんの笑顔が見れた」
「いいえ。オルメアがいなければ無理だったことよ」
「謙遜しなくていいのに。ロミィ」
「ううん。謙遜なんかじゃなくて、本当に、そうなの。そもそもがオルメアが声をかけてくれたからでしょう? それに、色々とイディナさんに話を聞いてくれたし……」
「……じゃあ、ロミィがそう言うなら、二人の成果ってことにしよう。……あ、でも、成果って言うのもおかしいな……うーん」

 オルメアは難しい顔をして考え込む。

「ふふ。そういうことにしましょう」
「……うん」
「それにね、私の方こそ、お礼を言いたいの」
「……え? どうして?」

 ぽかんとするオルメアに、私は「内緒」と口をつぐむ。寂しそうな表情をするオルメアだけれど、大好きな彼にもまだ言えない。
 私自身もまだ見つけたばかりの目標に、私は息を弾ませた。

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