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10 親切なイヌ

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 しばらく考えている様子だったクルが、ふむ、と鼻を鳴らす。

「分かった、どうにかしてネラの親御オヤゴさんに連絡するよ、しばらくここにいると良い」
「いいの?!」
「ああ、とりあえずいろいろと落ち着いて考える時間が必要だろう」

 頼む必要もなく、期待していた返事をもらえて、うれしいはずなのに怖くなる。
 お腹いっぱい食べさせてくれただけでなく、優しくしてくれるクルは、何を考えているんだろう。

 ポウゼくんと同じで、裏でわたしのことを嫌いだって言うかもしれない。
 母さんみたいに、わたしのことを面倒臭いって感じる日が来たらどうしよう。
 姉のように、誰にも紹介したくないって思われるかも。

 デブでブサイクなブタって呼ばれたのは、きっとそれが真実だからだ。

 父さんは小さい頃から「かわいい」って言ってくれていたけど、母さんに外見をほめられたことはなかった。
 六つ年上の姉ははなやかな美人で、結婚も学校卒業と同時に決まった。
 兄も学校にいた頃から恋人がいて、見習いから一人前の職人になったら、すぐに結婚するって言っていた。
 弟も、わたしが姉だって口にしなければ、姉弟だと思われないって分かってたからあんなことを言ったんだ。

 体型だけは父にそっくりなのに、わたしだけが異物だった。
 ぐるぐる考えてしまって、うまく言葉にできない。
 悪い方にばかり、考えてしまう。

「そうと決まれば、替えの服を用意する必要があるね」

 けむくじゃらの赤いイヌの顔なのに、クルが優しく笑った気がした。
 立てるかなと聞かれて、初めてベッドの上で座っていたことに気がつく。

 ひざの上に乗っているふんわりした毛布は、とても軽い。

 ゆっくりと差し出された肉球のある小さな手を見て、わたしも手を伸ばす。
 指先にふれた赤い毛はしっかりと固くて、彼は本当に帰らずの森の化け物なんだと感じた。

 見た目は巨大な二足歩行のけもの。
 赤い毛の犬。
 よく見ると赤じゃなくて、キラキラ光ってる。
 みがきたてのなべみたい。

 そんな姿のクルが、話の中でお姫様をエスコートする紳士のように、立ち上がってわたしにおじぎをする。

「僕以外に誰もいないから、案内させてくださいね」

 そう言って、いたずらっこのように口元をゆがめて牙を見せる姿は、なんだかとっても……格好良いものだった。

 それから、空っぽな部屋の中に服をかけるバーだけが通されている場所で、何度か回った。
 その場で両腕を伸ばして回っただけだった。
 なんのために回ったのかな。

 服を用意するって言ってくれたけど、下着だけもう一枚あれば、洗って干せば大丈夫だと思う。
 きちんとそう伝えたつもりなのに、クルは着替えは必要だよって笑っている。
 たぶん笑っていたと思うけど、初対面のイヌの表情を見分けられないから、自信がない。

 クルをこわいとは思わないけど、何を考えているのか本当に分からない。

 それからはもう一度ふかふかのベッドに案内されて「今日はこれを着て眠って」と渡された。
 成人男性用にしか見えない、ワンピースタイプの丈の長いスリーパーはだれのもの。

 イヌでも二足歩行なら、服を着て眠るのかもしれない。
 生地につやがあって手触りがツルツルで、うすいのに透けて見えない柔らかいスリーパーは、これってうわさのシルクってやつじゃないの、と着るのがこわくなった。

 いつの間にかベッドの側に用意されていた、お湯の入ったおけと体を拭く布とか、誰がどうやって用意したのか分からないし、何もかも分からないことばっかりで、気がついたら眠っていた。

 
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