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余聞 魔導師〝麗艶クラァサ〟の思慕

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 これまでに縁があった訳でもない魔導師からの連絡に、思わず眉を寄せてしまう。
 水盆に映るのは、人形のように整っていながら、中身はいつまでたっても子供のままの魔導師。

「なんの御用かしら、風の子」
麗艶レイエンクラァサ、あんたに頼みがあるんだけどサ」
「とても、人にものを頼む態度には、見えないわねぇ」

 個人的に好まない相手への返答なのだから、雑にもなろうと言うものよね。

「ムイミステルの番をなんとかしテ」
「……なんですって、聞き間違えていなければ、ツョヴィェクさまに番ができたと言ったの?」
「そう言ったんだヨ」

 驟雨シュウウのようにもたらされた情報が、あまりにも受け入れがたくて、呼吸すら忘れてしまう。
 ツョヴィェクさまが、番を決めた。
 そんな、そんなことが。

「ねえ、早くしないと間に合わなくなるんだヨ」
「風の子、あなた、自分の恩人の番をどうする気なの」

 声が剣呑ケンノンさをおびていることを知りながら、止められないわ。
 止めてはいけない。

「捕まえてくるから、どっかの海にでも放ってきてほしいの、いらないかラ」
「……」

 この子、自分の思考回路が精霊に近いからこそ、問題行動を起こしても見逃されているのだと、いまだに気がついていないのかしら。

 それにしても、どうしてツョヴィェクさまの弟子は、みんな元師匠を狂ったように信仰するのかしらね。
 独り立ちしたら、元師匠のご機嫌伺いなんて普通はしないものよ。

 風の子がツョヴィェクさまに狂うさまは〝渇仰カツゴウファナティズムス〟と良い勝負だと思っていたけれど、あの狂信者は決して元師匠の意に沿わない動きはしないものね。

 ……関わるべきではないわね。

 今回のこれは、やりすぎよ。
 ツョヴィェクさまはどうなさるおつもりかしら。

 もう二十年はお姿を見ていない。
 公式の場にも姿をお見せにならない。



 恋焦がれていたわ。
 捧げることで愛してもらえるのなら、何もかもを差し出しても構わなかった。

 ツョヴィェクさまの魔瞳は、いつも世界を見ていた。
 決して特定の個人に向けられないからこそ、安堵していられたのに。

 傷心を抱いていても、恋焦がれてきたあの御方が幸せになれるのなら。
 喜んで見送ってさしあげなくては。

 哀れな風の子。
 あなたは求めるばかりで、与えることを知らないのね。

 命を失う直前で精霊の力が暴れて変容してしまったとはいえ、この身に海の乙女の血を引くからこそ、分かることがあるのよ。

 ツョヴィェクさまの身に流れる血は、一生に唯一を求めるたぐいのもの。
 本人が決めた相手以外、誰も受け入れられることはない。

 一度きりの相手を決めたら、命懸けで守ろうとなさるはず。

 邪魔など、考えるだけでも恐ろしい。
 長く生きられたことで、普段は温厚なふりをなさっていても、ツョヴィェクさまの本質は番人。
 敵だと認定されたら、のどぶえに食らいつかれるわよ。

 運命の出会いがこの世に存在すればよいのに。
 なんてうらやましいの。
 唯一の恋人、真実の愛、そんなものを求めて命を捨てる海の乙女の血が憎い。

 全ての可能性がついえたことを知ってしまったのに、ツョヴィェクさまのお側ではべりたいと、我が身が叫ぶ。

 
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