公主のひめごと

濱田みかん

文字の大きさ
5 / 20
第一章

恩師の言葉と班長

しおりを挟む
 右金吾衛は都城内右京の治安維持を一手に担う、実務部門。

 日々の業務は思いつくだけでも、六街の巡回警備から事件事故発生時の一次対応、被疑者の勾留などの律令に基づく運用、はたまた道路・城門の土木や植栽工事などの都市基盤インフラ管理、天子行幸時の随行、その他遺失物管理…など、職掌は多岐にわたる。
 府内は6つの部門に分かれており、広大な敷地には内府と呼ばれる公衙こうがを中心に、左右対称にいくつもの庁舎が立ち並んでいる。
 門のすぐ横に拠を構えるのは、都を巡警する治安部隊・巡警司じゅんけいじ
 九瑶はその建屋に入り、一路中庭に向かう。
 広い中庭には武練場もあり、何人かが鍛錬に精を出していた。

「あ、九瑶じゃん」

 見知った顔が声をかけてくれた。

「お疲れ様です~。班長たち見かけませんでした?」
「奥にいるよ」
「ありがとうございます~」

 軽く手を振って、そのまま奥に足を進めると、長鉾を扱う人を見つけ背中に声をかけた。

「すみません、青班長。ちょっと聞いてもいいですか?」
「どうした」
「最近の事例を集めていて…、動物が暴れて騒ぎになった案件、お心当たりあります?」
「動物?あぁ、そうだなぁ…」

 青班長は少し考えると、いくつかの事例を話してくれた。
 九瑶たち調書係が所属するのは、翊務司よくむじという文官の集まる事務方の部署。巡警とは主戦場は違えど、関連業務も多く普段からよく行き来していた。
 新人時代の研修で巡警に付いて回ったこともあり、顔見知りも多い。おかげでみんな協力的で、本当に有り難い。

「結構あるものなんですね…」
「だな。人が集まった所だと、周囲を混乱させるには手っ取り早いし、証拠が残りづらいから、動物は狙われやすいんだ」
「証拠を気にするって、玄人プロなんですか?」
「あぁ、素人の場合は大抵、事故だから」

 ということは、当人同士の喧嘩と思いきや、第三者が仕掛けている可能性もあるってことか。

「結構多いんだよ、西市とか。あれだけ人が集まれば、あくどい事をする者も出てくる。腹立たしいことだがな。被害をこうむるのは、いつも弱い市民だ」
「はい」
「そいつらを早く縄にかけないとな。市民の生活を守る、それが我らの務めだ」

 日焼けした顔がニッと笑った。
 九瑤もつられて笑って頷いた。でも、そういうところ、素直に格好いいと思う。
 右金吾衛府は無骨な人が多い部門だが、みんな心の中にが熱いものを持っている。

「…私も、自分の仕事を頑張ります。ありがとうございます!」

 上向いた気持ちをそのままに、九瑤は次の対象を探す。
 十二班から構成される巡警班。短時間で全員に聞くのは難しい。府内にいる班長を順番に捕まえ、聞き取りをしていく。
 四人目が終わったところで、あたりをふらふら探していたところ、三班の班長を見つけた。

「孫班長―」
「九瑶、まだいたのか」

 厩で装具の手入れをしていた孫英に九瑤は駆け寄ると、振り返った彼は眉を上げた。

「はい、気になることがあって。最近、西市で犬が暴れて騒ぎになった案件、似たような話お心当たりありますか?」
「あるな。どうした?」
「同じような話を聞いて。偶然かと思ったんですが、第三者の行為かもって、気になって」
「におうな。聞かせてくれ」

 九瑶の問いに何かを察したらしい。そういった勘の良さは現場の玄人プロゆえだ。調書を片手に説明する。
 聞き終えると彼は腕組みをして、視線を遠くに投げた。

「夏布屋と絨毯の行商か。仕事の関連性は低いから、同一犯と仮定すると金銭問題ではなさそうだな…。すると、交友関係だな。日頃の行動を洗って接点を探す。それか被害者は全くの無関係で、犯人に事情があるか、だ」

 洞察力。
 この仕事に必要不可欠な、見えないものを導き出す視点。
 彼の頭脳は常にフル回転で、事実と事実を結び付けていく。九瑶が追い付けない速さで、彼の思考は新しい事実の在処を指し示す。
 尊敬と憧れ。彼に向ける眼差しは熱に溢れる。だが、それをそばで見ているだけは、やはり歯がゆい。

「班長、どうしたら仮説が描けるようになるのでしょうか…」

 九瑤には全く見えない、その糸を手繰り寄せる術はどうしたら身につくのだろう。

「調べているうちに、気になるものが出てくるはす。最初は根拠なき勘でもいい。一つずつ潰していく。そうやって現場で経験値を積んでいくだ。しばらくすると突然、『わかる』ようになるから」
「経験値…」
「疑問を持ったこと、いい傾向だ。その感覚を追うんだ」

 事実だけでは、真実には届かない。霞のようにつかみどころのない、点と点を繋ぐのは、見ようとする者の意志。

『違和感を逃すな。必ず何かがそこあるはず』
 九瑤の頭に浮かぶ、荀判事の横顔。
 何度もダメ出しをくらい、その度に説教を受けた。

 どうやって、つながりを導き出すか。
 事実をかき集め、点を増やすか。
 見えない線を洞察から導き出すか。

『徹底的に洗い出せ。景色を描けるほどに』
 師匠なら既に、見えているのだろう。
 しかし彼のように突出した能力がなくても、事実を集めることなら自分にも出来る。

「交友関係、掘ってみます」
「他にも驢馬の事故は、近頃よく聞く。だが、九瑤。お前がそこに労力を割くほどの案件か?」

 痛い所を突かれて、九瑶の頬が強張った。

「優先順位、低いですよね…」
「分かってるんだな」

 孫英の視線が痛い。九瑶は怒られた子供のようにうなだれた。

「…情状酌量の余地があると思って、どうにか材料をうちで用意したくて…」
「ふん…」

 語尾が弱くなった九瑶を見て、孫英は自分の顎ひげを指で何度か撫でた。

「…あとは、手法だな」
「手法ですか?」

 顔を上げた九瑶の目が輝く。

「犬が暴れる自体、珍しいだろう。何か興奮剤を盛られたと仮定する。すると、それをどうやって食わせるか、の方が重要になる」
「拾い食い、しませんよね。簡単に」
「生肉でもぶら下げていたら別だがな。躾けられた者ほど、ご褒美に弱いもんだろう」

 ニヤッと含みのある笑み。飼いならされた自覚がある者には耳が痛い。

「簡単につれるものですか?」
「動物はにおいに敏感だ。それを利用すれば、すぐにできるさ。戦場で使われる方法で騎馬の隊列を乱す為に、飼料に毒草を仕込んだりする。戦時下では即効性があって手に入りやすい草が使われるんだ。多少の知識があれば、誰でも自家生産できる」

 確か以前は軍属だったと、聞いたことがある。
 実戦経験があるから、この風貌なんだと再認識させられる。
 にしても、この人の知識、半端ない。

「驢馬の胃の中を調べる事ができればな」
「確かにそうですね…」

 薬なら専門家がいる。現物があれば手がかりになるかもしれない。

「同一犯なら、使う手法も同一。反応も同一なら、角度は高くなる。それと他事例の収集だな」

 仮説と検証。
 基本に忠実に、堅実に進める事。九瑤は彼の言葉に大きく頷く。
 彼の言う通り、さらに聞き取りを進めないと―。
 右金吾衛での拘留期限は明日まで。しかし、やるべきことは沢山ある。急がないと、間に合わなくなる。

 少しの焦りをおぼえ、九瑤は話を書き留める紙をくるくると手早くまとめ、孫班長に頭を下げた。

「助かりました。ありがとうございます。また、他の班に聞いてみますっ」
「あ、九瑤」
「はい」

 既に孫英に背を向けていた九瑶だったが、身体を半分ねじった状態で振り返った。

「班長どもには我が聞いておく。今日はそれくらいにしろ」
「え…」
「うら若い娘が、遅い時間に帰宅するのを右金吾衛府が放っておける訳ないだろ」
「…私は大丈夫ですよ。武術も多少、教わってますし」

 心配してくれるのは嬉しい。
 だけど、今は目の前の事をどうにかしたい。

「何かあったのか?」
「あ、えっ、あっ…」

 不意の質問に、九瑤は口ごもる。

「浮足立っているように見えるぞ」
「落ち着きが、足りないですね。すみません…」

 無意識に首の後ろに手が回る。
 あの日から騒々しい心の中を見透かされた気がして、なんだか気まずい。

「悩み事か?」
「いえ…」

 こういう時、なんて言えばいいんだろう?
 自分が立っている足元がぬかるんで、沈み込んでしまいそうな、そこはかとない不安。それを拭いたくて、ここ数日いつもより没頭しているのは確か。

「もっと、仕事、出来るようになりたいんです」
「そうか。だが、短期集中は大した結果を呼ばない。今日は帰りなさい」
「は、い…。失礼します」
 
 言い返すことも出来ずに、九瑶はただ、孫英に頭を下げた。
 何かを察したのだろう。彼は眉を寄せたが、追及するようなことはなかった。

 九瑤は内府に戻ると、不在にしていた楊駈に書き置きを残し、右金吾衛を後にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...