勇者になど、絶対に

ほんじょう

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プロローグ

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そびえたつ高い山々に囲まれた、ひっそりとした小さな島。
空は闇色に染まり、どこからともなく立ち込める薄暗い霧によって空気も重い。
島の中央にある暗い森を抜けた先に広がる湖。
その中に大きく存在を見せつける、わずかに浮かんでいるように見える真っ黒な城。

その城の一室に窓から稲光が差し込み、二つの影が浮かんだ。

「……勇者が誕生したか…」
「東の魔女の予言は真であったということですな…」

禍々しい装飾の玉座に居座る、見た目は青年の人物が呟くと、傍にいた背の低い初老のような人物が言葉を返す。
青年は腰までありそうな銀髪で、耳は尖っており額からは角が生えていた。その傍の老人は目は3つあり、肌は魚のような鱗で覆われていた。
そしてその二人の間には水晶が一つ、宙に浮いていた。
そこに映し出されていたのは、女の腕に抱かれ、きゃっきゃと笑っている一人の人間の赤ん坊だった。
それを見ながら青年たちは険しい顔つきをしていた。

「…予言か…勇者の誕生から、その先は見通せないと言っていたな」
「えぇ…なにせ勇者は光の申し子。彼奴が誕生した途端に光にかき消されてしまいます。特に闇の行く末は」

ふう、と老人が息をついた途端、水晶から赤子の姿が消え、ただの水晶へと戻り老人の手に収まる。そのまま懐へとしまった。

「…東の魔女は申しておりました。闇の力が増す頃、世界のどこかで勇者が誕生する…その勇者を葬ったとしても、闇の力がある限り勇者は生まれ続ける、と」
「…あの赤子の息の根を止めたとしても、第二、第三の勇者が生まれてくるということだな」

青年は手を自らの顎へとやり、眉根を寄せた。
その様子を見ながら、老人も視線をわずかに漂わせる。

彼らの現在いる城は、世には魔王の城と呼ばれる。
それは人間たちが住まう世界に存在するが、普段は強力な結界により人間はおろか、弱い魔物でさえ場所を確認することは不可能な城だった。
そのため、城には魔王直々の選りすぐりの魔物たちしかいない。
彼らが言う、東の魔女もその内のひとりであり、現在の魔王よりも長くこの世に生きている存在であった。

「……魔王様」

老人は小さくその"名"を呼ぶ。
青年―――魔王は視線だけを老人へと向けた。

「彼奴は今はただの幼子ではありますが、わずか十数年もすれば力をつけるでしょう。ですが力をつけるといっても、それが魔王様に敵うものであるかというのは分からないものですし、そもそも魔王様を脅かすほどの力を身に着けるのは現実的では、」

「ダジン」

魔王が低い声で小さく名を呼ぶと、老人―――ダジンは短い返事をして勢いよく背筋を伸ばし、肌の鱗は逆立っていた。

「魔族の王が歴史上、幾度となく勇者と争いになり、結果は全て魔族側の敗北となっていることを知らぬとでもいうつもりか?」
「い、いえ、とんでもございません!ですが、魔王様は歴代の魔王様の中でも類稀なる魔力と才覚をお持ちでいらっしゃるのも事実でございます…!」

自身に向けられている声に含まれる怒気にダジンは竦みあがり、語尾が震える。
なおも魔王の眼光は鋭いままだったが、ふっと視線をダジンから窓の外へとやる。
その視線は遥か遠くを見ているようだった。

「歴代の王は今のお前のように過信した結果、魔族が何度も絶滅の危機に瀕していたのだぞ」
「……は。そうして、現在ではようやく魔族も増え、魔王様の力も安定して日に日に増している最中、このようなことに…」

嘆かわしい事です、とダジンは先程の恐怖によるものではない意味のわずかに震える声でそう呟いた。
魔王はゆっくりと目を伏せたあと、再び王座に深く腰を落とす。
室内に沈黙が訪れる。
その沈黙は時間にすれば数十秒のことだったはずだが、ダジンにとっては数時間、はたまた数日のような重苦しさを感じていた。

瞬間、部屋が窓からの光でかっと明るくなったとほぼ同時に、大きな落雷の音が響いた。
そして魔王は目を開き、血のように真っ赤な瞳が見えたかと思えば、よし、と小さく呟いた。

「ま…魔王様?」

何がよしなのか、とダジンが首を傾げた。

「―――勇者がただの人間となるよう仕向ける」

静かな声で魔王は言い放った。

「…ただの人間に…?一体どういうことでございますか?」

魔王の言葉にダジンはただただ疑問符を浮かべる。
長年魔王に仕えるダジンでさえ、その発言の意味と意図が分からなかった。

「ダジン、先程の姿を見るに…人間どもはあの赤子を勇者として扱ってはいないということだな」
「え、えぇ…勇者になる人間というのは遺伝などではございませんから、そもそも周りも当人も気づくことはないはずです。なぜか導かれるようにして魔王様の元へやって来て、滅ぼさんとするという存在こそ勇者でございますから…」

勇者であるから魔王を倒すのではない。魔王を倒した者が勇者と呼ばれる存在となる。
しかしその勇者に成り得る存在は必然とも言えるように、魔王の元へと自然と導かれる。
生まれながらの勇者というものは確かに存在するのだ。ただ、その人物自身はその自覚はない。

魔王が力をつけ世界を滅ぼそうと活動を本格化させる、その頃世界のどこかに勇者は現れる。
だがその勇者を葬ってしまえば、また違う勇者が現れ、それも葬ってもまたそれの繰り返しになる。
この世界をもうすぐ闇で支配できるという時に、文字通り赤子の手を捻るだけとはいえ、永遠とも言えるその手間は耐え難い。

そこで魔王が考え出した結論。それが。

「今生まれた勇者を利用するのだ」
「利用…?」

魔王はわずかに口端を上げた。
ダジンは未だに理解が及ばず、3つある目全てを何度も瞬いていた。

「あの赤子を、勇者という立場から遠ざければよい」
「…魔王様を滅ぼすことのないように仕向ける、ということですか?そんなもの、どうやって…」

「私が直々にそうなるように導いてやるのだ」

そういって魔王はにたりと笑ってみせた。
突然の言葉にダジンは大きく目を見開いた。

「な…何をおっしゃっているのです!そんな、魔王様自らが勇者の前に現れるというのですか!?」
「私以外の魔族の者に任せれば、勇者を前に自制心が働かず容易く殺してしまう可能性が高かろう」

自らが対処することが最も信頼がおけるから、というのはダジンもよく知る魔王の性格上、すぐに分かった。
だがそれ以上に、なぜここを出て人間の世界に長期に滞在する方法を選ぶのかという思いがあった。

「そ、それならば、今からあの赤子を攫い、この城で飼い殺しにでもした方が早いのでは?」
「この城に住む魔族の者に見つからずにいられると思うか。ここでは人間の匂いはありえぬもの、気付かぬわけがなかろう」

先程魔王が言ったように、勇者の、それでなくても人間の赤ん坊がいると分かれば途端に殺戮衝動にかられるだろう。
いくら魔王が殺すなと命令したところで、所詮その場の本能の方が勝るのは明白だった。

ダジンが言葉に詰まると、魔王はくつり、とさも愉快と言いたげに笑った。
その顔を見て、ダジンは悟った。

魔王様は歴代の王の中でも稀代の優れた才覚とお力を持ったお方、それゆえに勇者をも支配でき得るお力がおありになるのだ!
ああ、我らの王はなんと偉大なことだろう、現れる勇者を退けようとばかり考えていた自分や歴代の王が愚かだったのだ!

ダジンは笑みを浮かべる魔王をしっかりと脳裏に焼き付けようと真っ直ぐに見据え、思いを馳せた。
この王に仕えられている自分は何と誉れなことか、とダジンはそっと目を潤ませていた。

かつん、と魔王は玉座から立ち上がった。
ダジンは静かに一歩退き、頭を下げた。

「まずは人間の世界の事を学ばねばな」
「畏まりました。すぐ手配いたします」

勇者を含め、人間たちに自らが魔族であることを悟られぬように振る舞わなければならない。
それには人間の住む世界のことを知り、溶け込む必要がある。
また、魔王の強すぎる魔の気配を隠すために時を要することも必至であった。

勇者になど、絶対に―――させない。

魔王は固く心に誓い、勇者と成り得る人間の元へと向かう準備を入念に進めていた。



そして、数年の時が経った。



一人の少年が森を駆け抜けていた。
服は木の葉や泥にまみれ、顔や腕には小さな傷がいくつもできていた。
走る少年の後ろには、少年の体の3倍ほどの影が草木をなぎ倒すようにしながら迫っていた。
この森を抜ければ村はすぐそこなんだ、と少年はそれだけを思い走り続けていた。
走る先に光が見え始め、ああ、と荒い息をしながら一直線に向かっていく。

森を抜けた、と思ったとほぼ同時自分の名を呼ぶ声がし、少年は勢いよくそちらに視線をやる。
少し離れたその先、村の入口に立っていたのは少年のよく知る村人の男であり、少年の顔は安堵に包まれた。
おじさん、と手を振って声をかけようとしたその時。

「危ない、シャユッ!」

自らの視線の先にいる村人は恐ろしい形相でそう叫んだ。
少年は自らの背後から大きな影が落ちたのが分かった。
反射的に振り返ると、その影は自らのすぐ傍に迫っていた。

少年は悲鳴をあげることもできず、言葉を失った。
巨大な影の本体の先が自らの体に届く、と思った瞬間、その最悪の予想を裏切ることが目の前で起こった。

影は短い悲鳴を上げたかと思えば、数メートル先に転がっていた。
一体何が起こったのか、と少年は呆然とその影―――大きな魔物の瀕死の様子を見つめていると、視界の中に美しい銀色が入ってきた。

「怪我はないか、少年」

少年は思わず目を奪われた。
つい、ほんの数秒前まで命を落とす状況だったにも関わらず、衝撃を受けたように目の前の人物をただ見つめることしかできなかった。
最初に目に入ったのは、後ろで一つに結ばれた長く美しい銀髪だった。
軽装に見えて作りはしっかりとした生地の見慣れない衣服と、身に着けている装飾品は気品に溢れている。
手にはあの魔物を仕留めた武器であろう、輝きを放つ細身の剣が握られていた。

ハタチそこそこに見える青年は、さっと少年と視線を合わせるようにしてその場で膝を折った。

「危ないところだった。間に合ってよかった」

そういって青年は少年の頭に、ぽん、と軽く手を乗せる。
優しく安心感を与えてくれる暖かい笑みを至近距離で見た少年は目を真ん丸にした。
驚いている自分の姿がはっきりと青年の真っ赤な瞳に映っていた。


一部始終を見ていた村の男は、少年の命の恩人としてその青年を村に招いた。
男は他の村人たちに事情を説明し、大層青年は村人たちに歓迎された。
青年はルシフと名乗り、ただの旅の者だと話すと、ならばと村人たちは青年を村に留まらせた。
村の誰もが青年を快く思い、慕っていた。
その中でも最も慕っていたのは、命を救ってもらった少年だった。
青年の持つ強さ、思慮深さ、見目麗しさ、気品溢れる佇まいに憧れていた。
そしてそれに応えるように青年も積極的に少年に接していた。
いつしか青年は村に住まうようになった。
村は心地よい空気に囲まれ、平和だった。

それから幾年か経ち、少年が16になったその日。

「行ってらっしゃい」
「あんまり無茶はするなよ!」
「気を付けるんだよ!」

村の入り口には村人全員が集まっていた。
笑顔で手を振る者、涙を拭う者、心配そうに見守る者、それぞれが同じ方を向いていた。

その視線の先に立つのは、あの少年の成長した、既に青年ともいえる男、シャユ。
シャユは大きく手を振りながら村人たちの言葉に応える。

「行ってくる!」

精悍な、確固たる意志を感じる面持ちで言い放つ。
そしてシャユは村人たちから隣へと視線を移すと、満面の笑みを浮かべた。

「ルシフさん、必ず魔王を倒しましょう!俺たちの手で、平和な世界を!」

「……そうだな、シャユ」

勇ましい言葉と笑みを向けられ、ルシフも微笑みを返しながら応えた。


―――どうしてこうなった


ルシフは意気揚々と隣を歩いているシャユに気づかれぬよう、そっと真顔になって思った。
なんとかこの旅の中でも勇者と成り得る可能性を除去しなければ、とぐっと拳に力が籠もる。

のちに勇者と成り得るシャユ、そしてただの旅人であるルシフ―――に姿を変えている魔王。
二人の"魔王"討伐の旅は、今まさに始まったばかりである。
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