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聖戦⑧・魔王は執政を成敗する
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「被害状況は?」
「それが、侵入者によって将校が何人も被害を受けていまして指揮系統が混乱しております……!」
棟梁の将軍を倒したルードヴィヒはすかさず事態の収拾に乗り出す。防御に徹して互角となっていた戦局は魔剣達の暗躍により魔王軍へと大きく傾き始めていた。既に小山に築かれた砦の外周は陥落し始め、山頂への撤退を余儀なくされている光景が目に移る。
「敵将軍の一人を倒したのにどうして魔王軍はまだ統率されてるんだ?」
「別行動を取っていた棟梁の将軍の他に軍を率いる者がいるのだろうな」
「じゃあそいつを倒さねえ限り勝機はねえってことか。俺が突破すれば……」
「部隊の指揮官どころか幕僚すら何名も再起不能となっておる現状、そなたが敵陣に飛び込めば残った兵士達はもう何も出来ぬぞ」
ルードヴィヒはアーデルハイドの冷静な指摘を受けて歯噛みする。残された兵士達は誰もがルードヴィヒへ縋るばかりの眼差しを送るっている。さすがに彼には多大な犠牲を強いる強行手段に打って出る考え方が出来なかった。
万事休す、苦渋の決断を迫られたルードヴィヒだったが、そんな彼の肩に優しく手が乗せられた。鎧越しにも伝わる華奢な手の温もりはアーデルハイドのもの。彼女は朗らかな笑みを浮かべ、その宝石のような瞳はルードヴィヒだけを映していた。
「そなたが勇者として目覚めた今、もはやこの戦争は茶番だ。早急に終わらせねばならぬ」
「けどよ、どうすりゃいいんだ?」
「……しばし待つが良い」
アーデルハイドは踵を返すと駆け出した。ルードヴィヒは思わず彼女へと手を伸ばす。今動かなければ二度とその手を握れないとばかりに。しかしアーデルハイドはルードヴィヒの掴もうとする手をすり抜けて幕の向こうに姿を消していった。
アーデルハイドは周囲を伺い誰もその場にいない事を確認、精神を集中させる。すると彼女の身体が光り輝き、輝く粒子が立ち上っていく。それは次第に収束して人型を形成していった。輝きが収まる頃には人型の粒子は実体化していき、服、肌、髪へと変化していった。
その姿にアーデルハイドは見覚えがある。忘れる筈がない、忘れられない、忘れるものか。重病で死に瀕していた彼女の前に現れた純白の天使。彼女へと手を差し伸べて救い出し、普通の生活へと導いた深紅眼の魔王なのだから。
「……ふむ。やはり融合してからそう期間も経ってない故に分離出来たようだな」
「あの、魔王さん……?」
「しかし意識と記憶が若干混濁しているな。さすがに完全には分離出来なかったか」
アーデルハイドは魔王、自分自身と向かい合う。分かれてもなお彼女は魔王を自分だと認識する不思議。彼女がどうして今アーデルハイドと分離したかも手に取るように分かる。故に本来魔王と言葉を交わす必要すら無い程以心伝心なのだが、どうしても声をかけたかった。
「魔王さん、行かれるんですね?」
「余の悪役令嬢はまだ道半ばだからな。いくら余の部下であろうと邪魔立てはさせぬよ」
「戻ってきてくれますよね?」
「無論だ! 余とそなたはもはや一心同体なのだからな」
魔王が力ある言葉を唱えると彼女の後方に光り輝く天輪が浮かび上がる。天輪から伸びる六枚の翼は彼女の肌や髪と同じく純白。魔王の証である深紅眼が無ければ誰であろうと天使だと勘違いしてしまうだろう。それほどに美しく、神秘的だった。
魔王が空へと飛び立つと光が天に立ち昇った。流れ星を思わせる光景にアーデルハイドは思わず感嘆の声を漏らす。我に返ったアーデルハイドは手を組んで祈りを捧げた。神にではない、恩人であり友であり自分である魔王に対して。
「いってらっしゃい。気を付けて」
■■■
執政の将軍はそもそも今代の魔王を認めていなかった。か弱い娘でしかない彼女を魔王へと祭り上げたのは参謀と司教の二名。新たな魔王は参謀と司教の言うがまま統治を行い、あまつさえ当面人類国家への侵略を禁じる始末。日々不満は溜まっていった。
そんな中突如として魔王が不在となった。参謀は魔王直々に勇者と聖女の出現を阻止するためだと説明したが当然信じてはいない。しかしそれを好機と捉えた執政は人類圏侵攻の準備を開始し、更には同じく不平不満を抱く他の将軍をも抱き込んだ。
出陣に際して参謀は特に邪魔立てしてこなかった。ただ勇者を出現させるなと注意をされた程度。当然まともに取り合う謂れも無い。執政率いる魔王軍は特に支障も無く次々と諸国を滅ぼしていった。執政はやはり自分が正しかったのだとの確信に至った。
ついでに人類圏で密かに活動するとされる魔王共々葬り去れば次の魔王の座は自分のもの。そんな未来すら思い描く。悪くない、と微笑を浮かべた執政は小賢しくも小山に砦を築いて立ち塞がる人間達を根絶やしにすべく進撃を命じる。
しかし、敵陣に潜入した棟梁の将軍から一向に成功を告げる合図が来ない。何事かと苛立ちを抱き始めた頃だった。敵本陣から光が立ち上り、執政の前へと降り注いだのだ。周囲にいた配下の者は光で浄化されてしまい、偶然対象とならなかった者も恐れ戦く。
「ふん、光の担い手か。儂の邪魔立てをするのであれば排除するまでだ」
徐に立ち上がった執政は光の柱を見つめる。中心に何者かがいるようだが眩しすぎてその姿を捉えられない。魔王や参謀が危惧していた勇者や聖女の類か、それとも神に仕える天使の仕業か。どちらにせよ魔の者の敵には違いなかった。
「それともその光を汚して儂に屈服させるのも一興か」
「ほう、そなたが余を屈服させるか。実につまらない冗談よな」
光の柱を形成していた粒子が霧散する。そしてその中から現れた者を執政が見間違う筈もない。将軍のみが謁見を許される至高の存在、魔を統べる王その者なのだから。いかに執政が忌々しく感じていても上下関係は明白だった。
「余の顔を見忘れたか、執政よ」
「魔王、様……!」
執政はひれ伏す。その様子を眺めていた周囲の配下達も慌てて跪いていく。そうした反応は波のように広がっていき、一般兵は事情も良く知らずに執政のいる本陣へと頭を垂れる始末。さすがに交戦中の魔物は魔王の降臨に気付かないままで戦闘に明け暮れる。
「御身がこの場にいらっしゃった理由は?」
「無論余の命に背いたそなたに罰を与える為だ。そなたの独断で余は四名もの優秀な将を失ってしまったのだからな」
四人、それは執政自身と彼に加担した将軍達。魔王は執政達が敗北する事を前提で避難している。そんな事実に気づいて執政は苛立ちが込み上げてくる。そんな反旗の兆候を一笑した魔王は執政を睨みつける。
「そなたが余や参謀を良く思っていないのは知っている。有能であればそれで構わぬと捨て置いたのだが、害を成すのであれば黙ってはおれぬぞ」
「……では、儂達に如何なる罰をお与えになるおつもりで?」
「何、そなたはこれまで余の下で魔の者達に尽くしてくれた。そなたに独断行動をとらせたのは余がそなたに不満を与えたせいだな。謝る気は無いが、余はそなたにも権利があると思うぞ」
「権利、とな?」
執政には魔王の考えが読み取れなかった。参謀や司祭の言うがままと思いきや時々とんでもない思いつきを口にして困らせる。しかし一見突拍子もない発言が思わぬ結果に結びつく。そんな経験を幾度となく味わってきた。
「余に代わり魔王となる権利だ」
だから、かかってこいと言われてもさして驚く事は無かった。
侮られたとの憤りとこれで大義名分が出来たとの喜びから執政は口角を吊り上げた。
「ほう、では儂が貴女様を葬った暁には魔王と名乗っても?」
「良いぞ。出来るならな。参謀とてそなたに傅くであろう」
「……後悔なされますな」
執政は身体を震わせる。老人に扮してしわがれた肌や白くなった髭と髪は黒く染まり、骨と皮だけとなっていた肉体にははち切れんばかりの筋肉が盛り上がる。背丈も小柄な魔王を足元に見下ろす程に巨大になっていき、捻じれる四つの角と四枚の翼を生やしていく。
バフォメット。それが執政の正体だった。
執政から発せられる圧迫感、そして迫力には傍から眺めていただけの部下達も射竦められる。身体中から発せられる漆黒の瘴気は大地と空気を穢していく。しかし魔王はただ執政を見上げるばかりで威圧を涼風同然に受け止めるばかり。むしろ大仰な変身に呆れるばかりだった。
「覚悟しろよ小娘ぇ……! じわじわといたぶってくれるわ!」
「よくもまあそんな三下の台詞を恥ずかしげもなく言えたな。それにじわじわとは、それはまた悠長なものだ」
魔王は徐に指先を執政へと向ける。透き通るような白く華奢な指、手、腕を執政は鼻で哂う。その上でゆっくりとした歩調で魔王との距離を縮めていく。この程度の傀儡の小娘が何をしてこようが自分には傷一つ付けられやしない、そんな侮りもあって。
「天に召されよ!」
――それが致命的な誤りと気付いた時にはもう遅かった。
執政の視界が急に上へと昇っていく。驚きのあまりに見下ろすと自分の身体はそのまま何もせずに立ち尽くしている。急に動きを止めた執政に配下の者は動揺を露わにするが、ただ一人だけ魔王が肉体ではない執政そのものへと視線を送っていた。
遅まきながら自分に何が起こったのか理解した。
肉体から魂が引き剥がされている、と。
「即死魔法で一撃とは情けない。もう少し骨のある奴だと思っておったのだがな」
即死魔法。息の根を止める、心の臓を止める、魂を刈り取る、様々な手法が確立されているが、どれも魔法を介する為に精神力と魔力により耐性が得られる。魔の者でも屈指の能力を誇る執政には当然通常の即死魔法などまず通用しない。神の使徒が行使する浄化の神秘すらも。
しかし魔王が放ったのはそうした耐性を貫通する強制昇天の奇蹟。それこそ神その者か神に選ばれし使徒のみに許される御業。例え魔王が魔の者の中で珍しく光の担い手であろうと、それほどの神秘へと到達するなどまず不可能の筈。
では、魔王とはまさか――、
「消えよ。そなたに余の邪魔立てはさせぬ」
執政の意識は天へと昇っていく。大地がはるか遠くになり、雲も突き抜け、神の下へと誘われていく。はるか高くに消えていく執政の魂を見届けた魔王は抜け殻となった肉体に軽く蹴りを入れる。その巨体は何の抵抗も無く地面に倒れ伏した。
「皆の者! 此度の魔王軍の首魁は倒れた! よって今をもって撤退とする!」
魔王の号令はすぐさま魔王軍全体へと伝えられ、全軍退却となった。
ここに戦争は終結した。神聖帝国の皆は脅威を退けたと歓喜に沸いた。
その陰に三人の悪役令嬢の活躍があったと知る者はそれほど多くない。
「それが、侵入者によって将校が何人も被害を受けていまして指揮系統が混乱しております……!」
棟梁の将軍を倒したルードヴィヒはすかさず事態の収拾に乗り出す。防御に徹して互角となっていた戦局は魔剣達の暗躍により魔王軍へと大きく傾き始めていた。既に小山に築かれた砦の外周は陥落し始め、山頂への撤退を余儀なくされている光景が目に移る。
「敵将軍の一人を倒したのにどうして魔王軍はまだ統率されてるんだ?」
「別行動を取っていた棟梁の将軍の他に軍を率いる者がいるのだろうな」
「じゃあそいつを倒さねえ限り勝機はねえってことか。俺が突破すれば……」
「部隊の指揮官どころか幕僚すら何名も再起不能となっておる現状、そなたが敵陣に飛び込めば残った兵士達はもう何も出来ぬぞ」
ルードヴィヒはアーデルハイドの冷静な指摘を受けて歯噛みする。残された兵士達は誰もがルードヴィヒへ縋るばかりの眼差しを送るっている。さすがに彼には多大な犠牲を強いる強行手段に打って出る考え方が出来なかった。
万事休す、苦渋の決断を迫られたルードヴィヒだったが、そんな彼の肩に優しく手が乗せられた。鎧越しにも伝わる華奢な手の温もりはアーデルハイドのもの。彼女は朗らかな笑みを浮かべ、その宝石のような瞳はルードヴィヒだけを映していた。
「そなたが勇者として目覚めた今、もはやこの戦争は茶番だ。早急に終わらせねばならぬ」
「けどよ、どうすりゃいいんだ?」
「……しばし待つが良い」
アーデルハイドは踵を返すと駆け出した。ルードヴィヒは思わず彼女へと手を伸ばす。今動かなければ二度とその手を握れないとばかりに。しかしアーデルハイドはルードヴィヒの掴もうとする手をすり抜けて幕の向こうに姿を消していった。
アーデルハイドは周囲を伺い誰もその場にいない事を確認、精神を集中させる。すると彼女の身体が光り輝き、輝く粒子が立ち上っていく。それは次第に収束して人型を形成していった。輝きが収まる頃には人型の粒子は実体化していき、服、肌、髪へと変化していった。
その姿にアーデルハイドは見覚えがある。忘れる筈がない、忘れられない、忘れるものか。重病で死に瀕していた彼女の前に現れた純白の天使。彼女へと手を差し伸べて救い出し、普通の生活へと導いた深紅眼の魔王なのだから。
「……ふむ。やはり融合してからそう期間も経ってない故に分離出来たようだな」
「あの、魔王さん……?」
「しかし意識と記憶が若干混濁しているな。さすがに完全には分離出来なかったか」
アーデルハイドは魔王、自分自身と向かい合う。分かれてもなお彼女は魔王を自分だと認識する不思議。彼女がどうして今アーデルハイドと分離したかも手に取るように分かる。故に本来魔王と言葉を交わす必要すら無い程以心伝心なのだが、どうしても声をかけたかった。
「魔王さん、行かれるんですね?」
「余の悪役令嬢はまだ道半ばだからな。いくら余の部下であろうと邪魔立てはさせぬよ」
「戻ってきてくれますよね?」
「無論だ! 余とそなたはもはや一心同体なのだからな」
魔王が力ある言葉を唱えると彼女の後方に光り輝く天輪が浮かび上がる。天輪から伸びる六枚の翼は彼女の肌や髪と同じく純白。魔王の証である深紅眼が無ければ誰であろうと天使だと勘違いしてしまうだろう。それほどに美しく、神秘的だった。
魔王が空へと飛び立つと光が天に立ち昇った。流れ星を思わせる光景にアーデルハイドは思わず感嘆の声を漏らす。我に返ったアーデルハイドは手を組んで祈りを捧げた。神にではない、恩人であり友であり自分である魔王に対して。
「いってらっしゃい。気を付けて」
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出陣に際して参謀は特に邪魔立てしてこなかった。ただ勇者を出現させるなと注意をされた程度。当然まともに取り合う謂れも無い。執政率いる魔王軍は特に支障も無く次々と諸国を滅ぼしていった。執政はやはり自分が正しかったのだとの確信に至った。
ついでに人類圏で密かに活動するとされる魔王共々葬り去れば次の魔王の座は自分のもの。そんな未来すら思い描く。悪くない、と微笑を浮かべた執政は小賢しくも小山に砦を築いて立ち塞がる人間達を根絶やしにすべく進撃を命じる。
しかし、敵陣に潜入した棟梁の将軍から一向に成功を告げる合図が来ない。何事かと苛立ちを抱き始めた頃だった。敵本陣から光が立ち上り、執政の前へと降り注いだのだ。周囲にいた配下の者は光で浄化されてしまい、偶然対象とならなかった者も恐れ戦く。
「ふん、光の担い手か。儂の邪魔立てをするのであれば排除するまでだ」
徐に立ち上がった執政は光の柱を見つめる。中心に何者かがいるようだが眩しすぎてその姿を捉えられない。魔王や参謀が危惧していた勇者や聖女の類か、それとも神に仕える天使の仕業か。どちらにせよ魔の者の敵には違いなかった。
「それともその光を汚して儂に屈服させるのも一興か」
「ほう、そなたが余を屈服させるか。実につまらない冗談よな」
光の柱を形成していた粒子が霧散する。そしてその中から現れた者を執政が見間違う筈もない。将軍のみが謁見を許される至高の存在、魔を統べる王その者なのだから。いかに執政が忌々しく感じていても上下関係は明白だった。
「余の顔を見忘れたか、執政よ」
「魔王、様……!」
執政はひれ伏す。その様子を眺めていた周囲の配下達も慌てて跪いていく。そうした反応は波のように広がっていき、一般兵は事情も良く知らずに執政のいる本陣へと頭を垂れる始末。さすがに交戦中の魔物は魔王の降臨に気付かないままで戦闘に明け暮れる。
「御身がこの場にいらっしゃった理由は?」
「無論余の命に背いたそなたに罰を与える為だ。そなたの独断で余は四名もの優秀な将を失ってしまったのだからな」
四人、それは執政自身と彼に加担した将軍達。魔王は執政達が敗北する事を前提で避難している。そんな事実に気づいて執政は苛立ちが込み上げてくる。そんな反旗の兆候を一笑した魔王は執政を睨みつける。
「そなたが余や参謀を良く思っていないのは知っている。有能であればそれで構わぬと捨て置いたのだが、害を成すのであれば黙ってはおれぬぞ」
「……では、儂達に如何なる罰をお与えになるおつもりで?」
「何、そなたはこれまで余の下で魔の者達に尽くしてくれた。そなたに独断行動をとらせたのは余がそなたに不満を与えたせいだな。謝る気は無いが、余はそなたにも権利があると思うぞ」
「権利、とな?」
執政には魔王の考えが読み取れなかった。参謀や司祭の言うがままと思いきや時々とんでもない思いつきを口にして困らせる。しかし一見突拍子もない発言が思わぬ結果に結びつく。そんな経験を幾度となく味わってきた。
「余に代わり魔王となる権利だ」
だから、かかってこいと言われてもさして驚く事は無かった。
侮られたとの憤りとこれで大義名分が出来たとの喜びから執政は口角を吊り上げた。
「ほう、では儂が貴女様を葬った暁には魔王と名乗っても?」
「良いぞ。出来るならな。参謀とてそなたに傅くであろう」
「……後悔なされますな」
執政は身体を震わせる。老人に扮してしわがれた肌や白くなった髭と髪は黒く染まり、骨と皮だけとなっていた肉体にははち切れんばかりの筋肉が盛り上がる。背丈も小柄な魔王を足元に見下ろす程に巨大になっていき、捻じれる四つの角と四枚の翼を生やしていく。
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執政から発せられる圧迫感、そして迫力には傍から眺めていただけの部下達も射竦められる。身体中から発せられる漆黒の瘴気は大地と空気を穢していく。しかし魔王はただ執政を見上げるばかりで威圧を涼風同然に受け止めるばかり。むしろ大仰な変身に呆れるばかりだった。
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しかし魔王が放ったのはそうした耐性を貫通する強制昇天の奇蹟。それこそ神その者か神に選ばれし使徒のみに許される御業。例え魔王が魔の者の中で珍しく光の担い手であろうと、それほどの神秘へと到達するなどまず不可能の筈。
では、魔王とはまさか――、
「消えよ。そなたに余の邪魔立てはさせぬ」
執政の意識は天へと昇っていく。大地がはるか遠くになり、雲も突き抜け、神の下へと誘われていく。はるか高くに消えていく執政の魂を見届けた魔王は抜け殻となった肉体に軽く蹴りを入れる。その巨体は何の抵抗も無く地面に倒れ伏した。
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アルフレッド様の幸せのために、絶対に離縁してみせるんだから!!
推しである夫が大好きすぎる元悪役令嬢のカタリナと、妻を愛しているのにまったく伝わっていないアルフレッドのラブコメです。
全4話+番外編が1話となっております。
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