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夏季休暇

フリュクティドール④・貴女は姉ですか?

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 夜も更けてまいりました。社会人だったら日没からが本番ってノリになったりもするのだけれど、学生ならクラブ活動だって終えてとっくに下校しているぐらいか。私世界なら学校が終ってから塾だったり予備校だったり通う子もいるけれど、この世界にそんな学び舎は無い。

 まあ、何が言いたいかって言うと、下校時刻を始業時間に定めているオルレアン邸でのご奉公開始時間をとっくに過ぎている。大遅刻なんてものじゃあない。ジャンヌには学園に夏期講習を受けに行くとしか伝えていないから無断欠勤同然だ。

「こうなったら明日の自分に全部押し付けて今日のわたしは直帰してとっとと寝てやる、なぁんて選択が出来たらとりあえず解決なんだけれどなぁ」

 あいにくジャンヌったらここ最近ただでさえ攻略対象のラウールさんと顔を合わせる日々を送るわたしに不機嫌さを隠そうとしないし。七週目みたいに拷問の末に操り人形にされるなんてまっぴらごめんだから、最低限顔を出すぐらいはしないと。

「カトリーヌ。もう外も暗いしオレが送っていくって」

 で、ふーやれやれと肩から力を抜きつつ立法府から帰ろうとしていたら、ラウールさんに呼び止められた。どうやらわたしの姿を見て慌てて荷物をまとめてきたらしい。上着が若干寄れているし息がわずかにあがっていた。

 ちなみに電気が発明されていないから日が沈んでからの残業なんて無理、と思いきや火属性魔法のちょっとした応用で照明が完備。今も外から眺める立法府の窓からは明かりが煌々と輝いている。わたしが出る時も何割かの文官がまだ自分の仕事机で業務に励んでいたし、不夜城だなここは。

「まさか一人で帰るつもりかい?」
「いえ、これから使用人として働かなきゃいけませんからオルレアン邸に赴きます」
「どっちにしたって止めときなって。いくら王都は兵士の巡回が多くて治安がそれなりに保たれてるっつっても限度があるってもんだ」
「物騒なのは分かっていますけれど、わざわざラウールさんのお手を煩わせるわけにはいきません」

 別にラウールさんに守られなくたって太陽が昇っていないこの時刻は闇に支配された夜の世界。オルレアン邸まで闇の魔法を使って影から影にあっという間に転移出来てしまう。ラウールさんに送ってもらうよりよっぽど安全で早くて楽だ。

 けれどそんな事情をラウールさんに説明出来る筈もなく。ご尤もな指摘にわたしの反論は非常に説得力が乏しかった。『双子座』でも結構面倒見が良くて強引にメインヒロインを誘ってくるラウールさんは、案の定一歩も譲る気配がなさそうだった。

「ソレ、遠慮じゃなくて強情って言うの。オタクはまだ自立もしてないか弱い女の子なんでしょ? 大人しくオレに守られちゃいなさい」

 まさか学園じゃあなくて立法府で一緒に帰宅するイベントが発生するとは思いもよらなかったけれど、冗談じゃあない。ここでわたしが更に拒絶しようものなら手を取ってわたしに無理矢理同行しそうな匂いがする。
 上手い具合に彼が諦めるような理由をでっち上げるとするなら……。

「あ、カトリーヌさんも今から帰るんですか?」
「お勤めご苦労様でした、アントン様」

 他の人と一緒に帰るから心配するな、か。

 丁度いい所にアントン様がこちらに駆け寄ってきた。先程まで重圧に飲まれて委縮していた彼は解放された喜びから元の明るい雰囲気を取り戻していた。たださすがに溜まった疲れが隠しきれておらず、笑顔にはわずかに影が落ちていた。

「いえ。これからオルレアン家のお屋敷に赴き、ジャンヌに今日一日の報告だけでもしていかないと。連絡もしないままこの時間になってしまっていますし」
「それなら一緒に帰りませんか? もうじきお父さ……父も仕事を終えるそうなので」
「移動は馬車だと思われますが、わたしが同席してもよろしいのでしょうか?」
「きっと父も許してくれると思います。あ、ちゃんと父から許可を貰いますから」

 良い子だなぁ。年上とは言えしがない使用人に対しても親切に接するなんて。このまま旦那様からの英才教育を受け続けて、かつ紳士的な振舞いがそのままになればさぞ立派な公爵閣下になるんだろうな。今から成長が楽しみになってしまうな。

 ただ、それとこれとは話が別。いくらアントン様からの提案だろうと旦那様と馬車に乗って狭い空間で同じ時間を過ごすなんて御免被りたかった。だってわたしって旦那様との接点がほぼ無いんだもの。

 オルレアン邸では専らジャンヌの侍女として働き、時々お母様と時間を共有する。わたしの奉公の時間には屋敷に戻っておられる妹様方や奥方様とはたまに接点があるぐらい。ハウスメイドとして従事する比率もわりとあっても執務で忙しい旦那様とはあまり関わりが無いんだもの。

 本来公爵令嬢として育てられる筈だった女の子はただのカトリーヌになってしまっている。旦那様の思惑が全く見えてこないのに、どう接したらいいのかしら? 忠実な従者として何か言葉を投げかけられるまで沈黙を貫くか、アントン様とお話しているか、それとも……。

「すみませんラウールさん。折角の申し出ていただきましたが、わたしはアントン様と旦那様に従ってオルレアン邸に参りますので」

 しかし背に腹は代えられない。ラウールさんは攻略対象として七週目のジャンヌの破滅に直接的に関わっている。自分の将来を見据えるなら彼との繋がりは大切にすべきなんだけれど、その関係を更に太くする要因は極力排除しておきたい。方法は簡単、余計に接しなければいい。

「そうかい。そりゃあ良かった。いやなに、単にアンタが心配だったから声をかけたまでなんで、解決したならオレの出る幕は無いさ」

 アントン様を口実にしたわたしのお断りにもラウールさんは気分を害さず、軽く笑いを浮かべてあっさりと引き下がった。押す時は押すけれど引く時は引く、その絶妙な見極めはお見事だと思うし、人の気を惹きつける点だと思う。

「今日はここに連れて来ていただきましてありがとうございました」
「お安いご用だ、ってね。将来王国を背負うだろう有望な奴を放ってはおけないっしょ」

 王国を背負うだなんてまた大袈裟な。ラウールさんは背中越しにこちらに手を振りながら闇夜へと消えて行く。確かこの時間帯も本数は少ないけれど乗合馬車が動いていたからそれで帰るのか、まさかの徒歩通勤ってわけじゃあないよね?

 程なく、旦那様が立法府の建物から出てくるのと公爵家の馬車が玄関前に着くのはほぼ同時ぐらいだった。御者が運転座席から降りたって馬車の扉を開ける。旦那様、アントン様の順で乗り込んでわたしは頭を下げつつ進行方向とは逆向きの下座に腰を落ち着けた。

 この時間帯なら王都の表通りも交通量が少なく、馬車は順調に進んでいく。さすがに表通りの街灯はまだ灯されており、仕事上がりの人達が飲食店に出入りする姿がちらほらと見られる。わたしはそんな賑やかな街並みを眺めながら時間を過ごす。

「あの、カトリーヌさん」

 わたしの意識を呼び戻したのはアントン様の声だった。やや俯き加減で上目線でわたしを眺めてくる様子は可愛いとまで思えてしまう。
 ……いやいや、さすがにわたしに年下趣味は無い。第一ジャンヌとわたしが双子ならアントン様とは異母姉弟。道徳的にかなりまずい。そもそも隣の芝は青いって感じだろう。わたしにだって弟はいるから。

「はい、何でしょうか?」
「カトリーヌさんがエルマントルド様が言っていたもう一人のお姉ちゃんなんですか?」

 ……。
 まさかのど真ん中直球だった。

 ただアントン様の表情からは単に思い浮かんだ疑問を口にしただけじゃあなさそうだった。他人の空似にしてはあまりに酷似している容姿と声、ジャンヌとわたしが織り成す日常、様々な要素を根拠にその考えに至ったんだろう。

「分かりません」

 けれどジャンヌもお母様も旦那様もわたしをただのカトリーヌとして扱っている以上、わたしが安易に真相を打ち明ける訳にはいかない。かと言って仕える相手に対して嘘をつくなんてしたくない。よって、申し訳ないのだけれどはぐらかす回答しか口に出せなかった。

「ただ一つ言えるのはわたしはわたしのお母さんとお父さんの実の子じゃあなかった、ってぐらいでしょうか?」
「そうだったんですか?」
「つい最近知った衝撃の事実ですけれどね。お母さんの知人の子らしいのですけれど、それが本当かどうかはわたしには分かりません」

 これはわたしの本音だ。結局のところわたしはジャンヌの双子の妹って可能性が極めて高いってだけ。いくら私の知識があっても、ジャンヌと瓜二つでも、お母様が愛してくれても、本当の所は単なる偶然だって可能性も否定できないんだから。

 ただアントン様は納得できない様子で、やや起こっている様子で前のめりになってきた。公爵家の馬車って言ってもその空間はあまり広くなく、アントン様とわたしの膝が服越しに触れ合った。太ももに乗せていたわたしの手をアントン様が取る。その手はまだ柔らかい。

「でもジャンヌお姉ちゃんとあんなに親しくしてるじゃあないですか」
「気が合うからですね。最愛の友達って言っても構いません」
「エルマントルド様への呼び方は?」
「聞いていたんですか……。奥方様がそのように呼ぶようにと命じたので応えています」
「だったら……」
「――よさないかアントン、カトリーヌが困っているではないか」

 腕を組んで座席に身を預けていた旦那様は声を低くしてアントン様へ視線を向けた。アントン様は納得いかない様子でありながらも声を細めて身を小さくした。そんなささやかな反抗を見せる息子に対し、旦那様は軽くため息を漏らす。そんな何気ない仕草でも十分渋くて格好良く見える。

「アントンはカトリーヌが姉の方がいいのか?」
「えっ? あ、と、その……」
「なら今は口を挟むでない。カトリーヌの事情はお前が考えているよりはるかに複雑なのだ」

 アントン様は不満を飲み込んで視線を窓の外にそらした。そんなわたしは逆に唖然として旦那様の方をただ見つめるばかりだった。
 事情が複雑? 今は? わたしがただのカトリーヌのままで在り続けるなら単純明快なのに?

「……旦那様はその複雑な事情とやらを解消されるおつもりなのですか?」
「さてな。お前やジャンヌはこのままでいいのだろうが、お前が帰宅する度に寂しげな顔をさせるエルマントルドを見ていると、彼女の希望を叶えたくもなる」
「お母……エルマントルド奥様の?」
「十数年間も見放してきたからな。埋め合わせをしてやらねば」

 そう語って旦那様は口を閉ざした。お母様の希望なんてもう分かり切っている。それを叶えるには確かに多くの難題を解決しなければいけない。それこそ王国……いや、周辺各国まで巻き込む大騒動に発展するぐらいに動かないと。

 ただ、今一つだけ言える事がある。
 お母様。どうやら旦那様……お父様は貴女を愛しているようですよ。
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