縦縞のパジャマ

北風 嵐

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1 大阪テント村

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 大阪城の見える公園にある青テント村は村と呼んでいい。大阪でも一番大きなホームレスのたまり場である。鶏を飼って卵を食に載せる者や、大胆にも一畦の畠を作り野菜を食卓にのせる者あり、電燈線から電気を引き、テレビをつけているものありであった。洒落て、「盗電これ東電」と云ったのは、向かいのテントの笠本先輩である。

 ここの村で住めば、一日前でも先輩は先輩、まして年長者となればなおさらだ。といって、いたって民主的。選挙もなければ、独裁もない。何となくテント村の世話役をやりたい奴も出てくる。 一緒に安酒をくみあわせば、人格骨品おのずから知れる。何となく、一年交代になっているようである。前任者が後を指名する。後任者をほとんどが了承する。特別なメリットはないが、共同生活の大切さは、皆知っている。  笠本先輩は皆から〈笠っさん〉と呼ばれている。3年前の世話役で、西の国が初めての信吾の世話を何くれと焼いてくれた。歳は一廻り違うが、何故か話しがよくあった。笠っさんは地元、大阪の出身で、機関銃のようによく喋る。国家の政治、経済に一見識を持っている。笠本三十四、〈三銃士、ではない、さとしと読む〉太平洋戦争の南方で戦死した父の死んだ歳で、笠っさんはこの年、昭和19年に生まれた。  笠っさんは、またテント村の情報は隅から隅まで把握している。何よりいいところは、相手に同意を求める話し方でないこと、偉そうぶらないこと。そして何より話が楽しい。笠っさんの周りには何時も人の輪が出来る。  

 笠っさんの自慢話は、高校野球で甲子園に出たこと、酔うと必ず、「1回戦、1回裏、ツーアウト満塁。サードゴロや。俺は〈しめた〉と取ってファーストに投げた、白いボールはファーストミットのはるか上を飛んでいった。結果その回に5点が入って6対2で負けた。人生の無情をあれ程感じたことはなかったでぇー」と何時も語る。 「プロ野球の話もあったが、無情の世界には住みたくないと断った」は、どうも眉にツバを付けたほうがよさそうである。  

 人の輪に疲れたときは、信吾のテントに酒を持って訪れる。笠っさんのテントは、TV,冷蔵庫、洗濯機、レンジ、オール電化されている。勿論これらは拾ってきたものだ。これで電気代が〈ただ〉だからこたえられない。地下でお前にも配線してやるといってくれたが、慎吾は丁重に断った。ばれて、お縄を戴きたくなかったし、それより必要な時に使わしてもらえれば十分だった。  

 野村信吾はこの村に流れ着いて、かれこれ3年になる。まだ、新兵の口である。 ホームレスの生活の糧がアルミ缶のリサイクルで成り立っている事は、今や皆が知っていることである。夜中に自転車で自動販売機の横のプラスチックの空き缶入れをあさっていることをイメージされる人が多いと思うが、あれは本当に効率が悪く、殆ど稼ぎにならない。  

 飲食店、ホテル、病院等の施設からの回収を抜きには語れない。大口、安定供給先なのである。この大口先の開拓、維持の営業マンが笠っさんなのである。当然得意先への付け届けは欠かせない。でも一番は、やはり人間関係と、約束を守る事である。  回収に来たり来なかったりでは、相手が困ってしまう。約束の定時には必ず行く事、置いてくれている場所の清掃、そしてホームレス自身が、出来るだけ清潔な身なりを心がける事である。これらの事には、笠さんは厳しい。ルーズをすると他に回されてしまう。
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