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9 バッキ―とメッセンジャー(その1)
しおりを挟むバッキ―は外国人100勝の記録を持つ、メッセも日米通算100勝、日本だけの100勝にリーチをかけている。190㎝を超え、90キロを超える巨漢、それ以外にどんな共通項がるというのだろうか。何せ45歳ほども年齢が違うのだ。バッキ―の入団は1962年(昭和37年)、ランディは2010年(平成22年)だ、当時と今の野球の違いや、外人選手の待遇の違いなどを比較してみるのも面白いと思ったのだ。意外や両者にはたくさんの共通項があったのだ。そらそうだろう、文化も違うニッポンで100勝を上げる優秀投手なのだから。ちなみに外国人投手100勝は南海にいたスタンカ。通算1位は西武の郭泰源、117勝である。
ジーン・バッキ―(Gene Martin Bacque 1937年~) 身長: 191 cm 91キロ
ルイジアナ大学卒業後、マイナーリーグ・3Aのハワイ・アイランダーズに在籍、解雇されかかっていたところを、当時スポーツニッポンの記者で、阪神の藤本定義監督からの要請で調査に当たっていた有本義明の目に留まり、入団テストを受けて合格し、1962年7月入団した。球速はあってもコントロールがむちゃくちゃであったが、「磨けば光るかもしれない」という藤本監督の強い意向で入団が決まった。
テスト入団だから外人として特別扱いはない。球場裏のアパートが宛がわれた。当時のアパートと云えば、あって2間、1間と台所、和式便所(洋式なんてホテル以外なかった時代)というのが通り相場であった。こういう事情にもバッキー夫妻は耐えた。
この辺を、バッキ―は思い出としてこう語っている。
「アパートでは忘れられない恩を受けた。3人目の子供が生まれた直後、退院したオクサン(ドリス夫人)が家で大量に出血、どうやって救急車を呼べばいいかわからない、病院に連れて行っても、日本語でどう説明したらいいのか、パニックになってしまった。ソロムコに連絡をしたら、すぐに彼のオクサン(日本人で英語も話せる)と渡辺(省三)さんのオクサンも来てくれた。ソロムコのオクサンは救急車にも一緒に乗ってくれた。通訳もしてくれて、助かった。残してきた子供たちは寝かしつけられ、キッチンには血がいっぱいだったはずなのに、すっかりきれいになっていた。渡辺さんのオクサンやアパートのオクサンたちがちゃんとしてくれていた。彼女たちに、改めてお礼を言いたい」
遠征や球団の対応について、60年には13勝、8年在籍、新聞記者を経て球団広報部に、現在OB副会長の本間勝氏はこう語っている。
「外国人選手の待遇。今と昔を振り返ってみると大きく変わった。今や、住まいは一家が余裕を持って暮らせる高級住宅であり、高級マンション。家にかかる経費は球団持ち。そして、遠征先の宿舎は一流ホテルが当たり前。球場までは球団持ちのタクシー。当時はソロムコとバッキ―がいたが、待遇たるや全てが日本人選手と同じ扱いだった。遠征先宿舎は日本人選手と同じ日本旅館。和室に布団を敷いて外国人同士の相部屋。背の高いバッキーには布団が短くて足元に座布団を敷いたりしていた、浴衣も190センチの長身。特大を着てもツンツルテン。膝までしかない。昭和30年代の外国人と浴衣。つい、プッと吹き出しそうになるぐらい滑稽だったのを覚えている。その姿を見て我々が大笑いしても「シカタナイネ」両手を広げ拙い日本語でテレてはいたが、表情はまんざらでもなさそうだった。来日したては上手く使えなかった箸も、そのうち上手に。仕事とはいえ、慣れない他国での生活。大変な思いをしただろうが、文句一つ言わず黙々と投げ続けてきた結果の100勝である。努力も認められ、球団の待遇にも変化が出始めた。
阪神球団に専用キャンプが安芸に出来たのだ。申し分ないキャンプ地ができたと思いきや、問題が起こった。外国人選手の宿泊施設である。なにぶん田舎、洋間のあるホテルはない。2、3泊という短期間であれば問題ないが、1カ月の滞在となると別問題。悩んだ末の結論は、新規にプレハブ住宅を建て、ベッドでの生活ができるようにするという配慮だった。人呼んで“バッキーハウス”。球団としてやっと個人に気遣いを見せた一例。外国人には厳しい時代だった。待遇。今を考えてみるとまさに雲泥の差だった」と
0勝3敗(途中入団)、翌年8勝5敗が3年目29勝9敗、実に完投数24、先発すれば完投が普通だった、小山も、村山も、江夏も。防御率1.89、外国人初の沢村賞を受賞。どのような変身があったのか、その辺をバッキ―はこう語っている。
「小山さんには野球でも学ぶことが多かったね。当時、村山さんもいて、ブルペンでは彼らの制球の良さに驚かされた。いつでも投げたいところに投げられるんだ。それで僕は彼らの足に注目した。どこに踏み出すのかってね。いつも同じ場所だった。リリースポイントも一緒。それを見習って、僕も左足を同じところに踏み出すようにして、リリースポイントも意識するようになったら、徐々にコントロールが良くなったんだ。彼らは、まさに先生。投手コーチも杉下(茂)さんだったから、いい環境だった。杉下さんはマウンドに来るといつも「スマイル、スマイル」って。僕はすぐカッとなっちゃうから。彼らは感情をコントロールできる。僕は打たれてベンチに戻ってくるとグローブを投げつけたりしちゃうけど、日本人は感情を表に出すことが少ない。一度、ダッグアウトにあった火鉢をひっくり返しちゃったことがあったけど、あれはみんなに「バッキーさん、ダメよ、NO」って怒られたな」
小山はバッキ―を食べ歩きにもよく連れて行き、私生活でも大変世話になったと語っている。投手コーチ杉下茂には猛烈なトレーニングで下半身を鍛えられたという。
こうして制球力をつけ、上手、横手からの変幻自在な投法と得意のナックルボールを決め球として、小山がトレードで抜けた後、村山実とともに二枚看板のエースとして優勝に貢献したのである。王はバッキ―を打ったが、長嶋はあのくねくねした投げ方と、ニヤニヤしたような顔には「ファイトが湧かない」と苦手にした。
王といえば、あの乱闘事件。
その後も15~18勝程度をコンスタントに主力として活躍して、前試合で記念の通算100勝を記録した。1968年9月18日の巨人戦、前日、江夏がシーズン三振記録を王より奪って打ち立てた(ちなみに延長12回江夏が打って1-0でサヨナラ勝利)、この時点でゲーム差なしで向えた試合だった。味方のエラーもあって先行されバッキ―はイライラしていた。4回、1球目は王の頭上に、2球目は内角へ厳しいボールがきた。1回の第1打席で死球を受けていた上に、ムッとするボールが立て続けに来たことで、王も頭に血が上った。左手にバットを持ったまま、ツカツカとマウンドのバッキーに詰め寄った。バッキ―が何やら答えて、王は引き下がったかに見えた。そこに巨人の控え選手二人と荒川コーチ―がバッキに―向って行った。バッキーの右足を蹴る荒川コーチに、元来気短なバッキ―が右ストレートで応戦。その後は両軍入り乱れての取っ組み合い。興奮したファンまでもがグラウンドに乱入の有様。両者は当然退場。両者どちらが先にかは意見は分かれる。ただ、バッキ―は指を複雑骨折していたのだった。当然後は出れない。タイガースは結局この年5ゲーム差で2位に甘んじた。翌年近鉄にトレードされたが、故障の影響か、勝ち星を上げられず退団している。32歳であった。
退団後は、教職資格を持っていたので、高校中学校で27年間教師を務めた。現在81歳健在である。
バッキ―が日本での一番の思い出として語っているのはやはり優勝したあの年である。
「1964年終盤のダブルヘッダー(9月26日)かな。相手は大洋(三原監督)で、阪神が負ければ大洋が優勝だった。僕らは連勝しないといけない。僕が第1戦に先発することは決まっていたんだけど、前日に藤本(定義)監督に呼ばれて、聞かれたんだ。
『バッキーさん、2試合目は、リリーフならいける?』
『カントクサン、ダイジョウブ』
1試合目は僕が完封して5-0で勝った。2試合目は3-2の九回一死から投げた。2連勝して、そのまま勢いに乗って優勝したんだ。あのときはうれしかったなぁー」
*2試合目は村山が5回まで投げた(婦人の不孝があった直後だった)。
このあと、国鉄(今のヤクルト)、中日と残り3試合すべて勝って、リーグ分裂後初の優勝となった。
「その翌年だったかな。王さんが『バッキーさんが沢村賞とMVPを獲るべきだった』って言ってくれたんだ。でも王さんはあの年、55本塁打を打っていた。文句なくMVPは王さんだと思うけどね。王さん本人からそう言ってもらえて、うれしかったのを覚えている」と付け加えた。
個人的な思い出としては、TVで名画鑑賞していたら、小津安二郎監督の『秋刀魚の味』(1963年)で、笠智衆と中村伸郎が飲んでいる居酒屋のテレビに阪神対大洋戦のテレビ中継画面が映り、そこでバッキーが大洋の4番打者桑田武を迎えるというシーンが登場する。これが結構長く懐かしく観た。他にも小津の映画には野球中継の場面がなんぼか出るのがあるが、みなタイガースである。小津は間違いなくタイガースファンである。
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