愛想のいい奴

チャッピー&せんせ

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愛想のいい奴

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 日が完全に昇る前、薄暗い部屋にずぶ濡れのまま男は自室に帰ってきた。パソコンを立ち上げいつもの掲示板を開き、慣れた調子で打ち込んだ。


“お前たちのいう通りだった。やっぱ、裏切られた! 単なる愛想のいい奴だったワ!”


“ザマ!”

“言った通りだろ!”

“ちみちみとストーカーなんてやってないで、一気にやらねぇからだよ!”

“そうだ! やるときは一気に殺るんだよ!”

“そうだ! そうだ! そうだ!”

“殺れ! 殺れ!”

“躊躇うな! すぐ実行しろ!”



 掲示板は一気に荒れた。

「あぁ、わかったよ……」

 静かにパソコンを閉じた。



 その壁に貼ってある大量の写真は、スナップ画像などではない。すべて隠し撮りによるものだ。居酒屋での食事風景、帰宅途中の姿、自宅アパートでの窓に映る姿など……被写体はすべて同じ女性である。

 男はスマホをプリンターに繋いだ。

 そして、プリント・アウトしたばかりの画像を手に壁に……貼る。

 しかし、それを壁に貼り付けるものはピンではなく鋭利なナイフ。それで壁に突き刺したのだ。その先端は中央に写る女性の顔面を貫いた。



◇◇



 多くの客で賑やかな居酒屋、入口のドアが開いた。

「いらっしゃいませ~っ!」

 傘を畳みながら、五人の女性グループが入店してきた。

「キャー、もうビチャ、ビチャ!」

 外は大雨。五人は近くに勤めているOLグループ。週末の金曜日によくこの店を利用している。活気ある店内がさらに華やかさを増したようだった。

「いつもありがとうございます。こちらです!」

 予約席に案内された五人。席に着くなり、各々がハンカチを取り出し、髪や衣服の水気を払う。

「すっごい雨ね」

「雨で思い出したけど、ある農村地帯で、雨の日に案山子が人間の首を切断する事件があったの聞いた?」

「ああ、ニュースで見たワ!」

「コワい! でも、都市伝説でしょ?」

「違うって、本当の話だって!」

 女性たちはエネルギーを充電するかのようにお喋りを始めた。

「いらっしゃい!」

 店員の一人がおしぼりを持ってきて、一人一人に手渡しする。

 話しに夢中で受け取るだけの女性たちだったが、わざわざ頭を下げてお礼をいう者が一人だけいた。彼女は「ありがとうございます」と店員の顔を見ながら笑顔を返した。

「生、五つね!」

 リーダー格の亜津美がオーダーした。

「かしこまり~!」

 その後も料理を注文するグループだったが、その女性だけは料理が運ばれてくる度に必ず頭を下げ「ありがとうございます」と店員の顔を見ながら、笑顔でお礼の言葉を返していた。

 場は盛り上がって、宴が終わる気配はなかった。しかし、急にその礼儀正しい女性が意を決したように言葉を発した。

「あ、あの……」

 場が固まった。

「どうしたの有季? あらたまって」

「あの……、実はみんなに言っておくことがあるんだけど……」

「えっ? まさか会社辞めるとか?」

「寿?」

 矢継ぎ早に質問が飛んできて、有季と呼ばれた女性はオタオタしていた。

「ちょっと、ちょっと! まず有季の話しを聞こうよ!」

 亜津美が場を収めてようやく沈静を取り戻した。

「有季ちゃん、報告って何?」

 有季は体を縮め上目遣いでみんなを見回した。

「う、うん。実はね……」

 メンバーは興味津々で有季に注目した。

「わたし……、実は会社辞めるかもしれないの……」

「えぇっ!」

 一同が驚きを隠せずオーバー過ぎる反応を示した。

「なんで?」

「やっぱ、寿?」

 照れながら有季は黙って頷いた。

 四人はさらに大きなリアクションの反応で驚きを表現した。

「えぇ、マジ? マジ?」

「全然知らなかった!」

「相手、誰、知ってる人?」

「今までなんにも言わないんだし! 信じられない!」

 さらに多くの言葉が投げかけられ、戸惑う有季だった。

「ちょっと、ちょっと、みんな! 落ち着いてって!」

 またもや亜津美が場を収める。

「ちゃんと有季ちゃんの話しを聞こうよ! さあ、有季ちゃん、どうぞ」

「う、うん」

 有季はあらたまって深く息をした。

「実はね、まだ正式に決まったわけじゃないんだけど、その人、今仕事で沖縄行ってるんだけど、もうすぐ帰ってくるの、それでね、帰ってきたら……ね」

「へえ、遠距離だったんだ……」

「知らなかった……」

 そこから恋バナはさらに盛り上がり、女たちの宴はしばらく続いた。

「そっか、じゃあ、ここで飲む機会も減っちゃうね」

「よし、有ちゃんの結婚の前祝いとして、もう一回みんなで乾杯しよ!」

 メンバーはグラスを手に祝杯を挙げた。

 やがてグループは酔いも周り、いい気分で宴を終えた。店の外はまだ雨が降り続いていた。メンバーはキャー、キャー叫びながら店を後にした。



◇◇



 五人が有季の報告で盛り上がっているときだった。

 店員の一人吉村哲也は隣のテーブルの片付けをしながら聞き耳を立てていた。報告の内容は、有季が結婚するということだった。思わず手が震えた。いつも笑顔で会釈をしてくれるあの有季が……結婚? 今までそんな素振りもなかった。常日頃一緒にいる社内のOLグループでさえ気が付かないのだから、自分が気付くはずもない。

 吉村は片付けを投げ出し厨房に戻った。

「店長」

「は、なに?」

 注文で溢れかえり、大忙しの中、店長を呼び留めた。

「ちょっと気分が悪くて……」

「はぁ? このドピークに、お前さぁ……」

「申し訳ないっす」

「わかった、わかった! こっちは忙しんだよ、ちょっと休んでこい!」

「すんません……」

 そう言って頭を下げ、更衣室に向かった。そして、中に入るなり、制服を脱ぎ捨てロッカーに叩きつけた。

「んだよ、結婚って! んなこと、聞いてねぇし! だったら愛想よく色気つかってんじゃねぇよ!」

 吉村は有季の愛想いい態度を勘違いしていたのだった。その笑顔は自分だけのためのものだと思っていた。もうこの時点で店のことなど微塵も脳裏にはなかった。そして、雨が降りしきる夜の街の中を傘も差さずに闇に消えていった。



◇◇



 吉村はずぶ濡れだった。閉店前に店を出たその足取りは自宅アパートではなく、いつぞや追跡して覚えた有季のアパートだった。

 沿いの道路からアパートを見上げる。彼女の部屋は二階の角部屋。室内の照明が点いている、まだ起きているようだ。腕時計で時刻を確認した。



午前零時十五分。



 店を出た時刻から考え、有季はきっと今さっき帰ったばかりであろう。

部屋の位置を確認すると、その場を離れ、アパートの敷地内に入った。ゆっくり階段を上がり、廊下を進む。そして、目当てとなる有季の部屋の前で立ち止まった。

 しばらくそのまま立ちすくんでいたが、何をすることもなく踵を返しその場を立ち去った。



◇◇



 日が完全に昇る前、薄暗い部屋にずぶ濡れのまま自室に帰ってきた。パソコンを立ち上げいつもの掲示板を開き、慣れた調子で打ち込んだ。



“お前たちのいう通りだった。やっぱ、裏切られた! 単なる愛想のいい奴だったワ!”



“ザマ!”

“言った通りだろ!”

“ちみちみストーカーなんてやってないで、一気にやらねぇからだよ!”

“そうだ! やるときは一気に殺るんだよ!”

“そうだ! そうだ! そうだ!”

“殺れ! 殺れ!”

“躊躇うな! すぐ実行しろ!”



 掲示板は一気に荒れた。

「あぁ、わかったよ……」

 静かにパソコンを閉じた。



 その壁に貼ってある大量の写真は、スナップ画像などではない。すべて隠し撮りによるものだ。居酒屋での食事風景、帰宅途中の姿、自宅アパートでの窓に映る姿など……被写体はすべて有季である。

 吉村はスマホをプリンターに繋ぎ、さきほど隠し撮りしたばかりの有季の画像をプリント・アウトした。その画像を手に壁に……貼る。

 しかし、それを壁に貼り付けるものはピンではなく鋭利なナイフ。それで壁に突き刺したのだ。その先端は中央に写る有季の顔面を貫いた。

 そろそろ朝日が差し込む時刻なのだが、曇天のせいであろう部屋は暗いままだ。

 吉村はスポーツバッグを取り出し、壁に貼り付けてある有季の大量の写真を剥がしバッグに放り込んだ。さらに、刃物や工具、バットも合わせて詰め込み仁王立ちした。

 その目は据わっており、決意に満ちていた。そして、部屋を出る。



◇◇



 土曜日の午前は、いつも祖母の見舞いに行くことになっていた。

 有季は、平日の慌ただしい朝とは異なり、落ち着いて支度していた。見舞いの後は街をぶらつくつもりなので、メイクも出勤日よりは濃いめに……。 身支度を終え、自室の玄関ドアを開ける。雨は上がったようで、日が眩しかった。思わず目を伏せると廊下の異変に気が付いた。

(足跡……? 泥の足跡が?)

 確かに昨晩は大雨で、自分の靴にも泥が付いていたのは確かだ。しかし、その足跡は自分のものとは確実に異なる。さらにその足跡は部屋の前まで来て、さらに引き返している。自分以外の誰かが来たのは確か、だが……。しかし、ネガティブになりそうな気持ちを払拭し足を進めた。



◇◇



 祖母は数年前から寝たきりの状態で、意識もなかった。当然、会話などのコミュニケーションをとることはできない状態だった。

 そんな状態だったが、有季は幼い頃から祖母のことが大好きだった。週末土曜日になると顔を見に行くことが常だった。病室に入ると、すでに母が世話をしていた。

「あら、有季! ねぇ、おばあちゃんがね、夜中にあなたの名前を呼んだそうよ」

「えっ? うそ?」

「ホント、お隣の方がビックリして起きちゃって、看護婦さんを呼んだらしいのよ」

「えっ、マジで?」

 話しによると、昨夜の深夜零時十五分ごろ。

 突然祖母が「有季! 有季!」と叫んだという。

 ここ数年、目を開けたことさえない祖母が名前を呼んだことに驚きを隠せなかったが、今いくら問い掛けても祖母は何も反応を示さなかった。ところが、帰り際に大きな変化が起きた。

「おばあちゃん、また来週ね」

 花を生けるなどのひと通りの世話を済ませ、握手をするように祖母の手を握ったときだった。

 なんと寝たきりで意思のないはずの祖母が手を握り返してきたのだ。力強くはないが、離そうとしない意思を感じた。

 思わず母と目を合わせる有季だった。



◇◇



 土曜日の午後を満喫し、帰宅後家事を済ませ、ベッドに入ったのは深夜一時過ぎだった。日頃の疲れもあり、すぐに意識は遠のいた。



 すっかり人通りのなくなったアパートの向かいから部屋の明かりが消えるのを確認する影。



 押せるはずのない緊急呼び出しボタンを押した老婆のもとに慌てた看護師が集まった。か細い声で「有季、逃げて、有季、逃げて」と繰り返している。ただ事ではないと判断した看護師が有季の母にその内容を電話した。



 ベッドの横のサイド・テーブルに置いてあるスマホのバイブ音が響いている。しかし、深い眠りに就いたままの有季は気付かない。



 影の主はアパートの敷地に入り、音を立てないように階段を上る。



 続くバイブ音の振動のせいで隣に置いてあった腕時計が床に落ちた。有季はその音で目を覚ました。スマホが振動しているのに気付く。画面には〔おかあさん〕と。

「おかあさん? なに、こんな時間に?」

 寝ぼけたまま、通話に出る。

「今すぐ逃げて!」

「はっ? なに言ってんの?」

「私もよく分かんないんだけど、おばあちゃんがいきなり起きて、『有季、逃げて! 有季、逃げて!』って叫んでるって、今病院から電話が掛かってきたのよ!」

「えっ? 何言ってんの? わけ分かんない」

「いいから、とりあえず、部屋を出なさい。すぐに迎えに行くから!」



 影の主は有季の部屋の前まで来た。バッグからバットを取り出し、玄関ドアを開かないように支え棒にした。



「う、うん。わかった……、じゃあ、どっかのコンビニでも行くから、こっちから連絡するね」

 そう残して、通話を切ったが、まだ本気にしていなかった。いくらすぐ出ると言っても、こんなパジャマ姿でコンビニに行くわけにはいかない。着替えようとベッドから立ち上がったときだった。



ガチャーン!



 突然窓ガラスが割れた。

「キャッ!」

 カーテンの向こうから、手が伸びているのが分かった。その手は、窓の施錠を外そうしているようだった。

 もうこうなると着替え云々言っている場合ではない。玄関に走った。裸足のままドアを開けようとしたが、チェーンも鍵も外したのになぜかドアが開かない。

「えっ? どうして、ヤダ、ヤダ!」

 慌てふためいても逃げ道はない。しかし、ここにいてはカーテンが開いた瞬間に真正面の位置で見つかってしまう。一分でも一秒でも長く生きていたい。そう思ってバス・ルームに逃げ込んだ。更衣室のドアをロックし、浴室のたたみ扉の留め具もロックした。大した防衛にならならいことは分かっていたが、ないよりはマシだ。



 割れたガラスのすき間から手を伸ばし窓の施錠を外した。

 ゆっくり開く窓、サッシの動きのせいで落ちたガラスがパリパリと音を立てた。巻き付くカーテンを払い、男の姿が現われた。

 居酒屋の従業員吉村哲也だった。その目は血走っていた。

 吉村は土足のまま有季の部屋に足を踏み入れた。懐中電灯で部屋を見回す。いるとは思っていないが、ベッドの掛け布団をはぎ取った。有季の姿はない。

 吉村はベッドに手を置いた。まだ温かい。この部屋にいるのは間違いない。ベッドの下を覗く。小荷物がたくさん置いてあり、それらを無造作に引っ張り出すが、有季の姿はない。



 バス・ルームの片隅でガクガク震えるしか術はない。抵抗するような道具もない。ただ、意味もなくシャワーホースを握っていた。今は聴覚を頼りに犯人の行動を推測するしかなかった。犯人はリビングを荒らしていることが分かった。



 吉村は獲物がリビングにはいないことを確認し、玄関の方へ向かう。そして、トイレのドアを開ける。懐中電灯の明かりを当てるがやはりここにもいない。残るはバス・ルームしかない。廊下を挟んだ向かいのドアのノブに手を置いた。ロックがかかっている。するとドア壁を思い切り蹴った。



「キャー!」

 思わず叫んだ。もう犯人は目の前だ。どうすることもできない。母が警察に電話してくれていることを願うが、期待はできない。ガタガタと震えるだけだ。もう完全なパニック状態だった。



 ドアを何度も何度も蹴りつけた。ドアはいびつな形にひん曲がり、それを押しのけて更衣室に入った。明かりを一巡したが、やはり有季の姿はない。残るは浴室だけだ。吉村は浴室に入る扉に手を掛けたが、ロックがかかっている。もう、この程度のロックを破るのは造作ない。扉に耳を当てた。女のすすり泣く声が聞こえる。ターゲットをロックオンした瞬間だ。間もなく目的を達成する。余裕を持って声を掛けた。

「まさか、君が結婚するなんて思ってもみなかったよ。君を苦しめるのは心苦しいから、時間を掛けずになるべく素早く殺すよ、でも君の彼氏はたっぷりと時間を掛けて苦しめながら殺すことにするよ」

「あなた誰よ! なんで私が殺されなきゃいけないのよ!」

 浴室のドアがガチャガチャ鳴り響く。

「誰か助けて!」

 大声を張り上げて誰かが気付いてくれればいいが、都会の片隅……期待はできない。

 犯人は楽しんでいるかのように扉をガチャガチャ鳴らす。

 せっかくの祖母の忠告を活かすことができず、得体の分からない何者かに命を奪われることになってしまう……心底絶望し、なりふり構わず叫んだ。

「おばあちゃん! 助けて!」

 それはまさに絶叫だった。



◇◇



 時刻的にはほぼ同時だったらしい。



 有季が浴室の片隅で祖母に助けを求めたときだった。

 何年も寝たきりで意識さえ戻ることのなかった患者が突然上半身を起こした。

 看護師たちは驚き後退りした。

 その年老いた患者は目を見開いて叫んだ。

「やめろー!」と。

 そして、また上半身を倒し目を閉じた。

 何が起きたか理解することができず、看護師たちは口を押さえマジマジと顔を見合わせた。



◇◇



 あの惨劇から一ヶ月ほどが過ぎた。祖母は再び意識のない寝たきりの状態でいた。

 有季は活気ある空港の到着口に向かっていた。

 華やかな雰囲気に満ち溢れた空間。いつもよりも気合いを入れてオシャレを意識した。手には花束を抱えている。沖縄からの便の時刻を確認する。まだ時間に余裕があるのでカフェに立ち寄ることにした。

 席につくと、男性店員が水とおしぼりを持ってきてくれた。笑顔で会釈をしようとした瞬間、すっと目を逸らした。

「アイスコーヒーを」

 素っ気なくオーダーした。

 トラウマが甦る。人の良さ、愛想のいい態度が原因で、赤の他人に思い違いを与えてしまい、命を奪われそうな体験をしたのだ。



◇◇



 あの時、なりふり構わず「おばあちゃん! 助けて!」と叫んだ瞬間、静寂が包んだ。浴室の片隅から動くことができなかった。わずかな望みを託して、その隙に母に電話した。

「お、おかあさん、助けて、殺される、助けて!」

 母親がすぐに警察に電話してくれた。

 間もなくけたたましいサイレンが聞こえた。犯人に動きがない……逃げたのか? しかし、そこを動くことができない。腰が抜けたような状態でいた。

 玄関からたくさんの足音や声が聞こえる。

「人が倒れている」

「救急車!」

 浴室の奥から、警察の会話が聞こえる。人が……倒れている? 犯人? いったいなぜ?

 ほどなく浴室の扉が開けられ、警察に保護された。

 そのとき、更衣室の床に倒れている男を見た。

 男は目、口、鼻、耳という顔面の穴という穴から血が吹き出ていた。明らかに生命反応はなさそうであった。

 その体をまたぐように室外に連れられた。



◇◇



 あとから聞いた話で、犯人は会社近くの居酒屋の従業員で、一方的に有季に好意を寄せていたのだが、前日、有季が結婚するという話を聞いて、その逆恨みで犯行に至ったという。

 パソコンの利用履歴、スマホやデジカメの保存内容を確認すると、有季の行動を把握していた上のストーカー行為をしていたことは間違いなかった。

 そして、実行……、しかし、まさに有季に手をかける寸前、過剰興奮により脳梗塞を起こし、命を落としたとされる。

 その診断が本当かどうかは分からないが、司法とすれば、常識の答えを出す必要があるのだ。

 寝たきりの祖母が上半身を起こし叫んだ時刻と犯人が倒れた時刻も一致するが、真相は分からない。しかし、今、自分は生きている。それだけは真実である。

 もう、お人好しの愛想のいい態度はとらない。人の受け止め方は様々だ。それからというもの、人と接する場合は、淡泊に、素っ気なく、できる限り印象を与えないように努めることにした。

 有季は腕時計を確認した。

 そろそろ沖縄発の便が到着する時刻である。慌てることなくカフェを出る。



◇◇



 二年前のある休日、渋谷の街をあてもなくウロウロしていた。

 突然、声を掛けられた。ナンパかと思ったが、相手は自分の名前を呼んだのだ。

 その人物を見たが、見たことあるような、ないような……誰か思い出せない。

「有季さん、でしょ?」

「ミヤビプランの野田真ですよ」

 その人物は有季の会社に出入りしている取引先の会社の営業マンだった。受付にいる有季にいつも愛想よく対応してくれる好印象の男性だった。

「ああ、野田さん! 私服だから、分かりませんでした」

「僕の方こそ、人違いじゃなくて良かった。ナンパと思われたら嫌だしね。今からデートですか?」

「ううん、今、おばあちゃんのお見舞いを終えて、ブラブラしているだけです」

「そう、もし良かったら、お茶でもしませんか?」

「ナンパですか?」

 真は照れくさそうに頭を掻いた。

「いいえ、接待です」

 爽やかな笑顔に、有季は迷うことなく誘いに乗った。



 その後も数回、食事と称してデートを繰り返した。

 ある日の食事の席、真が思いがけないことを口にした。

「実は、僕、二年間、沖縄に行くことになったんですよ」

「えっ?」

「ウチの会社、沖縄に支店出すことになって、僕が現地で陣頭指揮を執るように選ばれたんだ」

「行くんですか」

「もちろん」

 有季は迷いない真の言葉に寂しさを感じた。

「僕の実力を試すチャンスなんですよ」

「そっか、寂しくなるなぁ」

「いや、たった二年ですよ。あっという間ですよ」

「そうね」

 一生懸命に笑顔を見せる有季だった。

「毎日ブログをアップしているから、僕の行動は確認できると思いますよ。時々、ツイッターでも呟いているから、たまには“いいね”してください」

「はい」

「戻ってきたら、また食事しましょう」

「はい!」

 そして、真は旅立った。

 真の行動に関する情報は、日頃からブログやツイート、または引継ぎの新しい担当者から得ていた。

 そして、今日、沖縄から彼が帰ってくる。



 心臓が高鳴るのを覚えた。花束を抱えて到着口に近づく。多くの人々が迎えに来ている。その中にミヤビプランの垂れ幕を持ったグループが見えた。

当然と言えば当然だ。二年間会社の代表として単身沖縄で頑張ってきたのだ。同僚一同が迎えに来るのは当たり前だ。花束を渡せるチャンスはあるだろうか、と不安がこみ上げた。

 すでに便は到着しているはず。間もなく到着口から乗客が出てくるはずだ。



 ほどなくドアが開き、次々に多くの乗客が出てくる。迎える人たちがみな背伸びをしながら目当ての人物を探している。

 有季も真新しい花束を大切に抱えながら真を探す。

そこに真が姿を見えた。黒い大型キャリーを引きながら……一気にときめいた。

 真は同僚一同に気付き手を振る。彼らも賑やかに真を出迎えている。

 有季はその風景を見守ることしかできなかった。でもちょっとでも近づけることができれば、気付いてもらえるかもしれない、と思いその場を移動した。

 真の姿を見ながら、人波をかき分ける。真が同僚たちの横にいた中年夫婦に近づくのが見えた。

(あれ? ご両親かな?)

 両親が迎えに来ていることぐらい、これも当たり前と言えば当たり前だ。なおさら近づき難い雰囲気になってしまった。こうなれば可能な限り近づいて、真に気付いてもらうしかない。

 真と両親は久しぶりの対面に喜びを隠せずハグを交わす。

 しかし、次の真の行動で有季の動きが止まった。

 真は到着口のドアの方を振り返り、手を振った。

 有季もその方向を見る。

 そこには、真と真の家族に向かって手を振りながら歩いてくる若い女性……

「えっ?」

 有季は唖然として困惑の表情を示す。賑やかなはずの空港の空間から音が消えた……そんな感覚だった。

 その女性は、同僚一同の前で立ち止まって深々と頭を下げる。

 真が同僚たちに冷やかされている。

 そして、真は女性の肩に手を掛け、両親の前に連れていき紹介している。

母親が嬉しそうにその女性にハグをする。

「はっ?」

 有季の表情は、困惑から怒りへと変わった。



 二年前の真の会話、真の愛想のいい言葉を思い出した。



◇◇



「ナンパですか?」

真は照れくさそうに頭を掻いた。

「いいえ、接待です」

 

「いや、たった二年ですよ。あっという間ですよ」

 

「戻ってきたら、また食事しましょう」



◇◇



 確かにプロポーズされたわけではない。食事をしただけ……。戻ったら、食事をするというのも社交辞令だったのだ。

 お互い休日が暇な寂しい若者の即興のカップルだったのだ。

 自分一人が一方的に付き合っていると思い込んでいるだけのストーカーとなんら変わらなかった。自分の浅はかさにも腹が立ったが、そんな素振りを見せた真も許せなかった。

(人の良さそうな態度しやがてって! アイツ、単なる愛想のいい奴じゃないか!)

 有季は念を込めて真を凝視すると、トランス状態になりかけていた。あの過去の事件で犯人が血を吹いて命を落としたのは、もしかしたら自分に能力があるのでは? と考えてみた。

 すると、急に真がこめかみを押さえた。

(このまま……)

 さらに、真の横の女性は密着するように寄り添う。

 それを見ると、一層、有季の怒りがこみ上げる。もっと強く念じようとした。

……と、その時……

 有季の意識の中に、祖母の声が飛び込んできた。



“有季! ダメ! やっちゃダメ!”



 有季はその声で我に返った。水の中から出てきたように荒く呼吸をした。そして、多少冷静さを取り戻すと、出口に向かって走った。

 空港を出る直前、休憩用のイスに花束を叩きつけた。

「こんなもの!」

 ところが、ふとその花束に目を向けると、買ったばかりの豪華な花束の花々がすべてドライフラワーのように干からびて枯れているではないか!



 有季は困惑し驚き引きつった表情を見せたが、逃げるようにその場を離れた。



◇◇



 その日、祖母が息を引き取った。

 息を引き取る寸前、あの時のように突然上半身を起こし、そして「有季! ダメ! やっちゃダメ!」と叫んだという。



◇◇



 それからというもの、有季は「もう二度と“愛想のいい奴”にはならない」と、自身に誓った。
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